コルンゴルト 「死の都」 新国立劇場
新国立劇場で行われていた、コルンゴルトの「死の都」の上演、千秋楽を観劇してきました。
「ピーター・グライムズ」以来の新国。
大好きなコルンゴルト、よりによって、この3月最初は、びわ湖で、日本人キャスト・演出による「死の都」上演があり、そのあと、新国で5回、フィンランド国立歌劇場からのレンタル新演出上演でした。
オペラ観劇は、初日の華やかさや、興奮もいいのですが、千秋楽も、演技や歌、演奏も練れてきて、力の入り具合も違います。
まして外来客演歌手たちは、日本にも慣れ、そして別れを告げるという心の高まりも加わり、力のこもった熱唱が期待できるのです。
ダブルキャストを取らなくなった新国ゆえの楽しみでもあります。
2007年に、生誕90年、没後50年だった、エーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルト(1897~1957)ですが、その年には、そこそこ演奏会も音源発売もあったのですが、その後が続かず、相変わらず、埋もれた作曲家としての存在の定位置に戻りました。
ヴァイオリン協奏曲だけは、同ジャンルの重要レパートリーとして位置づけられましたが、日本では、オペラはまだまだ。
今回の、集中上演で、「死の都」を含む5つのオペラに光があたるでしょうか・・・・。
ウォルンガンクと、父親が名付けたとおり、神童の名を欲しいままにしたコルンゴルトの、オペラ第3作で、1920年、23歳の作。
寵児として楽壇にもてはやされたコルンゴルトも、戦争が、このユダヤ系作曲家を陰に追いやることとなりました。
退廃音楽としてのレッテルを張られ、アメリカに逃れ、かの地では映画音楽の作曲家としての地位をえるものの、本業のクラシック作曲家としての作品はまったく認められることなく、戦後、ヨーロッパに戻っても、忘れられた存在は変わらず、冷淡な反応しか得られません。
失意のうちにアメリカで没するコルンゴルト。
このような境遇の作曲家・演奏家は、たくさんいて、いまに至るまで、日の目も浴びることのない方もいます・・・・。
コルンゴルト 「死の都」
パウル:トルステン・ケール
マリエッタ、マリーの声:ミーガン・ミラー
フランク、フリッツ:アントン・ケレミチェフ
ブリギッタ:山下 牧子
ユリエッテ:平井 香織
リュシュエンヌ:小野 美咲
ガストン、ヴィクトリン:小原 啓楼
アルバート伯:糸賀 修平
マリー:エマ・ハワード
ガストン:白髭 真二
ヤロスラフ・キズリンク指揮 東京交響楽団
新国立歌劇場合唱団
世田谷ジュニア合唱団
演出:カスパー・ホールテン
芸術監督:尾高 忠明
(2014.3.24 @新国立歌劇場)
生と死、現実と妄想、愛と裏切りとが錯綜する、夢と現実の倒錯の世界。
ゴシック・ロマンとも呼ぶべき物語を、コルンゴルトは、、どこまでも豊かで、溢れ出る甘味なる旋律と、チェレスタ・グロッケンシュピール・ピアノ・マンドリンなどを用いた、近未来的響き、そして人物の心象に即した繰り返し奏されるライトモティーフ手法など、若さを思わせぬ、熟練の技で、夢かうつつか幻かの、音楽ドラマに仕立てております。
ともかく、音楽の方は、自分の手の内にすっかり入ったところで、余裕がありましたが、その音楽や歌たちが、実際にどんな風に舞台で演じ、歌われるか。
オペラを見る、最大の楽しみであります。
その思いは、いま初舞台に接して、ほぼ充足されております。
デンマーク・オペラのリングで、名を馳せたホールテンの演出は、舞台の隅々、装置も、演技も、具象性を極めていて、そのリアルさを、舞台ところ狭しと配置された小道具の数センチ単位の事象にまで、心を砕いている感が実感できました。
夢と現実を行き来する倒錯感を描き、聴衆を戸惑わせないようにするには、このリアルな迫真性は、とても重要な選択だったかと思います。
聴衆のイマジネーションに訴え、判断を一方的に任せてしまう手法もありますが、日本における、第一歩とも呼ぶべきコルンゴルト上演では、これでよかったのです。
これまで、映像でいくつか観てきましたが、主人公パウルが、亡き妻マリーを常に思い、部屋に思い出グッズをたくさん仕込んでいる、いわばオタクとも呼べる存在を際立たせるのに、亡き妻は、お人形だったり、絵画の中だったり、鏡の中だったりしました。
今回の演出では、驚くべきことに、完全な生マリー。
黙役として、最初から最後まで、舞台にいて、パウルの心象につきまとうようにして、ときに怒り、喜び、そして涙にくれ悲しんだりしてました。
その彼女とまったく同じ顔の肖像が、舞台上にいったい、いくつあったでしょうか。
あまりにもリアルな小道具。
それらを、ひとつひとつ検証してみたい。
その、幻影の実写とも呼ぶべき彼女が、パウルが、夢から覚めて、妻マリーの死を受け止め、「死の街」ブリュージュを去る決心をしたとき、静かにベットに横たわり、まったく動かなくなり、穏やかな死を迎えた。
ここに終結する、演出の心憎い鮮やかさに、大いに感心もし、やすらかな彼女の姿に、心から涙があふれました・・・・。
ただひとつ、事前勉強をしておかないと、舞台上に常にいる、マリーの存在が、最初はわかりにくすぎるかも。
舞台は、全幕を通して、舞台奥に奥行きを持たせる、スペース感あふれる基本系のお部屋。
あとで、よく考えたら、劇場お隣の、オペラシティのホールに似ている。
(第2幕 新国画像から拝借)
左右の上下14段の細かな棚に、概ね数えたら、600以上はある品々は、写真立てや、ミニハウス、引き出し、花・・・・などなど、ともかく多くて、一個一個確認したくてしょうがなかったんだ。
写真をみると、ほんとうに手が込んでる!
奥は、ブラインドの向こうの秀逸な街並み。
ブルージュの街を、立体的に俯瞰できる、スグレモノで、光の効果も、ここでは豊かで、昼、朝の加減もとても素敵なものだった。
(第2幕 新国画像から拝借)
そして、夜のブリュージュでは、街々の窓に明かりがともるという、とんでもない美しさ。
このあと、音楽は、ブリュージュの街の神秘感と、威圧的な荘厳さを、いやというほど醸し出します。
コルンゴルトの音楽のカッコよさは、こんなところにも聴いてとれます。
(第1幕 新国画像から拝借)
ドラマは前後しますが、明るく昼間の日差しも眩しかった、舞台に、赤いドレスと赤い傘のマリエッタが登場してから、パウルも、心象姿のマリーも動揺を隠せなくなり、ドラマが始まります。
彼女の投げ捨てた、真っ赤な傘が、最後の現実となって、舞台の最後を引き締めます。
このあたり、コルンゴルト親子の完璧なドラマの仕上げです。
夢の中で、夢想中、活躍中のパウルですが、マリエッタ劇団の連中は、中央にずっとしつらえられたベットの中から、マジックのように次々に登場しました。
これもまた、夢の中の事象という表現でしょうか。
ベットで櫓まで漕いじゃうという、見た目の馬鹿らしさもありましたが。
夢の中で、マリエッタと結ばれ、いたしてしまったパウルは、翌日、ブリュージュの聖血祭において、聖なる思いに焦がれ、熱唱しますが、背景の街の俯瞰から、聖者や信者たちが出てきて、香炉を振るところなどは、「赤」という色の効果もあって、本来、無邪気な心のマルゲッタの「赤」を思わせるところもあって、考えさせました。
マリエッタとの肉惑に、夢の中で溺れたパウルの心情の裏返しなのであります。
パルシファルとは逆に、その口づけが、パウルを夢のなかで変貌させてしまう。
魔性の女、クンドリーにも近い女性としての二面性を持つマリエッタ。
ホールテンの演出の面白さは、変な意味でなく、肉体を忘れられないという、死への直面を、人間の本質の、肉惑というサガにも、置き換えているところのようにも思われました。
そのせめぎ合いも、最後の、死への惜別という現実享受・認識、生への旅立ちという、人間らしいオチへとつながっているのです。
ちなみに、G・フリードリヒの演出では、パウルは、ここでは、死を選び、自ら拳銃をとる場面で最後となり、死への同化を選ぶのです。
それから、熱い愛情を歌いこめ、現実派のマリエッタが、過去を捨てないパウルに切れて、マリーの形見の髪を弄ぶところでは、「うつつ」の姿の可愛いマリーちゃんを、とっ捕まえて、はがいじめにして、ハサミでその金髪をちょん切ってしまうのでした。
リアル・マリーちゃんが舞台にいるものだから、そうしてしまうこの演出。
あまりに可哀そうすぎでした。
これが夢の中の事象と、後にわかるまでは、観客の皆さまには、ひでぇ女だとしか映らなかったでしょうね。
このあたりも迫真のリアリティ。
まだまだ、面白かったこと、気が付いたことたくさん。
そして、なによりも、もっともっと発見があるかもしれない、情報の多い舞台。
ラスト。音楽が、あまりに美しく、甘味な、マリエッタの歌を歌う、パウルの独白に移ったとき。
ベットに腰かけ、そのかたわらには、清らかなマリーの死に顔。
この日何度目になるだろう。
涙があふれて、完全に、わたしの頬は濡れそぼってしまった。
「この身にとどまる幸せよ 永久にさらば、いとしい人よ
死から生が別たれる 憐れみなき 避けられぬ定め
光あふれる高みで この身を待て
これで、死者が甦ることはない・・・・」
(広瀬大介 訳)
全3幕にわたって、出ずっぱりのパウルは、テノール歌手の難役であります。
ヘルデン的な力強さと、夢中さ、スタミナ、そして甘味さをも歌いださなければなりません。
トリステン・ケール(ケルル)は、この役を持ち役にする、数少ない歌手ですが、この最後の日の歌唱は、全力全霊を込めた迫真の素晴らしさで、後半に行くほどすごかった!
2幕・3幕で、爆唱しなくてはならいあげくに、最後の大トリで、甘いソロをホールにきれいに響かせなくてはならない。
出始めは手探りだったけれど、後半は、ほんとに素晴らしかった。
スピントも充分、バリトンがかった暗めの色調の悲劇的な低音は、ジークムントのようだったし、自然さが増した高音は、とても美しさが持続していたのだ。
数年前の、ドン・ホセも、昨年のタンホイザーもよかったけど、やはり、この人は、パウルだな!
同じことが、ミーガン・ミラーにもいえます。
パワー全開、その立派な容姿からして見えますが、彼女の硬質な声は、気の多いマリエッタの薄情さと、情の濃さ、その両方を、巧みに歌い出しておりました。
ナイスでチャーミングな、アメリカ娘って感じです。
先輩の、エミリー・マギーを思わせます。
ジークリンデや、シュトラウスの諸役柄に期待。
加えて、超美人。
死んだマリー役は、ずっと舞台に居続ける、この演出上の難役でしょう。
その彼女はロンドンっ子の、エマ・ハワードさん。
日本在住で、演劇やナレーターで活躍中。
日本語堪能だそうですよ。
彼女の細やかな所作は、われわれ日本人の共感大なるところでした!
バリトンの二役、ケレミチェフも悪くはないですが、本当は、最初に予定されていた、ヨハネス・マイヤーで聴きたかったところ。
甘さが不足。
同じく、甘さ・濃厚さ・滴る抒情に不足しがちだったのが、キズリンクの指揮。
音のつなぎが、そっけなくて、ここを、たっぷり聴かせて欲しい、というところを、すいすいと通過しちゃう。
でも、3つの幕のまとまりのよさと、指揮姿を拝見していて、ピットと舞台を、巧みに引っ張る様子がオペラの手錬れと思わせました。
上に上階がかぶった席のせいか、歌にくらべて、オーケストラが音響的に、いまひとつに感じたのもその要因かも。
東響は、まったく素晴らしい出来栄えでしたが、わたくしには、コルンゴルトの音楽には、もっとスリムで華奢だけれど、美音滴るような、神奈川フィルが一番だと、本日確信しました。
先週末に、神奈フィルとずっと共にして、心からそう思いました次第です。
終わって欲しくない、別れたくない、3幕の後半は、もうそんな思いで、コルンゴルトのこの美しくも切ない音楽が愛おしくてしょうがなくなり、涙が止まらなくなりました。
尾高さんの治世で、この演目を取り上げていただいたことに、感謝。
ゆっくりでいいですから、「ヘルミオーネ」や、シュレーカーの「烙印」や「はるかな響き」、ツェムリンスキーの「ゲールゲ」や「ガンダウレス王」なども、じわじわとやって欲しいのです。
そして、なにより、今回の「死の都」のプロダクションは、借り物とはいえ、レパートリー化して欲しい!
過去記事 一覧
「死の都」 ラニクルズ盤
「死の都」 インバル盤
「ヴァイオリン・ソナタほか」 ファン・ビーク盤
「シルヴァー・ヴァイオリン」 ニコラ・ベネデッティ
「マリエッタの歌~ヘンドリックス、メスト&フィラデルフィア」
「ピエロの歌~プライ、スコウフス」
「マリエッタの歌~コロ、ケール」
「トリステン・ケール アリア集」
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コメント
ずっと我慢の子でオペラを封印していたyokochan様、まずは久しぶりの観劇、おめでとうございます。僕は3/15の2日目。演出、舞台、歌手、よかったですねえ。ほんと、ミーガン様にはまた出演してほしいです。ケール氏の歌唱も、長丁場から考えれば及第点。ピットの響き、これはTSOのベストでなかったのが残念。それ以上に、yokochanさんが指摘していた通り、指揮者のセンスの問題で、シュトラウスのように響かせてもらいたいところが、ブツリブツリと切られてしまって、ちょっと残念でした。でも、いろいろなブログ(さすが、naopingさんのは筋金入りだ!)でも話題沸騰。これが契機となって、コルンゴールトやシュレーカーが注目され、上演されると嬉しいです。
再演、ひょっとしたら「あり」かもしれないですね。
来月、「ヴォツェック」(ツィトちゃん見たさに、観劇予定)が再演されますが、あれも確かレンタルだったはず。期待したいです。
追記;翌週のシャイー=LGOのマラ7と合わせ、3月は後期ロマン派大好き人間にとっては至福の1か月でありました。来月もマーラーのはしご。10月と12月のマラ8も、「おたく」としては外せませんです。
投稿: IANIS | 2014年3月25日 (火) 18時59分
IANISさん、こんにちは。
オペラ観劇への禁断症状は、病発祥の直前でした。
年一度でも、こうして、ましてや、最愛のコルンゴルトで思いを解放できたことが、ほんとうに幸いでした。
そして、素晴らしい上演。
すべての情報を遮断して、プログラムすら読まずに観劇し、記事も書きました。
幕間に、ピットを覗きましたが、打楽器・鍵盤楽器のハンパない多さに驚き。
マーラーやシュトラウスと同じく、あれであの透明感ですから、大したスコアです。
大ブレイクは、商業的になっても困りますが、あの舞台に接した方々が、ほかの周辺作品に興味を持ってもらえればいいと思います。
ヴォツェックにアラベラ、カヴァ・パリと続く20世紀路線は、新国としては極めて大胆ですね。
ツィトコワちゃんのマリー観たいですが、ド・ビリーの指揮のアラベラも気になります。
横浜の千人は、是非!
中華街で飲みましょう!
投稿: yokochan | 2014年3月25日 (火) 22時18分
yokochan様、我々の長年の夢、「死の都」舞台上演が実現しまして本当に喜ばしい事でございました。コルンゴルト好きとしましては、お互いにおめでとう!ありがとう!と言い合いたいくらいです。
新国立は2度行きましたが、クオリティは後の方になるほど良かったのではないかと思います。もしかして千秋楽がベストだったのかも。事故もなかったようだし。私も千秋楽の前の21日はホントに神上演でした(事故はあったものの)。ケールもどんどん調子を上げて行ったようですね。
オケについてはまあ、色々ありますが(とくにコルンゴルト特有のうねりとか情感とかが・・・指揮者のせいかな?)、もう演奏してくれただけでも有難いですし、21日は4回目ということで慣れたのかホントによくなっていました。
まあ、レンタルの上演ということで再演はこれから何年後か先かわからないので、夢にみるのはやっぱりびわ湖の再演ということになります。せっかくの沼尻さんなのでこのさいyokochanさん応援の神奈フィルで再演ってことにはならないでしょうかねえ。まあ、舞台機構がかなり凝ってたので再現はちょっと県民ホールでは無理そうなのですが、ちょっと改善してもらって。あれだけのレベルのものは関東でも上演する義務があると思います。神奈フィル関係者の方にちょっと相談してみて頂けないでしょうか?(もしそういうツテがあれば)
千人の交響曲は是非参加したかったのですが、参加条件を満たしてなかったので(結構ウチ神奈川県近いんですが・・・)残念でした。歌いたいなあ・・・もう一度。
投稿: naoping | 2014年3月26日 (水) 20時38分
naopingさん、まいどお世話にナリマス。
そうです、ほんと、おめでとうと言い合いたいですね。
盆と正月が一挙に来てしまった・・という。
片方を逃したのは痛かったですが、新国ひとつとっても、呆けるようになってしまった、この始末ですから。
記録用の録画を、各日収録していたようですね。
あの使い道が、よくわかりませんが、お国のやることですから、世界戦略にも拡張していただきたいところです。
びわ湖プロジェクト。
今年は、県民ホールが改修中で、箱根超えがなりませんでした。
来年の「オテロ」まで、びわ湖・横浜の共同プロジェクトはお預けです。
なんとか、片手落ちのコルンゴルトやって欲しいですね。
神奈川フィルにうってつけの音楽ですし。
県民ホールの主催の場合、神奈フィルは、座付きオケとなってしまうので、楽団の発言力は弱めかもしれませんね。
でも、ともかく、お願いと、実現の可能性は探ってみますよ!
千人参加は、ハードルが結構高いですね。
その前に、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲とエルガーの3番の夢のような組み合わせの神奈フィルコンサートがあります。
いかがですか?
投稿: yokochan | 2014年3月26日 (水) 22時04分
こんばんは。
naoping様のブログに書き込みした後で、申し訳ないです。金曜に二人で行きました。
地方住まいで交通費が大変ですが、セットでないと席が悪いので、新国年間セットを一セット買っています。かみさんも行きたいのだけ、もう一枚購入しています。二人とも席が離れてましたが五列目でした。当日、かみさん気合いが入っているようにみえましたが、疲れているようで、すぐ、こっくり、しだしました。でも、マリエッタの声が出たとたんに目がパチリと開き、最後は今日は久しぶりに良かったとの感想です。アラベラは興味ないけど、ヴォツェックは絶対行くとのこと。変わっていくものだと思いました。
投稿: Mie | 2014年3月27日 (木) 19時34分
Mieさん、こんにちは。
毎回、観劇、お疲れ様です。
そして、ときに、ご夫婦での観劇も、わたしのようなひとり観劇からすると羨ましいです。
ミーガンの声は、よくとおりますし、きりっとしてますね。
アラベラでなく、ヴォツェックとのよし。
頼もしいですね!
わたしは、両方とも、まだ悩んでます・・・
投稿: yokochan | 2014年3月27日 (木) 23時57分
トマス・ヨハネス=マイヤーのキャンセルは、芸術上の理由、というより、はっきり言って無理!!!出演契約段階での問題です。
なぜなら、(僕の聴いた観た)1月下旬から2月上旬、アムステルダムで初めての通し上演の’指輪4部作’のヴォータンを歌い、4月はマドリードで同じハルトムート・ヘンヒェン指揮で、”ローエングリン”新演出のテルラムント。また、同時期にバイロイト音楽祭での出演が公式発表でのテルラムント役の出演。
そういう状況で、新国立劇場へ来られるわけがないです。
*************
悪いけど、『死の都』をキャンセルしたトマス・ヨハネス=マイヤーは、来年1月の新国立劇場の『さまよえるオランダ人』を出るとは思っていません。
なぜなら、2月から2ヶ月間、音楽新校訂上演のミュンヘン・オペラで、初めての一流劇場でのヴォータンを通しで歌います。
実質、ミュンヘンは手直し上演なので、はっきり言って、普通ならキャンセルです。新国立劇場を。ミュンヘンで歌っていない”指輪”の演目もあります。
次世代の通し上演としての”指輪”を担う歌手としてならば、アムステルダムの課題を克服して、ミュンヘンに望むことが順当で相当です。
どんなに、東京に住んでいた可能性があっても、『さまよえるオランダ人』のチケットは直前まで買いません。
ミュンヘンでの上演の一作ごとの変則的な練習時期と重なるからです。積み上げて練り上げてからの通し上演が控えているからです。
*********
別な話になりましたが、『死の都』でのトマス・ヨハネス=マイヤーのキャンセルを受けて。書き込みました。
投稿: T.T | 2014年3月29日 (土) 20時07分
T.Tさん、マイヤーの情報ありがとうございます。
放射能を恐れていたのかと思いましたが、このようなスケジュールや、ステップアップした他の劇場との契約ならやむなしですね。
新国でいろいろ聴かせてもらいましたから、オランダ人はなんとか出て欲しいものです。
投稿: yokochan | 2014年4月 6日 (日) 13時08分
こんにちは。僕もびわ湖と新国立で観ました。
何せ初めてでしたし、yokochanさんやnaopingさんの思い入れの強さに、やや途惑い気味です。
でも、三回観て色々と納得する処もあり、また機会があれば観たいと思います。
ただ、東京までは行ないかな…。
投稿: Pilgrim | 2014年4月13日 (日) 14時03分
pilgrimさん、こんにちは。
ご返信遅くなりまして申し訳ありません。
ここと、naopingさんとところは、コルンゴルト熱、高いです(笑)
引いてしまうかもしれませんね。
彼のいろんなジャンルの作品を聴いてきて、どんな作品でも、その独自性があらわれていることで、完全に好きになりました。
5つのオペラは、本当に好きです。
そして、ヴァイオリン協奏曲に至っては、もう死ぬほど好きです。
とかのめり込んで書いてしまうもんで、すいません。
投稿: yokochan | 2014年4月16日 (水) 19時35分