「法悦とロメオ」 アバド指揮
桜より、ちょっと早く、でもほぼ同じ頃に花をつけるのが、桃の花。
よく見ると、梅の花にも似てますね。
子供の頃の実家の目の前には、県が運用している試験場の桃畑があって、一面がピンク色でした。
そして、その横には、山桜がたくさん咲いて、春はもう、それは華やかななものでした。
その桃も、いまは、ほんの一部になって、春の花の色合いが薄れてしまいましたが。
スクリャービン 交響曲第4番「法悦の詩」
チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団
(1971.2 @ボストン)
1972年に発売された、このレコード。
ちょっぴりエッチなジャケットにどきどき。
当時まだ中学生だったわたくし。
誕生日、クリスマスのプレゼント、それからお年玉をためて・・・・そんなサイクルで、レコードを集めてました。
1973年の正月に、横浜西口のヤマハで、買ったのがこのレコード。
完全に打ちのめされ、アバドのカッコいい音楽造り、ボストン響のウマさ、そして、チャイコのロメオ、スクリャービンの法悦の詩の音楽に、すっかり打ちのめされました。
この2曲は、この演奏がそれぞれに刷り込みですし、40年経った現在も、わたくしにとって、これらを超える演奏はまったくございません!
子供の頃は、当時360円ぐらいだったレコ芸や、ステレオ芸術や、FM雑誌が、唯一の音楽情報で、それらの雑誌の評論を参考に、高額なレコードを選択していたのでした。
そして、このレコードは、志鳥氏の担当する管弦楽曲部門で、激賞。
アルゲリッチのショパンで、すでに気になっていたアバド。
FMでも、ザルツブルク音楽祭の活躍などを耳にしてたし、ボストン響とのドビュッシーとラヴェルもすでに先行していた時分でした。
さらに、73年のその年、若くしてパーメネントコンダクターとなったウィーン・フィルと来日するといいます。
アバドを完全に追いかけて行こうと、確信した瞬間がこのレコードとの出会いです。
その後のウィーンフィルの来日演奏会のテレビ観劇でダメ押し。
RCAの専属だったボストン響が、DGと契約して録音を始めたとき。
第1段は、先に書いたアバドとのフランスものと、A・フィードラーのボストン・ポップスとのクリスマス・ミュージックでした。
その次にきた、このロシア系のレコード。
ともかく、鮮明・鮮烈な録音の良さに、まずはびっくりした。
中学生レベルの当時のボクちゃんクラスの安ステレオ装置が、やたらと目覚ましくよく鳴ったもんだ。
メータのハルサイや惑星とともに、このレコードの録音の良さは、わたしの装置にとってのご馳走のような存在でした。
そして、なんたって、この演奏の素晴らしさ。
アバドがいなくなって、そして、心の中に生き続けているいま、かつて何度も、何度も、聴いてきたこの音源を聴いてみる。
とても、かけがえなく感じる、それらの音源たちに、あいかわらずアバドの姿を見出だすことができ、そして、その時の自分も鮮烈に蘇ります。
もう40年前の自分。
海辺の小さな街の、潮騒聞こえる中学校に通って、好きな女の子に憧れたり、大人にイライラしたり、ともかく多感な毎日。
あのときから、アバドは変わらずに、歌心は満載で、静寂から、ブリリアントなフォルティッシモまで、そのダイナミックレンジは広大。
若い頃のスタイルは、繊細・美音のピアニッシモで歌うこと。
その静かな歌にボリュームを上げて聴いていると、驚きのフォルテがやってきて、超びっくりとなります。
どちらも、エッジの効いたボストン響の威力炸裂。
ほんらい、ねっちっこい不健康スクリャービンも、この演奏では、歌いつくしの健康志向。
ともかく、明るいヨーロピアンサウンド。
後期ロマン派・世紀末系としてのスクリャービンを、アバドはよくぞ録音してくれたものです。
最後の異様な盛り上がりも、整然と緻密な冷静さでもって、少しも下品になりません。
そして、聴き手をしっかり興奮に導いてくれます。
チャイコフスキーも同様。
早めのテンポで一気に駆け抜けながら、歌いどころでは、思いきり気持ちを込めてオケを歌わせてます。
アバドのあの指揮姿がまぶたに浮かびます。
ティンパニの劇打も素晴らしい。
ボストンとの共演が、2枚のレコードだけだったのは、とても残念なことです。
シカゴ、ボストン、ニューヨーク、クリーヴランド、フィラデルフィア、かつての5大オーケストラから等しくラブコールを受けていたアバドです。
アバドも若かった、自分も若かった。
アバドの音楽は、若いころから、ずっと変わらなかった。
さらに高みへ進化しただけ。
それに引き換え、頑張れ自分。
金曜は、アバド好きの集いへ。
おいしい千葉産、朝取れの魚の美しさ。
いつもお世話になってます、「com grazia」さんの呼びかけで、アバドに感謝する会。
アバドの話しかしない会。
みんなそれぞれの心にあるアバドを、思いきり語り、笑い合いました。
泣かないで行こうと思ってたけど、涙もろいワタクシは、決壊してしまいました。
もう一軒。
アバドを思いつつ、選んでいただいたイタリアワインは、本当に優しく、包みこまれるような味わいに溢れてました。
みなさま、お疲れさまでした、お世話になりました。
ありがとう、クラウディオ。
過去記事
「チャイコフスキー、スクリャービン アバド指揮」
「チャイコフスキー ロメオ アメリカ7大オケで聴く」
「スクリャービン 交響曲第5番プロメテウス 」
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コメント
おはようございます。
皆様の語るそれぞれアバドへの思いに、天国に旅立ったアバド氏が皆様方にとってどれほど大きかったかを感じさせられる集いでした。yokochanさんの涙もジンと来ました。
楽しいひとときでしたが、中座せねばならなかったことは残念です。
投稿: IANIS | 2014年4月13日 (日) 08時14分
IANISさん、先日はお世話になりました。
アバドの愛した「ヴォツェック」からのハシゴで、参加された感謝会。
あんなに、アバドのことが大好きな集団って、ほかにはないでしょうね。
泣くつもりはなかったのですが、やっぱりダメでした。
また、ゆっくりやりましょう。
投稿: yokochan | 2014年4月13日 (日) 10時36分