モーツァルト 「夕べの想い」 シュヴァルツコップ
ある日の夕焼け。
今年じゃありませんが、いまどきの晴れ間のあった空が焼けて行きました。
何度も何度も、ここに書きますが、わたくしは、夕焼けが大好きなんですよ。
暗くなるまで、ずっと眺めてます。
そして、頭のなかでは、好きな、いろんな音楽が鳴ります。
もしかしたら、これまではあんまり鳴らなかったけれど、今夜の音楽も、きっと、ゆっくり暮れて行く空には、お似合いの曲かもしれない。
モーツァルト 「夕べの想い」 K523
ソプラノ:エリーザベト・シュヴァルツコップ
ピアノ: ジェフリー・パーソンズ
(1970、8)
モーツァルトの歌曲やアリアには、名曲が数々ありますが、その中でも有名なのがこちら。
1787年の作。
よく言われるように、この曲には、死を予感したかのような告別の念を思わせる詩と、透明感にあふれた曲調とで、いっけん平安な雰囲気のなかにも、シリアスなものを感じさせる名品なのです。
カンペの詩によるもので、その詩の原題は「ラウラに寄せる夕べの想い」ということになってます。
シューベルトの歌曲、ないしは多くの作品に、死の影を見出すことは可能ですが、モーツァルトの音楽で、こうして直截に、その想いがあふれているのは、晩年の作を除いて珍しいかもです。
父レオポルドの死が大きく影響したとも言われておりますが、連続して書かれた次のK524の「クローエに」は、ずっと可愛らしい曲なので、よけいに、「夕べの想い」の厳しさが引き立つわけです。
はや1日が暮れ、太陽は沈んで、月が銀色の光を投げかけてきます。
人生の最良の時もこんな風に過ぎ去ってゆくのです、
ダンスに夢中になっていた間に・・・とでもいったふうに。
------(中略)
あなたもまた、ひとしずくの涙をわたしに贈り
一本のすみれを摘んで私の墓に手向け
あなたの心のこもった眼差しで、やさしくわたしを見おろしてください。
わたしにひとしずくの涙をささげて、ああ、その捧げものを恥ずかしがらないで
その涙こそは、わたしの冠のなかの、いちばん美しい真珠になることでしょう
(カンペ詩:西野 茂雄訳)
まるで、「わたしのお墓のま~えで・・・・」のあの詩みたいです。
こんな人生へのお別れじみた曲ですが、モーツァルトのシンプルだけど、清涼感あふれる歌は、どこまでも澄み切った空のようで、ピアノの伴奏の緩やかさが、その空に浮かんだ雲みたいな感じです。
今日は、シュヴァルツコップの歌で聴いたけれども、実は、ちょっと重たすぎて気持ちが疲れてしまった。
ともかく、うまい。
声には全盛期のハリはなくなり、揺れも感じるし、ヴィブラートも辛い。
しかし、言葉へ載せる感情の深みといったらない。
フィッシャー=ディースカウもそうだけど、FDはもっと現代的で、切れ味がある。
そんなことを、不遜にも思う昨今。
歌の表現も時代によって変化するもの。
実感が強すぎるこの歌唱は、シュヴァルツコップが達した境地なのかもしれないけれど、モーツァルトは、もっと身近で鳴ってる歌の方がいい。
ということで、ヘンドリックスとピリスの1枚を聴くと、これがまた全然違う。
爽やかなご近所のお姉さんのほうが、いい。
この方が、いまの自分の耳にはいい。
演奏時間も、大先輩の6分に対して、4分半。
そして、またシュヴァルツコップに戻ると、今度は、ドイツ語の発声の美しさに、今度はまた感嘆。
白井光子、マティス、ボニー、アメリンク、彼女たちのモーツァルトも好きですよ。
というようなわけで、新旧モーツァルトを聴いて夕べに想うのでした。
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