ドビュッシー 「版画」 フランソワ
雨です。
梅雨とはいえ、よく降ります。
こちらは、2年前に行った天草。
ちょうど今頃の季節で、仕事の日は晴天で、翌日フリーにした一日は、雨でした。
港の対岸がら見た、津崎教会。
偶然ですが、雨にピントがあったようで、遠景は滲んだようにして映りました。
今日聴く、音楽にもぴったりのような気がして、昔の写真をひっぱりだしてきました。
ドビュッシー 「版画」
ピアノ:サンソン・フランソワ
(1968.7 )
ドビュッシーの数あるピアノ作品には、練習曲とほか数曲をのぞいて、いずれも、詩的で幻想的なタイトルのついた曲ばかり。
それらは、当然ながら写実的なものでなく、あくまで、曲の雰囲気に寄り添うような、少しばかり曖昧なタイトル表現ばかりといっていい。
初期のものは、まだまだフランス・ロマン主義的な、ざーます系のお洒落音楽に身をまとっていますが、世紀の変わり目あたりから、ドビュッシー特有の印象派としての響きの音楽へと変容していきました。
「版画」は、1903年の作品で、交響詩「海」に取り掛かった頃。
「塔(パゴダ)」 「グラナダの夕べ」 「雨の庭」
この3つからなります。
エキゾテックな様相の「塔」は、パリ万博で聴いたジャワやシナの音楽にインスパイアされたとされ、ガムランの響きを聴きとることもできます。
ただ、あくまで、それは、ドビュッシーその人の印象の反映というにすぎず、塔そのものを描いたものでないことが、それまでの音楽の在り方と異なる点。
ハバネラ舞曲のリズムにのっとった「グラナダの夕べ」は、同じエキゾテックでも、スペインの下町の物憂い雰囲気。
後年の「イベリア」にも通じるものがありますね。
そして、「雨の庭」というタイトルは、予想に反して、アップテンポのちょっと元気のいい曲で、われわれ、日本人のしっとりと、雨に濡れた庭というイメージからすると、かなり違うような気がする。
フランスの古い童謡などがモティーフとされ、子供時代の自宅の庭に降りしきる雨を思いつつ書いたとされますから、少し浮き立つような子供心をも思わせるところが、元気よく聴こえるんでしょう。
雨のイメージは、お国によって、それぞれさまざまですな。
わたくしは、やはり、そぼ降る雨に、緑がしっとり濡れた、小さな和庭園を思いたいですね。
そして、そんな庭を、障子を少し開いて、見つめながら、ドビュッシーのピアノ曲をひねもす聴いてみたい。
最近の、どしゃどしゃ降る雨なんざ、情緒もへったくれもありゃしない。
サンソン・フランソワ。
このお名前を、鼻から息を抜くようにして、発声してみてください。
それだけで、この方のドビュッシーの演奏が、そのまま想像できますよ。
ステキ。
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