ベルリオーズ 幻想交響曲 ケンペ指揮
遅ればせながら、9月の小便小僧。
粋なはっぴをまとって、小便の勢いも一直線。
広義な意味での、秋祭り。
夏祭りは、お盆にまつわる祭りということで、帰ってきた祖先の御霊と相楽しむような、イヴェント的な要素が強く、華やかでありますね。
秋祭りは、収穫の感謝を捧げる祭りでしょうか。
ですから、地域性もさまざまで、11月まで、秋祭りはあります。
わたしの住まう、自治会では、毎年12月の第1日曜日が秋祭りということで、ついでにクリスマスまで強引にくっつけちゃう。
後ろ姿。
かわいいね。
足袋もすばらしい、まいどながら、いい仕事されてます。
ベルリオーズ 「幻想交響曲」
ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1959.5 @ヘドヴィッヒ教会、ベルリン)
「ケンペの幻想」、なんか、あんまりイメージなかったけれど、ドイツの本流みたいなケンペだけど、かなり器用な指揮者だったし、なんたって、R・シュトラウスのスペシャリスト。
複雑難解なシュトラウスの音楽を、意外なまでに軽快な棒さばきで持って、すっきり・くっきり聴かせることができたケンペ。
ワーグナーにおいても、重厚長大でなく、音を大切にしながらも、重たすぎないノーマルな演奏を聴かせてくれてました。
晩年の、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーなども、みんなそう。
個性のなさを、云々せずに、その音楽の素直なあり方こそを評価すべき、安心すべき名指揮者でしたね。
1910~1976、あまりに早すぎたその生涯。
あと20年存命だったら、オーケストラ界は、まったく違うものになっていたかもしれません。
ドレスデン生まれで、関係の深かったオーケストラは、当然にドレスデンのシュターツカペレ。
そして、ウィーン、ミュンヘン、チューリヒ、ロイヤルフィル、BBC、そしてベルリンです。
そこに、アメリカのオケも加わったりすることを夢想するのも楽しいこと。
こんな経歴のあるケンペですから、ベルリオーズも難なく、むしろ軽やかに仕上がってます。
繊細で、こまやかなまでに、静かな部分が美しい。
テンポを揺らさずに、克明な音の表出が目立つから、速い場面でのゴツゴツ感がありますが、それでも、音楽はしなやかですよ。
瑞々しい1楽章と、普通に気持ちいいワルツ。
田園のような3楽章。
少しもうるさくない断頭台は、ちょいと真面目すぎで、おもろくない。
同じく、おもろくないといえば終楽章だけど、音楽の彫りが、ほんと深い。
カラヤン時代初期のベルリン・フィルだけど、カラヤンの方が、腰が重く、重厚に感じるのは、録音のせいだろうか。
でも、この楽譜をそのまま音にした感は、とても新鮮なのです。
4,5楽章は、多くの指揮者が、ここぞとばかり、がんがんごんごん行くんですが、このケンペ盤は、まったくの王道。
ごく普通の熱狂しないエンディングに、妙に感激してしまうのでした。
それでいて、音の質量は軽く、明るいのでした。
面白いな、こんな幻想も。
そして、録音時49歳のケンペ。
ドレスデンとも、後に、この曲をやって欲しかったな。
一度も、日本にはやってくることのなかったケンペ。
札幌冬季オリンピックのとき、夏のミュンヘンとの互恵で、ミュンヘンフィルがやってきたのは1972年。
音楽監督ケンペは体調不全で、当初から予定されず、代わりに、ノイマンが来るとのことでしたが、ノイマンも東側の事情でダメになり(だったと記憶します・・・)、結局、フリッツ・リーガーという、オペラの大ベテランが随行しました。
夏のミュンヘン五輪で、イスラエル選手・関係者が、パレスチナ武装グループによるテロに合い、ハイジャックの末、双方、多数の死者を出すという惨事が起きました。
2月の札幌のあとを受けての夏のミュンヘンでした。
犠牲者への追悼式が、五輪のスタジアムで行われ、そのとき演奏されたのが、英雄交響曲の第2楽章。
地元ミュンヘンフィルを指揮したのが、ルドルフ・ケンペでした。
中学生のわたくし、それをテレビで見てました。
地域の紛争が、いまや、世界レベルで拡大しつつあると思います。
あのときの、ケンペの指揮したベートーヴェンの教訓が、いまに至るまで、まったく活きておりません・・・・・
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