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2014年12月 5日 (金)

モーツァルト レクイエム リヒター指揮

Gaien_10

神宮外苑の銀杏並木。

銀杏祭りがおこなわれていて、一番奥では、各地の産物やグルメの屋台で賑わっております。

でもそんな喧騒を避けて、早朝、ひと気の少ない時間に訪れるのが一番。

もう少し、青山寄りに行けば、表参道。
そちらは、けやき並木で、夜はゴージャスなイルミネーション。

東京は、美しくてお洒落ですが、東京ばかりか・・・・

そして、朝早く行ったのに、早くも、かの国の方々が大勢いらっしゃって・・・

 さて、12月5日は、モーツァルトの命日です。

1791年、いまから223年前、午前0時55分のこと。

Mozart_requiem_richter

   モーツァルト  レクイエム ニ短調 K626

    S:マリア・シュターダー     A:ヘルタ・テッパー

    T:ヨーン・ファン・ケステレン  Bs:カール・クリスティアン・コーン

   カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
                 ミュンヘン・バッハ合唱団

                     (1960 ミュンヘン)


モーツァルトの絶筆は、ラクリモーサまでが作曲され、しかも完全に仕上がったのは、第1曲の入祭誦のみ。

残りは、ご存知のとおり、弟子のジェースマイアーが、死の床にあった師から受けた指示のもとに、完成させた作品です。
ジェースマイアーが、何番弟子か、それはわかりませんし、ほかの人も手掛けて、できなかった補筆完成を、仕上げてくれたという点で、ジェースマイアーは、音楽史にその名を残すこととなりましたね。
もちろん、彼ひとりでなく、共作による補筆ではありますが。
 そして、確かに、ラクリモーサより後の部分は、パッチワーク的でもあり、霊感に不足する場面も多々ありますが、それでも、人々は、このジェースマイアー版を長く聴いてきました。

 ですから、バイアー版を手始めに、いくつかの版もありますが、わたくしは、あまり拘泥せずに、素直にジェースマイアー版を、なにも考えることなく聴くことにしてます。
もちろん、マリナーもアバドも、みんな大好きな演奏です。
そこにある、モーツァルトの偉大な音楽を素直に楽しめればいいのです。

 さて、この曲には、いろんな伝説めいた話が尾ひれのようにして、残ってます。
「灰色の服を着て異様な風采をした男が訪れ、レクイエムの作曲を依頼し、モーツァルトは、死の使者と思いこみ、自分死を葬るためのレクイエムと思い作曲した・・・・」

依頼の訪問者はありましたが、この話は、いまや虚構とされておりますね。

依頼を受けたころ、また、作曲を始めた頃、モーツァルトは、「魔笛」K620を完成し、「皇帝ティトゥスの仁慈」K621、クラリネット協奏曲K622、そして、フリーメイソンのための小カンタータK623と、晩年の名作にいそしんでいたわけです。
 前回のブログ記事で取り上げた、「フリーメイソンのための音楽」に書きましたが、フリーメイソンに入会してからのモーツァルトの人生観は、大きく変わったと思います。

子供のような天真爛漫・純粋無垢な傷つきやすい心から、それを持ちつつも、友愛や知で結ばれた仲間との交流で培われた、大人の心。

 死の床にある父レオポルドに向かってかかれた有名な手紙は、モーツァルト自身の死の4年前です。
「死は、よく考えてみれば、私たちの存在の真の目的地ですから、私はこの2,3年というもの、この人類の最善にして真実なる友と非常に親しくなりましたので、死の姿は、もはやまったく恐ろしくなくなり、むしろ優しく、安らかなものと思えます。
 死が、真の幸福に至るドアを開ける鍵であると知る機会(この意味はおわかりですね)を、神様が与えて下さいましたことに感謝しています。
もしかしたら、私はもう明日は生きていないかもしれない・・・まだこの年ですが・・・と考えずに床につくことはありません。」(石井宏訳)

この死生観は、キリスト教的なものではなく、やはり、モーツァルトが出会ったフリーメイソンの教義にあるとされます。

カトリックの典礼音楽としてのレクイエムではありますが、モーツァルトは、作曲の機会と報酬を得て、死を覚悟しつつも、その死を、積極的に迎えようという気持ちがあったのかもしれません。
そう思いつつ、ひとつの聴き方として、後半部分が、どんな姿で完成されたか、思いめぐらすこと多く、まったくもって興味はつきません。
 金に困っていたモーツァルトが、自身の信条を殺して、レクイエムを書いたのかも。
そんな気分で書いても、こんな極限的に素晴らしい音楽が残せた。
そして、もしかしたら、ほんとうに、モーツァルトは、その死を、本当に恐れていたのか。
永遠に尽きることのない、謎をあれこれ想像するのも、これもまた、音楽を聴く楽しみであります。

 モーツァルトの早世は、人類にとって、極めて無念なことでしたが、また、それはそれで、ひとつの完成された天才の人生でしたね。

 そして、今日は、55歳の若さで、急逝してしまった、カール・リヒター(1926~1981)の指揮する音盤で。
いまでは心のなかにいる、クラウディオ・アバドの演奏で、とも思いましたが、アバドはまた、1月に。

リヒターの死は、当時、社会人になる日を目前に控えていた2月のことで、ほんとうに驚きました。
マタイを中心として、バッハ演奏=リヒターと思っていた当時でしたから。

その死後、すぐに買ったレコードが、このレクイエムでした。

この演奏を覆う、峻厳なまでの厳しさは、ときに、突き放されるほど。
でも、60年当時のリヒターのバッハ演奏に通じるスタイルで、無駄な装飾を排し、楽譜に書かれたもの、作曲者の音譜そのものをそれぞれ突き詰めて、極めて高い緊張感を生み出し、そこに音楽の真実を生み出す。。。。
 そんなモツレクなのです。

先にふれた、モーツァルトの、もしかしたら、その死生観には、ちょっとそぐわないような気がいたしますが、これはこれで、その切り込みの深さは相当なもので、圧倒的であります。
独唱陣の声も、懐かしく、そして清潔。

リヒターの4年後輩、お馴染みのハンス=マルティン・シュナイトさんが、主を失ったミュンヘン・バッハ管弦楽団の指揮者となり、その存続の危機を救ったのも、神奈川フィルを愛するわたくしには、どこか因縁を感じます。

 日本を、そして横浜を愛したシュナイトさんのモツレクは、もっとふくよかで、人肌のぬくもりと、祈りにあふれた演奏で、リヒターとはまた全然異なる世界を造り上げているところが面白いです。

 モーツァルトのレクイエム 過去記事

「ピエール・コロンボ指揮 コンサート・ホール盤」

「サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー」

「ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管」

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コメント

こんにちは。
モーツァルトの生死観、そこから生まれたレクィエムという不朽の名作、
僕はずっと、せめてこれを完成させるまで、
どうして神様はモーツァルトに命を与えてくれなかったのかと恨んでいました。
でもジェスマイアー版こそモーツァルトの音楽!と思うようになりました。
そんなことを綴ったブログをトラックバックさせて頂きました。
リヒターは、来日公演のチケットを買ってあったのに亡くなってしまい、
指揮者が交代となって結局人に譲ってしまったことを思い出しました。
代役がもしかしてシュナイトさんだったら悔やまれます・・・

投稿: pockn | 2014年12月10日 (水) 17時35分

pocknさん、こんにちは。
ご返信遅くなってしまいました。

ウィーンに行かれた折の、ブログ記事拝読いたしました。
私は、唯一のウィーンは、中央墓地だけでしたので、マルクス墓地の存在すら、当時は知りませんでした。
そして、モーツァルトへの想いが伝わってくる素敵な文章を、ありがとうございました。
まったく、同感ですね。
レコードでは、ラクリモーサで、ちょうど面が変わりましたが、CDでは、ジェスマイヤーの部分も一気に聴けて、とても流れがよくなりました。
 これまで、親しんできたこの版を、これからもずっと聴いていくことになりますね。

独特の版を編み出した、アバド盤は、1月の聴こうと思ってます。もう1年ですね・・・・

ちなみに、リヒターの代役は、シュナイトさんじゃなかったような・・・、わたしも覚えてませんが。

投稿: yokochan | 2014年12月13日 (土) 08時42分

イヴは如何お過ごしですか?私はしんみりと、“アヴェ・ヴェルム・コルプス”を聞きながら過ごしております…ええ…一人ですともっ!(笑)

投稿: Booty☆KETSU oh! ダンス | 2014年12月24日 (水) 20時47分

Booty☆KETSU oh! ダンス さん、こんにちは。
もう、クリスマスは終わってしまいました・・、遅くなりまして恐縮です。
街は、ウソのようにクリスマスムードが消えてしまい、迎春ムードですね。
この変わり身の早さが、日本ならではかも。
 わたくしのクリスマスは、日曜に家族とちょっとだけ祝って、あとは妻子ともに、かまってくれなくなったので、ボッチと、好きな歌手のライブで過ごしましたよ。
モーツァルトは、いつもそばにいてくれますよね。

投稿: yokochan | 2014年12月26日 (金) 09時09分

yokochan様
度々お騒がせして、失礼します。Telefunken原盤のこのリヒター盤、レコード雑誌の名盤特集やベスト・ディスク何百選と言った企画には、あまりノミネートされる事は無いようですけれども、どこか通好みの見逃せない盤と言った印象を、抱いて居ります。確か後年に再録音も成されなかったようですし‥。ただこの曲、あまりの厳しさに軽々しく聴く事はし難いので、容易に手を出せないのも、このリヒター盤を未だに耳にして居らぬ理由かも、知れません。

投稿: 覆面吾郎 | 2022年9月24日 (土) 16時50分

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モーツァルトの眠る聖マルクス墓地を訪ねる St. Marxer Friedhof ザルツブルク生まれのモーツァルトは幼年期からウィーンとの縁は深いが、25歳でザルツブルクと決別し、ウィーンに移り住んだ。そしてウィーンで短い生涯を閉じ、葬られた。 モーツァルトをこよなく愛する...... [続きを読む]

受信: 2014年12月10日 (水) 17時36分

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