モーツァルト フリーメイソンのための音楽 ケルテス指揮
曇り空ですが、黄色く染まった銀杏並木は、晩秋であり、冬の訪れの風物詩。
神宮外苑の様子です。
この前まで、「暑い」を連発していたのに、寒くなると、そのときの思いは、完全に押しやられてしまい、遠い昔のこことようになってしまいました。
そう、まして、涼味あふれるソーメンをすすっていたことなんて、寒々しくて思いだせないよ。
今年は、フリーソーメンが流行りましたな。
そうめんは、あったかくしても美味しく食べれるから、それもまたオツなもんで。
モーツァルト フリーメイソンのための音楽
「おお聖なる絆よ」
カンタータ「宇宙の霊なる君」
歌曲「結社員の道」
カンタータ「フリーメイソンの喜び」
フリーメイソンのための葬送音楽
合唱付歌曲「今日こそ浸ろう、親愛なる兄弟よ」
〃 「新しい指導者である君たちよ」
ドイツ語による小カンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇敬する君よ」
フリーメイソンのための小カンタータ「高らかに僕らの喜びよ」
合唱曲「固く手を握りしめて」
T:ウェルナー・クレン Br:トム・クラウセ
Pf:ゲオルク・フィッシャー
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団
エディンバラ音楽祭合唱団
アーサー・オールダム合唱指揮
(1968.5 @ロンドン)
モーツァルトの残した、これらの曲の羅列を見て、なんのこっちゃ?と思われる方が多いと思います。
いつもの明朗快活、明るいモーツァルトの音楽にない、厳粛さと怪しい言葉の配置。
これらの作品は、一部不明のものを含めますが、1785年(28歳)から、亡くなる1791年までに書かれたものです。
そう、1784年に、モーツァルトは、「フリーメイソン」に入会しているのです。
このディスクは、モーツァルトがフリーメイソンのために書いた音楽を全曲収録しているのです。
フリーメイソンとは、フリーソーメンじゃありませんよ!
18世紀の中ごろに生まれたフリーメイメン。
もともと、中世・ルネサンス期のヨーロッパにおける石工たち、すなわち職人たちは、築城や街造りを担う重要かつ尊敬された存在だった。
その彼らは、現場から現場を数年単位で旅をしながら活動する、王侯・貴族に束縛されないフリーな技術者軍団だった。
そして、現場にロッジ(小屋)を造り、そこで男たちだけの共同生活を営んだ。
そこにうまれた諸々のルールが、やがて憲章となり戒律となってゆく。
さらに、そこにはやがて、上流社会の知識人も加わるようになり、いわば、精神修行の場となっていく。
これが、フリーメイメンの誕生です。
建築家の象徴である太陽を崇めることもあり、キリスト教社会からは、邪のようなイメージ戦略でもって、秘密結社的な存在と植えつけられたが、フリーメイソン側は、「友愛と寛容」をもって是とする立場で、対立路線はまったくとらなかったため、極めて紳士的な存在なのでありました。
この会に、モーツァルトは、すぐさま共鳴し、熱心に活動し、すぐさまマイスターに昇格。
父レオポルドや、パパ・ハイドンも勧誘して会員にしております。
本CDにある、石井宏さんの見事な解説をお借りして、要約してみました。
さらに、氏の解説によれば、大人社会の矛盾に満ちたあり方に、不安と不満を感じた子供のような心をもったモーツァルトが、人類みな兄弟、知彗と徳をモットーとするフリーメイメンにすぐさま系統してのめり込んだのは当然の帰結であったとしております。
純粋無垢なモーツァルトの思いが、まさに伝わってきますね。
フリーメイソンにまつわる音楽の最大のものは、いうまでもなく「魔笛」であります。
ここにおさめられた10曲のなかで、一番有名なものは「葬送音楽」です。
指揮者ベームが亡くなったとき、ウィーンフィルの演奏会で、急遽取り上げられたりしました。
短い中に盛り込まれた、悲しみと、深い哀悼の思い。
のちのレクイエムにも通じる世界で、極めて深く、心に響いてきます。
その他の曲を聴いて、そこに鳴っている音楽は、いつものモーツァルトのまま。
歌詞が、「絆、兄弟、友愛、宇宙、太陽、知彗、感謝、徳・・・」などを連呼しているのを除けば、まったく違和感なく、モーツァルトしてます。
好いた、腫れたの恋愛モードがまったくないだけで、ここにあるモーツァルトの音楽は、清廉で、美しく、歌心にも欠けておらず、かつ潔癖であります。
ことに、13分を要する大作、小カンタータ「高らかに僕らの喜びを」は、亡くなる少し前の最晩年の作品で、澄み切った心境を感じさせる傑作だと思いました。
テノールの長いソロがあって、それはまさに、「魔笛」のタミーノを思わせますし、途中から、バリトンも加わり、そちらも「魔笛」の弁者のようです。
フルートのソロが追従するのも、まさに!
モーツァルトのスペシャリストでもあったケルテスが、この貴重な録音を残してくれたのは感謝しなくてはなりません。
プロデューサーとしての、エリック・スミスの研究もあってのことと思います。
エリック・スミスは、指揮者、ハンス・シュミット=イッセルシュテットの息子です。
余談ふたつ
・日本にも、メイスン財団という組織で、各地にロッジが存在してます。
本部は、東京タワーの近くにビルがあります。
数年前、メイスンのグランドロッジの代表が日本人になった、そして国内で投資をするから・・・という、ウソみたいな話を持ち込んできた人がいまして、よくあるブローカー話だと一笑に付しましたが、こんな話が出てくるという点で、やはり謎っぽい存在に思われちゃうんだな。
メイスン財団の所管は、内閣府で、いまは、一般財団法人となっております。
・「フリーソーメン」を、PCが記憶してて、Tabキーを押しながら、この記事を書き終えたら、出来てみれば、「フリーメイソン」が、全部「フリーソーメン」になっちゃってた・・・・。
ひとりで、爆笑。
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コメント
こちらにも。
「高らかに僕らの喜びを」は、第2次世界大戦後のオーストリア国家のメロディーでもあります。
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op6/k623.html
からの抜粋になりますが、
『この曲の初演は大いに受けたので、彼は意気揚々と家に帰ってきた。 コンスタンツェによると、彼はこう言った。 「これ以上うまく書けたことはない。 これはぼくの最高の作品だ。 しかし総譜にしておこう。 そうだ、ぼくは病気だったから毒を盛られたなんてバカげた考えを持ったんだ。 レクイエムの譜を返してくれ、続きを書くんだ」。』
コンスタンツェが最初の記録者であり、本当にそうか確証が掴めないところがありますが、おそらくモーツァルトがとても気に入っていたと考えていいと考えています。
モーツァルトは死の直前まで、魔笛を口ずさんでいたと記憶していますし、yokochanさんは、展開が魔笛のようと書かれていますが、そういった経緯から魔笛の要約とも言われますね。k.452 ピアノと管楽器のための五重奏曲と並んでもっと脚光を浴びるべき作品ではないでしょうか。
私は、ありえない組み合わせですが、ブルーノ・ヴァルター指揮ヴィーンフィル演奏、スウェーデン放送合唱団、フリッツ・ヴンダーリヒ、ヘルマン・プライで聴いてみたかったですね。
私は、小さいころからルソーやゲーテ、ヘルマン・ヘッセ、ベートーヴェンの格言を聴いて育った家庭でして、「無限なる宇宙の創造者を崇敬する君よ」も好きです。魔笛の少し前に完成された作品で、ソプラノ歌手ではマーガレット・プライスが歌っていますが、ピアノの解釈がすきではなくガッカリした記憶があります。このCDに入っているピアノ伴奏がとても好きです。
投稿: Kasshini | 2015年1月12日 (月) 13時09分
Kasshini さん、こちらにもありがとうございます。
いやはや、とてもよくご存知ですね。
そのご経験と探究心に頭が下がります。
このときの視聴で、レクイエムと合わせて聴き、そして魔笛や室内作品も聴き、あらたなモーツァルト像に、ほんの少し迫った気持ちを持ちました。
モーツァルト像は、ひとつではありませんね。
まだまだ、自分は、足りません。
投稿: yokochan | 2015年1月17日 (土) 00時58分
モーツァルトが書いたフリーメーソンの音楽は、お恥ずかしながら、Trauer-Musikしか存じ上げませんので、貴ブログに御投稿する資格があるか、心許ございません。CBSソニーの『ベスト-クラシック150選』に含まれた、ワルター指揮コロンビア交響楽団のモーツァルト管弦楽曲集で、よく聴いたものでした。ただ某公共放送で故吉田秀一さんが語っておられた『名曲のたのしみ』では、デ-ワァルト指揮ニュー-フィルハーモニア管弦楽団の録音を取り上げられ、当時若造でした愚生の頭の中に、ふむふむテンポの緩急、木管パートの浮き上がらせ具合など微妙に違うな、指揮者やオケが異なると‥といっぱしの聴き手気取りのような思いが、駆け巡ったものでしたね。当時のワァルトの所属レーベルの関係からして、オランダPhilips原盤でしょうか。もう40年近く御無沙汰して居りますこの演奏、機会に恵まれればまた接してみたいものです。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年9月11日 (水) 06時47分
覆面吾郎さん、こんにちは。
魔笛以外の、モーツァルトのフリーメーソン関連音楽を一気に収録した、ケルテス盤は無二の存在かもしれませんが、なかなかほかの演奏家、というよりプロデューサーが取り上げる機会がないものです。
デ・ワールトの初期時代は、オランダ管楽合奏団とのセレナードなど、珠玉のモーツァルトを残してます。
のちのドレスデンとの録音も、ご指摘のイギリスのオケとのものも、みんな廃盤ですね。
マーラー全集も含め、ワールトさんは、録音は多くありながら、なかなか存続していないところが残念です。
投稿: yokochan | 2019年9月12日 (木) 08時36分
レコード音楽と言うジャンルは、まず演奏家ありきは言を待たないですが、制作者側取り分けプロデューサーの見識の高さ、造詣の深さが大事なキー-ポイントでありましょう。コアなCD&LP購買層の方々の中には、クレジットを見てプロデューサーが誰かで、買うか否か決めておいでの人も、いらっしゃるかも知れません。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年9月15日 (日) 07時40分