ベルリオーズ 幻想交響曲 アバド&LSO
新年1月の小便小僧は、このとおり、干支と門松を従えた勇志ですよ。
おしっこの勢いもいいですな!
お背中の家紋は、なんでしょうか。
梅の印と見受けますが、どうでしょう。
今年も、いろんなコスプレを期待してますよ。
毎度ながら、ボランティアのみなさま、ごくろうさまです。
ベルリオーズ 幻想交響曲
クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
1983.7.31 @ザルツブルク
1983.9.1 @ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール
今月の月イチは、幻想交響曲。
もうじき、1年。
敬愛するアバドの訃報に接してから。
でも、いまや、全然悲しくない。
いつも、そばにいますよ、わたくしにとってのクラウディオ・アバド。
今日は、秘蔵のFMライブ録音の自家製CDRで、「アバドの幻想」を聴いてみました。
「アバドの幻想」といえば、シカゴ響との鮮やかな録音が真っ先に浮かびますし、シュールでリアルなジャケットも素晴らしい1枚ですね。
そして、わたくしにとっての、「アバドの幻想」のもうひとつは、ロンドン響との来日公演。
1983年5月の東京文化会館でのものでした。
この時の来日公演は、以前にも書きましたが、3公演を全部聴いて、アバドの一挙手一投足が、いまでも、脳裏に刻まれております。
文化会館での幻想は、まず、バルトークのマンダリンが疾風怒涛のように演奏され、そして熱き、その幻想、そして、アンコールはブラームスのハンガリー舞曲1番。
ほかの演奏会での、マーラー1番と5番のあとには、アンコールを一切やらなかったことが、いまとなっては、よくわかるアバドの思いです。
そして、その1983年は、「アバドの幻想イヤー」なのでした。
2月に、シカゴで指揮をしてスタジオ録音。
5月に、ロンドン響と日本公演。
7月に、ロンドン響とザルツブルク音楽祭出演。
9月に、ロンドン響と、ロンドンのプロムスに登場。
夏のロンドン響とのヨーロッパツアーでは、きっと、上記以外の地でも演奏したに違いありません。
その後の「アバドの幻想」は、2006年のシモン・ボリバル、2008年のルツェルン、2013年のベルリン、ということになります。
後年の熟成した幻想とは異なり、勢いと思いきりのよい解釈において、83年の演奏は、いずれも、アバドならではのしなやかさとともに、爆発的なライブ感。
シカゴのスタジオ録音よりも、より熱く、飛ばしてるのが、7,8月の音楽祭ライブ。
なかでも、ロンドンでのライブは、後半に行くにしたがって、ものすごい熱気で、おそらく、お上品なザルツブルクのお客様よりも、ロンドンの野放図なくらいの若者パワーを、背中に思いきり浴びてしまった演奏の方が、極熱で、ヴァルプルギズの夜の凄まじさは、とんでもなく素晴らしい。
ザルツもすごいけど、ロンドンの方の濃密・熱狂ぶりは、すさまじいです。
私家盤なので、あんまり激烈に誉めたたえても、みなさま、醒めてしまうかもしれず、もうやめときますが、これらの放送音源が、いつか、正規に日の目を見ることを願いたいです。
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コメント
yokochanさん
「幻想」はアバドに向いた曲だったのだと思います。私はアバドの盤は持っていませんが、ドビュッシーにしてもラベルにしても、フランス音楽へのアバドのアプローチというのは、独自の考えを持っていたのではないかと思っているのです。
この曲はクリュイタンス・フィルハーモニアのLPで初めて聴いて以来、好きな曲ですが、やはり音響効果が重要な曲のようで、アバドのような最近(!)の録音がより楽しめる気がしました。因みに私が最近この曲を聴いたのは、クリュイタンスの来日時のライブでしたが。
投稿: 安倍禮爾 | 2015年1月 8日 (木) 17時51分
安倍禮爾さん、こんにちは。
アバドは、幻想を集中的に取り上げる傾向がありました。
こちらの83年と、06年以降です。
いずれも、しなやかで、明るく、自在な感じの演奏でして、毒々しさは皆無です。
そうした意味では、クリュイタンスのアプローチにも近いかもしれません。
こうして、幻想をたくさん聴いておりますが、エグイ演奏よりは、アバドのように、さらりとした中に、熱気をはらんだ演奏が好きです。
投稿: yokochan | 2015年1月 8日 (木) 22時45分