モーツァルト 「バスティアンとバスティエンヌ」 ハーガー指揮
LOVEざんす。
バレンタインデーとか、なんとかデーとかから、縁遠くなって久しいけれど。
なんだか、甘酸っぱい青春の記憶や、若いサラリーマン時代の記憶がよみがえる。
子供のときから、チョコ好きだった。
メリーチョコレートの甘い匂いの残る包み紙まで集めていた子供時代。
こんな時期に、ひとり、チョコレートを買うと、恥ずかしさを覚えるオジサンになりました。
愛せよ、若人たち。

モーツァルト 歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」 K50
バスティエンヌ(羊飼いの娘):エデット・マティス
バスティアン(その恋人):クラウス・アーカン・アーンシュ
コラ(村の賢者、占い師):ヴァルター・ベリー
レオポルド・ハーガー指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
(1976.2 @ザルツブルク)
いまから250年ほど前。
1767年、モーツァルトが12歳で作曲した、愛らしいオペラ。
交響曲でいうと、8番まで書いていたし、クラヴィーア付きのチェロやヴァイオリンのソナタも複数、ピアノ協奏曲も数曲残していた12歳の神童は、父レオポルドのプロデュースで、ザルツブルクからヨーロッパ各地に遠征をさかんにしておりました。
こちらは、ウィーン楽旅のおりに書かれたもの。
オペラというよりは、ジングシュピールで、ドイツ語によるコミカルな音楽劇で、同じモーツァルトでも、イタリア語によるブッファやセリアと明確に異なるジャンルとなります。
後年の、後宮や劇場支配人、魔笛などと同じくするもの。
原作は、作曲もなした、かのジャン・ジャック・ルソーの牧歌劇「村の占い師」で、そちらは、1752年で、モーツァルトの生まれる4年前。
そちらをパロディ化した劇の独語訳が、直接のこの作品の原作となります。
序曲と11のアリア、5つの重唱、それらをつなぐ13のレシタティーヴォで成り立ってますが、それぞれの曲は短いので、全曲でも40分。
平易なメロディとシンプルな音楽運びは、実に耳に優しく、深刻さのカケラもないので、気持ちよく楽しめます。
しかし、そこは、さすがのモーツァルト。
若書きながらに、喜怒哀楽の単純な恋愛ドラマに、音楽は人物たちの感情の機微にあわせ、ぴたりと寄り添ってます。
ことに、ヒロインのバステイェンヌはカワユク描かれてます。
それと、やたらと耳について離れないのは、占い師コラの歌う、怪しげな、おまじないのアリア。
「デッギー、ダッギー、シュリー、ムリー、ホーレム、ハーレム・・・・・」(笑)
これはどうも、ラテン語由来らしいのですが、その意味はさっぱりで、韻語好きのモーツァルトですから、なにか意味がありそうで、そのあたりを解説されてる方も、調べたらいらっしゃいまして、すごいな、と思いました。
映画でもありましたが、おふざけ好きのアマデウスくんは、姉とよく、スカ○ロ系の冗談を言い合ったりしてたそうですから、純な天才のやることは、まさに天真爛漫すぎですな。
さて、あともうひとつ、この作品でよく皆さん書かれていること。
そう、たった1分半の序曲ですが、これがベートーヴェンの「英雄」のメロディに激似。
ジャン、ジャンのあとチェロで奏でられるあの勇壮な旋律ですよ。
簡単なあらすじ
コルシア島のバステァィア地方
「バスティアンとバスティエンヌは恋人同士だけれども、最近、彼氏のバスティアンが、ほかの娘に心移りしているとして、私を捨ててしまったの・・と嘆いている。
そこにあらわれた占い師コラに悩みを打ち明け、コレは、一度、冷たくしてみたらとアドヴァイス。
今度は、バスティアンが登場し、コラは、彼女は、わしの魔法で他の男のもとに去ったよ、とおどかす。それは勘弁してくれ、なんとかしてと懇願され、コラや怪しげな呪文を説く。
そこに、バスティエンヌがやってくるので、バスティアンは、可愛い人よ好き~と言いよるものの、彼女はコラのアドヴァイス通り、わたしは街へ去るのよ、冷たくあしらう。
しかし、彼は、君なしには生きていけない、水に飛びこまなくちゃいけない・・・と歌い、その言葉に彼の真の愛を見出したバスティエンヌは嬉しくなって、彼のもとへ飛び込む。
そこに登場のコラは、子供たちよ、ほら、嵐や雨のあとには、こうして仲直りと二人を祝福して、めでたしめでたし・・・・。」
エディット・マティスのチャーミングな歌声は、まさにモーツァルトを歌うためにあるような感じ。素敵です。
それと、ベリーは、こういうのを歌うと、ほんとウマいし、嫌味がまったくない。
アーンシュは、悪くないです。
70~80年代はじめ、この北欧出身のテノールは、バッハやモーツァルト歌いで、そこそこ活躍し、マイスタージンガーのダーヴィット、シュトラウスの「エジプトのヘレナ」のスペシャリストでもありました。
今日も、モーツァルトは、幸せな気分にしてくれます。
いまから250年ほど前。
1767年、モーツァルトが12歳で作曲した、愛らしいオペラ。
交響曲でいうと、8番まで書いていたし、クラヴィーア付きのチェロやヴァイオリンのソナタも複数、ピアノ協奏曲も数曲残していた12歳の神童は、父レオポルドのプロデュースで、ザルツブルクからヨーロッパ各地に遠征をさかんにしておりました。
こちらは、ウィーン楽旅のおりに書かれたもの。
オペラというよりは、ジングシュピールで、ドイツ語によるコミカルな音楽劇で、同じモーツァルトでも、イタリア語によるブッファやセリアと明確に異なるジャンルとなります。
後年の、後宮や劇場支配人、魔笛などと同じくするもの。
原作は、作曲もなした、かのジャン・ジャック・ルソーの牧歌劇「村の占い師」で、そちらは、1752年で、モーツァルトの生まれる4年前。
そちらをパロディ化した劇の独語訳が、直接のこの作品の原作となります。
序曲と11のアリア、5つの重唱、それらをつなぐ13のレシタティーヴォで成り立ってますが、それぞれの曲は短いので、全曲でも40分。
平易なメロディとシンプルな音楽運びは、実に耳に優しく、深刻さのカケラもないので、気持ちよく楽しめます。
しかし、そこは、さすがのモーツァルト。
若書きながらに、喜怒哀楽の単純な恋愛ドラマに、音楽は人物たちの感情の機微にあわせ、ぴたりと寄り添ってます。
ことに、ヒロインのバステイェンヌはカワユク描かれてます。
それと、やたらと耳について離れないのは、占い師コラの歌う、怪しげな、おまじないのアリア。
「デッギー、ダッギー、シュリー、ムリー、ホーレム、ハーレム・・・・・」(笑)
これはどうも、ラテン語由来らしいのですが、その意味はさっぱりで、韻語好きのモーツァルトですから、なにか意味がありそうで、そのあたりを解説されてる方も、調べたらいらっしゃいまして、すごいな、と思いました。
映画でもありましたが、おふざけ好きのアマデウスくんは、姉とよく、スカ○ロ系の冗談を言い合ったりしてたそうですから、純な天才のやることは、まさに天真爛漫すぎですな。
さて、あともうひとつ、この作品でよく皆さん書かれていること。
そう、たった1分半の序曲ですが、これがベートーヴェンの「英雄」のメロディに激似。
ジャン、ジャンのあとチェロで奏でられるあの勇壮な旋律ですよ。
簡単なあらすじ
コルシア島のバステァィア地方
「バスティアンとバスティエンヌは恋人同士だけれども、最近、彼氏のバスティアンが、ほかの娘に心移りしているとして、私を捨ててしまったの・・と嘆いている。
そこにあらわれた占い師コラに悩みを打ち明け、コレは、一度、冷たくしてみたらとアドヴァイス。
今度は、バスティアンが登場し、コラは、彼女は、わしの魔法で他の男のもとに去ったよ、とおどかす。それは勘弁してくれ、なんとかしてと懇願され、コラや怪しげな呪文を説く。
そこに、バスティエンヌがやってくるので、バスティアンは、可愛い人よ好き~と言いよるものの、彼女はコラのアドヴァイス通り、わたしは街へ去るのよ、冷たくあしらう。
しかし、彼は、君なしには生きていけない、水に飛びこまなくちゃいけない・・・と歌い、その言葉に彼の真の愛を見出したバスティエンヌは嬉しくなって、彼のもとへ飛び込む。
そこに登場のコラは、子供たちよ、ほら、嵐や雨のあとには、こうして仲直りと二人を祝福して、めでたしめでたし・・・・。」
エディット・マティスのチャーミングな歌声は、まさにモーツァルトを歌うためにあるような感じ。素敵です。
それと、ベリーは、こういうのを歌うと、ほんとウマいし、嫌味がまったくない。
アーンシュは、悪くないです。
70~80年代はじめ、この北欧出身のテノールは、バッハやモーツァルト歌いで、そこそこ活躍し、マイスタージンガーのダーヴィット、シュトラウスの「エジプトのヘレナ」のスペシャリストでもありました。
今日も、モーツァルトは、幸せな気分にしてくれます。
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コメント
今晩は。「バスティアンとバスティエンヌ」、2種類のCDを持っております。ハーガー指揮のとマックス・ポンマー指揮ライプチヒ放送響のです。私も最初にこのオペラを聴いたとき、「英雄にそっくりな旋律じゃねーか!」と驚いたクチです。まさかベートーヴェンが盗作をやったなんてことはないですよね?モーツァルトのオペラは三分の二は聴いていると思います。カラヤンが小澤さんに「モーツァルトはオペラにその創作力の半分を費やしているのだから、オペラを理解しないとモーツァルトの神髄は分らない」と言ったそうですし…小澤さんと村上春樹さんの対談本で読んだのですが。私はモーツァルトオペラは、堀内修先生の「モーツァルトオペラのすべて」という本を読みながらCDやDVDで鑑賞しています。でもブログ主様のオペラ解説は、どんな本よりもオペラ鑑賞の手引きになりますので、ヴェルディのオペラを制覇したら次はモーツァルトオペラ全作品のブログ主様の講義が読みたいです。このオペラ、台本はルソーの芝居だったのですね。彼は確かに作家で哲学者で音楽家でもあった凄い人です。「孤独な散歩者の夢想」という自伝エッセイしか読んだことがありませんが、明治期の日本の大作家、例えば国木田独歩や田山花袋や島崎藤村が影響を受けていそうです。この本が面白かったので「新エロイーズ」や「エミール」といったルソーの小説や教養書も岩波文庫で揃えたのですが、ディケンズ、トーマス・マン、エミール・ゾラ、フォークナーといった文豪との格闘が当分続きそうなので、ルソー先生の作品はいつ読めるかわからないです…
投稿: 越後のオックス | 2015年2月14日 (土) 17時50分
おはようございます。
昨夜はとりあえずTBだけで失礼いたしました。
このオペラ、愛らしくて微笑ましくていいですね。
私も3種ほど手元にありますが、1年に一回くらい聴きたくなります。
あの、まじないのアリアは本当に面白いですね。吹き出してしまいます。
モーツァルトのオペラ、先日、やっと全作品手元に揃いました。全部邦訳付きのを探していましたので時間がかかりました。まだ半分も聴いていませんが、一作一作を大事に楽しみに聴いていきたいと思っています。
レーガーが、初期作品をたくさん録音してくれたおかげで、こうやって楽しめるわけですね。
最近、モーツァルトを聴く頻度が高くなっていて、オペラに限らず、今まで馴染みが薄かった他の作品も聴いています。
話は変わりますが・・・・たしかに14日が近づくとチョコレート買うのためらわれますね。私は2週間くらい前にさりげなく買い溜めしておきます。もちろん、ふつうのメーカー品ですけど
投稿: 親父りゅう | 2015年2月15日 (日) 08時57分
越後のオックスさん、こんにちは。
あの時代に、著作権の概念があったら、数々の名曲がうまれなかったかもしれませんね(笑)
というか似て非なるものでもありますしね。
モーツァルトのオペラは、わたくしも7割ぐらいまでです。
やはり初期のものが難題です。
そして、ヴェルディも喉元すぎて・・・的になってまして、また、最近なにかと忙しくて、腰を据えてオペラに挑む時間がありません。
自分に残された時間との駆け引きも、ぼちぼち感じる今日この頃ですし。。。
それにしても、文学においては、わたくしは貴殿に、手も足も出ませんです。
いつもなが脱帽の御見識に存じます!
投稿: yokochan | 2015年2月16日 (月) 12時58分
親父りゅうさん、こんにちは。
日差しが、だいぶ緩んでまいりましたね。
そんな日に、モーツァルトの音楽はとても気持ちがいいです。
邦訳つきのオペラ大全ですか!
うらやましいですね。
初期オペラの難点は、翻訳がなかなか入手できない点ですから。
そしてTBありがとうございました。
懐かしいジャケットですね。BSFレーベルじゃないですか。
ケンペとか、コレギウムとか、高校時代を思い出します。
週も変わりましたから、ぼちぼち、チョココーナーに足を踏み入れようと思っております。
投稿: yokochan | 2015年2月16日 (月) 13時03分
Thanks for sharing, this is a fantastic blog.Much thanks again. Really Great.
投稿: Kory | 2015年3月 4日 (水) 10時57分
yokochan様
度々しゃしゃり出るのを、御許し下さい。少年モーツァルトが描いたのどかな音楽劇、私めが所持する盤は僅か一枚、それもLPです。ブリギッテ・リントナー(Sop)、ダラポッツァ(Ten)、モル(Bas)、ショーナー指揮のバイエルン州立歌劇場Orchによる、西ドイツElectrola盤で1C-065-30231Qと言う番号です。指揮者は余り存じ上げないお方ですけど、揃った配役と共に少年アマデウスが筆を走らせたこの微笑ましい作品を、丹念に描き上げていらっしゃいます。尤も定番のハーガー盤も機会と縁が御座いましたら、一度は耳に致したく、思っておりますが‥。
投稿: 覆面吾郎 | 2022年9月24日 (土) 12時34分