エルガー ヴァイオリン協奏曲 N・ケネディ
モッコウバラ(木香薔薇)、実家のお庭に、毎年5月の前半に咲きますが、今年は、どちらも、花の開花が早めですね。
もう、とっくに枯れて、萎んでしまってます。
このたわわに、賑やかに咲くバラは、中国原産で、こうして石垣などに、垂れるようにして育てると、とっても見栄えがよくって、華やかなな気持ちになるし、色が清潔なイエローなので、バラらしい、ノーブルな雰囲気もでますな。
お隣のお家の、藤の花のパープルとグリーンとの対比もきれいなものです。
エルガー ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 0p.61
Vn:ナイジェル・ケネディ
ヴァーノン・ハンドレー指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
(1984.3 @ロンドン)
サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団
(1997.7 @バーミンガム)
今日(6月2日)は、エルガー(1857~1934)の誕生日です。
ウスター近郊にある、いかにも英国を思わせる前庭のあるエルガーの生家にも、モッコウバラが咲いていそうです。
チェロ協奏曲は、大いに有名で、音源も、演奏会の頻度も非常に高いものがありますが、もう一方の、残された協奏作品、こちらのヴァイオリン協奏曲は、そこそこCDは出てますが、演奏会でかかる頻度は、まだまだ少ない。
わたくしも、1度しかコンサートでは聴いたことがありません。
演奏時間が50分以上かかるうえ、技巧的にも難易度が高く、なによりも、コンサートの前半として、この曲をまるまる取り上げると、聴衆の集中力の持続の点で、超有名曲でないだけに厳しいのかもしれません。
それはまた、3つの交響曲にも通じる規模ともいえて、コンサートの後半に、思いきり、堂々と演奏されるに相応しい、大協奏曲であるともいえる。
ですから、3つの交響曲を湯浅さんの指揮で演奏し終えた神奈川フィルの次のエルガーは、是非にも、コンマス石田氏のソロで、この協奏曲を取り上げて欲しい。
前半でも、後半でもかまいませんが、組み合わせは、「エニグマ」でお願い。
1910年、エルガー53歳の気力充実期の作品で、英国の待ち望んだ純正交響曲の第1番が、1908年。
ちなみに、チェロ協奏曲は、もう少しあと、1918年となります。
さらにちなみに、エルガーの協奏作品には、未完のピアノ協奏曲がありまして、草稿だけで終わったのが1913年、それを補筆完成させて1997年に初演されてます。
以前に、NHKで、その作品の特集があり、録画してありますので、いつか、このブログでも取り上げたいと思ってます。
さて、このヴァイオリン協奏曲、3つの楽章を持つ正統的な構成で、それぞれ、18分・14分・21分、というように、各章ともに、長いです。
いかにもエルガー。ノーブルで、ちょっと哀愁を帯びたオーケストラの長い前奏で始まる第1楽章は、気合の入ったソロが登場することで、熱く、ときに熱狂的にもなり、そして、時に、静かに、立ち止って、懐かしい雰囲気に佇んだりと、聴き手を飽きさせることなく進みます。
そして、この曲で、とりわけ素晴らしく、わたくしも、もっとも好きなのは、抒情的な第2楽章です。
しかも、心にしみ込むように、内面的な様相が、徐々に熱を増していって、大きな盛り上がりを見せるところも、やはりエルガーならではです。
聴いていて、胸が熱くなり、拳を握って聴いてしまい、思わず涙ぐんでもしまいます。
一転、アレグロに転じ、すばやいパッセージの連続となる3楽章。
こちらも長大で、スリリングな展開から、ときに、テンポも落として、回顧調になったりと、多面的なエルガー・サウンドを満喫できます。
しかも、多彩なまでに、ヴァイオリンのさまざまな奏法がなみなみと投入され、息つく間もない。それで、いて、音調はときに渋く、内省的です。
そして、なんといっても素晴らしいのは、最後に至って、これまた、エルガーらしく、第1楽章の旋律が、回帰してきて、感動的にこの大作を締めくくる場面です。
聴後の、深い満足感は、交響曲に負けじ劣らじであります。
多くのヴァイオリニストが、とりわけ、英国系のヴァイオリニストは、この曲を必ず演奏し、音盤に、そのエルガーへの思いをしっかり刻んでおります。
複数回、録音する奏者も何人かいて、ナイジェル・ケネディも、そのひとりであります。
ジャズやロックなど、オールラウンドにクロスオーバー活動をする、やんちゃなムードが先行するナイジェルですが、28歳でこの曲を録音するという本格大物ぶりを80年代にすでに、発揮してます。
ハンドレーという、このうえもない、英国音楽の導き手をバックに、1回目の録音では、年齢を感じさせない、大人びた、思わぬほど渋い演奏を繰り広げております。
正攻法ともいえる英国伝統に根差したかのようなこの1回目録音。
横への広がりのいい、どちらかといえば、のっぺりしたEMI録音の大人しさの影響と、練習の厳しかった指揮者の影響などもあるかもしれません。
ですが、キッパリした終楽章と、瑞々しい2楽章は、この時期のナイジェルならではの魅力かもです。
一方、41歳になって、しかも活動休止期間を経て、脂の乗り切った名コンビ、ラトル&バーミンガムをバックに録音した、2度目の演奏は、音楽の構えが、俄然大きくなりました。
演奏開始後、すぐにわかるオーケストラの密度の濃さと、なによりも、音の輪郭がよりくっきりと聴こえる録音のよさを実感。
全体に、ラトル指揮するバーミンガム市響は、雄弁で、指揮者の意思をそっくりそのまま感じる音作りとなってます。
対するナイジェルさんも、長い前奏のあとの弾き始めは、気合いも充分にこもっていて、それが全曲にわたって張り詰めていて、すべての音が意味合いを持っているように感じる。
それほどまでに、この曲を、自分のものとして演奏していて、ときおり、ハッとするような節回しを聴かせたりするんだ。
抒情の雫の表出は、若い1回目録音に劣らず、オーケストラとともに、神々しいまでの演奏です。
新旧並べて聴くと、どうしても、新盤の方に歩があるように聴いてしまいますが、渋い旧盤も捨てがたく、それぞれに、わたくしの大好きなこの作品の、大切な音盤たちです。
過去記事
「ズッカーマン&スラトキン」
「川久保賜紀&ロッホラン 日フィルライブ」
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