ヤナーチェク シンフォニエッタ クーベリック指揮
夜のドライブ。
六本木トンネルを抜けたあと、ヒルズの真下へ。
都会の土曜日の夜は、空いていて快調。
こんな時は、ブラスが鳴り響く音楽を高らかに聴きたい。
ヤナーチェク シンフォニエッタ
ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団
(1970.5.1 @ミュンヘン)
チェコのモラヴィア出身のレオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)。
かつての昔、わたくしが、このシンフォニエッタでもって、初めてその名前を聴いた頃は、「モラヴィアのムソルグスキー」とただし書きが付けられていました。
1971年に発売された、クーベリック指揮による、このレコードのFM放送でもって、初めて、ヤナーチェックを聴きました。
カセットテープに録音して、何度も何度も聴きましたし、ほどなく、マタチッチが、N響で指揮した演奏も放送で聴きました。
このレコードの発売は、暮れの時期で、クリスマスムード漂うなか、当時、ハマっていた「メサイア」や、キラキラ系のフィードラー&ボストン・ポップスのクリスマス音楽などとともに、聴きました。
だから、自分のなかでは、まったく関係もないけれど、クリスマスっぽいイメージが、ちょっとだけつきまとう曲でもあるんですよ。
でも、この印象的かつ強烈なジャケットは、併録された、より民族的(ウクライナ、コサックの物語)な「タラス・ブーリバ」をイメージするもので、ともに忘れえぬ思いでとして、わたくしの中に刻まれているものなんです。
さて、70年代初めは、ヤナーチェクといえば、このこれらの作品と、ヴァイオリン曲、室内楽作品ぐらいしか馴染みがなかったはずです。
それが70年代後半から、マッケラスが、ウィーンフィルとデッカに、より、ヤナーチェクの本領があるオペラ作品を、次々に録音するようになって、ヤナーチェクの全貌が見えるようになってきたんだと思います。
チェコの音楽やオペラ劇場による録音は、少しはありましたが、メジャーレーベルによる、有名歌手を起用しての本格録音は、それまでローカルで、局所的な存在だったヤナーチェクのオペラが、まさに、「モラヴィアのムソルグスキー」と呼ばれるべき、社会問題や人間存在のあり方を、見つめ、突き詰めた作品たちであること、それが、完璧に理解できるターニングポイントとなるものでした。
従来の管弦楽作品の演奏史のなかでは、今宵のクーベリックの演奏が、ひとつの金字塔ではないかと思います。
セルの演奏は、恥ずかしながら未聴。
あとは、ここでもマッケラスとVPO、そして、大好きなのが、アバドのLSO盤。
ベルリンの渋い再録とともに、ロンドンのブラスの輝かしさが、アバドらしさを引き立ててます。(アバドには、あともう一品、ウィーンフィルとのライブ自家製CDRがありまして、そちらは、ムジークフェラインの丸くて、生々しい響きが魅力的ですよ)
クーベリック盤は、バイエルン放送響の金管セクションのマイルドであり、明るくもある、アルプスの山々さえも感じさせるビューティフルサウンドが魅力的。
バリッとした両端楽章のファンファーレでは、まさにそう。
でも、この演奏の素晴らしいところは、ポルカ調であったり、ロンド調であったりと、舞曲風な節回しにあふれている、中間の3つの楽章。
オペラ指揮者、クーベリックらしく、両端楽章と中間3楽章との対比の鮮やかさと、母国語で難なく語り、それを巧みに受け止めることのできる高機能オーケストラが民族臭豊かな響きを紡ぎだしております。
もう、45年近く前に聴いた、この演奏に、この曲ですが、あらためて聴き直してみて、クーベリックという指揮者の器用さと、いまにつながるBRSOのウマさに感服しました。
村上春樹の小節に、出てくるというこの曲。
毎年、ノーベル賞候補にあがる、この人気作家の作品、実は、ひとつも読んだことがありませんこと、カミングアウトしときます。
ということで、今宵3度目のファンファーレを聴きつつ、おしまい。
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