ブラームス ドイツ・レクイエム アバド指揮
新春の吾妻山は、富士と海と、菜の花と水仙。
中腹あたりに、水仙の群生があり、香しい香りが漂っているのでした。
そして、1月20日。
もう3年、いや、まだ3年。
なんだか、遠い記憶のようになってしまったあの日。
クラウディオ・アバドの命日です。
あのときが、夢の彼方のように感じ、いや、感じたい自分があって、アバドは、兄のようにして、いつまでも、自分の近くにいてくれるような気もしているから、あの日が、なかったようになってるのかもしれない・・・・、自分のなかで。
癒しと、追憶のレクイエムを聴きます。
ブラームス ドイツ・レクイエム op.45
ソプラノ:チェリル・ステューダー
バリトン:アンドレアス・シュミット
クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
スウェーデン放送合唱団
エリック・エリクソン室内合唱団
(1992.10 @ベルリン、フィルハーモニー)
ブラームスを愛し、若い頃から、その作品をずっと取り上げていたアバド。
交響曲は2番や4番を、スカラ座時代から、ほかの番号もロンドンや各所で。
協奏曲の各種は、数え切れないほどの名手たちと共演。
そして、声楽作品も、ウィーンやベルリン、ロンドンで。
ドイツ・レクイエムやアルト・ラプソディまでが、通常の指揮者は、取り上げ・録音するけれど、アバドは、合唱作品のほとんどを取上げた。
いま残された録音や、放送音源の数々で聴く「アバドのブラームス」。
ことに、アバドのブラームスの声楽作品は、その端正な佇まいと、紳士的ともいえる慎ましさは、ロマン派にあって、古典派の立ち位置でもあったブラームスの演奏として理想的。
正規音源としては、ベルリンフィルハーモニーでのこちらの92年の録音と、97年のウィーンでの映像があって、どちらも、そうしたブラームスの真髄に迫った名演に思います。
今日はCD。
どうだろう、この精度の高さは。
合唱とオーケストラが、弱音からフォルテの強音まで、どこまでもきれいに、混濁することなく混ざり合い、どの声部の音も、すっきり・くっきり聴こえる。
そして、その音色。
どこをとっても、お馴染みのベルリンフィルの音なんだ。
この音は、変わったと言われたカラヤン時代の音と同じだし、現在のラトルの紡ぎだす洗練さと重厚さの音ともおんなじ。
全体のトーンは、緻密極まりない合唱団も含めて、明るめだけれど、この明晰な明るさは、カラヤン時代もあったことで、ラテン的な輝きを感じさせる点でも、カラヤンの音とも少し通じるように今宵や感じました。
もちろん、カラヤンのようなゴージャス感はないですよ。
ともかく、明るく、美しく、音がなみなみとあふれるような、アバドの「ドイツ・レクイエム」。
北ドイツでなく、南の方。
アルプスのふもとにあるような、そんなブラームスが好き。
絶頂期だったステューダーと、この当時、声楽作品ではひっぱりだこだったA・シュミットの律義な歌は万全。
欲を言えば、ヘルマン・プライとの共演でも聴いてみたかった。
アバドとプライは、朋友のように、よく共演していたから。
でも、このとき、まだ存命だったプライだったら、アバドの根ざす、明るさと透明感あるブラームスにはならなかったかも・・・。
プライの人間臭い優しさは、巧さにつながり、色が出てしまったかも・・・・。
アバドは、そのプライと、ロンドン響時代に、このドイツ・レクイエムで共演していて、1983年のこと。
それから、アバドの初「ドイツ・レクイエム」は、同じロンドン響で、77年のこと。
そのときは、ルチア・ポップがソプラノ!
平和と安らぎのなかに終えるドイツ・レクイエムを聴きながら、外は今にも、ちぎれた雲から雪が舞い降りてきそうな寒さ。
日本中寒いです。
いや、世界中、異常に寒く、ことにヨーロッパの寒波はすごいらしい。
凍死者が多数でたり、交通事故が多発したりと大変らしいし、ふだん雪とは無縁な地中海地方やイタリア南部、スペイン南部も大雪・・・・
アバドの眠る、スイス、エンガディン地方もきっと深い雪に見舞われていることでしょう。
しんしんと、そして、あたたかく、クラウディオ兄を包んで欲しい。
そして、サンモリッツを有するエンガディン地方、2026年の冬季オリンピック誘致を目論んでる様子。
昨今の、五輪を思うにつけ、静かにしておいていただきたいが・・・・・・・
クラウディオ・アバド 3回忌に
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コメント
yokochanさん、こんにちは。
そうですか。もう3回忌になるんですよね。
私は最近になってようやくアバドの魅力に目が覚めたもので、もっと早く気づいて一度でいいから実演を聞いてみたかったと後悔しています。今遅まきながら、その後悔から逃れるように、録音を買いあさり、ずっと聞かせてもらっています。
しかし、我々は幸せです。アバドは数多くの録音、録画を残してくれて、それを聞くことが出来て、感動させられる。今でもアバドは生きていると言うと言いすぎでしょうか。
このブラームスの録音も素晴らしいですよね。
いつもアバドへの愛情あふれる素敵な文章、ありがとうございます。
投稿: よしお | 2017年1月29日 (日) 11時10分
もう3年、いや、まだ3年。
ずいぶんとお久しぶりです。
名前を変えましたが、同郷のアバド信奉者です。
最愛の母が急死し、その10日後にアバドが亡くなるというあの喪失の年から3年が経ちました。
最初の1年は音楽がまったく聴けませんでした。
ただ、ただ、仕事のみをこなした記憶だけがあります。
2年目からは何故かモーツァルトだけを狂ったように聴きました。
それは今も続いていますが、他の音楽も聴くようになってきました。
今日、七国峠から富士山を眺めました。
菜の花が咲き、河津桜の蕾がほころびかけているのも見ました。
人は逝くとも花は咲く。
傍らに流れていたのは、モーツァルト没後200年記念にスメタナホールで演奏された交響曲第29番。愛してやまない演奏です。
やはりアバドの音楽ありてこそ、ですね。
ご無理なさいませんように。
また寄らせていただきます。
投稿: 胡蝶 | 2017年2月 1日 (水) 22時19分
よしおさん、こちらにもありがとうございます。
若き日々より、ブラームスのリナルドのような渋い声楽作品を録音したりと、アバドは生涯、ブラームスを演奏し続けました。
ルツェルンで交響曲シリーズを取り上げる矢先の旅立ちは、ほんと残念でした。
投稿: yokochan | 2017年2月 4日 (土) 09時43分
胡蝶さん、こんにちは、ご無沙汰をしておりました。
アバドの追悼記事にも、悲しみのコメントを頂戴しておりましたね。
モーツァルトの無垢の音楽は、哀しい時も、楽しいときも、心に寄り添ってくれる存在です。
アバドの清廉なモーツァルト演奏は、いずれも大好きですが、晩年の古楽奏法を取り入れた演奏と、従来のスタイルの演奏と、いろいろと楽しませてくれるのも、柔軟でしなやかなアバドならではです。
これからも、アバドを楽しんでいきましょう。
テレビで、大井松田の河津桜を見ましたが、今年は早いですし、再びの寒さで、長持ちしそうです。
ゆるゆると更新してまります、またのお越しを楽しみにしておりますね。
投稿: yokochan | 2017年2月 4日 (土) 09時54分