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2018年1月20日 (土)

ロッシーニ 「セビリアの理髪師」 アバド指揮 プライ

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菜の花と富士。

毎正月に、実家に帰るとこの景色が望める幸せ。

今年は、晴れの日が続いたので、富士がくっきり、すっきり。

おまけに、今年、ちょっと不安視した駅伝も、見事に完勝。

ありがたき正月になりました。

そして、1月も後半に至ると思い起こすのが、クラウディオ・アバドの命日。

あれから4年です。

今年のアバドの命日には、ことし2018年に、没後10年のアバドの朋友、ヘルマン・プライとの共演を。

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   ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」

アルマヴィーヴァ伯爵:ルイジ・アルヴァ バルトロ:エンツォ・ダーラ
ロジーナ:テレサ・ベルガンサ      
フィガロ:ヘルマン・プライ
バジリオ:パオロ・モンタルソロ     フィオレロ:レナート・チェザーリ
ベルタ:ステファニア・マラグー     士官:ルイジ・ローニ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
                アンブロージアン・オペラコーラス
              合唱指揮:ジョン・マッカーシー
              チェンバロ:テオドール・グシュルバウアー
              ギター:バルナ・コヴァーツ

       (1971.9 @ワトフォードタウンホール、ロンドン)


初めて買ったアバドのオペラのレコード。

その前には、「チェネレントラ」が出てはいたけれど、すぐには手が出ず、より有名なセビリアの登場を待ち、飛びつきました。
それでも、ちょっと半年ほど遅れて、横浜駅西口にあったヤマハで、お正月に購入。
川崎大師の帰りでした。
3枚組のズシリと重いカートンボックスに入った豪華なオペラのレコード。
所有する喜びにあふれてました。

アバドは、昨年亡くなったゼッダの改定版を前面に押し立てて、ロッシーニ演奏に革新をもたらせた指揮者のひとりでありました。
過剰な装飾や、オーケストラに慣習的に追加された楽器や誇張を取り除いたスッキリとした軽やかなロッシーニ。

ブッファ的な側面ばかりで語られたロッシーニには、セリアもグランドオペラもあったと見直された60年代半ば。
その流れで、フィルターを取り除いたロッシーニの音楽を体現させたのはアバドだと思う。

オモシロ可笑しいロッシーニのブッファに、生真面目に取り組み、端役に至るまで、すべての登場人物たちの歌に等しく目を配らせ、お笑いドラマを人間ドラマにまで昇華してしまった。
アバドが、ヴェルディのオペラに取り組む、その同じ姿勢がロッシーニの演奏にもあると思う。
だから、アバドのロッシーニは、セビリアよりは、チェネレントラ、そしてさらにランスの旅の方がより素晴らしい。
ベルリンフィルでロッシーニのオペラをやってしまったところが、これまたアバドらしいところ。

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  1981年のスカラ座の引っ越し公演での「セビリア」は、薄給を「シモン」のS席に振り当ててしまったので、テレビ観劇となりましたが、終始、このレコードより、テンポも速めにとり、ダイナミズムも緩急も自在で、より劇場的な指揮ぶりでした。
そして、ポネルの回り舞台の面白さと、ヌッチ、アライサ、V・テッラーニと新鮮な歌手たちの鮮やかさも、いまや伝説級の名舞台と言えます。

もう46年も前のころ録音。
当時、ロンドン交響楽団は、アバドの意思にもっとも俊敏に反応することのできたオーケストラであったと思う。
オペラのオーケストラではないが、ゆえに新しい響きも紡ぎだすことができたし、そこはアバドの歌心もそっくり反映させることができている。
いまでも充分に、その鮮度を保っているロッシーニ演奏です。

当時、最高のロッシーニ歌いをずらりと揃えた配役。
ただ、昨今のよりスタイリッシュで、高度な技量を備えた歌唱からすると、やや古めかしさも感じたりもするのは贅沢な想いかもしれない。
そのなかで、燦然と輝いているのはベルガンサのロジーナ。
清潔さただよう麗しくも正しき歌。
チェネレントラでの歌唱とともに、しっかりと耳に残しておきたい歌唱です。

ヘルマン・プライの当たり役フィガロ、うますぎの感もなくはないが、そして、思いのほか声の威力も気になるところだが、その人懐こい歌声は、こうしたイタリアものでも魅力的。
プライの明朗快活な歌は、モーツァルトの同役とともに、フィガロが当たり前のように同一人物であることを強く感じさせます。
そして、わたしたちは、ここに聴くプライの声で、彼の歌うパパゲーノやグリエルモ、果ては、ベックメッサーやヴォルフラムなどをも思い起こすことができる。
それほどに、ヘルマン・プライの声は、自分にとって馴染みの声なのです。
アバドは、プライとの共同作業を多く行っていて、スカラ座のフィガロの結婚では、伯爵までも歌っているし、ずっと後年、ウィーンフィルとの第9ではバリトンソロもつとめている。
そして以前にも書いたけれど、アバドのヴォツェックにもチャレンジする予定もあった。
アバドが病に倒れる前は、ワーグナーへの挑戦として、マイスタージンガーやタンホイザーの名前もあがっていたので、もしそれが実現していれば、プライのザックスなんてのもあり得たのかもしれません・・・。

ヘルマン・プライは、1998年7月22日に69歳で亡くなりました。
そして、クラウディオ・アバドは、2014年1月20日に。

アバドの命日に、偉大な歌手と指揮者を偲んで。

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過去記事

 「チェネレントラ」 アバド LSO

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コメント

アバド のロッシーニのオペラ。
とても素晴らしいと思います。
ロッシーニのオペラ序曲集も素晴らしいです。
アバド の歌心。しなやかで柔らかな指揮。
ロッシーニの音楽は明るく楽しくないといけないので、
アバド の音楽性に絶妙に合いますね。

投稿: よしおyoshio | 2019年1月 7日 (月) 13時08分

よしおyoshioさん、いつもありがとうございます。
アバドのロッシーニは、全曲盤が4つしかないことが残念ですが、ロンドンのオケを俊敏に反応させ、しかもイタリアのオケ顔負けのオペラティックな存在にしてしまったことが、いまもってスゴイと思ってます。
この点、ウィーンフィルよりロンドン響です。
ただ歌手が今聴くと、スタイル的に古くなってますが・・・

投稿: yokochan | 2019年1月10日 (木) 21時25分

yokochan様
ロッシーニのオペラには、時代の趣味に相応しているせいかも分かりませんが、後のヴェルディやプッチーニのオペラに頻繁に現れる、情緒テンメンたる愛の(或いは不倫の)二重唱が、聴かれませんね。
どこかキビキビしてさっぱりした味わい、これがロッシーニのオペラ・ブッファの魅力では、ないでしょうか。
後年のヨーロッパ室内管弦楽団を振り、ドミンゴやバトルが参加した再録音盤より、やはりこの録音を採るべきで、ございましょう。

投稿: 覆面吾郎 | 2024年7月22日 (月) 10時06分

覆面吾郎さん、こんにちは。
ロッシーニはイタリアの本格ベルカントでもなく、モーツァルトでもなく、まさにロッシーニではなくては書けない音楽ばかりですね。
ロッシーニルネサンスの一翼をになったこのレコード、今聴いても新鮮極まりないです。
再録音はどうせなら、若い歌手ばかりでやって欲しかった。
いまだにドミンゴのフィガロ、なんでやねん、という気持ちです。

投稿: yokochan | 2024年7月25日 (木) 09時22分

yokochan様
己れのレパートリーに関して、厳格かつ慎重なアバード様がなぜこの『セヴィーリャ‥』の再録音を受諾なさったのか‥。やはり、御自身を厚遇してくれるメジャー・レーベルからの、頼まれ仕事を請け負った‥と、私めなどは解釈しております。
御自身の御体調、スケジュールの都合上などで、実現は難しかったのかも知れませんが、『ローエングリン』以外に、もう一作ワーグナーのオペラ全曲物を、遺していただきたかった‥と、思っております。

投稿: 覆面吾郎 | 2024年7月30日 (火) 10時28分

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