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2019年6月22日 (土)

ラフマニノフ 「鐘」 プレヴィン指揮

Sengen-1

吾妻山にある、もうひとつの神社が、「浅間神社」。

吾妻神社は、日本武尊と弟橘媛命にまつわる由緒ある神社ですが、こちらは、父の仇討で高名な曽我兄弟の姉、木花咲耶媛(このはなさくやひめ)が、仇討の大願成就の感謝を込めて、富士浅間神社を本社に、こちらに祀ったものとされます。

日本には、多くの神社があり、そこには古来、多くの日本人が、いろんな願いと感謝を込めて手を合わせてまいりました。

神社とお寺、その違いや、言葉はよろしくないですが、使い分けは、多く日本人はそう意識もせずに、日常行っていると思います。
初詣には、寺や神社に等しく出向きますし、供養はお墓やお寺に詣り、願掛けや感謝は、神社にお詣りします。
宗教と、民族的な信仰、このふたつを心のなかにうまく融合しているのではと思いますし、わたくしなんぞ、洗礼をうけているわけでもないのに、教会で手をあわせたり、キリスト教を背景とした音楽を聴き、涙することもあります。
柔軟かつ複雑な、日本人の思考は、こんなところからもうかがえるのかもしれません。
 お天道様が見ている・・、こうした自然や身の回りのものへの想いや感謝こそが、日本人の心にあるものだと思いますが、最近はどうも。。

Sengen-3

小さなお社ですが、新緑が実に映える清涼感あふれる美しさです。

Rachmaninov-bells

  ラフマニノフ  「鐘」op35

   S:シーラ・アームストロング T:ロバート・ティア
   Br:ジョン・シャーリー=クワーク

    サー・アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団
                  ロンドン交響合唱団
           合唱指揮:アーサー・オールダム

        (1975.10 キングス・ウェイホール ロンドン)

ラフマニノフの交響曲は3曲あるけれど、それ以外に、交響曲的な要素ををもった作品がふたつ。
三浦淳史先生の名づけで、合唱交響曲とも後世呼ばれる、この「鐘」。
そして、晩年のアメリカでの作品、「交響的舞曲」。

作品の総数としては、そんなに多くはないラフマニノフは、自身が名ピアニストであったゆえの、協奏曲を含むピアノ作品を中心に、交響的な作品、そして、歌曲を中心にした声楽作品、それに作品数は少ないながら、室内楽作品に、オペラということになります。
まんべんなく、あらゆるジャンルに作曲をしましたが、ひとフレーズ聴けば、もうラフマニノフとわかる作品たちばかり。

むせかえるような甘味なメロディーに、暗たんたる、ともに落ち込んでしまいそうな旋律、それらの繰り返しのくどさ。
弾むリズムに、跳ねるような3拍子、ジャンジャカジャン的な派手だけど、あえないエンディング。
そう、こんなラフマニノフ・ワールドがいつしか、病みつきになるんです。

終焉の地がアメリカであったこともあるが、その音楽が大衆的な人気をはくすようになったのもアメリカからだと思うし、ストコフスキーやオーマンディの功績も大きい。
そして、ラフマニノフの人気は、スクリーンにも使われ、英国、本国ロシア、ヨーロッパ、日本へと広がっていったものと思う。

そのアメリカで早くから聴かれ、親しまれていたのが、「鐘」。
英語圏では、「Bells」。
 エドガー・アラン・ポーの詩による作品だが、ポーの原作そのものでなく、英語の原語を、ロシアの象徴派詩人のコンスタンティン・バリモントのロシア語訳によったものに作曲された。
そしてアメリカでは、このロシア語訳のものを、さらにファニー・コープランドという女性が英語訳にしたものが、ペテルブルクでの初演7年後、1920年に、ストコフスキーとフィラデルフィアにより米国初演され、これが好評でアメリカで親しまれるようになったとか。
この曲の初レコードも、オーマンディとフィラデルフィアによるものです。
信心深く、宗教に熱心なアメリカ人の心に、この美しく、哀しく、そして明るい旋律が満載の「鐘」が、日常の教会で聞く鐘の音と、その人生が共にあるという、この作品の根底にある信条とが響いたのでしょう。

 この作品の作曲のきっかけも、よく書かれているようにユニークなものです。
「ある日、見知らぬファンから手紙をもらった。そこには、バリモントの露訳によるポーの詩「鐘」が書き写されていて、この詩とともに、是非作曲をしてほしいとあった。この詩に感動したラフマニノフだが、すぎには作曲にとりかからなかったものの、のちに完成したこの音楽を聴いた、手紙の主は、自分が思い描いたとおりに完成していたので、喜びのあまりに失神するばかりであった、と。
それは、ラフマニノフの熱烈なファンで、モスクワ音楽院に在学していた女性チェリストだと後に判明したとのこと、内気すぎて、憧れの作曲家に直接会いにいけなかった」
ラフマニノフのファンは、シャイだけど、熱い、そんなある意味これもラフマニノフらしいエピソードであります。

人生の4つのシーン、そこに象徴される「鐘」。
ポーの原詩にはないタイトルが、バリモントの露訳では付けられていて、それが4つの楽章になっている。

①「誕生」      銀の鐘  澄んだそりの鈴
           若い命の輝きを讃える祝福の鈴の音

②「結婚」      金の鐘  甘く響く結婚式の鐘
           聖なる婚礼に響き渡る愛の鐘の音

③「人生のたたかい」 真鍮の鐘 けたたましい警鐘
           災いと恐怖の到来を告げる警鐘の音

④「死」       鉄の鐘  悲しみに沈んだ鉄の鐘
           永遠の別れを悲しむ弔いの鐘の音

この4つの章にある言葉どおりの音楽といえば、もうそれで足りる。
外盤なので、英訳歌詞をながめてもなんだかもどかしいので、もう流れる旋律と、いかにものロシア語に身をゆだねるだけでいい。

春の訪れともとれる、歓喜にあふれた①、まさに転がるような楽しい木管に、打楽器たち、そしてテノールも明るい。
いかにもラフマニノフらしい、甘味でロマンティックな②は、幸せな、夢見るようなソプラノ独唱を伴っていて、聴いてるこちらも、あんないい時代もあったなぁ~、と回顧したくなる気分。
スケルツォ的な③は、争乱を感じさせ、不穏は雰囲気だ。シャウトする合唱に金管がただ事でなく、聴いてて疲れるかも。
そして、イングリッシュホルンが、寂しくも無情にあふれた旋律を歌いだす④.
バリトンソロも、なかなかに沈痛だし、合唱の合いの手も重々しい、痛切な哀しみの連続で、思い切り落ち込むロシア人そのもの。
不条理さへの怒りも発しつつ、やがて死を受け入れ、曲は平安な慰めのムードに変わって行き、美しい夕映えのような最後となる。

多岐のキリスト教社会に住まう国々の方にとって、教会の「鐘」の音は、人生にとってきってもきれない、日々、そこにある存在なのです。
それを誰にでも共感を得やすく、わかりやすく、ポーのロシア語訳の力をえて音楽化したこの作品。
きっと欧米人にとっては、われわれ日本人以上に共感しやすい素材と、その音楽かと思います。

プレヴィンの西側ではオーマンディに次ぐ録音。
交響曲を親しみやすく、ビューティフルに演奏するように、この「鐘」も美味なるほどのに、鮮やかな指揮ぶりに思います。
イギリス人歌手たちもふくめ、ロンドン響も、その合唱団も、ロシア的な憂愁からは、ちょっと遠いのですが、でもこれもブリテッシュ・ラフマニノフ。
わかりやすく、明快、くったくのないラフマニノフであります。
録音が、やや古さを感じたりもしますが、プレヴィンのあの3つの交響曲のEMI録音の延長線上にある、そんな演奏であります。

日本人には、「鐘」は、除夜の鐘や、時を知らせるお寺の鐘、そんな風なイメージだけですが、でも身近なものにほかなりません。
そう、寺も神社も、日本人の心のよりどころであって、身近な存在です。

Sengen-2

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