マタイとメサイア
寄り添うように、とか、よく政治家とか、企業CMとか、いやもしかしたら自分も、寄り添うような音楽とかブログで発言してるかもしれない。
けれど、なんか、まやかしのように感じる。
感情論の押し付けであり、ごまかしではないかと・・・
政治家や企業に、本当の心で、そんな風に国民や消費者に接しているとは思えない。
平和なときには、そんな言葉も、優しく響く。
しかし、いまの緊急時には美辞麗句は通用しない。
具体的に何をするかが問われるから。
しかし、季節はちゃんと巡ってくる。
毎年、イーズターの頃には、散歩も兼ねて増上寺周辺の桜を巡り歩くのだが、今年は、むしろ健康のために歩かなくては、という思いで、控えめの桜見でした。
ここは、見事に美しい椿が桜を背景に咲くのです。
聖金曜日から、復活祭にかけての音楽ということで、「マタイ受難曲」と「メサイア」それぞれ抜粋して聴きました。
バッハ 「マタイ受難曲」
ペテロの否認~あわれみたまえ、わが神よ
A:ヘルタ・テッパー
T:エルンスト・ヘフリガー
カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
ミュンヘン・バッハ合唱団
先ごろ、ミュンヘンにて亡くなった、テッパーの歌で。
享年95歳のテッパーさんは、理想のオクタヴィアンとして、それとブランゲーネやフリッカなども歌うオペラ歌手でしたが、なんといっても「リヒターのマタイ」のアルト歌手としての存在が、われわれには大きいと思う。
マタイの核心的な場面が、ペテロの否認と、それに次ぐアルトの悔恨のアリアかと思ってます。
この少し前に、イエスによる重要な弟子のひとり、ペテロの裏切りの予言がエヴァンゲリストにより歌われ、鶏が鳴く前に、わたしを知らないと3度言うだろうとします。
そして、ペテロが女中に、この人もイエスと一緒にいたと言われると、わたしはその人を知らないと、ほかのひとにも3度も言ってしまいます。
そこで鶏が鳴き、ペテロは激しく泣くことになります。
このあたりの、冷静なエヴァンゲリストが、抑揚をつけながらも感情の高ぶりをみせます。
そして、ヴァイオリンソロを伴った感動的なアリアが始まります。
「Erbarme dich」 ~憐れみたまえ、わが神よ わたしの苦い涙をお認めください
心も、目も、ともに御前にひざまずき、激しくないております~
人間、誰しも、思い当たることがあるかもしれない、心に秘めたこともあるかもしれない。
そんな心理に光を当てた聖書の場面を、バッハの音楽は実に深く描いている。
テッパーの禁欲的な淡々した歌唱は、この歌の本質をついております。。。。
聴いてて、なんでこんなことになっちゃったんだろ、涙が出てきました。
ヘンデル オラトリオ「メサイア」
復活~栄光と永遠の命
S:エディット・マティス A:アンナ・レイノルズ
T:ステュワート・バロウズ B:ドナルド・マッキンタイア
カール・リヒター指揮 ロンドン・フィルハーモニック
ジョン・オールディス合唱団
Ⅰ「預言と降誕」、Ⅱ「受難と復活」、Ⅲ「栄光と永遠の生命(救いの完成)」
アメリカや日本ではクリスマスに演奏されることが多いので、きらびやかな印象がある「メサイア」。
ましてバッハと比べると、開放的で、音は外に向かって行く印象を受けるが、でもしっとりとしたアリアもたくさん。
アリアと晴れやかな合唱の対比こそ、オペラ作曲家としてのヘンデルの真骨頂。
最近、ヘンデルのオペラをネット視聴したりすることも多く、少しハマりだしました。
そんな耳で聴くと、豊麗なヘンデルサウンドのなかに、人間の悩みや悲しみも織り込まれているのを感じます。
ハレルヤのあと、ソプラノの楚々とした信仰告白ともとれるイエスへの想いを歌ったステキなアリア。
そして不滅の偉大さをトランペットを伴って歌うバスの神々しいアリア。
リヒターの英語版メサイアが、ロンドンフィルで録音されたことはありがたいことでした。
LPOの暖かくも、くすんだ弦が素晴らしく効果をあげてます。
マティスの無垢ともいえる歌声もいい。
最後はイエス賛美の、アーメンコーラス。
キリスト者ではありませんが、人類がいまの苦難に打ち勝つこと、この音楽も輝かしくも、壮麗な光で世界を照らしてくれることを願います。
早朝のせいもあるけど、誰もいない増上寺(4/4)
ほんと、ひといません。
来年は、楽しく桜を愛でることができますように。
| 固定リンク
コメント