ヘンデル 「エジプトのイスラエル人」 パロット指揮
真夏ですが、初訪問の乃木神社。
言うまでもなく乃木希典将軍とそのご夫人を祀った神社です。
日本には、申告されてないものも含めると10万社以上の神社があるといいます。
神道は日本固有の宗教でもありつつ、日本人の心のなかにある容のあるようでない神様を拝む心のようなもの、とも思います。
一方で、仏教のお寺も、8万社もあります。
八百万の神様と仏様、キリストもほかの宗教の神様も、みんな共存できちゃう、そんな国が日本であります。
コロナのせいで、手水舎は使用できず、でもこんな美しく花で飾られた乃木神社の鳥居の下でした。
ヘンデル オラトリオ「エジプトのイスラエル人」
S:ナンシー・アージェンタ S:エミリー・ファン・エヴェラ
A:ティモシー・ウィルソン
T:アンソニー・ロルフ・ジョンソン
B:デイヴィット・トーマス B:ジェレミー・ホワイト
アンドリュー・パロット指揮 タヴァナー・プレイヤーズ
タヴァナー・コーラス
(1989.8~9 @アビーロードスタジオ)
前回のブログでは、プロコフィエフについて語り、シリーズ化も宣言しましたが、同じくコロナ禍のなか、あらためてその素晴らしさに目覚めた作曲家、ヘンデルを今回は取り上げます。
やはり、海外の多くのネット配信で、ヘンデルのオペラやオラトリオを多く、見聞きすることができました。
視聴したアーカイブを調べてみたら、オペラ12本にオラトリオ3本でした。
いずれもともかくヘンデル作品は長い。
しかもタイトルが横文字ばかりで、覚えきれないし、その数もやたらと多い。
何から聴いていいかわからなかった自分に、時間の制限のあるストリーミング配信などは、ともかく聞かなくては、観なくてはならないから有効でした。
こうして、「水上の音楽」と「メサイア」だけだった自分のヘンデル観に、オペラの人、劇場の人ヘンデルがやってきました。
しかし、どうすんでしょうね、wikiで見たら、オペラだけでも42作あるし、オラトリオ系でも30作ぐらい。
カンタータも限りなくあるし、オペラ・声楽作品だけでも、ともかく膨大。
ともかく多くは無理だから、ゆっくりと取り上げましょう。
きっと途中で断念するか、もしくは当方が昇天してしまうかもしれませんので。。
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長い前置きはここまでで、「エジプトのイスラエル人」です。
「メサイア」の3年前、1738年の作品。
ロンドンで活躍中だったヘンデルが、オペラシーズンに出資金不足で新作発表がならずに、かわりに舞台上演のいらないオラトリオ作品を書くこととなり、同時期に「サウル」とともに書かれたのが「エジプトのイスラエル人」。
エジプトのイスラエル人とは、旧約聖書の「出エジプト記」を扱ったもので、「詩編」もテキストには選ばれてます。
そう、まさにモーゼに率いられたユダヤのイスラエルの民のエジプト出国を描いてます。
映画の「十戒」そのものの世界。
大学生のときに、学校で聖書を習ってよく読んだか所だし、「十戒」もちょうどリバイバル上演があったものだから、渋谷の東急で観たものです。
ヘンデルは、まず「モーゼの歌」(申命記32章を参照したもの)を作曲し、これはモーセによる神への賛美であり、イスラエルがいかに神から愛されたかが申命記で熱く語られてる部分。
そして、物語として、まずユダヤの民が飢餓などで、豊かなエジプトに逃れ、優秀な民族だったので国を富ませるために、いろんな労働を強いられますが、それでも共存してうまくやっていた、という出エジプト前の前提があります。
このあたりを、指導者ヨセフの死と融和的だったファラオ(エジプトの王)の逝去を悼む、という第1部の作曲と、そこに前年に作曲した「シオンの道は悲しみ」をそっくり使用することで代替することを思いつきます。
この曲は「キャロライン王妃のための葬送アンセム」で、国王ジョージ2世の妃、キャロラインの逝去を悼んで書かれたもので、ほぼ同世代の王妃は、ヘンデルのオペラを愛し、その活動を支援してました。
そんなヘンデルの王妃への想いが、ユダヤ人を庇護していたエジプトのファラオと、イスラエルのリーダー、ヨセフの死を悼む音楽に置き替えられてるわけです。
これを第1部とすることで、今度は中間に、「出エジプト」の場面が必要となり第2部が作曲され、全3部のオラトリオの完成となりました。
第1部 「ヨセフの死に寄せるイスラエル人の哀歌」
第2部 「出国」
第3部 「モーセの歌」
ソリストは5人が必要ですが、このオラトリオの主役は合唱で、曲は合唱曲が多くを占めます。
文字通り、第1部はしめやかに、楚々とした悲しみに包まれていて、合唱も憂いを帯びてます。
第2部は、ドラマテックですが、前ファラオと違って弾圧的だった新ファラオのエジプトに神が怒り、疾病や天変地異を起こすわけですが、音楽はそこまで具象的でなく、紅海の横断シーンも淡々としてます。
出エジプト記でなく、詩編からも多く録られていることからだと思いますが、ある意味とても音楽的。
そして出国を祝う第3部は、明るく、むしろこちらの方が壮大。
「メサイア」を思わせるような晴れやかな合唱曲や、バスふたりによる掛け合いのソロアリアも「メサイア」っぽいので親しみがわきます。
第2部は、出エジプト記と詩編を、いろんな風に組み合わせてヘンデル独自の流れに仕立ててますが、細かに聖書を対比して聴いてみるのも面白いものでした。
しかしまあ、もう老眼の域に達したワタクシには、なかなかシンドイ行為なので、そう何度もできるものではございません。
まずは、ヘンデルの美しく、そして壮麗な音楽に耳を傾け、そして身をゆだねることです。
もう30年も前の古楽演奏の最初の頃のパロットの演奏。
先鋭さもなく、中庸の美しさもあり、なによりも合唱の精度も高く、歌手たちもうまいです。
もっと最近の演奏で、ヘンデル演奏の最新を聴いてみたい気もします。
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 モンテヴェルディ管弦楽団
モンテヴェルディ合唱団
(1978.10 @オールセインツ教会)
知らない間にもう一組持ってました。
ヘンデル作品を集中的に録音していたガーディナーは2度録音してまして、これはその1回目。
ここでは、第1部に転用された「アンセム」は、切り離されて別に演奏されてます。
ただし、その序曲だけはそのまま「出国」の冒頭に置かれてまして、「出エジプト」と「モーセの歌」の2部構成となってます。
初演時に、華やかなアリアがなかったりで、ロンドンの聴衆には不人気だったため、2部と3部のみで演奏されることとなった風習を受けてのもの。
たしかに、出エジプトという、ユダヤの民にはめでたい出来事を、ちょっとしめやかすぎる第1部が冒頭に長くあったりすると、聴衆受けはよくなかったかもしれません。
2度目の録音は聴いてませんが、70年代に、これだけ清新な古楽演奏をしていたガーディナーの先見性をここに聴くことができます。
まだまだ聴きとり不足ですが、「エジプトのイスラエル人」、いい作品だと思います。
オペラ的に上演することはまず不可能かと思いますが、メサイアばかりでない、ヘンデルのオラトリオ作品、このあとも続けます。
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エジプトとイスラエル。
高域で言うと、アラブとイスラエル。
旧約の太古から因縁を持って対立を続けてきた関係。
アメリカのトランプ政権が、この楔を解き、イスラエルとアラブ首長国連邦、そしてバーレーンとも国交正常化の仲介を成功させました。
ほかのアラブ諸国も続く可能性があります。
これは歴史的にも画期的なできごとで、このヘンデルの作品を聴いて、この出来事もしみじみと受け取ることができました。
トランプの選挙対策、なんてのは間違った発想。
ともかく長い長い対立の歴史からすると、ほんとにすごいことが起きたのだと思います。
世界的に原油需要の減退とOPECの力の低下で、相対的に中東のこれまでの強みが薄れてきたなか、アラブ諸国は先を見据えた動きをしたとみるべきでしょう。
そしてアメリカも、中東地域への力の配分も少なくすることができる。
自国ファースト政策と、なによりもその力を温存し、某国に注がねばならない、そんなアメリカの事情があります。
しかし、なんだか、世界がふたつの勢力にますます二分されつつあることが鮮明になってきました。
ヘンデルの「エジプトのイスラエル人」の最後は強く明るい、ソプラノソロ付きの合唱です。
そこで歌われるのは、出エジプト記第15章1と21からとられてます。
「主にむかってわたしは歌おう、彼は輝かしくも勝ちを得られた、彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。」
そう、これは争いや武器は、もうナシ、もうおしまい・・・っていう明るく強いメッセージでありました。
まさにそうありたいもの。
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