モーツァルト ピアノ協奏曲第22番 ゼルキン&アバド
昨年初冬に行った京都、南禅寺。
数年ぶりの京都は、娘のご縁が元で、今年の初夏にも訪問予定。
静かな京都は、やはりいい。
モーツァルトが聴きたくなって。
モーツァルト ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482
Pf:ルドルフ・ゼルキン
クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
(1984.10 @セント・ジョンズ、スミス・スクエア)
22番の協奏曲が好きです。
スケール大きく始まるが、おおらかな第1楽章。
愉悦感あふれ、チャーミングな3楽章は、まるで、モーツァルトのオペラの一節を聴いているかのよう。
エンディングの瞬間も、ピアノのつぶやきが素敵すぎる。
そして、その間に挟まれた第2楽章は、ハ短調。
涙に濡れたような哀しみと嘆きのアリアです。
K488の23番の協奏曲と姉妹作となっていて、ともに、オーボエを外してクラリネットを起用していて、そのあたりが優美さとウェット感を醸し出している。
1785年、この頃のモーツァルトは、ハイドンセットを完成させ、翌年はフィガロと充実の日々の29歳でした。
ルドルフ・ゼルキン、このとき、81歳。
指揮するアバドは52歳。
明鏡止水なり。
枯淡ななかにも、瞬く愉悦感。
ゼルキンとアバド&LSOのモーツァルトは、レコード時代末期にスタートし、CDで買いなおし、1枚1枚揃えましたが、全部で7枚、14曲です。
しかし唯一、ヨーロッパ室内管に変えた16番は、単独ではCD化されず、15曲目のそちらは、なんとワタクシ持ってません。
組物セットには入ってるという不条理さ・・・・
ゼルキンのゆったりとしたなかに、モーツァルトの歌の本質を聞かせるピアノは、枯れていながら輝いてる。
アバドの慎ましさと、流麗かつ誠実な一音たりとも揺るがせにしないオーケストラは、ニュートラルなロンドン響のサウンドを得て、素晴らしいモーツァルトになってます。
「和」な雰囲気。
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コメント
22番のコンチェルト大好きです。昔バレンボイムECOの弾き振りレコードを耳にして夢中になりました。第3楽章の突然の短調部分、モーツァルトらしい哀切極まりない展開に言葉を失いました。ゼルキンの22番もいいですね。力まずモーツァルトを楽しんでいるピアノが素敵です。ロンドン響時代のアバドよかったですね。そしてベルリン後のアバドもよかったです。でもベルリン時代は?
投稿: ornellaia | 2021年1月26日 (火) 10時48分
ornellaiaさん、こんにちは。
バレンボイムの22番、実は未聴なのですが、レコ芸で、故U氏が大絶賛しておられたのをよく覚えてます。
あと、30分以内に収まらず、カセットテープでエアチェックした際に、終楽章が途切れてしまったことも、この曲の印象のひとつです。
ずっと聴いていたい音楽です。
ロンドン時代は、アバドが一番自分の好きなことをやれた時期だと思います。
確かにベルリン時代は、スタート時と病後の時期と比べると、一時期吹っ切れない感じを受けたことも事実です。でも、いまや、その頃も含めて、アバドの音楽の変遷として大切に受け止めて聴いております。
投稿: yokochan | 2021年1月28日 (木) 08時13分