プッチーニ 三部作 フレーニ
暦は春、2月4日が立春でした。
しかし気候は一進一退、極寒になり、また穏やかな陽気になり、繰り返しつつ春になります。
わたしの郷里では、もう菜の花はおしまい。
次は桜を待つばかりです。
プッチーニ 三部作
ミレッラ・フレーニ
ブルーノ・バルトレッティ指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団
フィレンツェ五月音楽祭合唱団
(1991.7~8 @ヴェルディ劇場、フィレンツェ)
昨年2月8日に、ミレッラ・フレーニが亡くなり1年が経ちました。
プッチーニの3部作のヒロインをフレーニがすべて歌った一組を。
ヴェリスモに典型の痴情による悲劇、静謐な宗教劇、皮肉とユーモアのきいた喜劇。
この性格の異なる3つの1幕もののオペラを三部作としたプッチーニの天才性は、その素晴らしい音楽の描き分け方にも十分にうかがえる。
しかし、この3作がなかなか同時上演されにくいのは、よく言われるように、その登場人物の多さで、しかも劇の性格が違うゆえに、歌手に求められるものも3作ともに違う。
3作のソプラノ歌手は、リリコ・スピントとリリコの声が求められる。
円熟期のフレーニは、それをこなせる希少な存在だった。
デッカにはかつて、大ソプラノ、テバルディが3役を歌ったガルデッリ盤があり、そのあと同じフィレンツェのオーケストラを使ったこちらのバルトレッティ盤が残されたのは、フレーニ・ファンとしてもほんとうにありがたいことです。
レナータ・スコットのマゼール盤では、ラウレッタ役はより軽いコトルバスに変わっていて、3役を歌った音盤は、テバルディとフレーニだけ。
私の舞台体験は2008年のプッチーニの生誕150年に上演された日本人だけの上演のみで、数年前の二期会公演は逃してしまいました。
あらすじなどは、パッパーノ盤の過去記事に手をいれたものを再褐してます。
プッチーニ 「外套」
ミケーレ:ホアン・ポンス
ジョルジェッタ:ミレッラ・フレーニ
ルイージ:ジュゼッペ・ジャコミーニ
ティンカ:ピエロ・デ・パルマ
タルパ :フランコ・デ・グランディス
フルーゴラ:グロリア・スカルキ
小唄売り:リカルド・カッシネッリ
二人の恋人:バルバラ・フリットリ
ロマーノ・エミリ
<パリのセーヌのほとり。海運を細々と営むミケーレ親方と妻ジョルジェッタ、働き手のルイージと仲間たち。
仕事を終え煙草をふかすミケーレ、ジョルジェッタのつれないそぶりに心は浮かない。
ジョルジェッタは、仕事を終えたルイージや仲間たちに酒を振舞い、楽しい雰囲気。
仲間の妻は、田舎で旦那とつましい余生を送りたいと歌い、ジョルジェッタは、自分やルイージはパリの郊外の生まれで、こんな水辺での浮き草のような生活は早く終わりにしたいと歌う。そして、愛を交わしあい、密会を約束しあう二人。ルイージは熱い思いを歌う。
寝ずに火照りを覚ますジョルジェッタにミケーレは、ふたりの間の亡くなった子供のことを話し、ふたたび「自分の外套に包まれればよい」と、やり直しを迫るが、またしてもそっけない妻。もう老いぼれた俺じゃだめなのか?と説得を試みるも・・・・
一人になり、「売女奴め!」と怒り震わせ、男をひっとらえてやると、豹変するミケーレ。
煙草に火を着けるが、それを同じ合図と勘違いしたルイージが船にやってくる。
「ははぁん、お前か」「違う、あっしじゃありやせん」「いやテメエだ!」と押し問答の末、絞殺してしまう。物音に出てきたジョルジェッタ、夫の怪しい雰囲気に怖くなって、以前のように「喜びも悲しみも包んでしまうといった、外套に私を包んでよ」とおねだり。
「そうさ、時には罪もな!俺のとこへ来やがれ・・・」と外套から転がりでたルイージの死体にジョルジェッタの顔を無理やり押し付ける。
凄まじい悲鳴とともに幕。>
まだ駆け出しだった、フリットリの名前が3作いずれもあるのがうれしい。
ジャコミーニも新鮮な歌声。
なによりもフレーニの不安と安泰とに揺れ動く心情表現が細やかでいい。
ポンスの美声もいいが、このオペラ、妻が25歳、夫が50歳、間男が20歳の設定なので、ポンスさん若すぎに感じます。
それにしてもよく書けてる音楽。
霧に煙るセーヌ川のパリな雰囲気、場末感や強殺の残忍さなど、不協和音や印象派風な手法を用いて見事に表出したプッチーニ。
プッチーニ 「修道女アンジェリカ」
修道女アンジェリカ:ミレッラ・フレーニ
侯爵夫人 :エレナ・スリオティス
修道院長 :グロリア・スカルキ
修女長 :エヴァ・ポドレス
修錬長 :ニコレッタ・クリエル
ジェノヴィエファ:バルバラ・フリットリ
オスミーナ:ヴァレリア・エスポジト
ドルチーナ:アルガ・ロマンコ
看護系修女:デボラ・ベロネシ ほか
<時は17世紀、トスカーナ地方のとある修道院。
修道女アンジェリカは、フィレンツェの公爵家の娘ながら許されぬ子を宿し産んだため修道院に入れられ懺悔の日々を送っている。
修道女たちの祈りの合唱。修道女ジェノヴィエッファが中庭の泉に太陽の光が差し金色に輝くのを見つけ、マリア様の奇蹟が訪れるのよ、と沸く。
しかし、1年前にある修道女が亡くなったことも思い出す・・・・。
アンジェリカは生あるうちに花開き、死には何もないと語り、願いはないと語るが、皆はその言葉を信じず彼女の身の上話をささやく。
そこへ、修道女のひとりが蜂にさされ怪我をしたと騒ぎになるが、薬草に詳しいアンジェリカが秘伝の治療法を託す。
そこへ、アンジェリカの伯母の公爵夫人が立派な馬車でやってくる。修道院長から呼ばれ、接見するが、意地悪な伯母から、アンジェリカの妹が結婚することになりその遺産分与の同意を得にきたと伝えられる。家名を汚した姉の償いを妹がするのだとなじる。
7年前に生んだ坊やの消息を必死に尋ねるアンジェリカに、公爵夫人は2年前に伝染病で死んだと冷たく答える。その場に一人泣き伏せるアンジェリカ。
「いつ坊やに会えるの?天であえるの?」と、あまりにも美しいアリア「母もなく」を楚々と歌う。
彼女は、死を決意し、毒草を準備する。
毒薬を服し、聖母に自決の罪の許しを必死に乞うアンジェリカ。
そこへ天使たちの歌声とともに、眩い光が差し、聖母マリアが坊やを伴なってあらわれ、死にあえぐアンジェリカの方にそっと差し出す。にじり寄りつつ、彼女は救われ息を静かに引き取る・・・・・。>
もう、そもそもが涙なしには聴けない音楽。
「外套」の残忍性は影を潜めて、ここでは宗教秘蹟にふさわしく、抒情的で繊細かつ神秘的な音楽と、蝶々さんを思わせる哀しみと悲劇性もある音楽です。
修道院の無垢な雰囲気を醸し出す鳥のさえずりや、パルジファルを思わせるような浄化感もこのオペラの特徴です。
ともかく「母もなく」のアンジェリカのアリアはとてつもなく美しく、そして悲しみにあふれていて、これを歌うフレーニの声と感情の込め方はもう絶品であります。
3作のなかでは、一番フレーニに合った役柄だから余計に素晴らしい。
そしてデッカらしい、味わい深い隠し味が、エレナ・スリオティスが意地悪な侯爵夫人役で登場していること。
喉の障害で一線から退いていたスリオティス、その声はお世辞にもいいとは言えない状態ですが、実に真実味があって迫真そのもの。
プッチーニ 「ジャンニ・スキッキ」
ジャンニ・スキッキ:レオ・ヌッチ
ラウレッタ :ミレッラ・フレーニ
ツィータ :エヴァ・ポドレス
リヌッチオ :ロベルト・アライサ
ゲラルド :リカルド・カッシネッリ
ネルラ :バルバラ・フリットリ
ケラルディーノ:バルバラ・グエッリーニ
ベット :ジョルジョ・ジョルジェッティ
シモーネ :エンリコ・フィッソーレ
マルコ :オラツィオ・モーリ
チエスカ :ニコレッタ・クリエル ほか
<1229年のフィレンツェ。ブオーゾ・ドナーティの家にて。
朝のドナーティ家、当主ブオーゾはすでに亡く、一族が取り囲んで神妙に泣いたふりをしている。膨大な遺産を期待する面々が、巷の噂の寄付ということを聞きつけて集結している。
きっと遺言状があるだろうということで探しだしてみると、噂どおりの全額教会寄付。
坊主だけが潤うと、一同は大騒ぎに。
そこで、リヌッチオは、許婚の父ジャンニ・スキッキに知恵を借りようと提案するが、策士だとして賛同を得られない。
リヌッチオは、いまのフィレンツェには、スキッキのような大胆で斬新な人物として街とともに称賛するアリアを高らかに歌う。
そこへスキッキと娘のラウレッタ登場。貪欲な一同に呆れ、こんな奴らに協力したくないと、ソッポを向いてしまうスキッキ。
しかし、愛娘が「私のお父さん」のアリアを歌い、その父の心をメロメロにしてしまう。
「私は、この人が好きなの・・・・、愛の指輪を買いに行きたいの・・・、もし愛することがだめなのならば、ポンテヴェッキオに行きます。そこで身を投げます。恋が私の心を燃やし苦しめるの、どうぞ神様死なせて下さい、お父さま、どうぞお哀れみを・・・」こんな掟破りの歌を娘に歌われ、お父さんはさっと心変わり。
「さあ、遺言状を貸してごらん」と、スキッキ。
この一族以外に誰も当主の死は知らない。では、自分がブオーゾになるまでと、そこへ、医師が回診にやってくるが、声音を使って見事にやり過ごすスキッキ。
自分がなり代わって遺言状を書き換えるまでよ!と巧みなアリアを歌う。
一同は感嘆し、それぞれの相続の思惑をスキッキに語りまくる。スキッキは、もしこの語りがバレたら法的には一同は手首をちょん切られると警告。ははっ!
やがて公証人がやってくる。
すべての遺言のたぐいは今破棄し、これより語ることが唯一の遺言と、偽ブオーゾのスキッキは声音で語りだす。
遺産のそれぞれを一族の思いのままに語り、一同から小さくブラボーを得る。
そして、一族の関心のハイライト、「フィレンツェの勇壮な自宅と製材所、ロバなどの資産価値の高そうなアイテムは、なんと親友の「ジャンニ・スキッキ」に、とのたまう。
苦虫をかみ締める一族たち。
公証人には、頭のなかで今考えたことを言ってるだけですよと言い、公証人は大いに賛同納得して去る。
さあ大騒ぎの一族、とんでもない泥棒、ごろつき、うそつきと悪態の限り、スキッキは私の地所から出てゆけと命令!
一族は「あぁーーー!」、スキッキは「出てゆけーーー」の応酬。
こんな騒ぎをよそに、恋の成就に熱くなる二人の恋人がフィレンツェの街を称える。
スキッキは語りでこんな洒落た口上を述べ幕となる。
「皆さん、ブオーゾの資産がうまく処理できましたかどうか。こんなやり口で、私は地獄行きの憂き目に会うでしょうが、偉大なるダンテのお許しを得て今宵お楽しみいただけましたらお許しください。どうぞ、情々酌量のうえ」>
そう、ほんと落としどころがドラマの筋も音楽もオシャレなんです。
ルネサンス期の新しい風や人物をうまく喜劇という枠で生かしている。
プッチーニの唯一の喜劇は、よく言われるように、晩年でヴェルディが「ファルスタッフ」を生んだように、そこから刺激を受けたとされる。
1時間のドラマのなかに、人間の腹黒さとそれを巧みに利用する狡猾さ、それと若い純粋な恋人たち、それらの人物たちを抱擁する街フィレンツェ、これらを描いてます。
悲劇・秘蹟と続いて、音楽はまるで一転、軽やかで明るい、イタリアの空を感じさせます。
このおもしろオペラのなかに、きらりと光る暖かな涙と微笑みさそうラウレッタのアリア「わたしのお父さん」。
愛くるしくフレーニによって歌われると、思わず涙ぐんでしまいます。
30代の頃の彼女のプッチーニのアリア集も好んで聴きますが、あの頃の清純そのものの歌とはまた違って、表現の幅が広がり、その豊かな声に包まれるような思いがします。
出始めのころのアラーニャも輝いてますね、テノールを聴く喜びが味わえます。
そして、レオ・ヌッチの巧みなジャンニ・スキッキには、ときに笑えるし、皮肉も脅しもたっぷりで、その技量のたくましさは、ヌッチのような歌手がいることを日本が知ったスカラ座の来日公演のフィガロ、あのときのイメージそのものでした。
さてここにもデッカの隠し味が。
解説書に書いてありましたが、亡くなったブオーゾの甥の息子役に、スリオティスの娘(当時少女)が登場してます。
さらに、ベテラン指揮者バルトレッティのアシスタント指揮者として、これまたスリオティスの旦那さん、マルチェロ・グエッリーニがこの録音に参加してます。
録音プロデューサーのひとりは、クリストファー・レイバーンの名前があり、カルショウなどとともに、デッカのオペラ録音の歴史と流れを感じることができます。
まさにフィレンツェのオーケストラを起用したデッカ。
プッチーニを得意にしたフィレンツェ生まれのバルトレッティの起用も正解だったと思います。
当時、フィレンツェのポストにあったバルトレッティですが、指揮者が中心のオペラ録音でなく歌手主体に組まれた録音でよく起用されて、その職人技と現代的な感覚が、とくにヴェリスモ系で強みを見せていたと思う。
ヴェルディでも、オーケストレーションが独特な「仮面舞踏会」なんかもよかったです。
この3部作の、それぞれの特徴を巧みに描きわけて表出しているし、さりげない歌手の引き立て方も、オペラティックな雰囲気豊かなオーケストラとともに味わい深いものがありました。
わたしの郷里の自慢は、海と菜の花、そしてその温暖な風土です。
ミレッラ・フレーニが亡くなって1年。
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コメント
yokochan様、励ましのお言葉、ありがとうございます。フレーニの訃報に接した一年前、よもやその後に三度もの入院など予想だにしておりませんでしたが、ともあれ朝一番で病院へと向かいます。
ところで年末に上梓された「マエストロ、ようこそ」(広渡勲著 音楽之友社)、お読みかも知れませんがNBSでクライバー、メータ、バレンボイムら多くのマエストロの世話をした著者の目にした愉快なエピソード満載の好著です。92頁のパリの空港にてニックネームの「Speedy!」と澄んだソプラノで呼び止められた著者のエピソードは感涙ものです。よろしければ…。
投稿: Edipo Re | 2021年2月 7日 (日) 23時41分
Edipo Re さん、「マエストロ、ようこそ」のご案内ありがとうございます。
音楽の友での連載を一部覚えてましたが、広渡さん、そのようなお方だったのですね。
澄んだソプラノ、ですね!
さっそくネットで、ポチろうとHMVを見て、次にamazon様を見たら素晴らしいレビューを拝読しました!
とても参考になりました。
ついでに過去レビューも拝見しちゃいましたが、映画「タイムマシン」、学生時代にテレビで見て、ずっと気になってて、昨年、DVDを入手しました。
あれは、ステキなSFです、甘い恋愛模様もあって!
思い出すのは昔のことばかり。
ですけれども、前を向いてがんばりましょう、と思う昨今です。
投稿: yokochan | 2021年2月10日 (水) 08時51分
手術室入り直前でまさかの発熱。ドタキャンで留め置きと相成りました。幸いPCR検査は陰性でしたがしばし病室待機で。またスマホでYou Tube三昧を決め込みます。当然ながら8〜9日はフレーニ三昧でした。
Amazonへの数々の拙レビューがお眼に留まり汗顔の至りです。やはり想い出を呼び覚ますことで前途に何らかの光明を見出せればと、柄にも無いことを考えていないでもないのですが…。
投稿: Edipo Re | 2021年2月10日 (水) 19時56分
発熱とのこと、しかし陰性でなによりでした。
わたくしもyotubeをよく見ますが、最近は、タモリの空耳アワーで惜しげもなく笑って過ごすことが多いです。
いやなこと、モヤモヤすることばかりで、音楽と笑いが癒しであります。
がんばりましょう!
投稿: yokochan | 2021年2月15日 (月) 11時17分