レヴァインを偲んでワーグナー&マーラー
季節は思い切りめぐってきて、関東の南はもう桜が満開。
今年は早すぎて、なんだか知らないが慌ててしまう日々。
ある早い朝に、増上寺の桜を見てきました。
そして、その数日前に、忘れたようにジェイムズ・レヴァインの訃報が飛び込んできました。
2021年3月9日に、カリフォルニア州パームストリングスの自宅で死去。
心肺停止で見つかり、死因は不明ながら、長年パーキンソン病を患っていたので、それが要因ではないかと。
バーンスタインやプレヴィンに次いで、アメリカが生み出したスター指揮者で、しかもオペラ指揮者。
でも、ここ2年ぐらいは、名前を出すことも憚られるくらいに、スキャンダルにまみれ全否定されてしまった。
この訃報も、音楽関係団体からは少なめで、スルーしているところがほとんど・・・・・
ホームページに大きく載せているのは、メトロポリタンオペラのみ。
あとは、一時、音楽監督を務めたミュンヘン・フィルがSNSで伝えてるのみ。
それとバイロイト音楽祭のホームページにも、死去の知らせが淡々とのってます。
ミュンヘンのあと、小沢の後に就任したボストン響のサイトやSNSにはまったくナシ。
ラヴィニア音楽祭などで関係の深かったシカゴ響もまったくなし、フィラデルフィアもなし。
ヨーロッパでも、ウィーンフィルもベルリンフィルも、一切触れてません・・・
このように音楽関係からの扱いは寂しい限りで、アメリカ各紙もさほど記事は多くないですが、ニューヨークタイムズなどは、その生涯と功績、そしてスキャンダルとを詳細に書いてました。
「彼のキャリアは性的不正の申し立てをめぐるスキャンダルで終わった」と書かれてます。
一時代を築いた大音楽家が、最後の最後で、しかも過去のことを掘り返されて、名声に傷がつき、ネグレクトされたあげくに病とともに生涯を終える・・・・
私は、音楽生活をレヴァインの全盛期とともに過ごした部分もあって、こんな終わり方は気の毒だし、不合理だと思う。
1回分の記事を割いて、私が聴いてきたレヴァイン、ワーグナーとマーラーに絞って思いを残しておきたい。
レヴァインの基本はオペラ指揮者であったことと、ピアノの名手でもあったことから、歌と合わせものに特性があったこと。
1971年5月に「トスカ」でメットにデビュー。
この時の歌手が、バンブリーにコレッリですから、大歌手時代を感じさせます。
70年代は、オペラは歌手の時代から指揮者の時代に、その在り方も変わりつつあった頃。
メットの首席には73年、音楽監督には76年になります。
1975年に、メトロポリタンオペラが始めて日本にやってくるとのことで、大いに話題になりまして、その時の指揮者のひとりが、名の知れぬ人で、ジェイムズ・レヴィーンとかパンフレットには書いてあり、高校生だったワタクシは、は?誰?と思ったものです。
結局は来日しなかったのではないかな、たしか。
メットに文字通り君臨したレヴァインは、2018年に解雇されるまで、85のオペラを2552回指揮しております。
最後のメットでのオペラピットは、2017年10月の「魔笛」。
最後のメットの指揮は、2017年12月2日のヴェルディ・レクイエム。
そのレクイエムの演奏のあと、その晩に、1968年レヴァイン・ナイトと称する秘会で、性的な辱めを受け、長く続いて死のうとまで思った、として4人の男性から訴えられるのでした。
メット側も、調査をして事実認定を取り、レヴァインを解雇、それを不服として任期分を賠償請求したレヴァインの要求額は580万ドル。
日本円で6億ぐらい?
2019年には、メット側が350万ドルを支払うことで和解してます。
若い頃は、そんなに太ってなかったのに、巨漢になってしまったレヴァイン。
転倒して怪我したり、坐骨神経症にさいなまれていたあげく、パーキンソン病であることも判明。
メットの指揮では、車椅子から乗れる特製の指揮台で、カーテンコールも舞台に上がれず、ピットから歌手たちを賛美する映像が見られるようになりましたし、キャンセルでルイージや、ほかの指揮者に譲ったりの状況でした。
そんなわけで、長いメットでのキャリアの全盛期は、2000年の始めぐらいまでだと思います。
メットとのオペラ録音・映像は、ともかく数々あり、あげきれませんが、私はワーグナー。
DGとの蜜月が生んだ録音と別テイクの映像作品が、「ニーベルングの指環」でありまして、スタジオで真剣に打ち込んだ録音はオーケストラとしても大いに力が入っていて、その充実した歌手たちとともに、精度が極めて高いです。
音色はともかく明るく、ゆったりとした河の流れを感じさせる、大らかな語り口が、ワーグナーの音楽をわかりやすく、説明的に聴かせる。
ドイツの演奏家では、決してできない、シナマスコープ的なワーグナーは痛快でもあり、オモシロすぎでもありました。
メットでのシェンクの具象的・伝統的演出とともにセットで楽しむべきリングなのかもしれない。
ベーレンスとモリスが素晴らしい。
レヴァインは、バイロイトでもキルヒナー演出の「リング」を5年間指揮してますが、音楽はそちらの方がさらに雄弁で、つかみが大きい。
自家製CDRで聴いてますが、歌手はメットの方が上、オケはバイロイトの方がいい。
同じことが「パルジファル」にも言えます。
バイロイトで通算10年もパルジファルを指揮した記録を持つレヴァインですが、クナッパーツブッシュばりのゆったりとしたテンポながら、細部まで明快で、曇りないよく歌わせるパルジファルは、バイロイトのワーグナーファンには新鮮に響いたのです。
メットでのCD録音も、リングと同じことが言えますが、わたしにはドミンゴとノーマンがちょっと・・・・
メットでのレヴァインのワーグナー、タンホイザー(2015)、ローエングリン(1986)、トリスタン(1999)、マイスタージンガー(2001、2014)、リング(1989)、ラインの黄金(2010年)、ワルキューレ(2011)、パルジファル(1992)。
これだけ映像作品を持ってますが、いずれも水準は高いです。
演出もオーソドックスで、お金のかけ具合もゴージャスでメットならでは。
あと、オペラでは、若い頃のヴェルディをよく聴きました。
「ジョヴァンナ・ダルコ」「シチリアの晩鐘」「運命の力」「オテロ」ぐらいで、あとは少々食傷気味。
イタリアオペラにおける、レヴァインの生きの良さと活気みなぎる棒さばきは、70年代はクライバーと並ぶような感じでしたよ。
レコードで一部そろえた、レヴァインのマーラー。
CD時代に、まとめて他の番号も入手し、エアチェックの「復活」もあるので、あとは「8番」だけでした。
これもまた70年代の、「新時代のマーラー」と呼ばれたレヴァインのマーラー。
オペラを親しみやすく、聴きやすく指揮する手法でもって、ゆったりとした間合いをもって作り上げたマーラー演奏。
バーンスタインの自分の側に引き寄せ自己心情とともに感情を吐露してみせたマーラーと対局にあるような、客観的かつ豊穣なサウンドにもあふれたマーラー。
さきにふれたレヴァインのワーグナーと同じく、旋律線主体にわかりやすく、複雑なスコアを解きほぐしてみた感じで、だれもが親しみを感じ、嫌みを持つことがないだろう。
深刻さは薄目で、これらのビューティフルなマーラーは、これはこれで存在感がある。
加えて、当時、マーラーには積極的だったシカゴ響と、マーラーにはそうでもなかったフィラデルフィアを指揮しているのが大きい。
オケはべらぼうに巧い!
当時、アバドとシカゴのマーラーとともに、アメリカオケにぞっこんだった自分が懐かしく、アメリカという国の途方もない力と自由の精神にほれ込んでいたものです。
今聞くと、録音のせいか、金管が耳にキツイが、このあたり今後リマスターして欲しいが、難しいでしょうね・・・
ところが、1番と6番を担当したロンドン響も実によろしくて、アメリカオケに負けてないし、レヴァインとの一体感をこちらの方が感じたりもする。しかもロンドンの方が録音がいい。
オペラ以外の指揮の音盤も数々ありますが、ブルックナーとは無縁だったレヴァインです。
ウィーンフィルとのモーツァルトも素敵なものでした。
交響曲もいいが、「ポストホルン」が好き。
ウィーンフィルから愉悦感にあふれた演奏を労せずして引き出したレヴァイン。
バイロイトとともに、ザルツブルクの常連となり、ウィーンフィルといくつものオペラを上演しました。
「魔笛」「イドメネオ」「ティト」「フィガロ」「ホフマン物語」「モーゼとアロン」などを指揮。
オーケストラコンサートでも常連でしたが、ザルツブルクデビューとなった1975年のロンドン響との「幻想交響曲」を今でも覚えてます。
カセットテープは消してしまったので、あの時の演奏をもう一度聴きたい。(でも難しいだろうな)
最後に、マーラーの10番の最終場面を鳴らしつつ、レヴァイン追悼記事をここまでにします。
あとはグチです。
オバマ政権時代から横行しだした、アメリカのキャンセルカルチャー。
歴史の流れを無視したかのように、遡って、あれは間違いとレッテルを押す。
伝統や文化も間違えとして消す。
244年の歴史のアメリカでそれをやると、限りなく該当者が噴出する。
さらには、その前建国前史にまで遡って、しいては黒人差別へと結びつけて、過去の人物を否定していく風潮が激しい。
BLMの名のもと、建国の英雄たちの銅像が倒され、「風と共に去りぬ」まで上映封印、もっともっと拒否られてます。
歴史の経緯でいまある現在と社会、そこに普通に適合してきた、各民族のことをなおざりにしてないか?
多民族国家として大国になったアメリカの本質が揺れ動いているのは、こうした、アメリカを愛し適合してきた多国籍の人々のことを無視して、あんたら虐げられてきたんだよ、とうそぶいた連中がいて、彼らの狙い通りに、アメリカがいまおかしくなってしまったことだと思う。
心の奥底にあるものを、無理やりに引っ張り出してしまうのは、共産主義の常套だろう。
アメリカは完全にやられてしまった。
それに歯向かい、本来の自由で力強いアメリカを目指したトランプは、葬り去られてしまい、操り人形のような大統領が誕生した。
レヴァインの過去のことは、完全なる過ちで、被害者として手をあげた方々には落ち度もないと思います。
しかし、半世紀前のことを芸術の晩年を迎えていた人に、犯罪としてぶつけるのはどうだろうか?
そりゃ、やったものは悪いが、永遠に許されないのか、死んでも名誉は回復できないのか?
人間だれしも、過ちや言いたくない秘密はありますよ。
レヴァインが、白人でなかったら、メットで超長いポストを独占してなかったら、もしかしたらこんなことにはならなかったかも。
そして、なによりも言いたい。
アメリカの現某大統領や、その息子。
C元大統領とか、いろんなセレブたちの、あきらかな忌み嫌うべき風説の数々、それは人道上許されざるをえないものも多々。
それを明かそうとした人々の声が抹殺され、なんたってその連中はのうのうとしている。
どうせやるなら、責めるなら、そうした連中も、過去を暴いて、徹底的に凶弾すべきではないのか!
憧れたアメリカの自由と繁栄、民主主義の先生としての存在が、完全に消え去ったと認識したこの1年だった。
この流れは、日本にも確実に来る。
レヴァインの死に思う、アメリカの終焉。
こんなはずじゃないよ。
アメリカの復活を切に望む!
あわせて日本は日本であって欲しい!
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コメント
彼も鬼籍に。最晩年があれで。彼のパルジファルの演奏時間はトスカニーニの次に遅くクナ、ショルティよりも遅かったと言う。メトロ歌劇場の演奏水準必ずしも高く無かったのを、ヴィーンの次に入れられる水準に挙げたのは彼ですからね。ピアニストの彼は、アンサンブル・ヴィーン=ベルリンを思い浮かべます。指揮は、WPhとのダフニスとクロエ、そしてベートーヴェン ミサ・ソレムニス、ラヴェル ダフニスとクロエ、フィラ管とのマーラー交響曲第10番を。
投稿: Kasshini | 2021年3月27日 (土) 05時35分
Kasshiniさん、こんにちは。
レヴァインの半世紀近くにわたるメットでの指揮は、この劇場の水準引き上げと、世界のメットともいえるシステム作りに大いに寄与しました。
わたしは、ワーグナー、マーラー、モーツァルトにヴェルディの数々、大いなる遺産だと思います。
ウィーンのダフニスは未聴でして、気になるところです。
投稿: yokochan | 2021年3月27日 (土) 10時04分
またお邪魔致します。あれからレヴァインのこと、色々思い出していました。実演は3回だけでしたが、メトの舞台はLDでかなり観ました。「タンホイザー」「ローエングリン」「トロイ人」「ラ・ボエーム」等々、あの時代の映像ソフトとして貴重でした。音盤も随分聴きましたが、マーラーは5番をいち早く輸入LPで買ったものの直後にアバドが出て、同傾向と云うか新時代のマーラーとしては格が違う感を抱きました。むしろDGに入れた「惑星」やサン・サーンス3番、バルトークなどにレヴァインの屈託の無さが長所となっていたかと。
それにしても以前にも申しましたが、世が世であればフルトヴェングラーやクレンペラーもいかなる指弾を受けたことやら。またパワハラでトスカニーニも。まともに浴びて失意の晩年を過ごした点で似ていたのはユージン・グーセンスでしょうか。まあグーセンスは空港で現行犯でしたし、ビーチャムのように手を差し伸べる人がいたのが辛うじて救いだったのかも。
日米ともに先行きの不確かさには暗然とさせられます。かと言って前大統領のやり口に輝かしい未来があるとはまるで考えられませんでしたが。"Quo Vadis(何処へ)"と呟くのみで…。
投稿: Edipo Re | 2021年3月27日 (土) 10時15分
レヴァインの音楽にはとても楽しい思い出と少し残念な思い出があります。メトの来日公演で年月日を忘れてしまいましたが、モーツアルトのコシ・ファン・トゥッテを実演で聴いたのは最上の思い出です。確か、新聞評でも絶賛されていました。CDでは学生時代に買ったマーラーの5番の交響曲が明るくて明澄で、何回も聴きました。こういうマーラーも私は大好きです。モーツアルトの交響曲全曲のCDを持っていますが、29番とか34番の交響曲、またハフナー、リンツ、39番なども音の流れが最高だと思います。今でもよく聴きます。ウイーンフイルが生当な理由なくして、レヴァインにモーツァルトの交響曲をまかせる訳もないと全集を購入したのですが、私には大切な全集です。
少し残念なのは、メトとの「フィガロの結婚」。抜粋版でしか聴いていませんが、名歌手をそろえているのに、どうも人工的な感じのアコーギクや節回しでこれは、本場物に一歩譲る感じでした。
犯したことはそれとして、晩年の寂しさには心から哀悼の意を評します。私は、大ファンではなかったかもしれませんが、逝去後の朝日新聞の女性の追悼記事には、皮相的だと強く失望したことを付記します。
投稿: beaver | 2021年3月27日 (土) 19時40分
Edipo Reさん、レヴァインの実演には接することがありませんでした。
なんたって、METで来るとチケットがバカ高いので。。
しかし、わたしも映像では、LD時代よりたのしみましたし、昨年来のネットストリーミングでは膨大な数のレヴァインの指揮を観劇することができました。
なにより、METの聴衆から愛されているのがよくわかります。
アメリカの過度のポリコレ運動は、故人をも標的になってますので、この先いやな予感しかしませんが、ご批判はあるかと存じますが、アメリカの伝統を守ろうとしていたのが前大統領であることは事実だと思います。
マスコミのレッテル貼りは恐ろしいと思ってます。
投稿: yokochan | 2021年3月29日 (月) 08時52分
beaverさん、レヴァイン&METのコジを観劇されたのですね。うらやましいです。
私は、一度もレヴァイン氏の実演に接することがありませんでした。
ゴージャスキャストもありますが、常にチケットが高額で。
しかし、一度だけ、レヴァインが転んでしまい、来日が出来ずエッシェンバッハが指揮をしたワルキューレを観ることができました。
レヴァインのモーツァルトは、ご指摘のとおり、ウィーンフィルの魅力もあって、ほんとに素敵なものでした。
交響曲は全曲は揃えませんでしたが、かなり集めました。
フィガロが残念な内容の様子ですが、聴いたことがありませんので、一度チャレンジしたいです。
あとは魔笛が映像とともに記憶に残すべき名演かと思います。
訃報を伝えるメディアの在り方も、右へ倣えだし、その音楽を素直に讃えるものがないことに残念な思いがします。
投稿: yokochan | 2021年3月29日 (月) 09時00分
yokochan様
臍曲がりなコメントを‥と仰るかも知れませんが、私めはRCAやEMIにCBSに録音していた頃の、レコーディング・キャリアとしては初期のレヴァインが、比較的好きですね。叩き上げの経歴で築き上げ練り尽くしたオペラ全曲盤、『シチリアの晩鐘』、『ジョヴァンナ・ダルコ』、『運命の力』、『オテッロ』の一連のヴェルディ、ジョルダーノ/『アンドレア・シェニエ』、マスカーニ/『カヴァレリア‥』等のヴェリズモ物、いずれも名品揃いです。
シカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ロンドン交響楽団を振り分けた、マーラー交響曲集も、今聴き直してもこの作曲家ヘの適性を感じさせる、作品の本質を描き損ねる事の無い範囲内で、表情たっぷりに御自身のマーラー像を、存分に描き切って、素晴らしい録音でした。
やはり、『これから天下を取るぞ。』と上昇気流に乗った時期の演奏が、真に優れているのでしょうか。
投稿: 覆面吾郎 | 2023年11月11日 (土) 21時51分
わたしもレヴァインの真骨頂はRCA時代とDG時代初期だと思います。
あと、EMIへの若い時期のロッシーニなどもいいですね。
ヨーロッパへの進出も、やはり本場への畏怖とやる気が感じさせる初期のころならではかと!
投稿: yokochan | 2023年11月25日 (土) 09時24分
yokochan様
レヴァインのマーラー『第8・千人‥』は、かなり以前の『レコード芸術』誌のどこかの外資系チェーン店の広告に、シカゴ交響楽団の自主制作盤セットに、含まれて載っていた記憶があるのですが‥。
コンサート・オーケストラの常任は、ミュンヘン・フィルとボストン交響楽団のそれを少しお務めになったのみで、録音活動以外は純然たるコンサート活動は、ヨーロッパ各国のそれへの客演以外、それほどではなかったのでしょうか。どなたかお詳しいお方に、ご教示いただきたいですね。
投稿: 覆面吾郎 | 2024年4月24日 (水) 09時14分