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2021年9月25日 (土)

マーラー 交響曲第10番

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日はたってしまいましたが、9月9日は「重陽の節句」で、旧暦でいくと10月の半ば、その頃の旬のお花は「菊」。
5つあるお節句の最後にあるための行事で、この菊が使われたとのこと。
菊は、邪気を払い、長寿の効能があるとされたところから、重陽の節句でも邪気退散と長寿の願いを込めるとされているのだそうです。

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この日の東京タワーも、6色のカラーで、重陽の節句を祝うライトアップがなされました。

おりからの曇天。

低い雲に、タワーのてっぺんのオレンジ色の光が反映して、とても幻想的なのでした。

マーラー10番、自分のなかで、より理解を深めるため、たくさん聴き、自分のためにもまとめてみました。

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ベルクの「ルル」は、1935年のベルクの死により未完なり、残された3幕は、未亡人の反対を無視するように、密かに補筆完成され1979年に初演された。
その24年前の1911年、マーラーは10番の交響曲の総譜をスケッチ状態でをあらかた残しながら、51歳で亡くなる。
マーラーはアルマに、残したスコアを焼却処分するように言い残したとされますが、アルマはそうはせずに保有した。
このアルマの判断に、われわれ後世の愛好家はどれだけ感謝すればいいんだろう。

1924年、全楽章の自筆資料が出版。

アルマは、クルシェネクに補筆完成を依頼し、1楽章と3楽章だけが完成。

アメリカ人のカーペンターが1949年に全曲を完成、その後6稿まで修正を重ねる。

イギリス人ジョー・フィーラーは、1955年に補筆完成、さらに4稿まで進め、没したあとも第3者が新稿を96年まで手を加える。

イギリスの音楽学者、デリック・クックが、マーラー100年に向けた小冊子作製と10番のお試し演奏的なものにむけた補筆をBBCから1959年に依頼を受ける。
ゴルトシュミットの助けを受け着手してみると、全曲の補筆が可能とわかり、この際全編完成させることとなった。
1,3,5楽章を全曲、2,4楽章は欠落があったので解説でつなぎ、BBCでフィルハーモニーア管の演奏で放送。
しかし、お試しで始めた経緯もあり、存命だったアルマの了解は取っておらず、アルマは再度の演奏を禁じる差し止めを行う。
クックは継続して欠落部を完成させ、1963年指揮者ハロルド・バーンズらが、ニューヨークに住むアルマのもとへ、BBCで放送されたテープと完成された版を持って訪問。
これを聴いたアルマは感激し、さらに終楽章をもう一度聴いて、素晴らしいと感嘆したという。
晴れてアルマの諸諾を得たクックは、全曲演奏可能な第2稿を完成させ、1964年ゴルトシュミット指揮ロンドン響で世界初演。
アルマは、その年の12月に亡くなります。
さらに1972年、クックは第3稿を完成させ、モリス指揮ニューフィルハーモニア管でレコーディングもされた。
クックは1976年に没するが、ゴルトシュミット、コリン・マシューズ、デヴィット・マシューズの3人が、1989年にクックの意匠を受け継ぎ修正を加え第3稿第2版を完成させ、いまのところ、この版が10番のスタンダードともなっている。

クックの初版を聴いて、大いに関心を抱いたアメリカの音楽学者レモ・マゼッティは、一時カーペンターにも協力していたが、喧嘩して自身の手で86年にマゼッティ版を完成。89年に初演、さらにその後マゼッティ第2版が出る。

2000年、ブルックナーの9番を補筆完成させた、二コラ・サマーレとジュセッペ・マッツーカの二人による版が完成。

⑦カステレッティによる室内オケ版、若いユダヤ系指揮者ヨエル・ガムゾウ版など、まだまだ新しい版が出てくる状況。

今回、全部は揃え、聴くことはできなかったけれど、作者亡くなって110年、こうしてまだ新しく耳に響く版が登場する可能性のある曲、なんて夢があるんでしょう。
それもこれも、原曲のマーラーの筆が素晴らしいからです。

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1907年末、ウィーン国立歌劇場を追われ、ニューヨークへ出向き、メトロポリタン歌劇場で活動するようになる。
このとき、千人交響曲も完成するが、この滞在中にマーラーは、忘れえぬ体験をする。
火事で殉職した英雄的な消防士の葬列を、ホテルの高層階の窓から見聞きすることとなった。
軍人などへの弔意は、空砲を打って示す場合があるが、ニューヨークの街中では、それはできず、大太鼓に布をかけて鳴らした。
それを見て、聴いたマーラーは涙したそうだ。
アルマの著作によると、「消音を施したドラムの短い響きの印象はマーラーの心に焼き付いて、のちの10番の交響曲に使われることとなった」とされます。
4楽章の最後と、5楽章の冒頭での大太鼓の一撃。
補筆完成版が、前述のとおりまとめてはみたものの、いまだによく把握できてないワタクシですが、太鼓を省略したり、太鼓のたたき方も版によってそれぞれ。
漫然といつも聴いてしまう自分なので、版による違いなんて、ここに詳細は説明できませんです。

消防士追悼の太鼓を聴いたのが1908年2月、春・夏はヨーロッパで「大地の歌」を作曲、秋・冬はアメリカのシーズンでオペラとニューヨークフィル。
翌1909年の夏には、トプラッハで第9交響曲をだいたい仕上げ、秋にニューヨークで完成。
こんな風に、半年交代でヨーロッパとアメリカを行き来し、忙しい指揮活動と作曲活動を併行していた。
1910年夏、同じようにトプラッハで10番の作曲を始め、9月には千人交響曲の初演の指揮を行い大成功。
その年の夏に、10番の作曲に挑んでいた頃、アルマは建築家グロピウスに出会っていた。
グロピウスはアルマに求愛し、マーラーのもとに帰っていたアルマを追ってやってくる。
二人の関係を悩み苦しんでいたマーラーは、多忙もたたり体調もすぐれず、フロイトの診断を受けたりで心労は多大であったろう。
10番の完成はそのままに、アメリカに戻り、ニューヨークフィルとの演奏に埋没するが、1911年2月敗血症により倒れ、4月にパリを経由してウィーンに帰宅。
5月18日死去。

今回、こうしてマーラーの最後の4年ぐらいを紐解いていて、悲しくなりました。
全霊を込めて作曲し、指揮をし、そして妻を愛したマーラー。
第三者の手を経たとはいえ、マーラーがこんな風に完成させたと思われる10番が、ほんとに愛おしく思えます。

最近聴いた2枚のクック第3稿第2版によるアメリカの演奏をメインに取り上げてみました。

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  マーラー 交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック第3稿第2版)

    オスモ・ヴァンスカ指揮 ミネソタ管弦楽団

          (2019.6 @オーケストラホール、ミネアポリス)

シベリウスの専門家みたいに思ってたヴァンスカさん、ミネソタ管とマーラーシリーズに取り組んでおられた。
不覚にも、この10番が初ヴァンスカ・マーラーでありました。
これが実によろしい。
構えることなく、自然体で、9番のあとにくる10番としてのマーラー作品を、誠実に、全身全霊でもって取り組んでいるのがわかる。
ミネソタ管の労使対立にともなう楽員解雇問題で、辞任して身を挺して抗議したヴァンスカさん、問題決着後、再びミネアポリスに戻り、楽員との結びつきを強めた。
そんな指揮者とオーケストラの信頼の証のような、隙のない緻密かつ、美しい演奏。
手の内に入ったシベリウスの演奏と同じように、シベリウスとはまったく違う音楽のマーラーの語法を完全に納め、音の隅々まで目を光らせ、すべてが効果的に機能している感じで、クック版の代表的な演奏として、いやマーラーの思った10番の姿として万全なものだと思う。
4楽章の最後にちゃんと大太鼓あり、録音も極上でズシンとよく響いてくれる。
(太鼓の音はレヴァインが一番好きだったりします)
ヴァンスカさん、来年の任期でミネソタ管を去るようで、ソウルのオケも兼任中なのでどうなりますか。

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  マーラー 交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック第3稿第2版)

   トーマス・ダウスゴー指揮 シアトル交響楽団

      (2015.11.19~22 @ベロニア・ホール、シアトル)

デンマーク出身のダウスゴーにはまり中。
集中して集めてます、シューベルト全曲に、ブラームスにブルックナー、チャイコフスキーにドヴォルザーク、ワーグナーにシュトラウス、そして同郷のランゴーなど。
BBCスコテッシュの指揮者も務めているので、BBCでの放送も多く、かなり録音して聴いてきたし、2019年の同響との来日では5番の交響曲を聴くことができた。
いつものとおり、速いテンポをとり、ずばずばと切り込みつつ、情念的なマーラーとは一線を画した清冽かつ明快な演奏。
細部への目の通し方も配慮が行きとどいているのもダウスゴーならではで、透明感あふれるなかに、抒情的な場面を見事に引き立てる。
終楽章の最後のカタストロフィのあと、静寂ななかに淡々とあの美しいフルートで奏でられた旋律が流れ、じわじわと感銘が忍び込んでくる。
そして愛の叫びのような弦のユニゾンに思い切り落涙することとなる。
この透徹した演奏の先に、新ウィーン楽派たちの音楽を見ることも・・・・・
こちらも録音がよろしく、シアトル響のCDはすべて高音質優秀録音で、容赦ない大太鼓がドカンときます。
個人的にダウスゴー盤がいまは一番好き。

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・レヴァインはフィラデルフィア管ととんでもなく美しい10番を残してくれた。
いい時期に録音してくれたものです(78、80年クック第3稿1版)

・ラトルは録音がイマイチなベルリンフィルより、若武者ぶりがたくましいボーンマス響の方がいい。
4楽章最後の太鼓はなしだが、カッティングのせいか、5楽章頭にきてる。(クック3稿1版)
ラトルには、バイエルンで再度、ついでにマーラー全曲もやってほしい。

・ザンデルリンクは東ドイツ時代の太くてたくましい演奏だが、独自の解釈もあり、いまでも新しい風が吹いてる感じ。(クック3稿1版)

・インバルは、都響のものは未聴で聴いてみたい。92年録音は以外と無難な感じなので(クック3稿1版)

・ハーディング&ウィーンフィル、この曲の決定的な名演だし、この演奏で私も10番に目覚めた。
ウィーンのオケなところも魅力で、スタイリッシュなハーディングの指揮にもその音色がぴったり(クック3稿2版)

・セガン盤は、気ごころしれたモントリオールの仲間たちと、美にこだわったような演奏。
いろいろ聞いたけど、ちょっとカジュアルに、そしてビューテフルに過ぎるかとも思うようになった(クック3稿2版)

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セガン氏は、長く務めたロッテルダムフィルで、自分の好きなレパートリーを多く取り上げ、DGからアンソロジー的な一組を出しました。
この10番を始め、ブルックナー8番、ショスタコ4番など、重量級の演目。
モントリオールが2014年、こちらのロッテルダムが2016年だが、あまり演奏は変わらない感じ。
わかりやすい音楽を作るセガンらしく、10番の最大公約数的な演奏だけど、ロッテルダムは、映像でも視聴出来て、没頭して指揮する姿やオケの前向きな姿勢などを見ながら聴くとまた違った印象を受けます。

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セガン氏、10番がよっぽど得意なようで、ロッテルダムの翌年、今度はバイエルン放送響で取り上げました。
前半がエーベルレのヴァイオリンでベルク、後半がマーラーです。
こちらは映像で視聴してますが、やはりミュンヘンのオーケストラは素晴らしく、これまでのセガンの演奏の数倍オケが力を与えてます。
オケの優れた機能性を得て、表情豊かにヴィヴィッドな演奏を繰り広げていて、全体に明るさと、暗さと、虚無感、寂寥感、いずれのいろんな感情を披歴してくれるように感じます。
フィラデルフィアでも10番を演奏しているようなので、いずれの日にか、もっとさらに熟した録音を残して欲しいものです。

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クック版を選択しなかった指揮者たちによる演奏。
もうね、こんだけあると、まとめて聴いてもなにがなんだかわからない。
10番漬けの日々から解放されたいので端折ります。

・賑やかでお笑いも含むとされるカーペンター版は未聴。

フィーラー版、オルソン指揮のポーランド放送オケがちゃんと入手できる唯一の存在。
打楽器がいろんなところに(1楽章さえ)顔を出し、戸惑いは隠せないが、存外にマーラーっぽくて、大地の歌と第9の流れに存在する音楽と感じさせる。

・マゼッティ版の第1版は、スラトキンの指揮。
打楽器による補強が多々あり、薄いとされるクック版を分厚さで補った感じだけど、賑々しさも伴うことに。
スラトキン自身の解説による各版の違いの演奏付き解説など、これはとてもありがたい。
セントルイス響が一番うまかった時期の録音(94年)

・マゼッティ版第2版のロペス・コボス&シンシナティ響は2000年の録音。
打楽器の多用を抑制し、こちらはかなり落ち着いた感じになった。
最期のカタストロフィで思い切りシンバル叩き、最後の盛り上がりでもドロドロと太鼓が鳴る、そんな1版より、効果を損ねるものは抑制され、すっきりした感じだ。これは好きかも。
初のリング通し体験をさせてくれたロペス・コボスも、いまは故人となった。
シンシナティ時代のブルックナーやマーラーを聴き返したいと思ってる。
わたしのワーグナー体験の恩人のひとりだ。
そんなことを思い、ラストシーンを聴いてたら泣けてきた、コルンゴルトみたいな感じ。

・サマーレ&マッツーカ版によるジークハルトとアーネムフィルの演奏。
なんたって録音が優秀、でも版はクック版をベースにして、重層化した感じにとどまるかな。
マーラー風と最初は思ってたけど、でも、今回、数回聴いてこれもありだなと思うようになった。
このあたり、演奏の練度によって将来変わってくると思うが、しかし、世の中はクック3-2が主流になっていくんだろうな・・・・

・と思っていたら、出てきたガムゾウ君。
イスラエル出身の若手指揮者で、今年まだ32歳。
23歳のときに、10番のガムゾウ版を作り上げ、2010年に初演。
CDは持ってないけど、2019年8月のブレーメン・フィルとの演奏をドイツ放送のネット放送で録音しました。
こりゃ驚きました。
トランペットソロが、まるでジャジーな吹き方をしてびっくり。
ニューヨークでマーラーはジャズを聴いたのか。。。と思わせるほど。
でも、全体にお遊びは少なめで、かなり真摯なマーラーが出来上がっていて、きっと少年時代からマーラーを聴き、心酔し、一体化してしまったであろうほどの堂に入った補筆稿であると思うし、のめりこんだような熱く夢中の演奏なのだ。
youtubeにガムゾウ氏がカッセルのオケを指揮した10番があがってます。
カメラワークが最悪で、譜面を持たない(読めない?)カメラマンだと思われ、かなりイライラ感が募りますが、若いガムゾウ君の指揮姿が面白い。
汗だくで、ショルダーベルトをしないものだから、白シャツがズボンから丸々出ちゃってる。
見ていて、マーラーもさもあらんと思い、ガムゾウ君の思いが伝わります。
有能な指揮者でもあったマーラーは、指揮者としての作曲家だったので、ガムゾウの見た10番も、今後進化しそうで楽しみです。
 最近のウィーン交響楽団との共演もあり、コロナ禍のこちらはネット配信用のもので、「魔弾の射手」とコルンゴルトの交響曲(緩徐楽章のみ)が視聴できます。
ポロシャツなので、さすがに大丈夫ですが彼の音楽の志向がわかるというものです。

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この思い出深い1枚も大切です。
金聖響さんが、神奈川フィルの常任指揮者だったとき、マーラーチクルスを敢行し、これは全部聴きましたが、オーケストラにとっても団結と成長の礎となったのでした。
財団法人の見直しにより、多くの債務を抱え存続の危機に見舞われた時期にあたりました。
基金を設立し、オーケストラも、われわれ聴き手も毎月、祈るように存続を願いつつ聖響&神奈川フィルのマーラーを聴いたものでした。
併行していろんなことがあったけれど、音楽面における聖響さんとマーラー、そして神奈川フィルのマーラーへの相性は抜群で、そのラストひとつ前を飾る10番クック版の演奏会に、わたくしは、嗚咽するほどに感動の涙を流しました。
2013年2月です。
2014年には楽団存続が決定し安堵しましたが、不安ななかに、希望を見出すようにして聴いた10番のライブが、日本人演奏として初めてCD化され、あの日の感動の縁を手元に残すことができてほんとうに嬉しいのです。
演奏も集中力を切らさない、緊張と力に溢れたもので、あわせて愛にも満ちてます。

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マーラー10番、次はどんな演奏、いやどんな版が出てくるのか?
時代や、いまをめぐる世界の在り方で、マーラーの音楽の感じ方も変化すると思う。
ブルックナーやブラームスでは、そうしたことは起こりえないとも思う。
ワーグナーは演出が付随するので比較が違う。
だが純音楽であるシンフォニストとしてのマーラーは、その音楽に人間の感情や情緒あって、そのうえで交響曲がある。
だからきっと、これからも、われわれの共感をともにするマーラー演奏はあらわれ、進化していくものと思う。

もっとずっと生きて、元気でマーラーを聴いていきたいと思った。

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コメント

クラヲタさま、みなさま、こんばんは。
ワタシも4~5楽章の大太鼓は欠かせない主義で、ラトルらが無し派なのは困惑してしまいます。クック版以外も聴きましたが、第1楽章の末尾あたりで大太鼓がドロドロしだすともうダメ。結局、最初に聴いたインバル/フランクフルトを愛聴しております。演奏も録音もワタシにはこのくらいのクールさが心地好いです。

投稿: アキロンの大王 | 2021年9月26日 (日) 19時11分

アキロンの大王さん、こんにちは。
トラックの切り替わりを見つめつつ、太鼓の音を聴きながら、4~5楽章への移行を確認すること数十枚。
ほんと、ラトル盤は残念ですね。
5楽章で、太鼓がいくつなるかも興味深くて、数えながら聞きましたが、もう途中から訳がわからなくなることしきりでした。
インバル盤、もういちど聞き直してみます。
今回は、ダウスゴー盤が自分にはぴたりときました。

投稿: yokochan | 2021年9月28日 (火) 08時45分

こんにちは。いつもとても面白く読ませて頂いています。とても勉強になります。
すみません、アバドについてクラヲタさんはいつも本当にリスペクト溢れる文章をお書きですが、このマーラーの10番のアバドとベルリンフィルとの演奏はお聞きになりましたか?
もしよろしければ、そのことについても書いて頂ければ嬉しいです。

投稿: よしお | 2021年9月29日 (水) 22時19分

マーラーオタクとしては、どうしても外せないですね。
クックのスコアを所持していて、マーラーがどうこの作品を書いていたのか確認できます。
マーラーの書いたオーケストラ部分は大きな音符、クックが補筆した部分は小さな音符で印刷されているので、一目瞭然。
スカスカなアダージョとバラバラにオーケストレーションされていた第1スケルツォ、ほんの僅かにオーケストラ譜として書かれていた「プルガトリオ」以外は3段譜でオーケストラ・スコアの下に書き添えられており、熱烈なマーレリアンが「未完成」として毛嫌いするのが不思議。
確かに生きていればもっと管弦楽が雄弁なものになったことは間違いありませんが、第9のスコアを見てもわかる通り、第5番から第8番までの分厚い響きのものではなかったでしょう。
こういうことが分かるような仕事をしたクックの仕事ぶり、感動的ですらあります。
ともかく、全曲の下書きが終わっていた第10番は、同じ未完成のブルックナーの第9と同列に考えることはできませんね(サマーレ=マッツッカのフィナーレ完成版、どうしても偉大なブル9のアダージョの後をうけるものとは感じられません!)。
yokochanさんの愛情あふれるそれぞれの版の感想、なるほどと頷かされました。
yokochanさんの集められた第10の音源、僕もほぼ持っています。
商品化されたものでは確かにおっしゃる通り、セガン=ロッテルダムとヴァンスカ=ミネソタが双璧ですね。
ハーディング=ウィーン・フィルではハーディングの若さが第10の“すごみ”に迫り切れていないし、ラトル=ベルリン・フィルはオーケストラの技量が立ちすぎていると感じてしまうのです。
でも、商品化こそされてはいませんが、僕が最高の演奏だと思っているのが、ギーレン=ベルリン放送交響楽団のライヴ。できることなら、商品化され多くの方々に聴いてもらいたい!

投稿: ianis | 2021年9月30日 (木) 18時59分

よしおさん、こんにちは。
アバドの10番はアダージョのみですが、2011年の「大地の歌」の前に演奏されたものを聴いてます。
透明感にあふれた、そして長年マーラーを演奏してきた愛情のようなものを感じます。
85年のウィーンフィルの演奏も好きですが、欲をいえば、ルツェルンでも残して欲しかったと思います。

投稿: yokochan | 2021年10月 2日 (土) 08時57分

ianisさん、まいどです。
さすがです、スコアをお持ちとは!
クックの筆と対比できるというのは凄いですね。
今回の集中聴きで、クックの成し遂げた功績の大きさを痛感しましたし、今後、新たなものが出るににしてもクック版が下敷きになるだろうと思ったりもしました。
ガムゾー君のように、マーラーに同化してしまう人もさらに出るかもしれません。
 ギーレンのSWRとの正規録音は未聴ですが、NHKでエアチェックしたライブは持ってまして、リュッケルトが前半に演奏されてますね。
北ドイツ放送響とのものと記憶しますが、ベルリンだったかしらね?
ゆったりとしたテンポで、マーラーの旅に誘われるような豊かな演奏に思いました。

投稿: yokochan | 2021年10月 2日 (土) 09時09分

北ドイツ放送でした。

ご指摘感謝します。

投稿: ianis | 2021年10月 2日 (土) 10時05分

お返事くださり、ありがとうございます。
ベルリンフィルのはアダージョだけでしたね。失礼しました。
ルツェルンでも聞きたかったというのは、本当に同感です。こんなことを言うと何ですが、もっともっと長生きしてほしかったです。
またアバドについて色々書いてください。楽しみにしています。

投稿: よしお | 2021年10月 3日 (日) 16時10分

今年は桜吹雪の頃から、断続的によく聴いています。第5楽章のフルートソロ以降、また幕切れが桜吹雪にピッタリで。その頃手取り3万で疲弊した心に響いたのも。
アルマ除くマーラーの身近にいた人が言っていた、マーラーの楽観性を存分に引き出した、美しい響きに満ちたレヴァイン盤が好きです。オーマンディも取り上げ、アルマも泣きながら聴いたエピソードも。マラ10はフィラ管と縁深いと思っています。なのでハーディング、ラトルと並びよく取り上げるセガンがフィラ管との正規録音を心待ちにしてる1人です。セガンとフィラ管のマラ8もよかったですし。
ガムゾウ版も再演、再録の度に磨かれてるので注目してます。
最後にフルートやヴァイオリンのソロをボーカロイドに歌わせたのも印象的でした。打ち込み故オケが、と思いつつ、疲れきった時に1番聴きたい1曲です( ´-` ).。oO
https://youtu.be/ME--3-A9hCA

投稿: Kasshini | 2021年10月15日 (金) 00時13分

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