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2023年4月 7日 (金)

シュレーカー 「はるかな響き」夜曲 エッシェンバッハ指揮

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桜満開の小田原城のライトアップ🌸

城内外、お堀の周りも桜満開。

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月も輝き、ロマンテックな夜でした。

Schreker-eschenbach


  シュレーカー 「はるかな響き」夜曲

         「ゆるやかなワルツ」

          室内交響曲

          2つの抒情歌

           S:チェン・レイス

         5つの歌

           Br:マティアス・ゲルネ

         「小組曲」

         「ロマンテックな組曲」

    クリストフ・エッシェンバッハ指揮

     ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

       (2021.3,5 2022.5,6 @コンツェルトハウス、ベルリン)

忽然とあらわれたシュレーカーの音楽の新譜。
しかも指揮が、ばっちりお似合いのエッシェンバッハ。
その濃密な音楽造りと、没頭的な指揮ぶりから、マーラー以降の音楽、さらにはナチスの陥れにあった退廃系とレッテルされた音楽たちには、きっと間違いなく相性を発揮すると思っていたエッシェンバッハ。
いまのベルリンの手兵と、しかもDGへの万全なるスタジオ録音。
シュレーカーファンとしては、そく購入とポチリました。
おりからの急速で訪れた春と咲き誇る桜や花々に圧倒されつつ、連日このシュレーカーの音盤を聴いた。

フランツ・シュレーカー(1878~1934)

自らリブレットを創作して台本も書き、作曲もするという、かつてのワーグナーのような目覚ましい才能のシュレーカー。
10作(うち1つは未完)残されたオペラは、「烙印を押された人たち」「はるかな響き」あたりがレパートリー化している程度だが、全盛期にはドイツ・オペラ界を席巻するほどの人気を誇り、ワルターやクレンペラーがこぞって取り上げた。

さらに指揮者としても、シェーンベルクの「グレの歌」を初演したりして、作曲家・指揮者・教育者として、マルチな音楽かとして世紀末を生きた実力家、だったのに・・・・

ナチス政権によって、要職をすべて失い、失意とともに、脳梗塞を起こして56歳で亡くなってしまう気の毒さ。
その後すっかり忘れ去られてしまったシュレーカー。
作品の主体がオペラであることから、一般的な人気を得にくいのが現状。
交響作品をもっと残していたら、現在はまた違う存在となっていたかもしれない。

強烈な個性は持ち合わせておりませんが、しびれるような官能性と、その半面のシャープなほどの冷淡なそっけなさ、そして掴みがたい旋律線。
どこか遠くで鳴ってる音楽。

過去記事を引用しながら、各曲にコメント。

①「はるかな響き」の夜曲は、オペラ2作目で、いよいよ世紀末風ムードの作風に突入していく契機の作品。
3幕の2場への長大な間奏曲。
はるかな響きが聴こえる芸術家とその幼馴染の女性、それぞれの過ちと勘違い、転落の人生。
毎度痛い経歴を持つ登場人物たちの物語が多いのもシュレーカーの特徴。

夜にひとり悲しむヒロインの場面で、これまた超濃厚かつ、月と闇と夜露を感じさせるロマンティックな音楽であります。
鳥のさえずる中庭の死を待つ芸術家の部屋への場面転換の音楽で、ヒロインと最後の邂逅の場面。
トリスタンの物語にも通じるシーンであります。
エッシェンバッハらしい、濃密な演奏は、かつてのシナイスキーとBBCフィルのシャンドス盤があっさりすぎて聴こえる。
オペラ「はるかな響き」過去記事


②「ゆるやかなワルツ」
ウィーン風の瀟洒な感じの小粋なワルツ。
小管弦楽のために、と付されていて、パントマイム(バレエ)「王女の誕生日」との関連性もある桂作です。
クリムト主催の芸術祭でモダン・バレエの祖グレーテ・ヴィーゼンタールから委嘱を受けて作曲された「王女の誕生日」。
原曲も美しい組曲ですが、この繊細なワルツも美しく、演奏もステキなものでした。
(「王女の誕生日」過去記事)

③「
室内交響曲」
「烙印された人々」の前ぐらいの時期で、わたくしの大好きなシュレーカー臭満載の濃密かつ明滅するような煌めきの音楽。
文字通り室内オーケストラサイズの編成でありながら、打楽器各種はふんだんに、そしてお得意のピアノに、チェレスタに、ハルモニウムが通常ミニサイズオケに加わっている。
 連続する4つの楽章は、いろんなフレーズが、まるでパッチワークのように散り交ぜられ、それらが混沌としつつも、大きな流れでひとつに繋がっている。
オペラ「はるかな響き」と「音楽箱と王女」に出てきたような、これまでのオペラの旋律が何度か顔を出す。
エッシェンバッハの作り出す煌めきのサウンドは、とりとめなさと、醒めた雰囲気と、輝かしさとが綯い交ぜとなったこの音楽の魅力を引き立てているし、オーケストラも緻密だ。

④⑤「ふたつの抒情歌」「5つの歌曲」
初聴き、もしかしたら初録音のオーケストラ伴奏の歌曲で、これはこのアルバムの白眉かもしれない。
まだ聴きこみ不足だが、くめども尽きない世紀末感に満ちた濃密な歌曲集。
この時代、数多くの作曲家がホイットマンの詩に感化され歌を付けたが、「ふたつの抒情歌」はホイットマンの「草の葉」につけた歌曲で、1912年の作曲。
「5つの歌曲」は1909~22年の作で、アラビアンナイトに基づく原詩への歌曲。
ともに初なので、まだ詩と音楽、つかみ切れてませんが、ともかく美しくて深くて、味わいが深い。
これが歌手の力も強くて、チェン・レイスのヴィブラートのない美しいストレートボイスがえも言われぬ耳の快感をもよおす。
レイスさんは、イスラエル出身で、いま大活躍の歌手だけど、ずいぶんと前、「ばらの騎士」のゾフィーを聴いてます。
はい、美人です。
 M・ゲルネの深いバスによる5つの歌曲も、濃厚で味わい深く神々しいまでの声で、作品が輝いてる。
夜ふけて、ウィスキーをくゆらせて音量を抑えて聴くに相応しい静かでロマンテックな歌曲だった。

詩の内容とあわせて、もう少し掘り下げたい歌曲集でした。

⑥「小組曲」
1928年のシュレーカー後半生の終盤の作品。
オペラでは、もう人気も低下し、未完も含めると最後から3作目「歌う悪魔」は今にいたるまで上演記録はほんの数回で、音源もなし。
ラジオ放送局から、国営ラジオ放送用の新しい音楽を作曲するよう依頼された。
室内オーケストラのためのシュレーカーの小組曲は、放送マイクの限界を念頭に置いて作曲され、電波上でおいて初演された作品で。
これまではあまり例のないの音楽演奏と初演の試み。
しかしこの後、シュレカーのキャリアが下り坂になるとは本人も思うこともあたわず。
失敗したオペラ、出版社との契約のキャンセルや国家社会主義者からの政治的圧力、そしてベルリン音楽大学の作曲教師の辞任やほかの役職の辞任により、このあと数年で彼の人生は終了。
 こんな苦境の時期の作品は、表現主義的で、とっきも悪く、室内オケへの作品ながら、数多くの打楽器、ハープ、チェレスタなどの登用で多彩な響きにあふれてます。
そんな雰囲気にあふれた「小組曲」、シュレーカーがこの先、どんな作風に進んでいくかの指標になるような作品。
でも、後続の少しの作品だけでは、シュレーカーの「この先」は予見することができない。
いまでは死が早かったシュレーカー、その後を期待したかった。

⑦「ロマンテックな組曲
4編からなる1902年の作品。
オペラで言うと初作の歌劇「炎~Flammmen」の前にあたる初期作品。
歌劇「炎」は、室内オケを使いシュトラウスの大幅な影響下にあることを感じさせるものだったが、この組曲は、どちらかというと、のちの「遥かな響き」の先取りを予感させるし、シェーンベルクやウェーベルンの表現主義的なロマンティシズムを感じさせる桂品。

 Ⅰ.「牧歌」
 Ⅱ.「スケルツォ」
 Ⅲ.「インテルメッツォ」
 Ⅳ.「舞曲」

27分ぐらいの「ロマンティックな小交響曲」ともいえる存在。
ウェーベルンの「夏風・・」風な「牧歌」に濃厚でシリアスな雰囲気のシャープな味付けでどうぞ。
スケルツォは、大先輩シューベルトを思わせる爽快さもありつつほの暗い。
インテルメッツォは、以外にも北欧音楽のようなメルヘンと自然の調和のような優しい雰囲気。
最後の舞曲は、快活で前への推進力ある、シンフォニエッタの終楽章的存在に等しい。

こうした作品には軽いタッチで小回りよく聴かせることのできる器用なエッシェンバッハ。
2枚組のこの大作CDのラストを飾り、爽やかさををもたらせてくれました。

ベルリン・コンツェルトハウス管は1952年創設の旧東ベルリンにあった、あのザンデルリンクのベルリン交響楽団です。
4年前からエッシェンバッハが首席で、次の首席はヨアナ・マルヴィッツが決定している。
ちなみに今のベルリン交響楽団は、旧西ベルリンにあったオケがその名前のまま存続している団体。
両オケとも、5~6月に来日するようで、ともに見栄えのしないプログラムでございます。

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 独墺のこの時代の作曲家の生没年

  マーラー      1860~1911
  R・シュトラウス   1864~1949
  シリングス     1868~1933
  ツェムリンスキー  1871~1942
  シュレーカー    1873~1934
  シェーンベルク   1874~1951
  F・シュミット          1874~1939
  ブラウンフェルス  1882~1954
  ウェーベルン    1883~1945
  ベルク       1885~1935
      シュールホフ    1894~1942
      ヒンデミット    1895~1963
  コルンゴルト      1897~1959
      クシェネク     1900~1991

 以下、ヴェレス、ハース、クラーサ、アオスラー、ウルマン等々

私が音楽を聴き始めた頃には、こんな作曲家たちの作品が聴けるようになるなんて思いもしなかったし、その存在すら知るすべもなかった。

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音楽を聴く方法、ツールの変遷とともに、世界のあらゆる情報が瞬時に確認できるようになりメディア自体が変化せざるを得なくなった。

高校時代をこの城下町に通って過ごし、駅前にあった大きな本屋さんで毎月レコード芸術を購入して、食い入るように読んでいた。
どんなレコードがいつ発売されるか、それがどんな演奏なのか、海外の演奏会、新録音のニュース、ともにレコード芸術が頼りだった。

そのレコード芸術が今年7月で休刊となるそうだ。
時代の流れを痛感するとともに、感謝してもしきれない思いを感じます。

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コメント

yokochan様、シュレーカーに関しては先にコメントさせていただいたコルンゴルト以上に「はるかな響き」でしかなく、あえて語ることも出来ませぬ。年の残りでいささかなりとも近づけるか心許ないのですが「レコード芸術」誌に関して少々。

ちょうど半世紀前から定期購読しここ数年はレコードイヤーブックの付く新年号のみでしたが、思い出すのは’74年のこと。当時盛んにジャズを含む評論をあちこちでものしておられた某私大教授K.Y.氏のストラヴィンスキーなどに関するレコ芸誌への寄稿に当方が読者欄で噛み付いたのでした。

すると翌月の読者欄に当方の愚見に賛同する投稿が複数。更にはこれも今はない「スイングジャーナル」誌にも飛び火し、K氏は今で言う炎上状態になったとやら。

数年後、K氏の同僚に当たる大学教授と知遇を得、その際の顛末をお話したら
「あぁ、君が火付け役だったのか。いや随分落ち込んでたんだよ、彼は」と聞き大いに恐縮いたしました。またそのすぐ後、これも今は無い渋谷ヤマハのレコード売場で偶然K氏と遭遇し、当方はお顔を存じていましたが先方はこちらをご存知のわけもなくそらっトボケてやり過ごしました。その後K氏は比較的早く他界されましたが、妙な思い出として心の奥底に沈殿しております。

まあ個人的な思い出はさておき、我々のごとき存在こそがレコ芸誌を支え続け、かつまた窮地に追いこんでしまったのではないかと自問自答いたしております。定期的な刊行は不可能としても、レコードアカデミー賞を含め他誌との合流を含めて何らかの形での存続を期待するのみで…。

投稿: Edipo Re | 2023年4月11日 (火) 21時14分

この辺りだとヴェレスに最近興味が向きつつありますが、yokocanさんのを読んで、結局チェン・レイスの録音と合わせ技で買うのかなぁ(凄っごい美人です。ノット=東響のルル組曲で)。
レコード芸術の休刊、「やっぱりね」という感じです。
新譜の情報はタワーやHMVである程度知りうる状況になっており(それもかなり早く多ジャンルで)、それほど情報入手の必要は感じていませんでした。
ある程度のサイクルでの特集もマンネリ。そして何よりもレコ芸から離れたのは故U氏の独りよがりな評論。そしてそれを称揚するとりまきや読者投稿でしたっけ。海外の新しい録音に対するレビューの存在は確かにありがたかったけれど、その録音が国内発売されることもほとんどなく、発売されたとしても批評が的外れ。
録音評も正確な情報を得ていない(例。ノットのマラ5、録音評者は「サントリーの録音を主体に」と書いているが、サントリーでは盛大にトランペットが音を外しており、製品化された音源の第1と第2楽章は間違いなくりゅーとぴあの音源。僕の記憶とも一致)。
必然なのだと思いますよ。
次の休刊は「音楽の友」かな?

投稿: IANIS | 2023年4月13日 (木) 14時15分

Edipo Reさん、こんにちは。
シュレーカーはともかく、Kさん、Keyの方ですね。
よく覚えてます、ハルサイ好きの方。
読者欄の寄稿、たしかそのようなことがあったように記憶してますが、まさかEdipo Reさんでございましたか!
当時のバックナンバーは所蔵すてますので、のちほど確認させていただきます。
氏が亡くなられたこともレコ芸で知ったとこれも記憶します。
 ハルサイやリングを中心にしたオペラに、深堀ができたのもレコ芸ならではで、それら諸記事を読んで、我が音楽ライフは築かれたといってもほかなりません。
そしてまさにご指摘のとおり、自らが音楽のことを書くようになり、自ら音楽情報を集めるようになり、自らがレコ芸から離れていったことも事実でした。
しかしながら、あれを集め続けると、お家の床が抜けかねないという恐怖もあり、家族からの非難もありました。
「音楽の友」との合流を望みたいですね。

投稿: yokochan | 2023年4月16日 (日) 09時32分

IANISさん、まいどです。
ヴェレスはわたしも着目していて、交響曲全集とオペラに手を染める予定です。
そしてチェン・レイスさん、声も美形ですな。
先般、ベルクの7つの歌を聴きましたが、抜群でした。
 レコ芸には思い出もたくさんありますが、購読を辞めて10年以上経ちます。
外盤のオペラ評など、その作品のおおまかなあらましがわかるのが、わたしにはなりよりでした。
高校・大学時代の青臭い私には、音楽の道標的な存在でありましたが、やはり時代背景が情報量もふくめ、アナログであったゆえでしょうね。
いまの若いリスナーがレコ芸を読みあさるとは考えにくいですし。
ご指摘のUさんとか、録音評も、功罪あるものかもしれませんが、それでもかつてのレコ芸には、名評論がいくつもあったことも事実ですね。
ともあれ、時代の流れにはさからえません。
音楽の友は、立ち位置が違うので存続するのでは、と思ってますし、頑張って欲しいものです。

投稿: yokochan | 2023年4月16日 (日) 09時52分

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