ブリテン 戦争レクイエム ジョルダン指揮
相次いだ悲しみの訃報で、記事のUPがあとになりました。
毎年の8月の終戦の日周辺には「戦争レクイエム」を聴きます。
民間人への無差別攻撃・・・あきらかに犯罪です。
戦後78年経過、日本の政治家で「あれは犯罪だぜ!」とはっきり言える人はいません。
アメリカの政権が民主党に変って3年。
世界は、そこからおかしくなってしまった気がします。
良くも悪くも、自由主義国の盟主だったアメリカの混沌と無力化は、世界もおかしくしてしまう。
国内に向けて、アメリカファーストをつらぬいた前政権と違い、昔のように覇権的な動きを強めた現政権。
均衡が崩れ、多極化してしまった世界に、私は不安しか感じませんね。
日本はいまこそ、自立の道を歩んで国内を強くするチャンスなのに・・・・
悲しい、虚しい現実しか見せてくれませんなぁ。
ブリテン 戦争レクイエム
S:ジェニファー・ホロウェイ
T:イアン・ボストリッジ
Br:ブライアン・マリガン
フィリップ・ジョルダン指揮 サンフランシスコ交響楽団
サンフランシスコ交響合唱団
ラガッツィ少年合唱団
(2023.05.18 @デイヴィス・シンフォニーホール、SF)
今年の5月のサンフランシスコ響のライブを同団のストリーミング放送で聴きました。
ジョルダンがサンフランシスコ響に客演するのも珍しいし、オペラの人として膨大なレパートリーを持つジョルダンのブリテンということでも新鮮極まりない演目。
バリトンはイギリスからの来演で、ペテルソンが予定されていたが渡米不能となり、地元歌手のマリガンが急遽代役に。
ブリテンの初演時の意図は、かつての敵国同士の国の歌手を共演させることにもあり、ヴィジネフスカヤ(ソ連)、ピアーズ(英)、FD(独)の3人による初演を目論んだが、ヴィジネフスカヤはソ連当局の許可が下りずにヘザー・ハーパーが代役を務めた。
レコーディングでは、当初の3人で実現していることはご存知のとおり。
ブリテンの自演レコ―ディーングから20年後にラトルがデジタル録音をするまで、作者以外のレコードはなかったが、現在はまさに隔世の感あります。
同じようにブリテンのオペラも、各劇場で上演されるようになり、普通に聴かれ、観劇される作品となりましたね。
バーンスタインの音楽も同様に多くの演奏家による様々な演奏を経て、それらがスタンダートな音楽へとなっていくことを今も確認中であります。
「戦争レクイエム」の放送があれば、毎回録音し、自身のアーカイブを充足してきましたが、正規レコーディングもふくめ、実に多くの指揮者が取り上げるようになったものです。
手持ち音源を羅列すると、ブリテン、ラトル、ハイテインク(2種)、ギブソン、ジュリーニ、サヴァリッシュ、ガーディナー、K・ナガノ、C・デイヴィス、ヒコックス、ネルソンス、ヤンソンス、小澤、デュトワ、パッパーノ(2種)、M・ウィグルスワース、ハーディング、グラディニーテ・ティーラ、ヨアナ・マルウィッツ、そしてジョルダン。
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さてジョルダンのライブですが、パリからウィーンに移って音楽監督としてプリミエ級の上演すべてを指揮してます。
いずれもORFがライブ放送してくれるので聴いてきましたが、現時点では、そのすべてが最良といえるものでなく、生気あふれるパリやウィーン響時代のジョルダンらしくない面も聴かれます。
やっつけ仕事のように、テキパキと進めてしまう傾向もときにみられました。
やはり、ウィーンの国立劇場はなかなかに鬼門なのか、連日ピットに入るメンバーも一定せず、指揮者も統率しにくいのではと思いますね。
アバドがウィーンを離れることになったのは、そうした面も多分にあった。
そのジョルダン氏、他流試合とも呼ぶべきサンフランシスコの地で目も覚めるような切れ味のよさと、慈しみにあふれた優しい目線の演奏を聴かせてくれます。
ブロムシュテット、MTTによって鍛え上げられ、いまはまたサロネンにより、近世の音楽への適時性を発揮するサンフランシスコ響。
実にうまいし、金管も鳴りすぎず、全体の響きのなかに見事にそれぞれの楽器がブレンドされ、ディエスイレでは実に見通しがよく、清々しい響きだ。
シスコ響の持つヨーロッパ風の響きと乾いたシャープな音色が実に素晴らしい。
デイヴィスシンフォニーホールの音色もよく、ライブ放送の臨場感もよく出ている。
歌手ではなんといってもボストリッジの安定感が、この作品のスペシャリストである証として光ってます。
この人の声のどこか逝ってしまったかのような美声と冷たさは、かつてのピアーズの域に達したと思いますね。
あと、いま各劇場で活躍中のホロウェイの情のこもった誠実な歌唱も素敵だ。
急遽の代役マリガン氏も初めて聴くバリトンだが、英語圏の歌手だけに、明晰でかつ力強い声で、ボストリッジとの声の対比もよろしい。
という具合に褒めまくってしまったが、全般に音が楽天的に感じたことも事実。
しかし、この偉大な作品も、こうしていろんな演奏で、いろんな光が当てられるのを聴く喜びは、毎年こうして尽きることがありまえん。
秦野の出雲大社相模分祠。
丹沢山脈の清らかな伏流水が市内のいたるところにあふれてます。
こちらでも、冷たい名水をいただくことができ、暑い日に喉を潤すことができます。
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