« ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ① | トップページ | フィルハーモニック・ソサエティ・東京 演奏会 »

2023年11月 1日 (水)

井上道義&群馬交響楽団 演奏会

Triphony-01

錦糸町駅からトリフォニーホールへ向かう途中のモニュメントとスカイツリー。

この日は風も少しあって、周辺に多くある焼肉屋さんの香りに満ちていまして、いかにも錦糸町だなぁと思いつつ期待を胸にホールへ。

Triphony-02

ホールに入って見上げると、ほれ、ご覧のとおりミッチー&ドミトリーさんが。

これからショスタコーヴィチの難曲を聴くのだという意欲をかきたてるモニュメント。

Triphony-03

  モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488

  ブラームス  6つの間奏曲~間奏曲第2番 イ長調 op.118-2

              ピアノ:中道 郁代

  ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 op.43

         井上 道義 指揮 群馬交響楽団

         (2023.10.29 @すみだトリフォニーホール)

コンサート前、井上マエストロのプレ・トークがあり、前日の高崎での定期演奏会が大成功だったこと、群馬交響楽団はめちゃくちゃ頑張ったし、オケの実力がすごいこと。
ショスタコーヴィチ29歳の天才の作品がマーラーの影響下にあり、パロディーも諸所あること、さらにはこの曲を聴いたら、好きになるか、嫌いになるか、どちらかだと語りました。まさにそう、ほんとそれと思いましたね。
そして、最初のアーデュアのコンチェルトもほんとステキな曲だから聞いてねと。
最後、やばいこと言わないうちに帰りますと笑いのうちに締めました。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして清朗かつ深みに満ちたモーツァルト。

ふわっとしたドレスで現れた仲道さん、優しい雰囲気とともに、柔らかな物腰はいつも変わらない。
オーケストラが始まると、それに聴き入り没入していく様子もいつもながらの仲道さん。
開始そうそう、タコ4を聴こうと意気込んでいたこちらは、モーツァルトの柔和な世界に即座に引き込まれ、思わずいいなあ、と密かに呟く。
オケも微笑みを絶やさず楽しんでいる様子も終始見てとれた。
 聴いていて泣きそうになってしまったのはやはり2楽章。
モーツァルトのオペラのアリアの一節のようなこの曲にふさわしく、楚々としながら、情感溢れる仲道さんのピアノ、いつまでもずっと聴いていたいと心から思った。
 ついで飛翔する3楽章、ピチカートに乗った管と会話をするピアノは楽しい鳥たちの囀りのようだか、どこか寂しい秋も感じさせる、そんな音楽に素敵な演奏。

曲を閉じ、井上マエストロと握手した仲道さん、涙ぐんでおられました。
彼女のSNSによると、きっと最後の共演となるかもしれない、感情の高ぶりを吐露されておられました。
聴き手の気持ちにも届いたそんな演奏のあと、同じイ長調のブラームスを弾かれ、静かなる感動もひとしおでした。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この高まる感情をどうしたらいいのか、アドレナリンが充溢し、ほてった身体がアルコールを求めた。
が、しかし、ここは日曜の錦糸町だ、飲んだらあとが大変・・・
そんな風に持て余した感情を抑えつつ、電車のなかで興奮しつつ帰った夜の東海道線。

そう、めちゃくちゃスゴイ、鋼を鍛えたばかりの、すべてを焦がし尽くしてしまわんわばかりの超熱い鋼鉄サウンドによるショスタコーヴィチを聴いてしまったのだ!
ただでさえハイカロリーの音楽に、群馬交響楽団は全勢力を注いで井上ミッチーの鮮やかな棒さばきに応え、空前の名演をくり広げました。

急転直下、極度の悲喜、怒りと笑い、叫嘆と安堵、不合理性への皮肉、豪放と繊細・・・あらゆる相対する要素が次々にあらわれる音楽。
井上ミッチーの真後ろで、その指揮姿を観て聴いてひと時たりとも目が離せなかった。
ときに踊るように、舞うように、またオーケストラを鼓舞し最大の音塊を求めるような姿、音楽と一緒に沈み悩みこむような姿、そんなミッチーを見ながら、まさにこの音楽が体のなかにあり、完全に音楽を身体で表出していることを感じた。

1楽章、冒頭、打楽器を伴い勇壮な金管が始まってすぐに、もうわたしは鳥肌がたってしまった。
この音楽を浴びたくて1階の良き席を確保したが、トリフォニーホールの音響はこの位置が一番いいと確認できた。
例のフガートはオケがまた見事なもので、それが第1ヴァイオリンから始まり、ほかの弦楽に広がっていく様を目撃できるのもまさにライブならではの醍醐味で、そのあとにくる大打楽器軍の炸裂で興奮はクライマックスに達した。
マエストロの万全でないのではと危惧した体調も全開のようで安心。

両端楽章では指揮棒を持たずに細かな指示を出していたが、2楽章では指揮棒あり。
スケルツォ的なリズム重視の楽章であり、明確なタクトが一糸乱れぬオケを率いていった。
コーダの15番的な打楽器による結末は、これもまた実演で聴くと分離もよく、楽しくもカッコいいものだ。

皮肉にあふれた3楽章、悲愴感あふれる流れから遊び心あるパロディまで、聴く耳を飽きさせないが、これらが流れよく、ちゃんと関連付けられて聴くことができたのも、ミッチーの指揮姿を伴う演奏だからゆえか。
ここでも最後のコラールを伴う大フィナーレに最大の興奮を覚えつつ、もう音楽が終わってしまう・・という焦燥感も抱きつつエンディングをまんじりともせずに聴き、見つめた。
この虚しき結末に、最後、井上マエストロは、指を一本高く掲げたままにして音楽を終えた。
そこで、静止して静寂の間をつくるかと思ったら違った。
ミッチーは、くるりと振り向いて、「どう?」とばかりに、おしまいの挨拶のような仕草をしました。

そう、これぞ、ナゾに満ちた難解な音楽の答えなんだろう。

ホールは大喝采につつまれました。

なんどもお茶目な姿を見せてくれた井上マエストロ。

01_20231101221001

最後の共演となる群響の楽員さんと、その熱演とを讃えておりました。

02_20231101221301

スコアを差して、こちらも讃えます。

06_20231101221501

こんなポーズも決まります。
携帯を構える私たちの方をみて、もっと撮れと促されましたし。

07_20231101221701

井上道義さん、来年の引退まで、大曲の指揮がこのあとまだいくつも控えてます。

ますます健康でお元気に。

素晴らしい演奏をありがとうございました。

Triphony-04

帰り道にスカイツリー、楽員さんもいらっしゃいました

Triphony-05

自宅でのアフターコンサートは、焼き鳥弁当でプシュっと一杯。

ショスタコーヴィチの4番、その大音響の影にひそんだアイロニー、15番と相通ずるものを感じました。
同じく、ムツェンスクとの共通項もたくさん。

この日の演奏の音源化を希望します。

交響曲第4番 過去記事

「ネルソンス&ボストン響」

「サロネン&ロサンゼルスフィル」

「ハイティンク&シカゴ響」

「ハイティンク&ロンドンフィル」

「大野和士&新日本フィル」

「ムツェンスクのマクベス夫人 新国立劇場」

|

« ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ① | トップページ | フィルハーモニック・ソサエティ・東京 演奏会 »

コメント

こんにちは。いつも記事を楽しみに拝見しております。
このコンサート、私も聴いて大満足でした。前半も後半も素晴らしかった!
井上マエストロの引退は本当に残念ですが、それまでは極力コンサートを追いかけてみたいと思ってます。


ところで全く別の話題ですが、なんとシュレーカーのオペラの舞台上演が来年6月に清瀬であるそうです。
日本では過去に「遥かな響き」の演奏会形式公演しかないそうで、シュレーカーのオペラ全曲の舞台上演自体が日本初、そして曲目も日本初演だそうです(それどころか世界でも過去に2回しか上演記録が無い作品なのだとか。)
ご参考までに。

クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」
https://ivctokyo.com/christophorus/


投稿: NN | 2023年11月 2日 (木) 15時32分

NNさま、コメントどうもありがとうございます。
同じ演奏会をお聴きになったとのこと、ほんとうにいいコンサートでした。
柄にもなく興奮してしまいまして、そのあとしばらくタコ4ばかり確認聴きしました。

そしてシュレーカー情報ありがとうございます。
わたしも、こちらのサイトは確認済みでした。
NHKFMで「宝さがし」が放送され、自分の過去記事がデータ的に多く見られていた様子でしたので、その経過で発見し、あ!という声を上げてしまいました。
是非にと思ってますが、場所がいまの自分にはかなり遠いです。
毎日チェックしてますが、チケット発売日を過ぎて、まだ見当たりませんね。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2023年11月 9日 (木) 09時12分

yokochan様
道義さんの『タコ四』聴かれたのですね。いや、お羨ましい限りで、ございます。
実は私めも、昨年4月6日の大フィル・マチネ公園で、道義さんのタクトに接する事、叶いました。曲目は、ハイドンの『交響曲第103番変ホ長調』、ショスタコーヴィチの『Vn協奏曲第1番イ短調』に『バレエ組曲黄金時代』でして、コンサートマスター氏がソロを弾いた協奏曲が、独奏者と指揮者が丁々発止とぶつかり合った、手応え充分の名演で、ありました。終演後のアンケートに、『2024年限りで引退などとおっしゃらず、渡が若い頃レコードで聴いていた、ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーみたいに、八十代まで頑張った下さいよ。』などと、書いちゃいまして(笑)。
でも、やはり道義さんのショスタコーヴィチなら、シンフォニーを聴きたかったな‥と、思いますね。

投稿: 覆面吾郎 | 2024年1月27日 (土) 12時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ① | トップページ | フィルハーモニック・ソサエティ・東京 演奏会 »