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2024年3月14日 (木)

小澤征爾さんを偲んで ③

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夏の音楽祭のタングルウッド、小澤さんの名前を冠したホール。

雪も残る場所に、小澤さんを悼む献花台が・・・・

泣けます。

ボストン交響楽団の音楽監督として、1973年~2002年までのほぼ30年間、ミュンシュに次ぐボストン響の第2黄金期を築きました。

なんども書きますが、サンフランシスコと一時は掛け持ちで、アメリカの西海岸と東とでメジャーオケの指揮者を務めたことが、日本人としてほんとうに誇りに思いました。
日本が戦争で戦ったアメリカのメジャーオケの指揮者に。
戦後30年も経ずしてオケの優秀な導き手となってしまった。
アメリカの寛容さとともに、西洋音楽の世界にたすき一本で飛びこみ、成功を勝ち取った小澤さんの胆力をこそ最大限に褒めるべきでしょう。

ここにある白い上っ張りのような上下のスーツ。
当時のクラシック業界では極めて異例だったかと思います。
アメリカとフランスだから受け入れられた、クラシック業界の型破り的な存在が小澤さんで、いまこそ思えば、そんな姿も心から誇らしく感じます。
日本が誇るもうひとり、あられチャンやドラゴンボールの鳥山明さんの訃報にも驚いたばかり。
世界で、その名を言えばわかる日本人のともに代表格。
いまこそ、政府はおふたりに、国民栄誉賞を与えるべきだ!

「小澤&ボストン」

たくさんの名盤から、忘れえない音盤を。

ボストン響はRCAレーベルの専属だったので、小澤さんとボストンとの初録音は69年の「カルミナ・ブラーナ」と「火の鳥」「ペトルーシュカ」。
ペトルーシュカは唯一の録音なので貴重だし、カルミナ・ブラーナでの小澤さんのリズム感抜群の若さ、マッチョなミルンズのバリトンなんかも聴きもの。
リマスターで再発して欲しいです。

その後、ボストンはDGに録音するようになり、小澤さんはEMIに録音していたので、73年の音楽監督就任までは、DGはスタインバーグ、ティルソン・トーマス、アバドの指揮でボストン録音。
ホールの特性も活かし、重厚感とヨーロッパ風な落ち着きあるDG録音は極めて新鮮だった。

①ベルリオーズ

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   幻想交響曲 1973年

38歳の小澤さん。
ベルリオーズの本来持つ音楽、さわやかさと抒情味、小澤ならではの豊かなリズム感。
スピード感もあるしなやかさも誰の幻想にもないものだった。

いま聴いても爽快でかっこいい幻想だ。

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    ファウストの劫罰 1973年

幻想と同じ年に録音。
声楽を伴った大作を、てきぱきと、演奏者側にとっても、聴き手にとっても簡明でわかりやすい解釈をほどこす指揮者。
レコード時代は3枚組の大作が、CDでは2枚で、あっという間に聴くことができる。
まさに劇的なドラマ感を伴って2時間ちょいが、ほんと短く感じる見事な指揮。
当時まだ、ミュンシュの指揮を知っている楽員も多数いたはずだが、剛毅さとは違う、ベルリオーズの輝かしさを引き出す小澤には、そうした楽員さんもほれ込んだことだろう。
ただタングルウッドの合唱団の精度は今聴くとやや厳しい。
 新日フィルでこの作品を聴いたときは、日本語での演奏だったこともいまや懐かしい。

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   レクイエム (1993年)

DGへの一連のベルリオーズから20年。
得意の作品で、若い頃から何度も取り上げていた。
シンバル10、ティンパニ10人、大太鼓4、バンダ4組・・・・、途方もなくバカらしい巨大な編成
初聴きがFMで放送された小澤&ベルリン・フィルのライブで、大音響を期待して聴いたが、そんなシーンは全体の一部で、全編に死を悼む、歌心とリリシズムにあふれた作品とわかったのも、小澤さんの指揮あってのものだった。
円熟期を迎えた小澤さんのベルリオーズは、この時期にまた幻想やファウスト、ロミオをボストンで再録音して欲しかったと思わせる。
こけおどし的な大音響におぼれない、真摯な姿勢でベルリオーズの抒情性を引き出した。
ロミオとジュリエットは実は持ってません・・・・

DGというのは不思議なレーベルで、ベルリオーズ全集を小澤でやりかけて、途中で止まってバレンボイムに変り、それもまた止まってレヴァインに、それもまた完結しなかった。
ボストンのネット放送で、ベアトリスとベネディクトが流されてましたので、こうした録音もなされなかったのが残念だし、今井信子さんとハロルドも録音して欲しかった。
大きな所帯のレーベルだと、レパートリーがかぶって、全集録音完成がなかなかままならないものだ。
小澤&ボストンで残せなかったもの、ベルリオーズとベートヴェン、ブラームスの全集などです。

②マーラー

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  「千人の交響曲」  (1980年)

77年のDGへの1番が、若やいだ眩しさ感じる演奏で、このままマーラーシリーズに突入するのではと期待したが、それは持ち越され、フィリップスレーベルへと引き継がれ、いきなり8番!
この時期、小澤さんは、巨大な作品のスペシャリストとしてパリとベルリンでさかんに取り上げ、ボストンではライブ録音につながりました。
ここでも大曲を豊かな構成感でもって、わかりやすく聴かせるツボを押さえた小澤ならではの小澤節が随所に聴かれる。
第2部の感動的な高揚感は、すべての奏者・歌手の一体感を感じます。
みんなが小澤の棒に夢中になってる様子がわかる。

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   交響曲第2番「復活」 (1986年)

小澤の復活、ことあるごとに指揮してきた勝負曲だと思います。
自信と確信に満ちた演奏は、極めて感動的でどこにもブレのないまっすぐな演奏で、ラストではじっと聴いていられないくらいに感動してしまう「復活」だ。
いくつかある「小澤の復活」、この際みんな聴いてみたいと思っている。

1980~1993年までかかった小澤のマーラー全集。
フィリップスレーベルはよくぞ、最後まで完結してくれたと思うし、ボストン響の高性能ぶりと美しい音色、ホールのプレゼンスのよさ、日本人としておおいに共感できるしなやかなマーラーが残されました。
10番アダージョまで含めて、大切なマーラー全集のひとつですが、「大地の歌」は残念です。

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2002年に最後の定期でとりあげたマーラーの第9は、NHKで放映され、わたしも録画して大切にしてます。
感動的な第9で、濃密なバーンスタインとはまったく違う、われわれ日本人好みの和風だしのような味付けのマーラーは、小澤さんの侘び寂様式のなせる技かと。
それをボストン響から引き出しているところがすごい。

以上、ベルリオーズとマーラーが、小澤さんとボストン響の最良の演奏だと思うし、小澤さんのもっとも得意なレパートリーじゃなかったかと思う。

③R.シュトラウス

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 「英雄の生涯」「ツァラトゥストラはかく語りき」 (1981年)

小澤さんの初の本格的なシュトラウス作品。
デジタル初期で、レコード時代末期の発売は、レコード1枚特価で2000円で購入。
あまりの録音の素晴らしさと、小澤の小俣の切れ上がったかのようなカッコいいシュトラウスサウンドに痺れまくった。
同じく、レコードで親しんできたメータの重厚で鮮明すぎる演奏とも違う意味で、鮮やかかつ、すべてが明快ですみずみまで聴こえる見晴らしのいいシュトラウスだった。
2枚のレコードがCDでは廉価になり、1枚に収まって1000円を切るようになり、それのみがショックだった。
ともに、ボストン時代の朋友、シルヴァースタインのヴァイオリンが鮮やかでありました。

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 「ドン・キホーテ」 (1984年)

CD初期に買った1枚で、タスキ付きで貼りました。
タスキもまたうまく溶け込んだようなジャケットイメージだったので。
ロストロポーヴィチとカラヤンのレコードで刷りこみだったこの曲を、東洋人のふたりが取り組んだ1枚は、濃密なカラヤン盤のようでなく、さらりとした筆致で淡々と描いた浮世絵みたいなドン・キホーテだった。
この頃の小澤さんを描いたドキュメンタリーで、ヨーヨーマと語りあうシーンがあり、アジア人同士、この先は映さないで欲しいというような、音楽と人種(?)に触れていくシーンがあった。
その先のことは、語らずもがなで、自分のなかでも、西洋音楽をどう受け止めて楽しんでいくのか、という投げかけにもなり、小澤さんが戦ってきたもの、勝ち得たものの大きさを感じた次第なのです。

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  楽劇「エレクトラ」 (1988年)

ダングルウッドでは、コンサートオペラの形式演奏も多く、きっとそこで演奏されたボストン響のオペラ録音。
このおどろおどろしいけれど、実はシュトラウスの高度な作曲技法と交響詩で培った巧みなオーケストレーション、そして歌をオケの一部ともしてしまうとうな巧みな歌の数々。
このあたりを小澤さんは、見事に解析して明快に解釈してみせた。
オペラティックな要素は弱いけれど、一気呵成のドラマ感も巧みに表出。
ボストン響の巧さと軽やかさ、ベーレンスの軽やかでもあるタイトルロール、録音のよさ・・・数あるエレクトラのなかでも名演中の名演と思っている。

④チャイコフスキー

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 交響曲第5番と6番 (1977年、1986年)

なんども繰り返し録音を重ねたチャイコフスキーの後期の3つの交響曲。
ボストンとのこのふたつの録音が、いちばん安定しているし、完璧な演奏だった。
DGの5番は、輝かしく美しい。
このときに3つ全部録音してほしかったし、1~3番も残して欲しかったものだ。
悲愴が大好きだったと思う小澤さん、パリ管、サイトウキネンでも録音したし、ライブでも複数音源があります。

三大バレエもボストンと録音。
眠りの森だけは組曲となりましたが、シンフォニックなかっちりとした「白鳥の湖」は聴く音楽としては完璧な出来栄えかと思う。
協奏曲も複数録音ありますが、若い頃のものを聴いてみたい。

でも「小澤のチャイコフスキー」の真骨頂はふたつのオペラにあります。

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 「スペードの女王」 (1991年)

オネーギンとスペードの女王のふたつのオペラで持って、小澤さんは、欧米各地のハウスを席巻したと言っていい。
ボストンでのスペードの女王は、この演奏の模範的な演奏で、ロシア的でない、欧風でもない、ピュアなチャイコフスキーのオペラスタイルを打ち立てたものだと思う。
ふだんオペラのピットに入らないボストンだからこそ、ということもあり、オネーギンもこのコンビでやって欲しかった。
小澤さんのチャイコフスキーのオペラには、フレーニが必ず共演していたこともフレーニファンとしてはうれしいことだ。
この演奏を聴くと、ボストン響がほんとうに優秀なオケだと思うし、その音色がともかく美しいこともわかります。

⑤ストラヴィンスキー

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 三大バレエ

小澤2度目の春の祭典は、アナログ時代最末期の1979年の録音。
学生時代のことだったが、めちゃくちゃ録音がよかったし、ボストンを完全に手中に納めた小澤さんの指揮ぶりが小気味よさと爆発力の兼合いがバツグンで、痺れるような演奏だった。
シカゴとの若き日の演奏よりも大人な演奏。

ペトルーシュカは、先に触れた通りだが、組曲でのボストンとの初期録音の「火の鳥」は、小澤さんの得意曲で、パリ管との全曲盤に続いてボストンとも1983年に全曲盤を再録音して、その堂に入った落ち着きある演奏は美しさも感じるものだった。
しかしながら、パリ管とのほうが、ずっとイケてると思う。

⑥フランス系

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 ラヴェル 管弦楽曲集 (1974年)

ボレロやスペイン狂詩曲の1枚に続いて、いきなり4枚組の全集が出たのが1975年で、その前年の録音。
ラヴェルの生誕100年にDGが小澤にまかせた記念碑的な全集。
オペラがこのときに残されなかったのが残念だが、わたしは、新日で同時期に小澤さんのラヴェルをかなり聴きました。
子供の魔法も、コンサート形式で聴きましたし、武満徹作品の初演との組み合わせも聴きました。
70年代後半から80年代、小澤さんの一番輝いていた時期を聴けたことがありがたい。


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 フランクとプーランク (1991年)

メインのフランクの交響曲もいいが、ややこじんまりとしすぎ。
むしろプーランクがすばらしくて、小粋さとしゃれっ気が、小澤さんがプーランクのスペシャリストであったことがよくわかる。
スタバト・マーテルとグローリアも極めてかっこよくて、DGには、そのままプーランクのオペラなども続けて欲しかったと思います。

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     「パリの喜び」「スペイン」「ミニヨン」「ファウスト」(1986,7年)

フランス音楽の華やぎを、瀟洒に、そしてさらりと日本人らしく描いてみせた傑作で、同時にヨーロピアンなオケの音色も魅力も全開だ。
録音もジャケットも素晴らしい、この先、ずっと手元に置いておきたい名盤だと思います。
カラヤンも同じような豪奢な1枚を残したが、あの華やぎは何度も聴けるものではないので・・・

小澤&ボストンは、フォーレにもオケ作品とレクイエムの録音があるが未聴です。

⑦20世紀音楽の名演

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  レスピーギ 「ローマ三部作」 (1977年)

ローマ三部作の面白さを私に植え付けてくれたのが、小澤さんのレコードだった。
録音も素晴らしくって、ボストン響の抜群のウマさとパワフルだけど、品位を兼ね備えた演奏が実に素晴らしかった。
若い頃は、豪快なシーンばかりに耳が行ってしまったが、昨今、この小澤盤を聴くときは、静かで精緻な場面に耳をそばだてるようになった。
それだけ緻密な演奏であり、心配りの豊かなローマ三部作なのだ。

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  シェーンベルグ 「グレの歌」 (1979年)

小澤さんの音盤のなかで、1番ともいえる名演であり、同曲の数多い演奏のなかでも1.2を争う演奏。
何度も書きますが、声楽を伴った大きな作品と、一瞬たりとも弛緩せずによどみなく、わかりやすく、そしてあるがままに劇的に仕上げることのできた小澤征爾。
しかもこの精度の高さをライブでもなしえてしまう耳のよさと職人技。
もちろんライブ感あふれる白熱さや感興の高まり、興奮などもこの膨大な作品にとてもあっている。
歌手も素晴らしくて、ノーマンもいいが、トロヤノスがいい。
やぶれかぶれのマックラッケンもとんでもなくヘルデンしてる。
小澤さんの追悼に、マーラー9番や10番もしめやかでいいが、わたしは、グレ・リーダーの輝かしいラストも相応しいと思った。

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  アイヴス 交響曲第4番 (1976年)

これも小澤&ボストンの傑作の1枚。
副指揮者を要し、若い頃はその副指揮者だった小澤さん。
ここでは、ひとりですべてをこなし、当時はベルリンフィルでも指揮して一同を驚かせてしまった。
抜群の切れ味とクールさ、音色のあたたかさ、複雑な音楽がやがて収斂して簡潔に響くようになる様を見事に描き切る能力。
4つの交響曲、ぜんぶやって欲しかった。

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  武満 徹 「カトレーン」「鳥は星形の庭に降りる」 (1977年)

小澤&ボストンの武満は今や希少です。
研ぎ澄まされた武満作品に、小澤さんの緻密な指揮と味わいは必須。
ゼルキンやストルツマンのアンサンブルタッシを想定して書かれた「カトレーン」は異空間のイメージ漂う夢想とリアルが入り乱れる曲で、わたしはこの初演を聴いております。
ボストンでの初演作、鳥は星形と合わせ、自分には思い出深い1枚です。
日本人指揮者は、みなさん共通に武満の音楽をレパートリーにしてますが、小澤、岩城、若杉、秋山の4氏が最強でありましょう。
日本人作品も多く指揮して広めた功績も小澤さんにはおおいにあります!


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小澤・ボストンの最良のピーク時の1986年の来日、わたしは聴くことができました。
サントリーホールがまだなかったので、文化会館をメインに、横浜、大阪、京都、神戸、尼崎、広島、静岡、甲府という公演。
いまプログラムを見返し、日本の受け入れ側も地方が豊かで、中央ばかりでなかったことがわかります。
プログラムは、マーラーの3番をメインに、ベートヴェンの3,5番、ブラームス1番、ツァラトゥストラ、弦チェレ、マメールロワ、プロコのロメジュリなどです。
初心者もツウもうならせる見事な演目を日本各地で披露したのでした。

ワタクシは、文化会館でのマーラー3番。
この曲のライブの最初の機会でした。
もうね、小澤さんのキビキビとしつつ、巧みなキューと音楽そのものと化した指揮姿に釘付けでしたよ!!
ボストンの面々も真剣に、深刻に、ときに喜悦に満ちた表情を浮かべながらの演奏は、指揮者に全幅の信頼を寄せてのものでした。
ビムバムが日本の少年少女たちによって歌いだされると、楽員のみなさん、とくに多くいらした女性奏者たちが、お互いに顔を見合わせながらにこやかにしているのをまじかに拝見。
最終楽章の麗しき平安の世界を描いた小澤さんの指揮ぶりと、楽員のみなさんの幸せそうなお顔の数々・・・・
いまでも覚えてます。

音楽史上、もっとも幸せな結びつきだったのが、「小澤征爾とボストン響」だったといえると確信します。

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ボストン響のX投稿から。
歴代のボストン・ポップスの指揮者たちともお友達。
切れちゃってますが現在のネルソンスとのツーショットもうれしい。

まえにも書いてますが、神奈川県西部に育ったワタクシは、高校時代にオーケストラ部にちょっと所属してまして、そのときの仲間と近くの箱根に遠足。
そこで出会った外国人に、果敢にもみんなで声掛けし、どこから来たんですか?
ボストンよ、と妙齢のマダム。
すかさず、ワタクシは、ボストン・シンフォニー、セイジオザワと矢継ぎ早に返信。
ご婦人と旦那さんは、思い切りにこやかに、ベリーグッドと答えてくださいました。
もう半世紀近くまえの思い出語り、片田舎の青年でも、小澤さんがどれほど誇らしく思えたことでしょう。

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ボストン響のHPから。

シンフォニーホールの「B」を消灯して、「SO」

「セイジ・オザワ」

永遠なれ、われらが小澤征爾さん!

ありがとう、わが音楽ライフを導いていただきまして。

ゆっくりおやすみください

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