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2024年4月14日 (日)

ネヴィル・マリナー 100年

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中井町の山上のひとつ。

見晴らし抜群で、富士と大山、丹沢山麓、箱根の山々、さらには相模湾も見渡せる絶景の地。

まえから来ようと思っていたけれど、自宅から割とすぐだった。

ここが整備された公園となっているのは、9年前にここにできたメガソーラーとともに開発されたものだからです。

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神奈川県西部エリアで最大規模のソーラー発電所。

ここでは趣旨が違ってしまうのでこれ以上は書きませんが、自然エネルギーはたしかに有用でしょう。

しかし、もうお腹いっぱい、これ以上、日本の自然を壊さないで欲しい。。。

Marriner-2

サー・ネヴィル・マリナー(1924~2016)、4月15日が誕生日で、この日100年となります。

現役のまま亡くなって、はや8年。

残された膨大な音源は、まだまだ聴きつくすことができず、これからの楽しみもたくさん残していただいた。

アンソロジー化も期待され、ヘンデルばかりを集めたボックスも出るようだ。

存命なら100歳、今日は特にマリナー卿の小粋な演奏ばかりを、さわやかな晴天の空を眺めながら聴いてみた。

Vivaldi-marriner

  ヴィヴァルディ 二重協奏曲集

   ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

         (1982.11 @ロンドン)

500曲はあるとされるヴィヴァルディの協奏作品。
そのなかから、ふたつの楽器のための作品ばかりを納めた、これもまたマリナーらしいナイスな企画。
「2つのトランペット、ヴァイオリン」「2つのホルン」「2つのマンドリン」「2つのフルート」「2つのオーボエ」「オーボエとバスーン」。
こんな多彩な曲の詰め合わせは、なんど聴いても飽きない、バロック音楽らしい明るく屈託のなさがひかります。
ヴェネチアの少女孤児院ピエタのためにその協奏曲の大半が書かれたというが、これらの2重協奏曲もホルン以外はいずれもそうだと言います。
録音時、すでに古楽奏法は流行りだしていたけれど、ピリオド奏法などなどまったく感知せずに、いつものとおり、さらりと、爽やかに演奏してのけたマリナーとアカデミーの面々なのでした。

Haydn-8283-marriner

  ハイドン 交響曲第83番 ト短調 「めんどり」

    ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

          (1977.10 @ロンドン)

レコードで、その曲名をモティーフにしたすてきなジャケットとともシリーズ化された、ハイドンのネイムズ・シンフォニーとパリ交響曲。
全部で33曲録音されている。
生真面目にハイドンの音楽に取り組んだ、清廉でかつ新鮮な演奏は、まさにエヴァーグリーン的な存在として、いまだに特別な存在意義のあるものです。
発売当時は、某廃刊誌の月評でけちょんけちょんに書かれたけれど、CD化されて初めて聴いたワタクシの耳には、すんなりと曲は流れるが、随所に微笑みとマリナーらしい、そっけなさも味わいに感じるステキなハイドンに聴こえたものです。
あえて短調の曲をえらんだのは、名前の由来となった「めんどり」の鳴き声をマリナーの棒で確認してみたかったから。
そしてやはりマリナー、カラヤンのようなそれ風の演奏とは違い、あっさりとサラッとやってた。
いろんな技巧の詰まったハイドンの音楽の面白さを素直に感じる演奏。
70年代、アナログ最盛期のフィリップス録音も素晴らしいものでした。

Rossini-marrner

  ロッシーニ 序曲集

    ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

         (1974.5 、1976、1979 @ロンドン)

モーツァルト、スッペ、オッフェンバック、ウォルフ・フェラーリ、ワーグナー・・・さまざまに残されたマリナーのオペラ序曲集のなかにあって、最高の成功作がロッシーニ。
75年に第1作が、こちらのジャケットで発売。
その後、録音を重ね、最後には現存する序曲のすべてを録音してしまった。

アバドの既成の慣習を取り払った透明感あふれるロッシーニに聴き慣れた耳には、マリナーのロッシーニはアバドほどの先鋭感はなく、アバドほどの鮮やかなまでの俊敏性は感じられず、ロッシーニ演奏の革新から一歩下がったようなイメージを与えることとなった。
でもね、いろんな指揮者の新旧のロッシーニ演奏を聴くうちに、さらには、マリナーが序曲ばかりでなく、オペラのいくつかを録音し、それらを聴くうちに、マリナーの古典音楽への清廉な解釈の延長にあるロッシーニ解釈が過分な解釈なしの、スッキリ感あふれる、そして切れ味抜群の演奏であることを見出し、いまや快哉を叫ぶようになってまいりましたね。

こんな演奏が、あたりまえに行われ、音楽レーベルも普通に企画して販売していたいまや幸せな時代。
マリナーは、カラヤンとともに、そんな時代を音楽家として生き抜いたんだと思います。

Elgar-marriner

  エルガー 弦楽のためのセレナード

   ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

         (1967.11 @ロンドン)

最後は指揮者というより、アカデミーのリーダーとして、ヴァイオリンを弾きながらリードしていたかもしれない頃のマリナーの至芸。
まさにエルガーのノビルメンテな、気品と愛情あふれる柔和な世界を、きどらずに普通に再現。
慈しみあふれるバルビローリ、きりりとした背筋のびるボールト、大家たちの素晴らしい演奏ともまた違った日常感覚あふれる、まさにさわやかさ満載のエルガー。
ちょっと距離を置きつつ、でもとても親密な優しい演奏、そんなマリナーの演奏。
序奏とアレグロも素敵すぎます。
こんなエルガーを、さらりと聴かせる演奏家、いまではもうあまりいませんね・・・・

音楽への思い入れが強すぎる演奏が多すぎると感じた時に聴くマリナーの指揮。
そしてアバドもそうしたところがありました。
楽譜どおりにちゃんと安心して聴ける、そんなマリナー卿が好きでした。

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マリナー卿、ありがとう。
日本にも何度も来演いただき、かなり聴くことができました。

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日本の富士🗻

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