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2024年5月

2024年5月26日 (日)

ブリテン 「春の交響曲」 ラトル指揮

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季節は春が過ぎ、初夏の趣きですが、こちらは5月のはじめの富士とネモフィラ。

いつも行く秦野の街から。

雪もまだ充分残ってますが、いまはもうだいぶ溶けてます。
このときも、静岡側はかなり融雪が進んでいたようです。

梅雨と初夏を迎えようとするいま、大慌てで「春の交響曲」を聴きました。

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  ブリテン 「春の交響曲」op.44

    S:エリザベス・ワッツ

    Ms:アリス・クーテ

    T:アラン・クレイトン

 サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団
               ロンドン交響合唱団
              ティフィン少年少女合唱団

    合唱指揮:サイモン・ハルシー
         ジェイムス・デイ

      (2018.9.16,18 @バービカンホール、ロンドン)

「ピーター・グライムズ」のアメリカでの上演を機に、クーセヴィツキーと親交を深めていたブリテン。
1946年、そのクーセヴィッキーの委嘱により、規模の大きな合唱とオーケストラ作品を、ということになり、構想を練ることとなった。
しかし、なかなか筆が進まず、ブリテンは精神的・肉体的に疲れていると吐露していたらしい。
構想も整い、1948年に作曲は軌道にのり、1949年春に完成。
ブリテン36歳。
同年7月に、アムステルダムで初演された。
ベイヌムの指揮、コンセルトヘボウのオーケストラに、ヴィンセント、フェリアー、ピアーズの3歌手によるものだった。
ボストンでなかったこと、コンセルトヘボウでは録音も現在に至るまでなされておらず、もっぱらロンドンのオケばかりの録音になっているところが面白い。

この作品が好きで、これまで、ガーディナーとプレヴィンの演奏を取り上げてます。
演奏会でもなかなか取り上げられませんが、もう25年も前の5月に、ヒコックスの指揮で実演に接しております。
久しぶりにあらわれたラトル卿の音盤を手に、この5月は歓喜に浸っております。
以下、以前の記事に少し手を加えて再掲します。

ソプラノ・アルト・テノールの独唱と少年合唱・合唱をともなった大規模な全4部12曲からなる合唱付き交響曲。
同時代の作曲家と違い、交響曲作家ではなかったブリテンならではの作品。

「冬から春への移りかわりと、それが意味する大地と命の目覚め」について書いたとしていて、サフォーク州の春の劇的な訪れにインスピレーションを得ている。
季節の移ろいと、その力強さ、その1年の流れを人生にもなぞらえて、聴く私たちに伝えてくれる素敵な音楽。
イギリスの春は、日本のようにゆるやかに、まったりとやってくるのでなく、劇的に訪れる。
春は、「地球と生命の目覚め」でもあるという。

16~18世紀の英国詩人12人の作品と、ウィリアム・ブレイクや友人でもあったウィスタン・ヒュー・オーデンの同時代の詩を巧みに組み合わせたテクスト。
ちなみに、ブリテンはオーデンの詩に多くの歌曲を作曲しており、CDもいくつか持ってますのでいずれ取り上げたいと思います。

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①太陽への憧れを歌う冒頭から、小鳥やカッコウの声が聴かれる場面、少年合唱は軽やかに口笛を吹き、楽しい第1部。

②終戦を迎えたのも春。反戦の感情も込めしみじみとした第2部。

③スケルツォであり牧歌的・リズミカルな第3部。

④そして歓喜が爆発する、第4部フィナーレ。ここでは、ロンドンの街と英国への晴れやかな賛歌が歌われる。さらに中世イギリスのカノン「夏はきたりぬ」が少年合唱が高らかに歌い始める。
 感動にあふれるシーンで、心が解放され春から夏を寿ぐ気持ちにあふれる。

  「夏がきた、かっこうは鳴き、花は開き、木々は緑・・・・・・」

この合唱もフェイドアウトして行き、テノール独唱が「このあたりにしておこう」と口上を述べ、いきなり舞台から引くかのように唐突なトゥッテイで曲は終わる。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ラトルの歯切れのいい演奏は、この作品の持つ明快さにぴたりときます。
前半のミステリアスな雰囲気から、最後の爆発まで、その段階的な盛り上がりも緻密に練り上げられていて、オーケストラの優秀さも手伝って実に精度の高い演奏だと思います。
唯一の不満は、プレヴィンが聞かせたような微笑み、というかにこやかさかな。

現在のイギリスを代表する3人の歌手も素晴らしく、クーテの深みのあるメゾがとくに素敵だった。

このCDのよさはもうひとつ、カップリングの豪華さにもあります。
「春の交響曲」をメインに、それを「シンフォニア・ダ・レクイエム」と「青少年のためのオーケストラガイド」の名作2品で挟んでいます。
どれもその作品の決定的な名演となってます。
ラトルを初めて聴いた1985年、フィルハーモニア管との来日で青少年を聴いてます。
レクイエムは、バーミンガムとの来日で聴けなかったのですが、NHKで放送されたラトルのこの楽譜のオリジナル探しの熱心さ、思い入れのある作品なんだなと、その緊張感の高さからよくわかります。

ラトルは、戦争レクイエムは指揮しますが、オペラを指揮しません。
そして、ベルリンよりロンドン響とのコンビは最高だったと思います。
バイエルン放送響とも相性の良さを感じますが、ロンドンとの別れはもったいなかったな、と。

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(再掲)よい時代だったなぁ~無理して全部行けばよかったなぁ~

1999年5月、東京ではまったく同時期にこんな演奏会が行われた。

 ①ヒコックスと新日本フィル  エルガー「序奏とアレグロ」
                 デーリアス「ブリッグの定期市」
                 ブリテン「春の交響曲」

 ②ヒコックスと新日本フィル  ラヴェル「マ・メール・ロワ」
                 カントルーヴ「オーヴェルニュの歌」
                 V・ウィリアムズ 交響曲第5番

 ③プレヴィンとN響       ベートーヴェン 交響曲第4番
                 ブリテン「春の交響曲」

 ④プレヴィンとN響       プレヴィン「ハニー&ルー」
                                                                「ヴォカリーズ」

                  V・ウィリアムズ 交響曲第5番

私は悩んだ末に、①と④を選択しコンサートに出かけた。

まさに、その時、東京の5月は「春から夏」への一番美しい季節の真っ盛りであった。

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2024年5月14日 (火)

東京交響楽団 定期演奏会 ジョナサン・ノット指揮

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青く、めちゃくちゃ天気のよかった土曜日。

ミューザ川崎での東京交響楽団の演奏会に行ってきました。

ラゾーナ側から回り込んだので、ちょっと違うアングルのミューザ川崎です。

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  武満 徹   「鳥は星形の庭に降りる」(1977)

  ベルク   演奏会用アリア「ワイン」(1929)

             S:高橋 絵理

  マーラー   交響曲「大地の歌」 (1908)

    Ms:ドロティア・ラング

    T :ベンヤミン・ブルンス

  ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

    (2024.5.11  @ミューザ川崎シンフォニーホール)

2014年の音楽監督就任以来、当初より取り上げてきたこのコンビのマーラーの最終章。
大地の歌をもって、すべて取り上げたことになるそうです。
あと2年の任期がありますが、ずっと続いて欲しいというファンの思いもありつつ、こうしてひとつの節目とも呼ぶべき憂愁あふれるプログラムを体験すると、残りの任期をいとおしむことも、またありかな。
そんな思いに包まれた感動的なコンサートだった。

プログラムの選定のうまさは、知的な遊び心以上に、われわれ愛好家の心くすぐる演目ばかりであることからうかがえることばかりでした。
都内の保守的な聴き手の多いオケや、入りを気にしなくてはならない地方オケでは、絶対に出来ない演目ばかり並ぶノットのこれまでの演奏会。

今回は、時代をさかのぼる順番で、マーラーに端を発する音楽の流れを体感させてくれました。
もっとさかのぼると、トリスタンとパルジファルがあって、マーラーときて、新ウィーン楽派・ベルクときて、ドビュッシーにして武満です。
マーラーは終着ではなくて、通過点であり、その先の音楽の豊穣があることを確信させるような演奏、「Ewig・・・ewig」繰り返される「永遠に」の言葉が今宵ほど美しく、この先が明るく感じられる演奏はなかった・・・・

①「鳥は星形の庭に降りる」

 調べたら手持ち音源は、小澤、岩城、尾高と武満音楽を得意とする日本人指揮者の音盤をいずれも持っていた。
さらに記憶をたどると、岩城宏之指揮するN響のライブも聴いていた。
いずれも遠い彼方にある音楽だったが、今宵はドビュッシーとベルクの延長線上にもある武満音楽を我ながらすごい集中力で持って聴くことができた。
武満作品は、演奏会の冒頭に置かれることが多いので、どうしても後々の印象が薄くなったり、演奏に入りきれないまま終わってしまうケースが多いと思う。
今回は事前に、この日のプログラムを演奏順にCDで予習してきたので、後半に明らかにベルクを思わせるシーンを捉えていたので、まんじりとせず、耳をそばだてながら聴いた。
静謐さのなかに、鳥の舞い降りるイメージや音がホールの空間に溶けていってしまう様子など、ノットの共感に満ちた指揮ぶりを見ながら、音楽を感じ取ることができました。

②「ワイン」

 名品「初期の7つの歌」のオーケストラ編曲をした翌年、「ワイン」は「ルル」を書き始める前に書かれたコンサート・アリア。
3つの部分でなっていたり、シンメトリーが形成されていたり、イニシャルと音階への意味づけ、ダ・カーポ形式といういわば古い酒袋に十二音技法を詰め込んだような、そんなベルクらしいところが満載な音楽なんです。
アバドのCDと、ベームのライブなどを何度も聴いて、その芳醇な音楽とルルを思わせるシーンがいくつもあることなどで、大いに楽しみだった。
まず、ソプラノの高橋さんのぶれの一切ない強いストレートな声に驚いた。
リリックソプラノを想定したアリアだけれど、私の席に届いた声はもっと強靭にも感じた一方、タンゴの部分でのしゃれっ気ある身のこなし、軽やかな歌いこなしなど、表現の幅も広く、感心しながらも楽しみつつ拝聴。
ノットの指揮するオーケストラも、ベルクのロマン性と先進性をともに表出していて、ベルク好きの私を陶然とさせていただきました。

③「大地の歌」

 コンサートチラシにある言葉「人生此処にあり」
この言葉が意味するごとく、「生は暗く、死もまた暗し」・・・ではなくって、人生いろいろ、清も濁もみんなあり、みんな受け入れようじゃないか・・・そんな風に感じた、スマートかつスタイリッシュな「大地の歌」だったように思います。
ご一緒した音楽仲間がタイムを計測してまして、60分を切るトータルタイムだったと証言してます。
早い部類に属するかと思いますが、聴いてて絶対にそんな風に感じさせない個々のシーンの充実ぶりと、気持ちのこもった濃密さ。
概して明るめの基調だったわけですが、歌手の選択にもそれはいえて、ふたりの声の声質は明るめでした。

 テノールのブルンスは、出てきたときからどこかで見たお顔とずっと思い聴いてた。
帰って調べたら、バイロイトのティーレマン指揮のオランダ人(グルーガーの変な演出)のときに舵手を歌っていた人だった。
さらにみたら、バッハコレギウムでエヴァンゲリストも歌ってました。
だから声はリリカルで柔らかくもあり、強いテノールでもないが、張りのある声と言語の明瞭さが決してその声を軽く印象付けることがなかった。
聴いた瞬間に、タミーノを歌う歌手だなとおもったら、やはり重要なレパートリーのひとつだった。
3つの楽章、みんな明瞭かつ清々しい歌唱だったが、「春に酔った者たち」がマーラーの音楽と詩の内容とが巧みにクロスするさまも交えて、とても印象的だった。
ヒロイックでないところがいちばん!

 メゾのドロティア・ラングは、名前からするとドイツ系と思われたがハンガリー系とのこと。
Dorottya Láng = わからないけれど、ハンガリー風に呼ぶならば、ドロッテッヤ・ラーンクみないた感じじゃないかしら、しらんけど。
身振り手振りも豊かに、音楽と詩への共感とのめり込み具合が見て取れる。
オペラでの経験も豊富で、オクタヴィアンと青髭のユーディットなども持ち役で、ドラマチックな歌唱も得意とするところから、この大地の歌も表現の幅がとても広く、ビブラートのないこちらもストレートで透明感ある声と思った。
「告別」での感情移入はなみなみのものでなく、わずかに涙を湛えているかのように見えました。
それでも表現が過度にならないところは、ノットの指揮にも準じたところで、客観性もともないながら、音楽の持つある意味、天国的な彼岸の世界を明るく捉えていたのではないかと思う。
東響の素晴らしすぎる木管群に誘われ、ラングの歌は、どんどん清涼感と透明感を感じるようになり、聴くワタクシも知らずしらず、歩調をともにして、マーラーの音楽と呼吸が合うようになり、いつしか涙さえ流れてました・・・・
こんなに自然に音楽が自分に入り込んできて、気持ちが一体化してしまうなんて。
彼女のナチュラルな歌唱、ノットと東響のお互いを知り尽くした自然な音楽造りのなさせる技でありましょうか。
「永遠に・・・・」のあと、音楽が消えても静寂はずっとずっと続きました。

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アフターコンサートは久方ぶりに、気の置けないみなさまと一献

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コンサートの感動でほてった身体に、冷たいビールが染み入りました。

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つくね、ハイボールもどこまでも美味しかった。

この土曜日は首都圏のオーケストラでは、同時間にいくつもの魅力的な演奏会が行われました。

それぞれに、素晴らしかったとのコメントも諸所拝見しました。

こうして音楽を平和に楽しめること、そんな日本であること、いつまでも続きますことを切に願います。

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2024年5月 3日 (金)

プロコフィエフ 「3つのオレンジの恋」 

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桜が終盤の秦野の出雲大社相模分祠。

秦野は近いし、商業施設も豊富なので、週に1~2回は行きます。

歴史ある施設も多く、行くたびにいろんな発見があります。

毎年の節分には、大相撲の力士も訪れ、豆まきをしますが、今年は近くの地元の熱海富士が来ました。

こんな日本の風物を、短期間ですが日本滞在したプロコフィエフはどの程度味わったでしょうか。

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プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

  プロコフィエフ 歌劇「3つのオレンジへの恋」op.33

1916年の「賭博者」につぐ、残されたプロコフィエフ3番目のオペラ。
「古典交響曲」を経てピアニストとしても絶頂にあったプロコフィエフ、3番目のピアノ協奏曲を手掛けた。
最初は喜んで迎えた革命も、もしかすると音楽家としてこの先、ロシアではうまくやっていけないのではないかと不安になり、アメリカに発つ。
1918年5月に出発、夏までのアメリカ航路がないため、3か月間日本に滞在し、東京や横浜でピアノコンサートを行ったのはご存知のとおり。
プロコフィエフの作曲活動のなかでは、「放浪記」などと呼ばれもしますが、この間に得たいろんな体験は、さまざまな作品のなかに刻まれてます。

このオペラの原作は、1720年ヴェネツィア生まれの劇作家カルロ・ゴッツィの同名の作品。
ゴッツィは仮面劇のコメディア・デッラルテの作者で、寓話的な作品が多い。
かの「トゥーランドット」もこの人の作だし、ワーグナーの処女作「妖精」もゴッツィの「蛇女」という作品がベース。
しらべたら、ヘンツェもゴッツィ作をオペラ化してたりする。

皮肉やユーモア、風刺に満ちたゴンツィの作風をロシアの見せかけ的な自然主義に満ちた演劇界に対する反論として、演劇雑誌を出版していた劇作家のメイエルホリド。
プロコフィエフは、このメイエルホリドとも親交があったので、「3つのオレンジへの恋」を特集したその雑誌をアメリカへの渡航にも持参していた。
ロシア語訳されたものを、プロコフィエフ自身がフランス語で台本をしたためていた。
渡米後、シカゴでの演奏会が成功し、同時にシカゴ・オペラから新作を委嘱され、ちょうどよろしく、この作品であてがうこととなった。
1921年に完成、依頼主のシカゴオペラの代表の死などがあり、初演がやや遅れたものの同年暮れに初演された。

プロコフィエフのオペラによくあるように、登場人物が多くて主役級はいるものの、全貌の把握が難解で、音源だけでは理解が完全には及ばないと思う。
「魔法をかけられた王子が魔術師の宮殿に導かれ、3つのオレンジを盗み、そのうちのひとつから出てきた女性と恋に落ちて花嫁として迎える」
こんなたやもないお伽話。
「行進曲」ばかりが有名だけど、確かにこの行進曲が鳴り響くと快感を覚えるほどにはまりますが、そればかりでない、この時期のプロコフィエフ節が随所に炸裂。
全4幕、1時間50分ほどのちょうどよい短さ。
深刻さゼロで気軽に聴ける音楽ではありますが、古典への傾きとともに、野心的なモダニズム、高揚感もたらすリズム、クールなニヒリズムなど、まさにプロコフィエフならではです。

おとぎの世界だから変な連中ばかり出てくる。

  架空の王国の支配者♣の王  バス
  その王子           テノール
  王女 王の姪         メゾソプラノ
  首相レアンドレ        バリトン
  トルファルディーノ 道化   テノール
  パンタロン 王の顧問     バリトン
  チェリオ 魔術師の王の守護者 バス
  ファタモルガーナ 魔女    ソプラノ
  リネッタ オレンジ1号   コントラルト
  ニコレット オレンジ2号  メゾソプラノ
  リネット  オレンジ3号   ソプラノ
  スメラルディーナ 黒人奴隷  メゾソプラノ
  ファルファレロ 悪魔    ジェームズ・ウルフ
  クレオンテ 巨大な調理人  バス
  司会者           バス
  悲劇、喜劇、抒情劇、茶番劇のそれぞれ擁護者
  悪魔、廷臣、大酒飲み、大食い、怪物、兵士・・・・たくさん

こんな訳のわからん連中がうじゃうじゃ出てきて、まくしたてたり、わらったり、嘲笑したり、泣き叫んだりを大げさにしますよ。
舞台映像も数種観たけれど、かぶりもの、コスプレ、考え抜かれ凝りにこった装置など、見た目も楽しい、なにもそこまで的な愉快なものばかり。
しかし、劇も音楽も面白いけど、内容の深みは少なく浅薄に感じるんだよな~
前のオペラ「賭博者」はドストエフスキーの描いた人間のサガや、ロシア人の留まることをしらない没頭ぶりと、冷淡さを音楽でも見事に表現しつくしていた。
このあとに来る「炎の天使」の狂気すれすれの緊張感ともまた違う。

のちにプロコフィエフが語ったこと、「私が試みた唯一のことは、面白いオペラを書くことでした」。
まさに、この言葉につきます。
素直にこのドタバタ劇の奇想天外なストーリーを楽しみ、そこに軽やかまでに乗ったプロコフィエフの洒脱な音楽を楽しむに尽きるのであります。

物語りや人物たちに、いろんな比喩や風刺の意味合いを読み解くこともアリだとは思うけれど、私はそこまでのことをして、この愉快なオペラをひねくり回したくはない。
むしろ、ドネツクで生まれたウクライナのプロコフィエフという側面で、かつては
ロシア帝国の人だった彼が、ロシア革命を嫌い出て行った、そのプロコフィエフがこんな軽い仮面劇をベースにしたオペラを書いた。
アメリカに行けた解放感もあったであろう。
また思えば、ウクライナはロシア帝国の一部であり、音楽はチャイコフスキーもプロコフィエフも両国が同根であることを忘れてはいけないと思う。

ややこしいそのあらすじ

プロローグ

悲劇、喜劇、抒情劇、それぞれの役者たちがどんな劇をみたいのか争うが、おかしな人々も加わり、「3つのオレンジへの恋」を主張する。
伝令が登場し、クラブの王の息子の王子がうつ病になったと告げる。

第1幕
 
医者は王子が治る見込みはないと報告、絶望の王は、笑いによる奇跡の力を思い起こす。
顧問パンタロンは、道化師のトルファルディーノに助けを求め宮廷で余興大会を開催することとする。
王の座をねらう首相レアンドロは、これに反対

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王派の魔術師チェリオと首相派の魔女モルガーナがトランプ対決を行うが、チェリオは負けてしまう。
王の姪は、首相に王位をあたえ結婚しようとたくらむ、そのためには王子の病状を悪化させようと薬を盛るか、銃弾でやるかを首相にせまる。
これを聞いてしまった召使のスメラルディーナは、ふたりに捕まってしまうが、かわりにチェリオが後ろについてることと、モルガーナが助けてくれるだろうと進言し仲間になる。

第2幕

道化トルファルディーノがいくら頑張って笑わそうとしても王子は無反応。
王子を無理やり宮廷の広間に引き出す。
そこで始まる「行進曲」、さまざまな連中が入場してくる。

ばかげたダンスや出し物が演じられたにもかかわらず、王子は無反応で見事に失敗。
しかし、そこへ魔女のファタモルガーナが登場し、自分がいる限りは王子には笑いはないよ、と宣言。
トルファルディーノが警戒し、彼女が王子に近づくのを阻止しようと突き飛ばすと、派手にひっくり返ってしまう。
それを見た王子は笑い出してしまい、止まらない。

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怒ったファタモルガーナは、王子に対し「3つのオレンジに恋をせよ!」と呪いをかけてしまう。
王子は、クレオントの城にむけて、トルファルディーノを引き連れて出立する。

第3幕

魔法使いチェリオは、悪魔ファルファレロを呼び出し争うが、すでにトランプで魔女に負けているので敵わない。
そこへ王子とトルファルディーノがあらわれ、チェリオは、これから向かうクレオントの城では3つのオレンジを守っている料理女に気を付けろ、と魔法のリボンを渡す。
さらに、水のあるところでなければ、オレンジの皮をむいてはいけないと警告。

城に到着した二人は、不安で一杯。
そこへ大きな料理人がひしゃくを持って出てきて、行く手を阻止する。
トルファルディーノが魔法のリボンをみせると、料理人はリボンを気に入ってしまい、そのすきに王子は3つのオレンジを持って逃げる。

砂漠へ逃げた王子、オレンジたちはどんどん大きくなるが、疲れ切った王子は寝てしまう。
ぜんぜん起きてくれない王子の横で、喉が渇いたトルファルディーノはオレンジのひとつの皮をむいてしまう。
すると中から王女リネットがあらわれるが、彼女は飲み物を求める。
トルファルディーノは、ふたつめのオレンジの皮をむくが、その間リネットは死んでしまう。

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2つ目のオレンジからは、王女ニコレットがあらわれるが、彼女も飲み物を求めやがて死んでしまう。
困惑したトルファルディーノは逃げてしまう。
やがて眼をさました王子は王女の死を悲しみ、通りかかった兵士たちに、亡くなったふたりの王女の埋葬を依頼し、3つ目のオレンジに手をかける。
すると今度は違う王女、ニネットがあわられる。
彼女は愛を告白し、ふたりは恋に落ちるが、またしても喉の渇きを訴えるものの、そこへプロローグで出てきた「おかしい人々」が水を持ってきて、彼女は救われる。
王子は、ニネットを連れて宮廷に戻ろうとするが、こんな格好ではいけないわと言うので、立派な服を持ってくるよと言い残して去る。
そこへ召使のスメラルディーナとファタモルガーナが出てきて、リネットに魔法のピンを刺してしまう。
すると彼女はネズミに変ってしまう。
行進曲が聴こえ、王子が王様ご一行を連れて戻ってくると、スメラルディーナが自分が王女ですと名乗り出る。
王子はこんなの違うと言い張りますが、王は結婚を命じてしまし、首相と王の姪はほくそ笑む。

第4幕

チェリオとファタモルガーナがまたもや口論をして争うが、ここでまた「おかしい人々」が出てきて、ファタモルガーナを突き飛ばしてやっつけてしまう。

宮廷では王子の結婚式の準備が進んでいるが、王女の席にはネズミがいる。
チェリオが魔法を解いてあげると、そこには王女リネットが戻ってくる。
今回の謀反に気が付いた王は、3人の首謀者の処刑を命じる。
しょっぴかれる3人であるが、そこへファタモルガーナが出現し、3人を連れて姿を消す。

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国王と廷臣たちは、大いに喜び、王子と王女を新婚夫婦として祝福します。

          

荒唐無稽のありえへん物語ですな。
この寓話に、なにを見るか、なにが風刺されているかを考えたり、読み解くことはできるだろうか。
それは難解で、極めて無理難題なこじつけをするしかない。
音楽だけを聴くならば、プロコフィエフのナイスな音楽、ユーモアにあふれた音楽、行進曲など感覚を刺激する音楽を楽しむにつきる。
そして舞台映像としてはいくつかあるが、最新の技術で克服されたユニークで巨大な舞台装置や、登場人物たちの奇想天外な衣装や化粧などを、なにも考えずに観て楽しむにつきます。

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  架空の王国の支配者♣の王  ガブリエル・バキエ
  その王子           ジャン=リュク・ヴィアラ
  王女 王の姪         エレーヌ・ペラギャン
  首相レアンドレ        ヴァンサン・ル・テキシエ
  トルファルディーノ 道化   ジョルジュ・ゴーティエ
  パンタロン 王の顧問     ディディエール・アンリ
  チェリオ 魔術師の王の守護者  グレゴリー・ラインハルト
  ファタモルガーナ 魔女     ミシェル・ラグランジュ
  リネッタ オレンジ1号    ブリギッテ・フルニエ
  ニコレット オレンジ2号   キャスリーン・デュボスク
  ニネット  オレンジ3号   コンシュエーロ・カローリ
  スメラルディーナ 黒人奴隷   ベアトリス・ユリア=モリゾン
  ファルファレロ 悪魔    ジェームズ・ウルフ
  クレオンテ 巨大な調理人  ジュール・バスタン
   ほか多数

    ケント・ナガノ指揮 リヨン国立歌劇場管弦楽団
              リヨン国立歌劇場合唱団

       (1989.3~4月 リヨン)   

唯一持ってる音源。
いつもオペラを親しむすべとして、ともかくこのCDは何度も聴きまくりました。
海外盤なのでフランス語主体のリブレットは、英語訳でも字数がやたらと多くて難解。
だから、何度も聴いてその音楽を親しむのみ。

ナガノはこうした洒脱な作品には、抜群の切れ味を示します。
多くの演者を従え、難解なオーケストラも完璧に統率。
唯一のわずかな不満は、不真面目さがないことで行儀がよすぎること、遊び心が少なめなところ。

バキエやバスタンなど、懐かしい男声歌手。
リリックな王子役、芸達者な道化役や、かわいらしいオレンジ3号など、劇場でいつも歌ってる歌手たちのまとまりの良さも特筆です。
この音源には、スタジオ収録的な映像作品もあり、ネット上で確認もしましたが、やや時代を感じさせるもので舞台も簡潔なものでした。

ゲルギエフとマリンスキー劇場が日本でも上演していて、そのときの舞台がどんなものだったか、また音源は非ロシアのものばかりですので、ロシア人による演奏も気になるところです。

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  架空の王国の支配者♣の王  マルティアル・デフォンティン
  その王子           アラン・ヴェルヌ
  王女 王の姪         ナターシャ・ペトリンスキー
  首相レアンドレ        フランソワ・ル・ルー
  トルファルディーノ 道化   セルゲイ・コモフ
  パンタロン 王の顧問     マルセル・ブーネ
  チェリオ 魔術師の王の守護者  ウィラード・ホワイト
  ファタモルガーナ 魔女     アンナ・シャフジンスカヤ
  リネッタ オレンジ1号    シルヴィア・ゲヴォルキアン
  ニコレット オレンジ2号   アガリ・デ・プレーレ
  ニネット  オレンジ3号   サンドリーヌ・ピオー
  スメラルディーナ 黒人召使   マリアンナ・クリコヴァ   
  ファルファレロ 悪魔    アレクサンドル・ヴァシリコフ
  クレオンテ 巨大な調理人  リチャード・アンガス
   ほか多数

 ステファヌ・ドゥヌーヴ指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
                ネーデルランド・オペラ合唱団

       演出:ローラン・ペリー

       (2005  アムステルダム音楽劇場) 

DVDでの鑑賞。
これは実に面白かったし、いろんなアイデア満載で、しかも笑えました。
ペリーならではのお洒落でセンスあふれる舞台と、登場人物たちの自然な所作で共感を呼ぶ描写の数々。
そして衣装や舞台装置もデフォルメされつつ超リアルで、見ていてほんとに楽しい。
それらがプロコフィエフのリアリスティックな音楽に奥行きを与え、ファンタジー感もプラスしている。

ドゥヌーヴの明快な指揮がよい。
親日家のドィヌーヴ氏は、故小澤さんのオペラにおける弟子的な存在にもなりましたが、プロコフィエフのリズミカルな局面をとてもよくつかんでオランダのオケから鮮やかなサウンドを引き出している。
荒唐無稽なオペラの進行のなかにも、しっかりとした音楽性とオペラティックな雰囲気や呼吸をよく出していると思う。
ペリーの演出では、指揮者も演者のひとりとなり、道化のトルファルディーノがピットに降りて来たりで、愉快な場面を演じてました。

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王子の正妻役となるニネット姫を若きピオーが演じていて、その声の無垢な佇まいと、この役に与えられた可愛さを短い出番ながら完璧に歌い演じてました。
ほかの諸役も特色ある役柄をそれぞれユニークな存在として歌い演じて、誰ひとり穴がなくなり切っているところが面白い。
いつまでもパジャマ姿のヴェルヌの王子役と道化のセルゲイ・コモフのやりとりも愉快。
ウォータンのような杖を持ったウィラードの貫禄と強烈な声によるチェリオ。
ナターシャ・ペトリンスキーの悪役だけど、姪役が美人でなによりだった。

通常のDVDでの視聴だったが、ブルーレイでの視聴になれてしまうと、映像の輪郭の甘さが気になってしょうがない。
こうした作品こそ、ブルーレイ化して欲しいものです。

あと、音源や映像では、ゲルギエフ、ソフィエフ、ハイティンクなどがあり、とくにグラインドボーンでのハイティンクの着ぐるみ満載の舞台をなんとか見てみたい。



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