ブリテン 「春の交響曲」 ラトル指揮
季節は春が過ぎ、初夏の趣きですが、こちらは5月のはじめの富士とネモフィラ。
いつも行く秦野の街から。
雪もまだ充分残ってますが、いまはもうだいぶ溶けてます。
このときも、静岡側はかなり融雪が進んでいたようです。
梅雨と初夏を迎えようとするいま、大慌てで「春の交響曲」を聴きました。
ブリテン 「春の交響曲」op.44
S:エリザベス・ワッツ
Ms:アリス・クーテ
T:アラン・クレイトン
サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団
ロンドン交響合唱団
ティフィン少年少女合唱団
合唱指揮:サイモン・ハルシー
ジェイムス・デイ
(2018.9.16,18 @バービカンホール、ロンドン)
「ピーター・グライムズ」のアメリカでの上演を機に、クーセヴィツキーと親交を深めていたブリテン。
1946年、そのクーセヴィッキーの委嘱により、規模の大きな合唱とオーケストラ作品を、ということになり、構想を練ることとなった。
しかし、なかなか筆が進まず、ブリテンは精神的・肉体的に疲れていると吐露していたらしい。
構想も整い、1948年に作曲は軌道にのり、1949年春に完成。
ブリテン36歳。
同年7月に、アムステルダムで初演された。
ベイヌムの指揮、コンセルトヘボウのオーケストラに、ヴィンセント、フェリアー、ピアーズの3歌手によるものだった。
ボストンでなかったこと、コンセルトヘボウでは録音も現在に至るまでなされておらず、もっぱらロンドンのオケばかりの録音になっているところが面白い。
この作品が好きで、これまで、ガーディナーとプレヴィンの演奏を取り上げてます。
演奏会でもなかなか取り上げられませんが、もう25年も前の5月に、ヒコックスの指揮で実演に接しております。
久しぶりにあらわれたラトル卿の音盤を手に、この5月は歓喜に浸っております。
以下、以前の記事に少し手を加えて再掲します。
ソプラノ・アルト・テノールの独唱と少年合唱・合唱をともなった大規模な全4部12曲からなる合唱付き交響曲。
同時代の作曲家と違い、交響曲作家ではなかったブリテンならではの作品。
「冬から春への移りかわりと、それが意味する大地と命の目覚め」について書いたとしていて、サフォーク州の春の劇的な訪れにインスピレーションを得ている。
季節の移ろいと、その力強さ、その1年の流れを人生にもなぞらえて、聴く私たちに伝えてくれる素敵な音楽。
イギリスの春は、日本のようにゆるやかに、まったりとやってくるのでなく、劇的に訪れる。
春は、「地球と生命の目覚め」でもあるという。
16~18世紀の英国詩人12人の作品と、ウィリアム・ブレイクや友人でもあったウィスタン・ヒュー・オーデンの同時代の詩を巧みに組み合わせたテクスト。
ちなみに、ブリテンはオーデンの詩に多くの歌曲を作曲しており、CDもいくつか持ってますのでいずれ取り上げたいと思います。
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①太陽への憧れを歌う冒頭から、小鳥やカッコウの声が聴かれる場面、少年合唱は軽やかに口笛を吹き、楽しい第1部。
②終戦を迎えたのも春。反戦の感情も込めしみじみとした第2部。
③スケルツォであり牧歌的・リズミカルな第3部。
④そして歓喜が爆発する、第4部フィナーレ。ここでは、ロンドンの街と英国への晴れやかな賛歌が歌われる。さらに中世イギリスのカノン「夏はきたりぬ」が少年合唱が高らかに歌い始める。
感動にあふれるシーンで、心が解放され春から夏を寿ぐ気持ちにあふれる。
「夏がきた、かっこうは鳴き、花は開き、木々は緑・・・・・・」
この合唱もフェイドアウトして行き、テノール独唱が「このあたりにしておこう」と口上を述べ、いきなり舞台から引くかのように唐突なトゥッテイで曲は終わる。
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ラトルの歯切れのいい演奏は、この作品の持つ明快さにぴたりときます。
前半のミステリアスな雰囲気から、最後の爆発まで、その段階的な盛り上がりも緻密に練り上げられていて、オーケストラの優秀さも手伝って実に精度の高い演奏だと思います。
唯一の不満は、プレヴィンが聞かせたような微笑み、というかにこやかさかな。
現在のイギリスを代表する3人の歌手も素晴らしく、クーテの深みのあるメゾがとくに素敵だった。
このCDのよさはもうひとつ、カップリングの豪華さにもあります。
「春の交響曲」をメインに、それを「シンフォニア・ダ・レクイエム」と「青少年のためのオーケストラガイド」の名作2品で挟んでいます。
どれもその作品の決定的な名演となってます。
ラトルを初めて聴いた1985年、フィルハーモニア管との来日で青少年を聴いてます。
レクイエムは、バーミンガムとの来日で聴けなかったのですが、NHKで放送されたラトルのこの楽譜のオリジナル探しの熱心さ、思い入れのある作品なんだなと、その緊張感の高さからよくわかります。
ラトルは、戦争レクイエムは指揮しますが、オペラを指揮しません。
そして、ベルリンよりロンドン響とのコンビは最高だったと思います。
バイエルン放送響とも相性の良さを感じますが、ロンドンとの別れはもったいなかったな、と。
(再掲)よい時代だったなぁ~無理して全部行けばよかったなぁ~
1999年5月、東京ではまったく同時期にこんな演奏会が行われた。
①ヒコックスと新日本フィル エルガー「序奏とアレグロ」
デーリアス「ブリッグの定期市」
ブリテン「春の交響曲」
②ヒコックスと新日本フィル ラヴェル「マ・メール・ロワ」
カントルーヴ「オーヴェルニュの歌」
V・ウィリアムズ 交響曲第5番
③プレヴィンとN響 ベートーヴェン 交響曲第4番
ブリテン「春の交響曲」
④プレヴィンとN響 プレヴィン「ハニー&ルー」
「ヴォカリーズ」
V・ウィリアムズ 交響曲第5番
私は悩んだ末に、①と④を選択しコンサートに出かけた。
まさに、その時、東京の5月は「春から夏」への一番美しい季節の真っ盛りであった。
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