ラヴェル ラ・ヴァルス アバド、小澤、メータ
平塚の七夕まつり、今年は7月5日から7日までの開催で、極めて多くの人出となりました。
オオタニさんも登場。
なんだかんでで、市内の園児たちの作品を集めた公園スペースが例年通りステキだった。
スポンサーのない、オーソドックスな純な飾りがいいんです。
こちらはゴージャスな飾りで、まさにゴールドしてます。
ドルの価値失墜のあとは、やっぱり「金」でしょうかねぇ。
去年のこの時期にラヴェル、今年もラヴェルで、よりゴージャスに。
いまやご存命はひとりとなってしまいましたが、私がクラシック聴き始めのころの指揮者界は、若手3羽烏という言い方で注目されていた3人がいました。
メータが先頭を走り、小澤征爾が欧米を股にかけ、アバドがオペラを押さえ着実に地歩を固める・・・そんな状況の70年代初めでした。
3人の「ラ・ヴァルス」を聴いてしまおうという七夕企画。
2023年の七夕&高雅で感傷的なワルツ
ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
(1970年 @UCLA ロイスホール LA)
メータが重量系のカラフルレパートリーでヒットを連発していた頃。
ここでも、デッカのあの当時のゴージャスサウンドが楽しめ、ワタクシのような世代には懐かしくも、郷愁にも似た感情を引き起こします。
現在では、ホールでそのトーンを活かしたライブ感あふれる自然な録音が常となりましたが、この時期のデッカ、ことにアメリカでの録音は、まさにレコードサウンドです。
メータの明快な音楽造りも分離のよい録音にはぴったりで、重いけれど明るい、切れはいいけれど、緻密な計算された優美さはある。
ということで、この時期ならではのメータの巧いラヴェル。
なんだかんでで、ロスフィル時代のメータがいちばん好きだな。
小澤 征爾 指揮 ボストン交響楽団
(1973.3 @ボストン・シンフォニーホール)
日本人の希望の星だった70年代からの小澤征爾。
こちらもボストンの指揮者になって早々、ベルリオーズ・シリーズでDGで大活躍。
次にきたのは、ラヴェルの作品で、この1枚を契機にラヴェルの生誕100年でオーケストラ曲全集を録音。
1枚目のボレロ、スペイン狂詩曲、ラ・ヴァルスは高校時代に発売された。
ともかく、小澤さんならではの、スマートでありつつしなやか、適度なスピード感と熱気。
カッコいいのひと言に尽きる演奏だといまでも思ってる。
しかし、発売時のレコ芸評は、某U氏から、うるさい、外面的などの酷評を受ける。
そんなことないよ、と若いワタクシは思ったものだし、新日フィルでのラヴェル100年で、高雅で感傷的なワルツと連続をて演奏されたコンサートを聴いたとき、まったく何言ってんだい、これこそ舞踏・ワルツの最高の姿じゃんかよ!と思ったものでした。
同じころの、ロンドン響とのザルツブルクライブもエアチェック音源で持ってますが、こちらは熱狂というプラス要素があり、最高です。
クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
(1981.@ロンドン)
なんだかんだ、全曲録音をしてしまったアバドのラヴェル。
その第1弾は、展覧会の絵とのカップリングの「ラ・ヴァルス」
メータのニューヨークフィルとの「ラ・ヴァルス」の再録音も同じく「展覧会の絵」とのカップリング。
ラヴェルの方向できらびやかに演奏してみせたメータの展覧会、それとは逆に、ムソルグスキー臭のするほの暗い展覧会をみせたのがアバド。
アバドのラ・ヴァルスは、緻密さと地中海の明晰さ、一方でほの暗い混沌さもたくみに表現している。
1983年のアバドLSOの来日公演で、この曲を聴いている。
しかし、当時の日記を読み返すと、自分の関心と感動の多くは後半に演奏されたマーラーの5番に割かれていて、ラヴェルに関しては、こて調べとか、10数分楽しく聴いた、オケがめちゃウマいとか、そんな風にしか書かれておらず、なにやってんだ当時のオマエ、といまになって思った次第。
スピードと細かなところまで歌うアバドの指揮に、ロンドン響はピタリとついていて、最後はレコーディングなのにかなりの熱量と、エッチェランドで、エキサイティングなエンディングをかもし出す演奏であります。
2年前の七夕の頃に暗殺された安倍さん、そしてあってはならないことに、アメリカでトランプ前大統領が銃撃を受けた。
世界は狂ってしまった。
しかし、その多くの要因はアメリカにあると思う。
自由と民主主義をはきかえ、失ったアメリカにはもう夢はないのか。
そうではないアメリカの復活が今年の後半に見れるだろうか。
日本もそれと同じ命運をたどっている、救いはあるのか・・・・
平和を!
平安と平和ファーストであって欲しい。
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コメント
yokochan様、昨年亡くなったベルリン・フィル初の日本人奏者だったヴィオラの土屋邦雄氏が、’73年の来日時に受けたインタビューでやはり
「ポストカラヤンはアバド、メータ、小澤のうちの誰か。これがベルリン・フィル全員の総意です。」と話しておられたのを記憶しております。やはりそうなのだなあと。自然、それからはより年かさの巨匠達は別にして、この若き三英才を中心に実演も録音も追いかけたもので。ところがアバドは’81年スカラ座まで待たされ、メータはyokochan様同様プロモーターの倒産でブルックナー7番を聴きそびれ、小澤さんのみは今や珍品の思い出サンプラザの第九や日本語訳詞の「大地の歌」とむしろちぐはぐな七十年代でしたかも。メータは別にしてアバドと小澤さんは八〜九十年代に幾つもの名演に接しましたが。
ところで数年前から何人かのマエストロがセクハラの糾弾を受け、レヴァインは名誉回復の機会なく他界しましたがデュトワとガッティは拾う神ありなのか再び指揮台に戻ったようで。昨今はロトが槍玉に上がっていますが、また違った三羽烏などと呼ばれなければなどと…。
投稿: Edipo Re | 2024年7月18日 (木) 20時37分
Edipo Reさんこんにちは、コメントありがとうございます。
そうなんです、土屋さんのインタビューをいまでも懐かしく思い出します。
ベルリンフィルの意向はその3人で、ウィーンが評価したのは、小澤でなくマゼールだったと記憶してます。
メータは2度聴き逃した経緯があります。
ひとつは件のブルックナーですが、N響でマーラー3番をやるというのでチケットを手配しましたが、土壇場で1番に変更。
な~んだ、ということでキャンセルしました。
そのメータ様が、カレー・パワーで長命でお元気。
しかし巨匠風のメータは、自分の中ではちょっと違う気がして・・・・
セク〇ら、三羽烏はいずれもラテンの血の流れる男衆。
さすがといいますか、なんといいますか。
レヴァインは毛色が違いますようで・・・・
投稿: yokochan | 2024年7月19日 (金) 20時47分