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2024年9月

2024年9月28日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番、5番、6番 マケラ指揮

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浅草の浅草寺の山門。

都会を離れて、浅草もしばらく行ってないので、過去の写真ホルダーを眺めて選択しました。

東京オリンピックの年に撮影したもので、まだコロナ禍にあり、外国人観光客はほとんどおらず、制限解除されたばかりのときで、日本人ばかりのいまやレアな浅草の町でございましたねぇ・・・・

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六区どおりもご覧のとおり、平和な雰囲気でしたね。

田谷力三さんの写真も、もはやその人の名も知ることのない若者や外人さんたちばかりになりました。
いまやwikipediaの力を借りないと、こうした偉人のなんたるかがわからない世の中にもなってしまった。

中途半端な初老の自分が、つい数年前の静かだった日本を思いつつ、台頭著しい若手指揮者の演奏を聴きつつ思う秋の日。

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 ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 op.43
     
           交響曲第5番 op.47

           交響曲第6番 op.54

  クラウス・マケラ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

      (2022.9、2023.5、2022.1  @オスロ)

飛ぶ鳥を落とす勢いのマケラ君はまだ28歳。
多くの有力指揮者を輩出しているヨルマ・パルマ門下でフィンランド出身。
オスロ・フィルの首席指揮者(2020~)、パリ管の音楽監督(2021~)にあり、さらには、2027年からは、コンセルトヘボウの首席とシカゴ響の音楽監督に就任することが決っている。
有望指揮者をいち早く抑える、いまや大物不在の指揮者界をあらわすような、そんな世界のオーケストラ界。

この目覚ましい躍進ぶりを、どこか醒めた目で眺めていた自分。
高身長のイケメンさんだけど、その前の黒縁メガネをかけていた、どこかガリ勉君のような風貌の頃に、ドイツの放送オケやオスロを指揮したシベリウスをネット視聴した程度で、お国ものをしっかり振れる若者だ、程度の認識でした。
それがあれよあれよと、いまの目を見張るご出世ぶり。
日本にも都響、オスロ、パリ管で早くも来日しているというが、まだ様子を見ようと警戒してたワタクシ。

しかし、数か月前、オランダの放送で、彼がチェロを担当した室内楽コンサートを聴き、これがコルンゴルトの五重奏曲だったものだから、自分にピタリと来るその感性に注目をしたものだった。
そう、指揮者に加え、マケラの本職のひとつはチェリストなんです。
自己を主張せずに、豊かな歌を聴かせてくれ、コルンゴルトの甘味な音楽をさわやかに表現してましたよ。

そして出てきたショスタコーヴィチの新盤。
先に出ているシベリウス全集も気になりますが、まずはこちらを聴いてみました。
いまの指揮者のトレンドは、マーラーもしかりですが、ショスタコーヴィチをレパートリーとしてしっかり演奏できることでしょう。
しかも、4・5・6番という3年以内に書かれた特色の異なる3曲、でも純粋交響曲でもあり、名誉失墜と回復の時期、さらにはその裏に隠された二重三重のホンネ、そんな交響曲を一挙に録音したマケラ。

① 交響曲第4番

ショスタコーヴィチの交響曲のなかで、一番好きな作品になった4番。
この情報満載の奇矯なる音楽を、極めてスマートに、その面白さをストレートに聴かせている。
われわれがこの曲に求める、いくつかの聴かせどころも外すことなく、こちらの思いの通りにスカッとやってくれる。
そして流れるように、すんなりと聴けてしまう66分間。
いや待てよ、これでいいのか?と思ったことも事実で、曲の持つダイナミズムは完璧だけれども、反面にあるニヒルな虚無感や不条理感は弱めで、音に熱さや、作者の描きたかった暗さと熱狂感も低めだと思った。
昨秋に聴いた井上道義の壮絶なライブに、当然ながら遠く及ばす、手持ちの数あるこの曲の音源のそれぞれのなかでは、やや薄味にすぎる演奏か。
録音時、まだ26歳のマケラが、この先、きっと何度も手掛けるであろうこの4番、どのように成長の証を刻んで聴かせてくれるであろうか、そうした楽しみに期待したい。

② 交響曲第5番

この作品をレパートリーとして、何度も指揮しているであろうことが、よくわかる自信に満ちた演奏。
聴きすぎて、かえって飽きてしまった5番だけれども、ここには4番の演奏で聴かれなかった切迫感や切り詰められた緊張感が指揮にもオケにも感じられる。
3楽章の切実さにはさらなる厳しさも求めたいが、5番の演奏の最大公約数的なものは押さえているし、すべての音が過不足なく聴こえる優秀録音もあり、細部までよく聴こえる表現力もよいと思う。
もっと賑々しくやってもいいとは思ったが、表面的な効果に終わることなく冷静な音楽の運びが好ましく、ここは逆に手慣れた作品を若さでぶっちぎるような演奏にしていないところがよいかと。
この作品にある意味求められる客観さを、逆に適格に表現しつくしたようにも思った次第。
その客観さとは、自分のなかに言えることでもあり、この作品に飽いた自分は、いつも醒めて白々しく聴いてしまうものですから・・・

③ 交響曲第6番

高校時代にムラヴィンスキーのレコードで衝撃を受けた6番。
そのときのカップリングはオネゲルの3番だった。
「序・破・急」の「序」の部分がメインになっている、その深淵なクールさを持ったアダージョ楽章から、とりとめのないスケルツォ、人を興奮状態に持って行ってしまうプレストな3楽章。
思えば、4番以上にナゾ多き6番かもしれず、かつてのムラヴィンスキーは、その謎を鋼のような厳しさとスピード感でもって煙に巻いてしまった(と思う)。
マケラとオスロのオケに、そのような芸当は期待できるものでないが、1楽章の思わぬ抒情性は美しかったし、スケルツォにおける軽妙さもなかなかのもの。
むちゃくちゃな終楽章も大真面目、しかし案外と面白みなくあっけなく終わってしまった。
この作品に完結感など求めにくいものだが、終わってみて、あれ、それで?って感じではありました。
マケラ君が数年後に任されるコンセルトヘボウを指揮したハイティンクが、この6番を堂々たるシンフォニック作品に仕上げていたのが懐かしい。

総じて辛めの評価となりましたが、それもマケラ氏への期待を込めてのもの。
この若さで、この見事なオーケストラドライブは大したものです。
オペラへの経験も深めて欲しいし、そうして更なる統率力や緻密さも得ることでしょう。
ちなみに、先月のプロムスでパリ管とやった「幻想交響曲」は実に瑞々しく、晴れやかな演奏でしたよ。

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浅草行ったらお土産はこれ。

舟和の芋羊羹とあんこ玉。

明治35年創業の老舗、こうした日本の美味しい伝統あるモノは永遠に残していって欲しいものです。

腐りきった政治に腹を立てつつ、もどかしい思いで聴いたショスタコーヴィチ。

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2024年9月22日 (日)

ワーグナー 序曲・前奏曲集 ネルソンス指揮

Autum

秋の日の空は高く、澄んだ空気が気持ちいい。

しかし、いつまでも気温は高く実感できない秋はこのまま終わってしまうのか?

そんなこと思いながら、またまたワーグナー。

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  ワーグナー 序曲・前奏曲集

 アンドリス・ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

    (2016~20  @ゲヴァントハウス)

ブルックナーの交響曲全曲録音の一環に、その余白にカップリングされていたワーグナー。

全集を購入したついでに、自分でひとつのファイルにまとめて作曲年代順に聴いてみました。

  「リエンツィ」序曲 (2020)
  「さまよえるオランダ人」序曲 (2020)
  「タンホイザー」序曲 (2016)
  「ローエングリン」第1幕 前奏曲  (2017)
  「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死 (2021)
  「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲  (2019)
  「ジークフリート牧歌」  (2018)
  「神々の黄昏」 葬送行進曲  (2018)
  「パルジファル」 前奏曲 (2018)

2016年から5年間に渡る録音期間。
ネルソンスがゲヴァントハウスのカペルマイスターに就任したのが2018年なので、こうして聴いてみると、最初の頃の演奏の方が大胆でユニーク、最近のものになるほど、音楽の恰幅が豊かになり緻密にもなっているのがわかりました。

また母国ラトビアのリガの歌劇場の指揮者も務めていたこともあるように、オペラでの経験も豊富で、バイロイトではお騒がせノイエンフェルスの「ローエングリン」で2010年に登場し、その後は「パルジファル」も予定されたかがキャンセル。
コヴェントガーデンでも、ワーグナーをいくつか指揮しているので、45歳という年齢を考えれば、ワーグナー指揮者として今後も期待できる大きな存在といってもいい。
ゆくゆくは、バイロイトでのリングも期待したいところだが、復帰するティーレマンとの兼合いも・・・・

バーミンガム時代(2008~15)のネルソンスのスマートな姿は、そのままシャープな音楽造りに表れていたが、ここ数年の大きくなった、しかも髭面の恰幅いいネルソンスの音楽は、豊かになり、かつ掴みも大きくなり、よりドラマテックになったと思う。

ここに聴くワーグナーも、タンホイザーはまるで一幅の交響詩のようで、堂々たる構えを持ちつつ切れ味も抜群。
しかし、バイエルンでペトレンコが指揮した同曲は、快速でありながら中身がギッシリと詰ったオペラティックな演奏だった。
このように、これらのネルソンスのワーグナーは、ブルックナーの余白を意識したようなオーケストラピース的なあり方としての演奏に思った。
一番新しいトリスタンの演奏は、極めて美しく、ゲヴァントハウスの優秀さ、対抗配置の弦の素晴らしさを実感できるし、ここには情念的なもの、こってりした高カロリーのワーグナーはなく、洗練された高度なオーケストラ演奏の鏡のようなものを感じる。
リエンツィでも勇壮さは遠く、ノーブルさもあり、パルジファルもすんなり美しい。

批判するともなく、褒めることもない内容になってしまったが、これがいまの世界トップクラスのオーケストラ演奏なのだ。
より高性能のもうひとつの手兵、ボストン響とやってもこのように美しいワーグナーが出来上がるだろう。

言いたかったのは、ゲヴァントハウスのオーケストラ、かつてのコンヴィチュニーの指揮で聴き親しんだあの音はどこへ行ってしまったんだろう、ということ。
そりゃもちろん、半世紀以上も経ったいま、生き物でもあるオーケストラが同じ響きや音色を出すこと自体がありえないことだろう。
しかし、コンヴィチュニーで聴くベートーヴェンやシューマン、ブラームスは自分にドイツのオーケストラそのもののイメージを与えてくれていた。
豊かな低音域に、渋めの中音域に彩られたその音色は、ちょうどいま聴きなおしてもみたが変わらずに素晴らしい。
 このゲヴァントハウスの音が変ったのは、マズアあたりからだろうか。
80年代以降は、ヴィンヤード型の現代的な新しいホールも出来て、録音で聴く音色の変化も明らかになったと思う。
ブロムシュテット、シャイーと指揮者が代わっていくなか、ゲヴァントハウスも変わっていった。
トマス教会でのバッハも、歌劇場のピットのなかでも、シャイーの指揮で聴くそれぞれは、あのゲヴァントハウスとは違ってしまった。
コンセルトヘボウがシャイーで変化したのと同じ印象だ。

Leipzig

地図をみるとわかるように、同じザクセン州にある近くのドレスデンは、イタリア人指揮者をこれまでも迎えつつも変わることなくドレスデンだった。
重心の低い演奏をすることもあるネルソンスが、今後、ゲヴァントハウスとボストンで、どんな演奏を残し、オーケストラをどのように導いていくか、ともに名門オケだけに責任重大だとおもうのだ。
ドレスデンはチェコとポーランドにも近く、南ドイツのミュンヘンはもっと下の方で、同じくオーストリアもドイツからしたら南の国。
こうして飽くことなく地図を眺めるのが好きです。

Leipzig-2

こちらがライプツィヒの文化の中心地で、ゲヴァントハウスとオペラハウスは至近で、近くにはメンデルスゾーンの家もある。
そしてトマス教会も見えていて、この3か所でゲヴァントハウスのオーケストラは忙しく活動しているわけです。

今後のこのコンビに期待するとして、これらのワーグナーのなかで、いちばん気に入ったのが「ジークフリート牧歌」でありました。
愛らしく幸せな音楽が、キリリと引き締まった演奏で、まぎれもないリング作成中のワーグナーの音楽であることがよくわかる本格演奏。
オーケストラとの親密な雰囲気も感じさせるのも桂演、よきコンビの証。

肝心のブルックナーの方は、まだ全部聴ききれてませんが、いつかまとめたいと思います。
それにしても、アニバーサリーとはいえ、コンサートもCDもブルックナーばかりで大杉。

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冬の煌めきとは違う、秋の宵の明星🌟

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2024年9月 8日 (日)

バイロイト2024 勝手に総括

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夏のワーグナーの祭典、バイロイト音楽祭は8月27日に終わり、ちょうどそのころは日本は居座る台風の影響で各地に被害が出ておりました。

ワーグナーの夏も終わり、台風の去ったあとは、朝に晩が過ごしやすくなり虫の音も優しく響きます。

ヨーロッパの音楽祭では、あとはプロムスが数日残すのみで、秋の本格シーズンを迎えることとなります。

行く夏を偲んで、恒例のバイロイト音楽祭を勝手に総括してしまうという試みをやります。

今年は祝祭劇場の写真を絵画風に編集し、タイトルもつけてしまった。

2024年の演目は、すでに取り上げた新演出の「トリスタンとイゾルデ」、「タンホイザー」(2019年)、「パルジファル」(2023年)  「ニーベルングの指環」(2022年)、「さまよえるオランダ人」(2021年)の5つ。
このうち3作品が女性指揮者によるもので、音楽面では画期的となったのが今年だ。
パルジファルはなぜか放送されなかったので、それ以外の作品を全部聴きました。
併せて、ずっと観たくもなかった「リング」の2022年プリミエ映像を全部視聴。

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  「トリスタンとイゾルデ」

    トリスタン:アンドレアス・シャガー
    イゾルデ :カミラ・ニールント
    マルケ王 :ギュンター・クロイスベック
    クルヴェナール:オルフール・シグルダルソン
    ブランゲーネ :クリスタ・マイヤー
    メロート :ビルガー・ラデ

  セミョン・ビシュコフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
               バイロイト祝祭合唱団
      合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ

      演出:トルレイファー・オルン・アルナルソン
      
               (2024.7.25)

カーテンコールに応えるニールントとシャガー。
ドラマテックな声でないニールントにはイゾルデは重いかもしれないが、その細やかな歌唱と柔和な声がとても新鮮だったし、愛の死は感動的だった。
チューリヒなどで、ブリュンヒルデにもチャレンジしているが、じっくりとニールントならではの役柄を極めて欲しいものです。
そして、グールド亡きあと、フォークトとともにバイロイトを支えるヘルデンはシャガー。
厳しさも備えつつ、そのタフな声は3幕では劇唱だった!
ごちゃごちゃした装置や道具満載の舞台に圧された感のあるビシュコフの指揮は、来年さらによくなるものと期待。
解釈を施さなくては、という呪縛が、変な演出と原作の本筋を外してしまうという昨今の演出。
アルナルセンも同じくで、最初から好き合っていた二人、妙薬は飲まずに抱擁し、ふたりは別々に本来の毒薬を飲んで死んでいく。

Th-2024

  「タンホイザー」

    タンホイザー:クラウス・フローリアン・フォークト
    エリーザベト:エリザベス・タイゲ
    ヘルマン:ギュンター・グロイスベック
    ウォルフラム:マルクス・アイフェ
    ヴェーヌス:アイリーン・ロバーツ

   ナタリー・シュトッツマン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

     演出:トビアス・クラッツァー

5年目のクラッツァーのタンホイザーは、完全成功を勝ち取り、聴衆の評価も安定したものとなり多くが好意的なブラボーを飛ばしていた。
驚きの解釈に初年度はブーが飛びかったが、年とともにこの楽しめるタンホイザーが受入れられていった。
その点、後述するリングとは大違い。
グールドを継いだ2年目のフォークトのタイトルロールがよい。
明るい声の自由を夢みるロマンティストたるタンホイザーそのものだった。
タイゲの強い声のエリーザベトもステキで、彼女は将来のブリュンヒルデ候補だろう。
チームワークが出来上がってるこのプロダクション。
シュトッツマンの指揮も絶賛されていて、緩急自在の雄弁なオーケストラは聴きごたえがあったが、ややあざとさも見受けられたところも自分には感じた。
この指揮者は、オールソップのあと、アトランタ交響楽団の指揮者となっており、今後、オペラにオーケストラに活躍しそうだ。
小澤さんの弟子筋にもあたる彼女、次のパリ管の指揮者になるだろうと勝手に予想中。

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  「ニーベルングの指環」

    ウォータン:トマシュ・コニェチュニー
    ブリュンヒルデ:クリスティーネ・フォスター
    ジークフリート:クラウス・フローリアン・フォークト
    アルベリヒ:オルフール・シグルダルソン
    ハーゲン:ミカ・カレス
    ジークムント:マイケル・スパイアーズ
    ジークリンデ:ヴィダ・ミクネヴィシウテ
    ミーメ:ヤ-チュン・ファン
    グンター:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
    グートルーネ:ガブリエッラ・シェラー
    フリッカ:クリスタ・マイアー
    ローゲ:ジョン・ダザック
    ファフナー:トビアス・ケーラー
       ほか

  シモーネ・ヤング指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

      演出:ヴァレンティン・シュヴァルツ

     (2024.7.28,29,31,8.2 )

コロナ禍に悩まされた本来は2020年にプリミエとなるはずだったリングも、はや3年目。
こちらもコロナ罹患などもあり、毎年指揮者が変ったが、今年はオペラの手練れ、シモーネ・ヤングが登場し、ついにピット内のオーケストラは安定を迎えることとなった。
ともかく安心、安定の肝を完全に掌握した指揮ぶりで、どこをとっても自然で、いつも言うことだが、ここはこう鳴って、こう響かせて、こういう感じで高鳴らして欲しいというところが、すべてずばりと決まっていて、聴いていてほんとに気分がよかった。
あのとんでもない演出、ことにクソみたいな「黄昏」のエンディングの舞台なのに、そこで鳴り響いたたワーグナーの音楽は、極めて素晴らしく、ほんとに感動した。
シャガーに代わって今年からジークフリートを歌ったフォークトが注目された。
チューリヒで歌ってはいたが、ついにフォークトのジークフリートがバイロイトに登場。
とんでもない演出で、無茶な演技をしいられながら、ジークフリートの成長をうまく歌で表現したし、ここでも明るい声がプラスに。
さらに声に厳しさを求められる黄昏では、思わぬほどに強い声で、え?フォークトなの?と思ったりもした。
こんな風に、聴き慣れたジークフリートの歌に一喜一憂したのも久しぶりで、結果を申せばフォークトならではのジークフリートだったのがすばらしかった。
 同様に素晴らしく、安定した歌唱を聴かせてくれたフォスターのブリュンヒルデは完璧で、その声に輝かしさも加わってきた。
10年前のペトレンコ指揮のリングからずっと聴いてきたけれど、今年が一番かも。
絶頂期に、日本の舞台でフォスターの声は聴いてみたいもの。
 コニェチュニーのウォータン、フリッカほかの諸役で活躍のマイヤー、クルヴェナールよりずっといいシグリダルソンのアルベリヒ、カレスのハーゲン、こちらもいずれも万全。
ベルリン・ドイツ・オペラで歌っている台湾出身のチュン・ファンのミーメも驚きの巧さと狡猾ぶり。
そして、今年絶賛されたのが、神々しいジークムントを歌ったスパイアーズ。
久しぶりに悲劇色あふれ、そして哀感も伴ったテノールを聴いた感じで、来年のマイスタージンガーでも登場予定。
ミクネヴィシュウテのジークリンデもやや声の揺れが気になったが、なかなかによかった。

という感じで、音楽面ではまずもって素晴らしいリングで、聴いてる分にはまったく満足。

Young

        バイロイトピットのヤングさん

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気が向かないまでも、ようやく2022年の上演の模様を全幕全曲視聴。
自分においての結論からいうと、面白いアイデア満載の4部作ではあるが、それらがてんでバラバラに感じ、「よけいなことをするんじゃない!」という怒りを覚えた。
1976年のシェロー演出が、喧嘩沙汰の大騒ぎを引き起こし、神々の黄昏でジークフリートを刺したハーゲンに対し、「ハーゲンなにをしたのだ」と責める言葉をもじって、「シェローよ、なにをしたのだ」と揶揄されたものだ。
しかし、このシェロー演出は年を重ねるごとに評価を改め、高く評価されるようになり、バイロイトの聴衆にもしっかり受け止められるようになったのだ。
2022年のプリミエ、ことに最後の黄昏のカーテンコールでは、出てきた演出陣に対して容赦ない激しいブーイングがなされた。
翌年の2023年も同じく非難のブーは大きく、そして今年2024年もまったくブーは収まることなく激しかった。

多くの聴衆、そして映像で見たワタクシにも受け入れがたいのは、神話がベースのリングの物語から、その神話性や必須のモノが一切登場せず、ことごとくそれらを否定してみせたことだ。
なんたって、ストーリーと音楽の核心、争奪戦となる「指環」がこれっぽちも出て来ない。
ワーグナーが微に入り細に入り造り上げたライトモティーフが鳴っているのに、それを意味するモノや行為がまったくない。
4つの楽劇の連続性があるのは認めるが、下らん解釈を施すので、それらが矛盾だらけで一貫性がない。
わざと逆張りをしているかのような腹の立つ解釈を無理無理にしてる。
ワーグナーの素晴らしい音楽が、アホらしい舞台で台無しになっているのだ!
指揮者と歌手には最大限の賛辞を捧げたいが、映像で見ると、歌手たちはほんとにプロだと思う。

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ネタバレを承知のうえで、アホな内容を羅列しておこうではないか。
画像は2022年のもの

「ラインの黄金」

Rhein

・ラインの黄金の始まりは、胎児ふたりの映像、これでもってきっと黄昏の最後も、胎児来るかなと思ったらちゃんと来た。
・幼稚園の先生のようなラインの乙女たちはプールサイドで子供たちの世話
・アルベリヒは子供をさらってしまう
・ウォータン一家は、みんな原色のカラーの服で、アメリカのエスタブリッシュな家族のように見える
・ニーベルハイムは幼稚園のクラスのようなキラキラルームでで、女の子たちはお絵描き中
 黄色いポロシャツの男の子が浮いていて悪さばかりする
・ミーメは優しいヲタク、男の子はピストルを持っていて狂暴
・子供を連れ去るウォータンはピストルも手に入れる
・巨人たちが報酬を求めてくるが、指環じゃなく男の子を持ち去る
・巨人兄弟の争いは、メリケンサック(ナックルダスター)でひとたまりもなくぶっ殺し
・フライアは目の前のピストルを茫然と見つめる自殺をほのめかす
・ローゲはスワロフスキー指揮のリングのレコードをかけ、虹の架け橋の準備、踊るウォータン

War21

「ワルキューレ」

・ジークリンデはすでに身重に・・誰の子やねん
・冬の厳しさも去り・・と歌うジークムント、四角い明りの蓋を取るとそこにはピストルが
・グラーネは馬でなく、馬のたてがみのようなロンゲのおじさんで、やたらとスマホで写メ撮り
・フライアの遺影がある
・ウォータンのジークムントを守るなの命令にブリュンヒルデはやたらと切れるし、叫んだりと異常
・逃避行の兄妹、臨月寸前、苦しむ妹にウォータンが近づき、下着を脱がせてなにやらしようとしてる
・戦いのシーン、ジークムントは父の姿を認め、喜びの顔するが、ウォータンは無慈悲にもピストルで射殺
・gehとフんディングに命令するウォータン、普通に行ってしまうフンディングで死なない
・整形外科の待合室のワルキューレたちは、超ワガママで、スマホで自撮り、ファッション誌を楽しみ、
 ブランド品に身を包み、豊胸手術成功を自慢
・逃げてきたジークリンデはもう出産していて、ブリュンヒルデが赤ちゃん抱いていて、そのあとはグラーネ男が抱く
・さすがのわがままワルキューレたちも、ジークリンデの感謝の場には感動して泣いてる
・ウォータンから放出の命令を受けるブリュンヒルデに、ほくそえみ嬉しそうなワルキューレたち
・ブリュンヒルデは眠らされず、どこかにいなくなり、ウォータンはひとりで告別を歌う
・フリッカがワインを持って出てきて乾杯を促すが、ウォータンをグラスからワインを捨て拒否る
・ワインを運んできたカートに乗る1本のろうそくの炎をクローズアップしながら幕

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「ジークフリート」

・ヲタク風のミーメは、いろんな人形を作成、ジークリンデもいる
・鍛冶場はなく電子レンジに、水槽
・ジークフリートは熊追いはなく、ボトル片手にヘロヘロで登場
・ミーメの体を拭いてあげたり、なにかと介護をしてるジークフリート
・高齢化のミーメ、訪問したさすらい人もよろけたりする。
・ミーメがジークフリートに女性のヌード写真を見せると、メチャ欲しがる
・壁の向こうで炎、剣はなんやら細くて頼りないフェンシングの剣みたいなもの
・寝たきり、点滴中のファフナーに看護師が付き添いお世話。
・傍らには黄色いポロシャツとジーンズの青年、これはラインの黄金の子供か!
・アルベリヒがちっちゃい花束を持って面会に、そのあとはお供をつれたさすらい人がゴージャス花束を持って登場
 ちっちゃい方の花束、看護の女性に捨てられてしまう
・二人は、その後も残ってソファでウィスキーを飲んでる
・ミーメに連れられたジークフリート、森はひとつもなく、ソファでくつろぐ。
・若い看護師がファフナーにセクハラを受け、ジークフリートが優しく接する
・起きだしたファフナーをベッドから叩き落してしまうジークフリート
・敵意と憎しみの顔の黄色いポロシャツ男に、戦利品のメリケンザックを渡すジークフリート
・若い看護師は森の小鳥だった。
・看護師、ジークフリート、ミーメ、黄色いポロと4人のソファー
・ミーメがだんだんとおかしくなってきて、酒をちゃんぽんで配合、
 ジークフリートは剣でぶっ刺し、このシーンをまんじりとせず観察するポロシャツ男
・2幕と同じ部屋、ホームレスのようになったエルだは、ボロボロの若い娘を連れているが誰?
・さすらい人がジークフリートを阻止するのは槍でなくピストルで、あの華奢な剣で叩き落されてしまう
・寝てないブリュンヒルデは、立ったままで、包帯とマントにサングラス、傍らにはグラーネ男
・黄色いポロシャツも着いてきてるが、彼はジークフリートがブリュンヒルデに近づき起こそうとしている姿に怒りを禁じえず、姿を消す
・二重唱では、ブリュンヒルデの拒絶に合い、ジークフリートはヌード写真を取り出して思いを焦がす(会場は笑い)
・ふたりを迎えにきた車のヘッドライトが窓外に、家を走り去る 即座にブーイング

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「神々の黄昏」

・お化けのようなノルン3姉妹、浮き輪のような輪っか、びびる少年
・幸せな雰囲気のリビングルーム、子供時代のジークムントとジークリンデの絵と、いまのジークフリートとブリュンヒルデ写真
・優しい母親のようなブリュンヒルデ、旅立ちたいジークフリート
・白髪となった老いたグラーネ男は、2つのスーツケース、リュックを持ってジークフリートに従って行く。
・ギービヒ家は新築間もない様子でお手伝いさんが、かいがいしく働く。
・ハーゲンは黄色いポロシャツとジーンズで、ここで正体がわかった。
・ロン毛、グラサンのちゃらいギュンターにけばけばしいグートルーネは、いかにも金持ち風

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・あらわれたジークフリートは忘れ薬が即効きで、グートルーネを抱きしめ、ひっぱだかれる。
・急にグラーネ男に冷淡となり、ねっとしした液体をかけて虐める
・ジークフリートが去ったあと、ハーゲンの独白のときに、血だらけになり拷問を受けたグラーネ男が運ばれてくる
・ワルトラウテも歳をとり、ブリュンヒルデがいれたコーヒーに砂糖をカップ1杯いれてしまう
・変身したグンターはそのまま登場し、やたらと暴力的で無謀でブリュンヒルデを襲う
・ボクシングをするハーゲン、スパークリングの相手をするアルベリヒ
・呼びかけに応じ出てくる人々は、みな神々のお面
・ビビるブリュンヒルデとともに連れてこられた子供
・裏切りを怒りまくるブリュンヒルデ、おどおどしまくりのグンターに、傍観者のような人々
・復讐を誓う場では、3人は神々の仮面、舞台には仮面が散乱し、それはエイリアンのようにも見えた
・ライン川のほとりは、朽ちた船の船底で、上部は鉄柵で仕切られている。
・落ちぶれたラインの乙女たちの服やバックは綻びだらけ
・ジークフリートは少年に釣りを教えている。
・ハーゲンは下に降りてくるが、酔ったグンターと男たちは上部にいて出来事をのぞき込んでる
・グンターは白いレジ袋を持っている
・思い出しの酒を次々と飲むジークフリート、子供は横で寝てる
・ハーゲンは、メリケンサックをポケットから出して眺めながらも、
 ナイフでジークフリートを刺す
・上から何するんだと人ごとのように言うグンターたち。
・グンターはレジ袋を下に投げ落として逃げてしまう。
・葬送行進曲が響くなか、ハーゲンは傍らでなぜか寂しそう、子供はジークフリートが動かなくなって泣いている
・ブリュンヒルデはラインの乙女たちを伴って上部に登場。
・グンターもグートルーネも後ずさりしていなくなる
・モノローグの合間に、ブリュンヒルデはジークフリートの眠る船底に降りてくる
・グンターの捨てたポリ袋から、驚くことに、グラーネ男の生首を取り出して、それを抱きしめ、愛おしそうに歌う
・首を抱きつつ、ジークフリートの傍らに横たわり、上空を指さして夢見心地になりつつ、救済の動機が鳴る
・むき出しの無数の蛍光管が降りてきて、壁には胎児の映像・・・

        幕 激しいブー

なんじゃこりゃ・・・・

徹底的に私たちの「指環」の概念を壊す。
そこに持ち込んだのは、神々、人間界、地上と地下に住まう登場人物をすべて人間化。
しかもその人間たちの価値観、家族観の崩壊をテレビドラマ(いわゆるNetflix風なアメリカンな陳腐なドラマ)に落とし込んでみせた。
ドラマは常にリビングルームや寝室など室内で展開し、森や川、山といった大自然はひとつも出て来ない。
愛馬グラーネさえも擬人化されオッサンになってた。
肝心の指環はまったくないし、隠れ兜、剣、槍、黄金、炎・・・いずれもなし。
 では、争奪戦が繰り広げらる「指環」はどこへいった、代わりはなんだったのか・・・
それが「子供」だった(たぶん)。
だとすると、アルベリヒが連れ去った攻撃的な男の子が指環に?、女の子たちは黄金?
この男の子は、成長し病床のファフナーの傍らにいたし、次はジークフリートに着いていくが、頼りのジークフリートがブリュンヒルデと結ばれるのを見るや姿を消す。
かわりに黄昏ではハーゲンであったことが判明。
ハーゲンはジークフリートに敵意を示しつつも、殺したあとに寂しそうに悔恨の様子を示すし、残された子供をいたわったりもしてた。
で、ブリュンヒルデとジークフリートに子供がいたという無理筋の設定が噴飯で、この可愛い、男の子とも、女の子ともつかない子供は、ブリュンヒルデの自己犠牲のモノローグが始まると倒れて死んでしまう。
何なの??
この理解できない歌わない登場人物たち、そしてト書きには出て来ない人物たちが、平然と出てきて、その場で重要な役回りをしてしまう、これを冒涜と言わずしてなんだろうか!

若いシュヴァルツは、子供のときからショルテイのリングのレコードに親しんできたというが、妄想もほどほどにして欲しい。
登場人物たちが、スマホを使いこなし、さかんに写メを撮りまくり、ワルキューレたちは整形で見栄えにこだわる。
ネットの世界に溺れる若者、35歳のシュヴァルツ君なのでした。

※以上は、あくまで、わたくしの私見にすぎません


Hr-2024

  「さまよえるオランダ人」

    ダーラント:ゲオルク・ツッペンフェルト
    ゼンタ:エリザベス・タイゲ
    エリック:トミスラフ・ムジェク
    マリー:ナディーヌ・ワイズマン
    舵手:アッティリオ・グレイザー
    オランダ人:ミヒャエル・フォレ

   オクサーナ・リニフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

      演出:ドミトリー・チェルニアコフ

       (2024.8.1)

4年目のこちらも聴衆から受け入れられ、同時に安定したオーケストラと歌唱がますます充実してきた感じだ。
思わぬ悲劇的な結末の伏線がいくつもあり、それを見出したり、あとで気が付いたりするのが刺激的な楽しみでもあるチェルニアコフ演出。
リニフ女史の的確かつ、舞台の呼吸も心得た指揮ぶりは、聴いていてどこにも破綻なく安心なもの。
できればオランダ人だけでなく、シュトッツマンとオランダ人、タンホイザーを交互に指揮してもらいたく、聴いてみたいものだ。
ルントグレンが降りたあとのフォレの滑らかな美声のオランダ人、これまたグリゴリアンのあとを受けたタイゲのゼンタ、これまた安心安全の奥深いツェペンフェルトのダーラント、実によい布陣だった。

2年目のパルジファルが聴けなかったが残念だが、今年もバイロイトのワーグナーは音楽としては自分には大成功だったと思います。

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バイロイトのワーグナー家の当主カタリーナ・ワーグナーは、2030年までその地位にとどまることが決定。
その後のこと、ワーグナー家の血筋を引く人物はほかに?などと今後も興味はつきないです。

音楽祭開始前に、以前も書いた通り、文化大臣が、音楽祭をもっと若々しく、多用的にしなくてはならない、たとえば「ヘンゼルとグレーテル」などの上演にも門戸を開くべきと発言し、大々物議をかもした。
ドイツ政府は正直狂ってると思ってるので、ワタクシなどの東洋から本場を崇める主義の保守的な人間には許しがたいものと受け止めた。
一般の方からも大反対を受け、件の大臣はトーンダウンしたようだが、カタリーナ・ワーグナーは実績として、子供のためのワーグナーオペラをやっているので、若返りとかいう指摘はお門違いだし、子供たちのなかからさらなるワグネリアンは間違いなく生まれるのがドイツだと思ってます。

Gould

音楽祭の最初や合間に野外コンサートも行われてますが、今年は昨年亡くなったステファン・グールドの追悼も行われたようだ。
これらのコンサートが放映や放送されないのは残念。

合唱指揮のエバーハルト・フリードリヒが今年で退任となり、後任はエイトラー・デ・リントという若いオーストリア人指揮者となる。
コスト削減で人員が大幅削減となってしまう合唱団に新風を吹き込めるか。
思えば、バイロイトの合唱指揮者も歴代長く、それぞれに名匠でありました。
  1951~1971  ウィルヘルム・ピッツ
  1972~1999 ノルベルト・バラッチュ
  2000~2023   エバーハルト・フリードリヒ

来年の演目は新演出の「マイスタージンガー」が、英国人のマティアス・デイヴィッズで、ミュージカル系の演出からオペラ演出へと幅を広げた人らしく、どんな歌合戦になりますか?
無難な指揮者の選択、パルジファル以来のガッティの指揮ですが、私は好きなヨアナ・マルヴィッツさんに登場して欲しかった。
再演の「リング」「パルジファル」「トリスタン」に加え、ティーレマンが久々に登場して「ローエングリン」再演を指揮する。

その先のことも発表されていて、2026年には「リエンツィ」が初めて上演。
2028年にはリングが刷新され、指揮は早くもカサドとアナウンスされている。
そして2027年からは、新制作が2作目途となり、これまではだいたい4~5年ぐらいのサイクルだったものが、人気の出たロングラン演出以外は、ほかの劇場でも上演できるようにするという。
それがコストを意識した共同制作なのか、あくまでバイロイトからの貸与となるのか、興味は尽きないが、もしかしたら日本の新国立劇場でもバイロイトと同じものを観劇することができるようになるかもしれない。
これは画期的ではありますが、一面でバイロイトに行かなくてはならない独自性と希少性も失われることになるわけだ。

ますますほかの劇場と同じようになりつつあるバイロイト。
若き頃に、バイロイトに行くことを夢見て焦がれた自分は、いまや歳も重ね、思いは遠くになりにけり、だ。
  

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