« 2024年12月 | トップページ

2025年1月

2025年1月28日 (火)

平塚フィルハーモニー管弦楽団 ウィンターコンサート2025

Img_730211

平塚市の「ひらしん平塚文化芸術ホール」から見た富士山。

平塚の市民オーケストラ、平塚フィルハーモニーの演奏会に行ってきました。

年に3~4回、本格的なプログラムによるウィンターコンサートと定期演奏会に、ファミリー向けのコンサートなど、積極的な活動をしているオーケストラです。

Hiratsuka-po-01

 ミヨー    「屋根の上の牛」

 プロコフィエフ 交響的物語「ピーターと狼」op.67

      ナレーション:金子 裕美

         交響曲第5番 変ロ長調 op.100

        「シンデレラ」から”舞踏会に行くシンデレラ”

  田部井 剛 指揮 平塚フィルハーモニー管弦楽団

     (2025.1.26 @ひらしん平塚文化芸術ホール)

いつも果敢なプログラムを組む平塚フィル。
市民に愛されるオーケストラですから、この日も、ピーターと狼ぐらいしかきっと知らないだろうと思われる聴き手で、いつもどおりホールはかなり埋まりました。

Hiratsuka-po-02
 (打楽器たくさん、ハープにピアノ、これぞプロコフィエフ)

ブラジルの陽光感じる明るくリズミカルな第1曲目。
七夕の里、ラテン的なノリのいい音楽は、平塚のイメージにもぴったり。
楽員さんの楽しそうな演奏も印象的でした。
15回あらわれる明るい主題、途中まで数えていたけれど見失いました。。。

「ピーターと狼」を演奏会で聴くのは初めて。
わたしの楽しみは、平塚を拠点とされるソプラノの金子さんのナレーション。
もう何年もまえだけど、英国歌曲のジョイントコンサートを横浜で聴き、そのときのフィンジを歌った金子さんの素敵な歌声が忘れられなかったのです。
そのときのブログがこちら「英国の薫り」
素晴らしくよく通る涼やかなお声で聴くピーターの物語。
会場には、ほんらい聴いてもらいたかった子供たちはいませんでしたが、老若男女問わず明晰・明瞭極まりないナレーションで導かれる一服の音楽劇を心から楽しんだのでした。
オーケストラのソロもみなさんバッチリでした。

大好きな交響曲第5番。
私のこのブログでは、コロナ禍でプロコフィエフのオペラに目覚め、それからプロコフィエフの主要作品を作曲順に記事にしている途上です。
7つの交響曲、それぞれに好きですが、5番は中学生時代からずっと聴いてきましたが、いまは3番と6番がいちばん好きだったりします。
クールでメロディアスな1楽章は着実にピークを作り上げ、最大のフォルテで楽章を閉じ、わたしも興奮しましたが、会場からも思わず拍手がおきてしまう熱演。
 打楽器とピアノが活躍する2楽章も見ていて楽しいし、若い賛助出演の奏者のみなさんも、いずれもうまく、完璧!
わたしの一番の聴きどころ、これまたクールな抒情が鋼のように強さをまといつつ盛り上がる3楽章、ここに田部井さんはピークを持ってきた感もあり、オーケストラも絶唱ともとれるくらいに頑張り熱くなりました!
 そして洒脱さも感じるナイスな終楽章、変転しまくる音楽の進行は、アマオケには至難の曲ではないかと思ったが、まったく危なげなく、わたしも興奮の坩堝へと最後は導いてくれました。
素晴らしい演奏に、平塚フィルを讃えたい。
ブラボーもしちゃったし、ほかの方も何人か飛ばしてましたね!
指揮の田部井さん、これまでで一番難しい曲をやりました的なことをおっしゃってましたが、実に見事でした。

アンコールもプロコフィエフでしっかり締めます。
憂愁とカッコよさのないまぜになったプロコフィエフ節満載のワルツで!

フロントが解放されたホールから気分よく外へ飛び出しましたよ。

Hiratsuka-po-04

平塚の帰りは「都まんじゅう」

軽くてほんのり甘くて、あったかい。

子供のときからずっと変わりません。

| | コメント (0)

2025年1月23日 (木)

ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ アバド指揮

Megumi-1

家を出て南に歩くと10分ちょっとで相模湾です。

満月も近かったこの日、東の空にはきれいなお月様。

冬の海は寒いけれど、澄んだ空気と波の音で脳裏も冴えわたります。

ちょっと忙しくて、数日遅れとなってしまいましたが、1月20日は、クラウディオ・アバドの命日でした。

2014年1月20日、あの日から11年となりました。

「アバドの誕生日」の6月には、毎年いろんな聴き方でアバドを聴くのが常でしたが、そこにまさかの「アバドの命日」というまた特別な日ができてしまった。
それは悲しみの日ではありますが、たくさんの音楽を聴かせていただき、ありがとう=感謝の日でもあるんです。

今年は短めの曲で、しかもこれまで取り上げてなかった曲で。

Abbado-bso

     ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

   クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団

                (1970.2.2 @シンフォニーホール、ボストン)

Ravel-bolero-abbado-1_20250123221101

  ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

              (1985.6.10 @ワトフォード・タウンホール、ロンドン)

ラヴェルの感傷的で瀟洒な作品、アバドは録音初期の70年と世界的な指揮者となった80年代のラヴェル全集の一環とで、2度の録音があります。
短い作品なので、演奏時間などに差異はないですが、強いて比較すると、ロンドンでの方がやや短め。

1958年にクーセヴィツキ指揮者コンクールで優勝したことで、同年にボストン響をタングルウッドで指揮。
7月公演の演目は、「未完成」で他の指揮者と振り分けたお披露目コンサートだった様子。
さらにその夏には、アバドの単独の指揮で、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲、モーツァルトのクラリネット協奏曲、チャイコフスキーのロメオというプログラムを指揮している。
ボストン響のアーカイブ情報は充実していて、詳細にタイプ文章が残され公開されているのです。

Abbado-bso-1958

ちなみに、ボストン響への定期への正規登場は1970年の1月で、このときに、ラヴェルとドビュッシーが演奏され、DG録音も行われている。
このときの他の曲目では、シューマンの4番という録音されなかった曲が目を引くし、プロコフィエフ3番や、ドホナーニ作品、バルトークのピアノ協奏曲など、いかにもアバドらしい作品ばかりで、それらの録音が残っていないか気になるところです。

ボストン響への客演は、その後もさほど多くはなかったですが、残された2枚分の録音を聴くに、いまもってシカゴと同様、オーケストラとの相性は非常によかったと思います。
ボストンで指揮をした曲目は、ほかではやはりマーラーです。
2番、3番と7番もあり、小澤さんの在籍時だったので、録音は望めなかったのですが、まじに聴いてみたかった。

ロンドン響との演奏は、リアルなラヴェルで、ボストンとのものは、オーケストラの伝統に則したヨーロピアンでエレガントなラヴェル。
そんな風に思いながら聴きました。
ホールトーンの美しさを活かした録音も、ボストンのものは特筆すべきで、アナログ時代のもっとも良き調べを感じる。
ほんとうに優しく、歌うように演奏する当時36歳の若さあふれる指揮。

より緻密に正確に響きを捉えた端正な演奏がロンドン盤で、アバドは52歳になる直前。
ロンドンを中心に、ウィーン、ミラノ、シカゴで活躍し、指揮界の頂点を極めつつあった時期。
ニュートラルなロンドン響の音色は、ボストンのものに比べると薄味ですが、精緻さにおいては比類ない。
ピアニッシモも美しさ、そこでの歌い口もアバドならではで、ロンドンのオケはアバドの思いに自在に付いて行ってる。

どちらのラヴェルも好きですが、自分的にノスタルジーを感じるのはボストンの方かな。

Abbado-boston-dg
1970年に発売されたレコードのレコ芸広告。

RCAからDGに専属を移したボストン響、その録音もRCA時代とはまったく一新されたものでした。

小学生だった自分、この広告を見て、おりからのクリスマス時期だったので、この2つのレコードが欲しくてたまらなかったのを覚えてます。
キャッチコピーもなかなか素晴らしいのです。

Megumi

海の近くの私が通った幼稚園がまだ健在です。
もちろん建て替えされてますが、場所も建物の配置も同じです。
むかしむかし、はるかに昔のことでしたが、不思議といろんなこと覚えているんです。

アバドの命日の記事

2024年「ヴェルディ  シモン・ボッカネグラ」

2023年「チャイコフスキー 悲愴」

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

| | コメント (0)

2025年1月18日 (土)

東京都交響楽団演奏会 スラットキン指揮

Suntry

ふだん、まじまじと見ないサントリーホールのホワイエのシャンデリア。

6630個のオーストリア・クリスタルからできているといいます。

世界を代表するコンサートホールとなったサントリーホール。

平日の昼公演を聴きにいきました。

Img_20250117_0001

  シンディ・マクティー 弦楽のためのアダージョ(2002)

  ウォルトン ヴァイオリン協奏曲

     Vn:金川 真弓

  ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調 op.27

   レナード・スラットキン指揮 東京都交響楽団

       (2025.1.15 @サントリーホール)

セントルイス響をメジャーオケに鍛え上げた頃のスラットキン、もう45年近くも経過するけれど、その頃から聴いてきた。
よき時代のアメリカの音楽界を象徴するような指揮者。
そのセントルイスやリヨンのオケと日本に来た時に聴き逃し、さらにN響にもよく客演していたけれど、それらも何故か聴くことができず、齢80歳という超ベテランとなったいま、ようやく聴いたスラットキン。

ずっと聴いてきたスラットキンの音楽のそのままの変わらぬ印象に、若々しさと、目の当たりにした棒さばきの完璧さとに感嘆することとなりました。

スラットキンの夫人でもあるマクティーさんの「弦楽のためのアダージョ」。
9.11事件をきっかけとして作曲した交響曲第1番の2楽章にあたるという。
バーバーの同名の作品を思わせもするが、こちらはもっと深刻な悲しみの響きがあり、ペンデレツキのポーランドレクイエムの旋律が引用されている。
当然に初めて聴く曲でしたが、12分の緊張感に満ちた瞬間をまんじりともせずに味わいました。
交響曲の初演者でもあり、デトロイト響とのレコーディングもあるスラットキンの共感にあふれた指揮も見ていて感情のこもったものでした。

ウォルトン(1902~1983)のヴァイオリン協奏曲は、コンサートでは初聴き。
英国音楽好きとしては外せない作品で、エルガー、ディーリアス、モーランと並ぶイギリスのヴァイオリン協奏曲の代表作の一角。
活躍した年代にもかかわらず保守的な作風でありつつ、そこにカッコイイ近未来的なサウンドとクールなサウンドをにじませたその音楽。
金川さんの小柄ながら物怖じひとつないステージでのお姿と、抜群のテクニックに裏付けられた強靭さも感じる音色。
いくつかあるカデンツァでの完璧な技巧と集中力、この曲に必須の哀感あふれる歌い口など、表現の幅が極めて広く、ともかく見事なヴァイオリンでした。
打楽器も多数はいり、とかく派手になりかねないウォルトンの音楽ですが、スラットキンの指揮は抑制されたもので、英国音楽への造詣の深さを感じさせるノーブルでありつつ斬新さもあるその響きでした。
次はウォルトンの交響曲かエルガーが聴きたいです。

メインのラフマニノフ。
スラットキンにとって自家薬籠中の作品。
いまは失ってしまったが、N響への第1回目の88年客演時の名演奏はカセットテープに録ってそれこそテープが伸びるほどに聴いたものです。
同時にセントルイス時代の初期に録音した78年の演奏もCD時代になって即時購入し聴きつくした。
さらにデトロイトでの2009年の再録音ライブもオケと録音の優秀さでもって、かわらぬスラットキンの演奏を楽しんだ。

そして今回、日本を愛してくれたスラットキンの指揮姿に正面でずっと見入ってしまった。
指揮台を取っ払い、暗譜で指揮するスラットキンですが、音楽のすべてと同時にオーケストラを完全に掌握していて、指先や目で奏者たちを見つめ指示し、どんな細かなフレーズでもさっと反応して奏者を見つめたりOKをしたりと、ともかく完璧にすぎる指揮。
80歳の年齢に達したとはとうてい思えないキビキビした動きと反応の速さなのでありました。
もちろん残像に残っているN響ライブでの跳ねるような指揮ぶりは、もう見られませんが、出てくる音楽の若々しさは往年のものとまったく変わらずでした。

のびやかな1楽章は歌謡性に富みますが流れの良さを重視しつつロマンの表出は抑え気味。
交響曲の1楽章という位置を押えた知的な演奏の仕方だったかと。
速めのテンポでスピード感あふれる2楽章は、中間部との対比も鮮やか。
そして3楽章では、連綿とすることなく、むしろスマートに純音楽的に曲は進行し、ピーク時の盛り上がりは、それは見事だったけれど、哀愁あふれるソロ楽器のいくつかも全体のなかのひとコマ的な解釈。
なにもここで感情を爆発させたり、胸かきむしって見せたりする必要が、この楽章ではないこと、交響曲の緩徐楽章のひとつであることを認識させる演奏でした。
優秀な都響の楽員さんたちあってできたスタイルかと思ったりもした。
 終楽章はエンディングにむかって熱気が帯びてゆき、最後には高らかにはじけるというライブならでは高揚感を見事に味わうことができました。
ここでもテンポは速めで、スタイリッシュな進行なのですが、これまでの楽章の主題が再現されたりするヶ所の歌わせ方の巧さは、全体を振り返りつつ交響曲の全貌を示すという鮮やかな手法で、それが最後の高みに通じることとなって、ほんとうに、ほんとうに感動した。
思わず、控えめながらのブラボー発しました。

ロシア的なもの、ロマンテックなもの、そうした演奏とは違うスラットキンの知的でスタイリッシュなラフマニノフ。
ウクライナ系ユダヤ人を父に持つ西海岸生まれのスラットキン。
アメリカ人ならではのコスモポリタン的な存在として、開放的で明快な音楽性でありつつも、複雑な音楽性を持っていると思いますね。
近年は作曲家としても活動しており、いくつか聴いたことがありますが、そちらもわかりやすく秀逸な作品でした。

大阪フィルと広響にも今回客演をする予定で、この先も元気で、またの来日を期待したいと思います。

121

小柄などこにもいるようなオジサンみたいだけど、ひとたび指揮台に立つとオーラがすごい

22

明るくユーモアたっぷり。

スラットキン&都響さん、とてもとても楽しゅうございました、ありがとう🎵

| | コメント (0)

2025年1月 9日 (木)

J・シュトラウス 皇帝円舞曲 ジュリーニ指揮

2025

遅ればせながら、2025年、ことしも好きな音楽ばかり聴いて、観てまいります、勝手ながらよろしくお願いいたします。

画像は、まだ紅葉の頃、富士の頂きの見える丹沢湖周辺で撮影しました。

今年の音楽家アニバーサリーは、有名どころでは、ヨハン・シュトラウス(Ⅱ)の生誕200年とショスタコーヴィチの没後50年です。

それなりに歳を食ったので、J・シュトラウスの生誕150年の1975年をよく覚えてます。
ウィーンフィルハーモニーがベームとやってきて、伝説となった名演の数々を残しましたが、モーツァルト41番とともに、ウィンナワルツのコンサートを行いました。
一方のウィーンの雄、ウィーン交響楽団もハインツ・ワルベルクの指揮でウィンナワルツの演奏会を開きました。
NHKFMでも、ウィーン音楽週間、ザルツブルク音楽祭でのシュトラウスの演奏の数々を放送しました。

Giullini

      J・シュトラウス 「皇帝円舞曲」op.437

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ウィーン交響楽団

       (1975.4.14  @ORF スタジオ、ウィーン)

めずらしき、ジュリーニのウィンナワルツ。
この録音も1975年のシュトラウス・イヤーでのもの。
ジュリーニのDG時代以前の録音をあつめたグレートコンダクターシリーズのなかの1組。
放送録音から取られたもので、いまや貴重な音盤だと思います。

ジュリーニは、ウィーン交響楽団の指揮者となり、同じ75年前後には、大曲ばかりを取り上げていて、先に書いた通りNHKFMでも何曲か放送されました。
ミサ・ソレニムス、ヴェルディのレクイエム、マーラーの9番などでしたが、それらに交じって「美しく青きドナウ」もありました。
いずれも録音しましたが、いまやヴェルディのみがまともに聴ける状態。
青きドナウは録音に失敗し、片方のスピーカーしか鳴らないという残念な結果に終わりました。

Wiener-simphoniler

しかし、わたしはライブでジュリーニの青きドナウを聴けました。
1975年秋に来日したこのコンビ。
10月3日に文化会館で聴きました。
公演パンフは67年のサヴァリッシュとの来日の様子が表紙でした。

  ウェーベルン パッサカリア
  モーツァルト 交響曲第40番
  ブラームス  交響曲第1番
  シュトラウス 美しく青きドナウ~アンコール

このような今思えば夢のようなプログラム。
指揮棒を拳で握ったようにして指揮するジュリーニの姿と、圧巻のブラームスは、いまでも脳裏にしみついてます。
青きドナウでは、会場がホッとしたように、柔らかいウィーンの響きに一瞬で和んでしまったものです。

この音盤で聴く「皇帝円舞曲」は、ジュリーニらしい、ゆったりと勇壮、キリリと引き締まった演奏で、それでありつつ柔和な表情と歌心にもあふれてます。
ときおり漏れ聞くことのできるジュリーニのうなり声と鼻歌のような声。
明るいイタリア人気質さえ感じるけれど、そこはブラームスがお好きのジュリーニ。
真面目一徹のユニークなウィンナワルツでした。

Wiener-simphoniler-1

ジュリーニとウィーン響のコンビは短い期間だけでしたが、幸せな結びつきだったかと思います。
正規録音がブルックナー2番、ワイセンベルクとのモーツァルト、ミケランジェリとのベートーヴェン、ベルマンとのリストと協奏曲ばかりだった。
この時期にDGがもっと録音をして欲しかったと思うのは私だけではないでしょう。
ずっとのちの、ウィーンフィルとのコンビより、ウィーン響の方が時期的にもジュリーニはよかったと思うので。

| | コメント (0)

« 2024年12月 | トップページ