2025年2月
2025年2月25日 (火)
2025年2月15日 (土)
雑感、諸々
春の先触れ、紅梅のほのかな香りも寒い中にも和みます。
今日は、日ごろ思っていることを脈連もなく書いてしまおうという回です。
①「なんでやねん!」
毎年、海外から多くのオーケストラがやってくるのは、コロナ禍を除いて日本という国が重要な音楽消費市場であることの証です。
欧米のオケが、お国ものや、そのときの指揮者の得意曲を引っ提げてくるわけですが、ここ数年のプログラムには??ばかりか、辟易とさえしてしまう思いなのですよ。
海外オケの来日に、多くの場合、日本人ソリストも登場して協奏曲プログラムが入るんです。
ベートーヴェンかチャイコフスキーかラフマニノフの協奏曲に、オケのメイン曲は名曲集ばかり。
多い曲を羅列してしまうと、ベートーヴェンの7番、ブラームスの1番か4番、チャイコフスキーの5番か6番、ドヴォルザークの8番か9番、ショスタコーヴィチの5番、マーラーは1番か5番、展覧会、ボレロなどなど。。。
せっかく、聴きたいオケが来ても、いつも名曲シリーズばかりで触手は伸びない。
しかも、チケットが妙に高くなってるのは、ソリストとマネジメント社のためか?とも思ったりしてしまう。
ともかく人気のある彼らを目当てにチケットは売れる。
前半で帰ってしまわないように、後半は誰でも知ってる曲を持ってくるのか?
マーラーを初めて聴くような聴き手も登場してしまうのです。
プロモーターの問題だとはっきりいって思うぞ。
がっかりプログラムは、ともかくほとんどのオケにいえる。
せっかくのロウヴァリとフィルハーモニアなのにチケットむちゃ高いし、ユロフスキーとベルリン放送なのにブラームスですよ、フルシャとバンベルクでべト7,ブラ1だよ、注目のシャニとロッテルダムなのに脅威のプロコ3番を弾き語りをさせろよ、ブラ4と新世界だぜ。
ケルン・ゲルツェニヒの久々登場は、ロトが「あれして」代役に好きな指揮者オラモになって、マーラー5番はともかく、べト7。
マーラーの5番は、佐渡裕とトーンキュンストラもやるが、5番はもうね、どこもかしこもやりすぎだよ。
オールソップとポーランドのオケが来るのは楽しみだが、またもソリストがーーで、メインも名曲で、ポーランドの音楽聴かせろよ!
ヤマカズとバーミンガムには、いつもの日本人ソリストが出てこないし、プログラムの展覧会にはひとひねりありよろしい。
スカラ座フィルが来るのはいいし、指揮者も目をつぶるが、ここにも日本人ソリストで、なんで悲愴とブラ4なんや。
こんな風につまらなくならないのは、ベルリンフィル、ウィーンフィル、バイエルン、ロンドン響、ボストン響などで、指揮者が大物だったりで、高額チケットでもソリストなしでも集客できると踏んでいるんだろう。
高いといえば、ウィーン国立歌劇場の「フィガロ」と「ばらの騎士」は、S席は土日になると82,000円で最安値でも29,000円ですぜ、だんな。
②「勝手にいじくるな!」
クラシック音楽をテレビで流すのはいいこと。
CMなどでも、効果的に使われ、それに興味を示した方がいれば喜ばしいこと。
ひとむかし前の、ニッサンのブルーバードのラプソディ・イン・ブルー、サントリーウイスキーの大地の歌、太田胃散のショパンなど、とてもセンスがあってよろしかった。
CM以外でも、ウルトラセブンでは曲が大いに寄与して名作となったりもしたのだ。
が、しかし、いまのクラシック音楽の使い方はひどい。
曲の選択と映像の内容に脈連なく、しかも瞬間芸のような切取り使用。
マーラーの千人を勝手に使うな、ヴェルディとモーツァルトのレクイエムもやめてくれ、怒りの日なのに、不適切な利用ばかりだろ、バチあたるぞ、カルメンもそう、みんな瞬間瞬間の効果音としてしか使用されていないのだ。
こんな使い方ではクラシック音楽への興味を引くどころが変な刷り込みとなるだろう。
③「地方分散を急げ」
人口の都市部一極集中、とくに東京への集中を各地に分散しないと日本の衰退は止まらず、他国に飲まれてしまう・・・・
実際は難しいことばかりで理想論だが、地方でも仕事があり、若い人、女性がやっていける社会を確立すれば、子育てにお年寄りも参画できて、少子化・高齢社会対策にもなるだろう。
また人も分散すれば、東京に集中する文化も地方に根付かせるっこともできるし、日本の伝統文化の衰退やネグレクトにもストップがかけられる。
東京はいたるところでビル工事をしているがもうやめて欲しい。
地方の主要都市に高層ビルでなく、それなりの建築物を造り、省庁や会社機能も移転させ、東京に出なくても、各地の中心都市で仕事や用事が済むようになればいい。
いまのままだと、政府の無作為な移民政策で地方に外国人のコミュニティができて日本人社会と異にするものが出来てしまうかもしれない。
④「政治家と官僚とマスコミを作り直せ」
アメリカでは革命とも呼ぶべきドラスティックな動きが進行中。
日本では、その真意をマスコミがまったく報道しないし、否定的ですらあるし、政治家もまったく違う方向を向いている。
基本は、国民のため、自国のため、それらに尽くし、そのためになることを政治化・官僚・マスコミがやればいいだけ。
でもぜんぶがそうじゃないことになっているし、国民の望んでないことばかりをやってる。
戦後80年、あらゆることがもう制度疲労を起こしてるんだと思う、道路陥没も被災地復興の遅延も、みんなそう。
がらがらポンをするときだろう。
愛国者が疎んじられる国は世界でも日本だけだよ。
⑤「横浜ベイスターズよリーグ制覇せよ!」
昨シーズンは史上最大の下剋上をやってのけたわれらがベイスターズ。
こんどこそ、リーグも制覇して、日本シリーズにも出て、総合優勝をして欲しいぞベイ。
川崎時代の大洋ホエールズ時代からの半世紀に及ぶファンです。
⑥「神奈川フィルよこれやって!」
定期会員から離脱してしまいずいぶん経つが、神奈川県人としては、神奈川フィルを愛し応援する心はずっとかわらない。
欲をいえば、現田&シュナイト時代の輝かしくもドイツ的な響きや、深遠なプログラムミングが忘れられない。
そのあとのマーラーチクルスも、オーケストラの存続もかかり、さらには震災というショッキングな出来事もあって、マーラーを一曲づつオケと聴き手が極めていくという喜びもあった。
その神奈川フィルが、オペラのピットにはかつては多く入っていたし、定期でもよくコンサート形式で取り上げていた。
神奈川のオペラ団がなくなり、県民ホールもなくなってしまうなか、ピット入りは難しいとしても、オペラの手練れ沼尻監督のもとで始まった「ドラマテック・シリーズ」がうれしい。
一昨年に「サロメ」、ことしは「ラインの黄金」が予定されている。
この際、ハードルはあまりに高いが、リング4部作をぜんぶやって、朝比奈、飯守に続く快挙を成し遂げ、レコーディングも敢行して欲しい!
東京のオーケストラとは違った独自色をさらに出して欲しいのです。
以上
※勝手なことを言うはやすし
たまに吐き散らすのもよいでしょう
戯れ言としてお聞き流しくだされば幸いであります
河津桜もほころんできました。
春はそこまで🌸
2025年2月14日 (金)
富士と梅の花
神奈川県中井町は、神奈川県のなかで唯一、鉄道駅のない町。
北は秦野市、東は平塚市、西は大井町、南は二宮町にそれぞれ囲まれ、それぞれの市町にある駅にバスで移動しないとほかのエリアへの通勤通学ができない。
行政区は南足柄区なので、大井町にある警察や行政機関に行かなくてはなりません。
でも町民はいちばん近い秦野と二宮が近くて便利なので、そちらに行くことが多い。
中井町のとある場所から。
そんな中井は、面積も広く、東名のインターチェンジがあることから、物流や工業団地の開発が進み、税収も豊かなのです。
若いかたの移住も増えて、かつては高齢者ばかりだった街が、いまや若い方と新しい奇麗な一戸建てが立ち並ぶ場所となりました。
いろんなところから富士山が見える町。
母方の実家があり、親戚もたくさんいます。
子供の時代の雰囲気を知る自分ですが、まるで別の町だったです。
2025年2月11日 (火)
エデット・マティスを偲んで
またしても訃報が・・・
エデット・マティスが亡くなりました。
2月9日、ザルツブルクにて、享年86歳。
次の誕生日を迎える2日前とのこと。
もうそんなご年齢だったのか、と哀しみとともに驚きも禁じ得なかった。
そう、マティスはその若々しく可愛いお声でもって、ずっと自分の若かった時代をともにしたような歌手でしたから・・・・
ルツェルン生まれのスイス人で、なんといってもモーツァルト歌手というイメージが強い。
録音の多さも数知れず、多くの指揮者に愛され、夫君のベルンハルト・クレーとの共演も多かったです。
モーツァルトを中心に、マティスさんのいくつかの歌声を聴いて偲びたいと思います。
ベーム指揮の「フィガロの結婚」
ケルビーノを持ち役でスタートして、ほどなくザ・スザンナと呼べるほどに、歌声も舞台姿もまさにマティスにぴったりの役柄。
プライとのコンビもばっちりで、これはわたしには永遠のフィガロ盤です。
ずっと後年、伯爵夫人も歌うようになったのは、ルチア・ポップと同じですが、やはりマティスはスザンナ。
モーツァルトのオペラでは、イドメネオ(イリア)、パミーナなどが素敵すぎますね。
魔弾の射手のエンヒェンも素敵な持ち役ですが、わたしが案外に好きなのは、ベルリオーズのファウストでのマルグリートです。
こうした無垢なヒロインはマティスのうってつけだし、フランス語も可愛いし、ミステリアスなベルリオーズの音楽にも合います。
小澤さんも亡く、みんないなくなってしまう・・・・
リヒターのバッハでもたくさん共演してました。
カンタータ199番「わが心は血の海に漂う」は、ソプラノソロのカンタータの名品ですが、ここでのマティスのシリアスで言葉に心血を注いだようなな歌唱は、いまこのとき、とても心を打ちます。
古楽が主流となったいまのバッハ演奏ですが、リヒターの60~70年代のこの時代の演奏は、厳しい造形がそのまま音になっていて思わず襟を正さざるをえない。
ジャケットが70年代にすぎますが、若きバレンボイムのドイツ・レクイエムでのマティス。
これがほんとに美しくも無垢なのです。
老練なF=ディースカウとの対比もよいし、バレンボイムとロンドンフィルの作りだす以外にも渋い音楽にも一幅の可憐な花のようです。
シューマンの「女の愛と生涯」
エッシェンバッハと録音したシューマンの歌曲はいずれも絶品で、ドイツ語の美しさが際立ち、揺れ動く感情の機微を愛で優しく包み込んでしまうような、そんな優しい歌声なんです。
ヴィブラートのほとんどない、まっすぐのお声が、実に麗しい。
スザンナを歌っていた頃のマティスに相応しかったのが、ゾフィー役。
ベームのライブ盤では、素敵な可愛いゾフィーが聴かれます。
トロヤノスのオクタヴィアンとの声の対比もばっちり。
大人になってゆく若い女性の描き方も素晴らしいのです。
シュトラウスでは、あとアラベラでのズデンカが持ち役でしたが、こちらは正規音源ないかも。。
そして自分にとって忘れえないのが、「4つの最後の歌」。
夫君のベルンハルト・クレーとN響にやってきて歌った。
それをエアチェックして何度も何度も聴いた高校時代。
その絶美の音楽に感嘆し、シュトラウスに目覚めていった・・・
大切なカセットテープは失われてしまい、その音源の自家製CDRもどこかに消えてしまった・・・
ピアノの名手でもあった指揮者のクレーも、モーツァルトの指揮とピアノにかけては素晴らしいものがありました。
このモーツァルト歌曲集は、わたくしの若き日の、エヴァーグリーン的なモーツァルトの1枚。
シンプルだけれども深みのある歌曲、「ラウラに寄せる夕べの想い」をしみじみと聴きます。
バッハ、モーツァルトからマーラー、ヴォルフまで、ドイツの歌の神髄をその優しくピュアなお声でたくさん聴かせてくださいました。
ベームとの名品、モーツァルトのレクイエムを聴きながら追悼記事を閉じます。
エデット・マティスさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。
2025年2月10日 (月)
秋山和慶さんを偲んで
驚きの訃報から数日が経ってしまいましたが、秋山和慶さんを偲んでチャイコフスキーを聴きました。
ご自宅で転倒され、療養のため指揮活動からの引退も表明され、そのあとすぐの悲報でした。
日本中の多くのオーケストラが、音楽家が、ショックとともに悲しみの表明を次々にされました。
昨年の小澤さんの逝去とはまた違った、その悲しみは、いつでも秋山さんの指揮姿に接することができるという、日本のどかこで必ず指揮をしている。。そんな身近な存在というのが秋山さんだった。
実はわたくしは、秋山さんの指揮は大人になってからちゃんと演奏会で一度も聴いていないのです。
高校の時に、プロオケを聴く授業みたいなのがあって、そこで「新世界」を聴いたようなのですが、ほとんど覚えておらず。
繰り返しますが、いつでも聴ける秋山さん、という思いが常にあったのだと。
あとは、オペラの指揮、とくにワーグナーをあまり取り上げなかったのも若杉さんのように積極的に聴きにいかなかった要因かもしれません。
ただ、グレの歌とモーゼとアロン、いまの自分なら飛びついていたでしょうね。
こうした大作をテキパキと指揮できるのが職人的な秋山さんだった。
3月に母校の創立記念の第9演奏会が予定され、初等部からご縁のあった秋山さんが指揮をする予定だった。
これは行かねばと思いつつ日が経ち、こうしてまた機会を永遠に失してしまった。
斎藤先生や小澤さんとの出会いも語ったインタビュー⇒「学友とともに奏でる「第九」<校友・秋山和慶さん>」
日本のオーケストラの首席のポストは数知れず、あとはおもに北米での活動も目立ちました。
なかでもバンクーバー交響楽団の指揮者を長く務め、ご自身もバンクーバーでの生活を10年以上送り、このオーケストラの実力を高めたことは大いに評価されますね。
同響でも追悼のアナウンスがSNS上で見られました
バンクーバーとの凱旋公演はNHKでも放送され、プログラムは幻想交響曲でした。
あの放送、記録に残ってないものだろうか。
いくつかの音源しか所有しませんが、堅実で、律儀なまでの忠実な音楽造りは、どんな曲でもその音楽の本来あるべき姿で聴かせてくれました。
そんななかで、自分でもレアだなと思う札幌交響楽団とのチャイコフスキーの1番を改めて聴きなおしました。
涙が出るほどに美しく、そして寒い冬景色を感じさせる第2楽章。
雪国の暖炉を思い浮かべることもできる、そんな冬の演奏。
チャイコフスキーのロシアの冬でなく、日本の空気の澄んだカラッとした冬を感じます。
秋山さんのブルックナーをこんどは購入してみようと思います。
(アオガクプラスより拝借してます)
秋山和慶さんの魂が永遠でありますこと、お祈り申し上げます。
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