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2025年3月18日 (火)

プロコフィエフ 交響曲第3番

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隣町の中井のちょっとした山から見た富士山。

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

プロコフィエフを年代別に聴いていこうのシリーズ。
歌劇「炎の天使」をさんざん視聴しまくり堪能したあとは、交響曲第3番。

1919年から27年まで8年をかけて書いた「炎の天使」だが、改訂の遅れなどが重なり、ワルターの指揮で予定された初演が流れてしまい、クーセヴィツキの指揮でパリにて全3幕のうちの2幕までが演奏会形式で初演。
その後も手を加えつつ5幕7場に書き直したりしたものの、その間、望郷のソ連へ帰還し、さらに舞台初演の目途が立たなくなり、生前はついぞ上演されずに終わった「炎の天使」。

しかし、パリでの一部初演から、このオペラの素材を交響曲として活用しようと思い立ち、1928年に第3番の交響曲として完成させた。
翌年1929年にモントゥーの指揮でパリにて初演。
原作の野心的ともいえるオペラは悪魔崇拝、異端審問、ファウストとマルガレーテ、三角関係、騎士道精神、聖と悪・・・これらをテーマとして、その音楽も激しく、緊張感にあふれ劇的かつ抒情的、そう多面的複雑なものだ。

自身のオペラを素材としているからといっても、「ニーベルングの指環」のアドベンチャー作品のように長いオペラをダイジェストに仕立てたような作品ではまったくない。
素材のオペラを原曲として、オペラの筋や流れとはまったく関係なしに、音楽だけを交響曲に組みあげた別次元作品なのであります。

4楽章の交響曲というスタイルに形式的にも完璧に則しているものの、そこはプロコフィエフで当時の新古典主義的な流れとはまったく迎合せず、やはり素材のオペラのドラマの劇性をしっかり内包しつつも、あまりに主観的だった過激なオペラとはまったく違う客観性と冷徹さを持っている。
子供時代から天才の名を欲しいままにしたプロコフィエフは、なんでも作曲ができてしまい、音楽に書けてしまう。
しかし、シュトラウスなどとまったく違うのはロマンがなかったことかもしれず、交響曲に表題性などはまったく持ち込まなかったことだろう。
7つの交響曲もそんな存在なのであり、この3番を「炎の天使」と呼ぶことに作者が抵抗を感じたのもさもありなんです。

オペラの方を知らなかった自分が聴いてた3番と、オペラをほぼ掌握した自分がいま聴いている3番とでは、印象がかなり異なっている。
つかみどころがなく、暴力的でありつつ抒情もあり、アヴァンギャルドでもあり・・・そんな当初のおっかなびっくりの想い。
しかし、いまはオペラですっかりおなじみなった、全編のあらゆるモティーフやいろんな断片が、そっくりそのまま4つの楽章のなかでつなぎ合わされてさまざまに登場するので、手の内にはいった親しみやすい作品となり、交響曲として見た場合でもこれは傑作であると確信するようになった。
聴き進め慣れるうちに、ショスタコーヴィチの4番にも通じる、飽きのこない面白さ満載の作品だと思う。

1楽章:冒頭はオペラ1幕で、レナータが悪霊にうなされ、やめてと拒否るときの音楽で、同時に低音域では、彼女をなだめるルプレヒトの「リベラメ」が鳴り響く。
そのあとの優しい旋律はレナータの憧れの青年への想い、さらにルプレヒトの元気な旋律、これらが絡み合うソナタ形式で、3幕の活気ある決闘シーンでの音楽も登場し、ワクワク感もあり。
2楽章:5幕の修道院シーンで始まる緩徐楽章で、しずかな抒情的な楽章ではあるが、3部形式となっていて、2幕で魔術に関する文献を読み漁るレナータのシーンも挟まれる。
3楽章:スケルツォ楽章で4幕の居酒屋シーンを思わせる出だしのあとは、多くの聴き手をひきつける13声部による弦のグリッサンドにいよる目まぐるしくも興奮誘う場面。
2幕での伯爵の魂の召喚シーンで、3つのノック音はティンパニが3打する。
この楽章の終わりは、オペラのラストの最終音である。
4楽章:2幕の素材から始まり、そのあとは、同じ2幕でのルプレヒトと魔術師アグリッパとの痛烈な応酬のシーンと同じく5幕ラストの悪夢乱れ飛ぶ興奮シーンの音楽となり、その後に静まって2幕の最初、本屋さんの場面になる。
音楽は最初の興奮呼び覚ます場面が戻ってきて、スピード感を増しつつ激しさも加えクライマックスを迎え、2幕の終了のシーンと同じく痛烈なエンディングとなる。

オペラの最後は3楽章の終わりで使用、交響曲の終わりは第2幕の終わりを使用。
オペラの結末は眩しいような一音が伸ばされ、終わり方にいろんな解釈の余地があるが、交響曲の方は有無をいわせぬ圧倒感で壮絶な結末感があり、交響曲のラストに相応しいものです。

手持ちの音源を手当たり次第に聴きました。

  プロコフィエフ 交響曲第3番 ハ短調 op.44

【CD音源】

Abbado-prokofiev

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1969.4 @キングスウェイホール)

ジャケットは拾い物ですが、この曲はこのアバド盤で初めて聴いた。
日本では71年に発売されたかと記憶しますが、その頃はピーターと狼だけで、プロコフィエフなんてまったく聴こうということにはならない少年だった自分。
デビュー時から、この3番を得意曲にしていたアバドですが、いつもお世話になっております「アバド資料館」様のデータを参照いたしましたら、1963年にベルリン放送響とフェニーチェ劇場のオケで取り上げており、以来70年ぐらいまでロンドン、ウィーン、パリ、ボストンなどでさかんに指揮してます。
そこからずっと間があいて、ロンドン響で1977年のpromsで指揮をしてまして、実はこれがアバドが3番を指揮する最後だったのです。
新しさや革新性などを見出して取り上げることの多いアバドらしい「3番」という選択。
絶対に5番は指揮することがなかったが、それでも77年が最後だったとは。

今回、たくさん聴いてみて、36歳のアバドの颯爽とした指揮ぶりが思い浮かぶようなフレッシュな輝きを感じます。
ただ「炎の天使」を知ってしまったいまの耳で聴くと、これもまたアバドらしいところですが、やや穏健な感じに過ぎるかとも思いました。
時代性もあるのかもしれないが、同じホールで10年後に録音されたウェラー盤の方が、もっとぶっ飛んでいるようにも感じます。
 ところが77年の演奏が、ロンドン響のyoutube公式チャンネルで聴くことができまして、それはもっとスピード感もあり、一方で軽やかで俊敏なカッコいい演奏なのでした。
この年にシカゴでプロコフィエフのキージェとスキタイを録音してましが、もしもそこでこの交響曲をやってくれていたかと思うと・・・・

Prokofiev-weller

    ワルター・ウェラー指揮 ロンドン・フィルハーモニック

      (1977.4 @キングスウェイホール)

ウィーンフィルのコンマスから指揮者になったウェラーは、独墺系でいくかと思いきや、デッカでは誰も埋めてくれなかったロシア系の作品のレパートリーに次々とチャレンジしましたね。
そんななかのひとつがプロコフィエフの全集で、ラフマニノフはやや大人すぎる演奏でしたが、こちらはかなりナイスなカッチョいい演奏なのです。
なかでも、3番とか6,7番がいい。
よく歌いつつ、おおらかに歌いあげつつ気持ちいいなぁと思いつつ1楽章を聴いていると、3,4楽章では聴いていて前傾姿勢を取らざるを得ないほどに夢中にさせてくれる熱さとスピード感が快感となる凄い演奏になっていくのある。
憂愁や哀感は弱めですが、このアヴァンギャルド感はこの時期のプロコフィエフの大胆な作風にはぴったりだと思うのです。
70年代の半ば、ハイティンクが指揮者だった頃のロンドンフィルの好調ぶりや、デッカの定評あるキングスウェイホール録音も併せて楽しめるナイスなプロコフィエフ。

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  小澤 征爾 指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1989~92 @ベルリン)

もっと無茶苦茶にして欲しくもあった小澤さんのプロコフィエフ。
せっかくのベルリンフィルなのだから、という思いもあり、もしかしたらボストンかフランス国立菅でやった方が面白かったかも・・・と思ったりもする。
全集として、プロコフィエフの作風の変化や流れを確認・実感できるという意味では、抜群の存在感のある一組だと思う。
小澤さんらしいところは愛のモティーフなどのふるいつきなるくらいな歌わせ豊かな場面、それと激しい部分の対比の鮮やかさ。
美しい都会的な3番の演奏だと思う。

Prokofiev-gergiev

  ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 ロンドン交響楽団

       (2004.5 @バービカン、ロンドン)

なんでも一挙にやってしまうタフなゲルギエフ。
ロンドンでのチクルスのライブであるが、ゲルギエフのあまり聴きたくないうなり声も聴こえ、迫真は感じるものの、やはりいつものとおり急ぎすぎで、プロコフィエフのうつろいゆく音楽の変転やときおり光る抒情などが、スルーされてほいほい進んでしまう気がするのだ。
全部はまだ見れていないが、10年後にモスクワとサンクトペテルブルクでやったチクルスの映像の方がずっと面白いし、アクもあって妙によろしい。
不思議な指揮者ゲルギエフ、そのいまを確認してみたい。
アホみたいな戦争のせいでロシアの音楽家の「今」が聴けない、確認できなくなってしまったのが疎ましい。
しかしyoutubeでマリンスキーやモスクワフィルの最近の演奏が視聴できるので、けっこう楽しんでますし、相当に頭部が進行し、怪僧のようにも見えるようになったゲルギエフは相変わらず精力的にしてまして安心もしてるし、実演もそろそろ接してみたいものです。

Prokofiev-rostropovich

   ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮 フランス国立管弦楽団

                   (1987.4 @グランドオーディトリアム、パリ)

快速のゲルギエフとうって変わって、つかみの大きな巨大さを感じるロストロポーヴィチの演奏。
爆発力も秘めていて、ときおりドカンと来るところが快感でもあり、フランス国立菅の響きが刺激的にならないので、うるさい感じにもならない。
聴けば聴くほど味のある演奏の類かもしれない。
この全集も捨てがたい魅力があるが、いちばんいいのは、2つの版を録音してくれた4番の双方の演奏。
チャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと優れた全集を残してくれたロストロポーヴィチの望郷の思いあふれる演奏に感謝です。
2楽章のしみじみ感は、この演奏が随一。

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    キリル・カラビッツ指揮 ボーンマス交響楽団

        (2013.7 @プール、ドーセット)

プロコフィエフと同じ、ウクライナが故郷の指揮者カラビッツ。
現在の最高のプロコフィエフのスペシャリストと思う。
一音一音を大切に扱っているのがよくわかり、地にしっかり足がついていて、着実・丁寧に、エモーションに流されずに音楽に真摯に打ち込む様子がよくわかる。
ついつい、ガーーっと勢いやリズムに乗ってやってしまいそうなところでも着実な歩みを感じさせるし、それが逆にプロコフィエフの音楽の良さ、本質が浮かび上がってくる、という仕組みに聴こえるのだ。
とてもクレバーな指揮者だと思いますね。
美しい愛の旋律もほんとに美しく演奏されるし、その後の移り変わるあらゆる旋律やモティーフがオペラを聴き馴染んだ耳からすると、あるべき姿で出てくる感じ。
そして何よりも録音がよろしく音がいいし、オーケストラもウマいもんだ。
ほめ過ぎだけど、カラビッツの演奏は放送などでもここ10年ぐらいかなり聴いてきたし、2019年のエルガーの「ゲロンティアスの夢」などは涙が出るほどに感動した。
彼のプロコフィエフの全集は、いまのところNo.1だな!

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エアチェックと映像でもたくさん持ってます。

【映像】

・ゲルギエフとキーロフの変態的な演奏が目で見えて面白い。
・フランス人指揮者ラングレーとシンシナティ響のセンスあふれる演奏もよい。
ラングレーとシンシナティはいいコンビだったようだが、正規音源がないのが残念で、いまはセナゴーが指揮者となった。
この作品を得意とするインキネンと北ドイツ放送フィルも手の内に入った演奏で、インキネンは都響でこれを取り上げる予定なので聴きにいきたい。
あとネットでは、プロコフィエフを得意とするアンドリュー・リットンとベルゲン・フィルの映像もストリーミングで観れます。
これが最高の演奏で、小太りになってしまったリットンだが、その指揮ぶりは俊敏で熱く、ベルゲン・フィルもクールでうまい!
リットン氏もロシア物を得意とする指揮者だが、本国の英国ものを今後は極めていただきたいものです。

【エアチェック

ユロフスキ(息子)とベルリン放送響の2023年の最新の演奏が、切れ味とともに「炎の天使」を知り尽くした高感度のすさまじい演奏なのであった。
このコンビが来日するのに、日本人人気ソリストとの組み合わせとなり、メインが名曲集なのが勘弁して欲しいわ!
同じ2023年の演奏で、promsでのグスターヴォ・ヒメノとBBC響の演奏も迫真の名演で、ヒメノ氏の実力をいかんなく確認できる。
ヒメノはリセウ劇場で「炎の天使」の上演を指揮していて、やはりそうした積み重ねあってのもの、こちらの上演映像も観れる。
ヒメノさんは、トロント響の指揮者となり、今後ブレイクすると思う。
・アバドの77年演奏は先に触れたとおりだが、イタリア人指揮者が好む3番。
・シャイーがpromsで90年にコンセルトヘボウと演奏したものも録音できていて、まだ切れ味ゆたかな指揮だったシャイーを確認できる。
・ムーティさんも円熟の巨匠となっても気合とともに、シカゴで2018年に指揮してます。
こちらは恰幅がよくなって、テンポも遅くなり壮大かつシカゴの鋼のようなサウンドが楽しめる。
あとアメリカのオケでは、サンフランシスコ響をスロヴァキアのヴァルチュハが振った2018年録音は、若々しい表情付けと清々しさがよろしい演奏だった。

プロコフィエフの交響曲といえば、5番ばかりがコンサートのメイン曲に取り上げられるばかりであるが、この3番もショスタコーヴィチのすべての交響曲が広く受け入れられたいま、誰が聴いても面白く聴くことができる作品だと思い、日本のオケでも外来でもどんどんやって欲しいと思いますね。

Nakai-02_20250316233001

この数週間、「炎の天使」、交響曲第3番を徹底的に聴きまくったせいか、さすがに耳が疲弊しました・・・

プロコフィエフから少し離れて、こんどは何を聴こうか。

その前に今月はコンサートを二つ、4月もノットのブルックナー、神奈フィル・ショスタコとかも続きますし、5月には「ナクソスのアリアドネ」@静岡のチケットも手当できました。

こちらは、中井町の同じ場所で、目を海側に転じ、大島がこんなにでっかく見えた図です。

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