NHK交響楽団定期演奏会 ヤルヴィ指揮
なるべく行きたくない街になってしまった渋谷に、久しぶりに行きました。
外国人観光客に大人気のスクランブル交差点とともに、こちらのハチ公像も人気で、外国人が列をなして順番に記念写真を撮ってました。
かならず外国人が映りこんでしまうので、右側を見切るようにしてうまく撮影できました。
数日前、90回目のハチ公の慰霊祭が行われたばかりで、渋谷にはなくてはならない存在となりました。
ここから雑踏のような公園通りを通過して、丘の上の築52年のNHKホールまで達するのは、正直、苦行でありますが、よきコンサートのあとは足取り軽く、ひょいひょいと駅まで行けちゃうから不思議なもんです。
ナイスなプロコフィエフが聴けて、うきうきしてしまったワタクシです。
NHK交響楽団 第2034回定期演奏会
ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」
バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番~サラバンド
ヴィオラ:アントワーヌ・タメスティ
プロコフィエフ 交響曲第4番 ハ長調 op.112 (改訂版:1947)
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団
(2025.4.13 @NHKホール)
ヴィオラ独奏をともなう表題交響曲。
しかしながら協奏曲のように最初から最後まで活躍するわけでなく、コンサートでやるときは、ソリストとしてずっと立っていると、どうも間が抜けて見えてしまうし、かといってオケのヴィオラ首席の位置で弾くのもせっかくのソリストなのに申し訳なく、もったいない。
コンサートでは、どうもすわりのわるい作品なのだとずっと思っていた。
しかし、タメスティ氏とパーヴォ氏は、この作品ではなんども共演しているようで、ここではまさにヴィオラソロが、まさに「ハロルドの巡礼」を演じるがごとくステージ上で活躍しました。
オーケストラだけの長い序奏では指揮者だけ、やがて、そろりそろりと周囲を見回すようにして登場したタメスティ・ヴィオラ氏。
ハープみ導かれ、その横でハロルドの主題を弾き始めた。
なんという豊穣なヴィオラの音色だろう。
その印象は、最後まで、いやアンコールのバッハまで変わらず持ち続けたものです。
そしてタメスティは、最初はハープの横で弾いてたと思ったら、きょろきょろとしつつ、4つの楽章のイメージに合わせ、また活躍する楽器に導かれるように、その楽器の近くに行って弾いていたんです。
ハープの次はティンパニ、2楽章の夜の巡礼のときには、仲間たちのヴィオラの近くで、さらに3楽章ではちゃんと指揮者の横のソリスト位置で、山賊の酒盛りシーンと言われる4楽章のベルリオーズらしいはちゃむちゃシーンでは、チューバなどの金管群の横で。
こんな風に広いNHKホールのステージを場所を変えてヴィオラを弾くまくる、ときに聴衆に背を向けてオーケストラを聴いてるといった風に、演技もちゃんとしてしまう。
最後はステージから逃げ出すように走り去ってしまうシーンで、思わず笑いそうになったものです。
また別動隊として奏される弦楽四重奏は、第1ヴァイオリンの末席のふたりと、チェロは中ほどの奏者、それとタメスティの4人でした。
こうした距離感を作りだしたのは、これもまた音の遠近感を楽しめる仕掛けになっていた。
目の離せないソロ付きの「イタリアのハロルド」は、まさにライブでこそ、その面白さがよくわかる仕掛けが施されてました。
ヤルヴィの指揮は、そのあたりよくオーケストラを抑制させつつ、爆発するところは、いつものパーヴォらしく思い切りオケを鳴らし開放すると言った風に、タメスティを引き立てつつ、その方向性は息のあったふたりで完全一致していたことも確認できた次第。
アンコールのバッハが絶品でして、ヴィオラ一挺でこんなに巨大なホールをバッハの深淵な音で満たすことができることが奇跡のようにも感じました。
休憩後はプロコフィエフ。
何度も書いてますが、幣ブログでは、プロコフィエフの作品を年代順に聴いて記事にしてまして、時代別の作風の変遷を、そのときのプロコフィエフをとりまく諸情勢なども鑑みながら確認し聴いております。
オペラ「炎の天使」と交響曲第3番まで取り上げておりまして、ついでバレエの「放蕩息子」や交響曲第4番が視野に入っておりました。
そこで聴いためったに実演で聴くことのできない、今回の4番の交響曲でした。
しかし、今回はずっとのちに改訂された版でのもので、レコーディングも含めてこちらの改訂版が主流となっているのが実情です。
1927年完成の「炎の天使」、そこからの素材で出来た交響曲第3番が1928年、同時に作曲されたバレエ「放蕩息子」も1928年。
そのバレエの素材を一部使って交響曲第4番を完成させたのが1930年で31年にパリで初演。
祖国への思い捨てがたく、体制の変わったソ連に本格帰還してしまうのが1936年。
その前ぐらいから、プロコフィエフの作風は変化していったわけですが、それはまた違う機会に。
ずっとのちになって、成功した5番や6番のあとに、4番は改訂されるのが1947年。
第1稿は作品47で、改訂版は作品112。
30分ぐらいの初稿にくらべ、改訂版は40分ほどで、時間的にもグレートアップされた。
その違いはプロコフィエフシリーズのなかでまた書きたいと思います。
序奏の部分が効果的に拡張され、終楽章で全楽章を回顧しつつ壮大に鳴らされるという、交響曲の常套を踏んだ改訂版。
ヤルヴィの手際がよくも、強弱をたっぷりつけメリハリの効いた演奏で聴くと、このうえない爽快感と快感を覚えたものです。
初稿にはなかったピアノは、指揮者の真ん前に据えて、左右にヴァイオリンとチェロ・ヴィオラを配置するというなかなかに見られない光景でしたが、案外とピアノが決めてになって聴こえるこの交響曲では、実に効果的だったし、音の出方やバランスがとてもよかったと思う。
1楽章は序奏からやがてリズミカルな急速シーンに突入するが、このあたりの繰り返し的なプロコフィエフの効果満点の音楽はヤルヴィのキビキビした指揮ぶりが光る場面で、わたくしをワクワクさせてくれた。
このあたりのオーケストラの精度の高さに舌を巻き、やっぱりN響ってうまいもんだな、と感心することしきり。
緩徐楽章の息の長い旋律を引き継いでゆく展開も美しく、ここでもオーケストラの合奏力の高さとソノリティの豊かさを実感。
初稿ではもっと簡潔な造りだが、改訂版ではやや冗長に感じさせるこの楽章を、ヤルヴィはよく歌い、各声部をしなやかに浮かび上がらせるようにしてうまく聴かせてくれました。
原作のバレエにもっとも近づいた雰囲気の3楽章。
軽妙かつ洒脱な雰囲気をよくつかんでいたし、軽やかさもN響から引き出すところもさすが。
よりシンプルで新古典的な様相を持つ初版の終楽章に対し、大見えをきるような終結部を加えた新版ですが、そこに至るまでの盛り上げのじわじわ感が見事でして、ここでもワタクシは興奮しましてドキドキが止まらないのでありました。
パッチワークみたいな感じの継ぎはぎが、だんだんとまとまってゆくような面白さを、ヤルヴィとN響は見事に演奏しました。
ブラボー一声かけましたよ。
プロコフィエフをコンサートで聴く楽しみは、大編成のオーケストラ、とくに金管や打楽器の活躍を一望できることです。
改訂版で強化されたそのあたり、もっと簡潔で凝縮された初稿版にない楽しみを、今回の演奏ではよく味わうことができました。
ヤルヴィって指揮者は、ときにあざといところがどうかとも思ってましたが、この日のベルリオーズとプロコフィエフでは、聞かせ上手のヤルヴィがいろんな工夫をこらして飽きさせずに聴かせてくれました。
4番は、ふたつの版を真ん中に協奏曲かなにかをはさんで一夜でやってくれたら面白いと思うんですがね。
久しぶりのNHKホール。
記憶していた音響よりもよく聴こえました。
ヤード式のホールで聴くことが多かった最近ですが、音がまとまってブレンドされて直接に聴こえるので、ごまかしは効かないかわりに、音楽に集中できるような気もしました。
わたくしの初NHKホールは、1975年のムーティとウィーンフィルでして、もう半世紀も経つんだ・・・・
文化に浸ったあとは狂暴な喧騒へと下りました。
せっかくだから雨のスクランブル交差点を拝見しようと隣接するビルからのぞき込みパシャリと1枚。
この街で学生時代を過ごした時代とは隔世の感あります・・・・
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