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2025年4月 2日 (水)

東京交響楽団 定期演奏会 オスモ・ヴァンスカ指揮

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春もたけなわ、のはずの3月末でしたが、4月に入ってからも寒の戻りや曇天・雨天で悲しい桜シーズンとなってしまってます。

こちらは商業施設の中の本物そっくりの桜なので散ることなく安心。

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    東京交響楽団  川崎第99回定期演奏会

 ニールセン       序曲「ヘリオス」op.17

 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37

 バッハ カンタータ「楽しき狩りこそわが喜び」BWV208
         「羊は安らかに草を食み」

      ピアノ:イノン・バルナタン

  プロコフィエフ  交響曲第5番 変ロ長調 op.100

     オスモ・ヴァンスカ指揮 東京交響楽団

      (2025.3.30 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

コンサートマスターのニキティン急病とのことで、急遽田尻さんが本日のコンマスとのことでした。
ヴァンスカの指揮を聴くのは今回初めてで、これまでラハティ響との来日、読響、都響への来演も何故か聴くことがなかった。
いずれもシベリウスばかりで、シベリウスの専門家みたいに思われているヴァンスカですが、わたしはマーラーの10番から始まり、ついで全集も購入し、氏の緻密かつ熱いマーラーに共感をいだいておりました。

1曲目のニールセンから集中力と精度の高い演奏が展開された。
海の夜明け、昇りゆき、最後は沈みゆく太陽を描いた作品だが、静かに始まり、輝かしい中間部を経て沈黙の海を思わせるピアニシモで終わる、そのさまをまことに鮮やかに演奏してみせた。
昼からコンサートって、とくに1曲目は入り込みにくかったりするものだが、今回は最初の1音から耳をそばだてるくらいに磨きあげられた緻密さに集中でき、ピークのフォルテも神々しく、息をのむくらいの最終音まで、ほんとに美しく完璧な演奏に感じいった。

ピアノを中央に据え直して始まったベートーヴェンの3番。
イスラエル系のアメリカのピアニスト、イノン・バルナタンは恥ずかしながら、名前を聞くのも初めての方。
ベートーヴェンを中心に多くのCDも出ており、知らなかったのが悔やまれるくらいに実力をともなった素晴らしいピアニストだった。
一聴して、その美しいピアノの音に耳が惹きつけられる。
音楽にしっかり入り込んで、感じ入りながら、そして楽しみながら弾いているのがよくわかる。
その練り上げられた音たちは、緻密でどこまでも美しもあり、短調ならではの厳しさも感じさせたりで、3番という古典からロマン主義への萌芽の時期の位置関係を刻んでくれるような見事な演奏に結実していたと思う。
 ピリオドを意識した奏法でコンパクトで歯切れよいオーケストラは、ヴァンスカの思う切り詰めた簡潔なベートーヴェンにぴったり。
ただティンパニはややうるさかったかな。
バルナタンとヴァンスカが、完全に思いを一致させて、3番がベートーヴェンの意欲作であることをわからせてくれた。
一方で、2楽章のロマンあふれる演奏には、もう陶然としてしまう思いでしたね。
ほんとうに美しいピアノでした。
 別日ではアンコールもベートーヴェンだったらしいが、この日はバッハ。
何気なく、楚々とバルナタンが弾き始めたのがバッハのよく耳に馴染んだ曲だったので、驚きとともに、心に響くその誠実な演奏に、途中から泣きそうになったしまった。
聖夜の田園曲のように、心安らぎ、祈るような気持ちになる曲に演奏でございました。

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後半は、うってかわってプロコフィエフ
プロコフィエフを年代順にすべての作品を聴くシリーズ継続中のなか、ロシア時代初期から亡命時代の斬新な作風に心惹かれる一方で、祖国復帰後のソ連時代は明らかにメロディに傾きつつ、かつての大胆さが減少してしまったと感じてる。
でもプロコフィエフの音楽に通底するモダニズムや抒情が大好きで、すべてを聴き確認したい思いはかわりません。
 そんないま、かつて一番聴いてきた5番の交響曲を演奏会で体験する喜びははかりしれない。
なんといっても激しいダイナミズム、強弱の大きな落差は、スピーカーではなかなか聞き取りにくいし、近所迷惑になること必須なのだ。

そんな思いにぴったりだったヴァンスカと東響の5番だった。
その指揮姿を見ていて、ときおり屈みこむようにして、絶妙な最弱音を要求したとおもえば、最大最強のフォルテを引き出すために両手を大きく上にかかげて指揮をする。
東響は、それにこたえて完璧極まりない反応ぶりで、最高のオーケストラサウンドを聴かせてくれる。

クールな空気感を瞬時に感じさせるような1楽章は、さすがに北欧人ヴァンスカと思わせたし、楽章の最後ではこれでもかとばかりの破壊的な音でこちらも恍惚となった。
軽快でありながら、目まぐるしい激しさを味わえた2楽章は、ピアノも入り、東響の木管も大活躍で目まぐるしいくらいにきょろきょろしながら聴いた。
今回の5番の演奏の白眉だったのが3楽章。
クールな抒情性を見事に聴かせつつも、どこか不安げな様相を持つこの楽章の難しさは、プロコフィエフの色んな複雑な思いが念じこまれていることで、ヴァンスカの指揮はそれをひも解いて丁寧に聴かせてくれる緻密なものだったと思う。
中間部の哀歌などは、実に切実なもので、そこから始まる壮絶なクライマックスの作り方など、まったくもって素晴らしいものだった。
聴いていて鳥肌がたった。
一転して破天荒な雰囲気の4楽章では、木管と金管の大活躍と目まぐるしいほどの弦楽器の七変化ぶりを拝見しながら楽しんだ。
ヴァンスカのキュー出しも、極めて忙しく厳格かつ細密そのものだった。
急転直下のラストは、これまた見事な盛り上げ方で、もうワクワク感が止まらず、圧倒的なエンディングを迎えて興奮は頂点に!

素晴らしき5番を聴かせてもらった。
一連のマーラー演奏で感じていたとおり、ヴァンスカの音楽は効果を狙うような外向的なものでなく、音を緻密に磨き上げて美しい音にこだわるタイプに思っていた。
それに加えて、今回は強弱の付け方、音の出し入れなどがとてもうまく、存外にダイナミックな表現もする人だとの認識も加わりました。
都響にまたシベリウスで来演するようだし、次はマーラーも聴いてみたいものだ。

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ヴァンスカさん、いまは特定のポストは持たずに活動している様子。
これからもたびたび来日して、日本各地のオーケストラに客演して欲しい。

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