東京交響楽団 定期演奏会 ノット指揮 ブルックナー8番
サントリーホールに早く到着したので、近くの桜坂から霊南坂を桜を求めて散策。
美しい桜の回廊を見て、これから聴くブルックナーに胸を高鳴らせる。
演奏会が終わったあと、すっかり日が落ちてライトアップされた同じ場所の桜を再び。
あまりの素晴らしい演奏に、もう放心状態の自分でした。
東京交響楽団 第729回 定期演奏会
ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調 第1稿 ノヴァーク版
ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
(2025.4.5 @サントリーホール)
2014年に就任以来、数々の名演を残してきたノット監督の最終シーズンの今季、ブルックナーの大作でスタート。
2016年に一度取り上げた8番ですが、2度目の今回は第1稿で演奏するという、これもまたノットらしい絶妙の選択。
このコンビを聴きだしてまだ数年の私ですが、今季のプログラムを見て、これはもういまさらながら会員になるしかないと判断しました。
昨年暮れ、「ブルックナーを演奏する会」というアマチュア有志オーケストラが第1稿を果敢に取り上げ、それでこの初稿の版を初めてといっていいくらいに真剣に聴いた。
その時のブログでも書きましたが、インバルのCDやルイージのライブ放送などで聴いてはいたが、かくも全然違う風に聴こえる第1稿に、新鮮さとともに、発見をする喜びを見出したのです。
そして今回の、ノットと東響の完全無欠たる演奏を聴いて、これはもう普段聴いてきた2稿以降のノヴァーク版、ハース版などとともに、峻厳さとともに聳え立つブルックナーの名作だと確信を得ました。
よく言われる「磨きあげられる前の原石」だという表現は、今回の演奏にはふさわしくなく、これはもう巧緻を尽くしたブルックナーが到達した完璧な円熟の境地にある作品と思わせるものだった。
そして、90分間にわたって、全編息もきらさず集中し、まんじりともせずに音楽に集中したコンサートも、これもまた久しぶりのことで、自分のなかでも、これまでの「サロメ」や「エレクトラ」にも通じるものだった。
聴き慣れた版との違いを確かめるように聴きがちな1楽章、ついついあれどこ行った?と、行方知れずの音を探すように聴いてしまうが、今回はそんなことなく、すべてがスムースで、すべてがあるように演奏されて自然体そのもの。
力んだところもまったくなく、洗練の極みのように感じられ、峻厳な作品8番を聴くのに構えることなく受け入れられた自分にも驚き。
それだけ練られた演奏だったということだろう。
フォルテで終わる終結部も洗練されたものだった。
野卑さのまったくないスケルツォは優美にさえ感じるくらいに徹底して磨き上げた表現で、さらに牧歌感の増しているこの初稿版の中間部ではテンポを落としてじっくりと聴かせる。
このように演奏は全体にゆったりめと思った。
いちばん素晴らしかった深淵なる3楽章。
緻密なノットの音楽造りをオーケストラがしっかりと受け止め、息の長い旋律を綿々と歌い継ぐ様子は聴いていても、見ていても胸が詰まってしまうくらいに感動的だった。
そのノットの想いあふれる横顔も印象的で、長らく付き添ったオーケストラのひとりひとりが、しっかりその意図を受け止めて精魂込めて演奏しているのがよくわかった。
指揮者とオーケストラの幸せな結びつきが、こうした静かで感動的な楽章を通じてよくわかるというものだ。
静寂をともなうパウゼもあり、完璧な間として完全に機能したようにも感じた。
2稿以降でシンバルが高鳴る場所がスルーされる1稿に慣れた自分ですが、そのあとにくる3連×2のシンバルとトライアングル、とってつけたように感じていたこの場所が、今回の演奏では痺れるほどの感銘をともなって、こうあらねばならぬというように聴こえた。
この日、好調だったホルンセクションとワーグナーチューバ軍団をともなう、その後の慰めにあふれた場面も感動的で、ずっとずっと続いて欲しいと願いながら聴いていたものだ。
雄軍極まりない終楽章の開始は、輝かしさでなく、決然とした厳しさが支配し、このあとの長い多彩な表情をもつ楽章の序奏として相応しかった。
2稿以降の版で、大好きなフルートによる鳥のさえずりは、1稿ではやはりちょっと寂しく感じ、埋没しすぎと思ったのは変わらず。
勇壮な金管の主要主題の咆哮もよく制御されていて、突出しない。
またコンマスを始め、第1ヴァイオリンが分かれれ分奏するところも、2稿以降にはあったかな?確認してみたいが、さすがニキティン・コンマスだった。
何度か表出する金管群による主題が、回数を追うごとに、だんだんと熱量を帯びてゆくのもノットの感興の豊かさと指揮の巧みさで、楽章も後半に進むにしたがって音楽が熱く、そして輝いていくのをまざまざと感じた。
ノット・マジック、まさに極まれり。
オーケストラも長丁場に負けず、精度と力感も保ったまま最後を迎えるにあたり、全員が集中と感銘のなかにいるようだ。
聴いてるワタクシが、平静でいられるわけがない。
3楽章でも感じたとおり、この長大な音楽がずっと続いて欲しいと願いつつ、感動に打ち震えていたのだ。
遠大なエンディング、じわじわ高鳴っていくが、音楽は意に反して静まる。
ここでこれまで聴いていた音源や、前回の初聴き演奏会では、あれれ、と思い、その後のあっけない終結に物足りなさを覚えたりもしていた。
しかし、この日のノットと東響の演奏はまったく異なる次元で高みに昇りゆく音楽として、じっくりと堂々と聴かせてくれた。
ふわっとした終わり方を感じさせず、小細工も抜きに、見事なまでに音楽を昇華させたのだ。
最後の音が鳴り終わって、ノットは腕を降ろさず、奏者も身じろぎせず、完璧なる静寂が数十秒ホールに続いた。
その後のブラボーを越えた、歓声のような盛大な声、こんなの始めてだった。
7番のあとにある8番ということを大いに意識させてくれた1稿での名演。
こんなすごい演奏が聴けるなんて。
ノット監督と東京交響楽団に感謝です。
おなじみのコールもこの日は盛大でした。
コンサートのあとの散策、
霊南坂教会と桜。
ブルックナーを聴いたあとに相応しい。
実は演奏会前にも教会のなかのステンドグラスを鑑賞しまして、そのときは礼拝堂で日曜に向けてオルガンの練習する音色が聴こえました。
敬虔な思いのままに、ブルックナーを聴いたわけです。
今季のノット監督の演奏会、「戦争レクイエム」「マタイ受難曲」「マーラー9番」。
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コメント
僕は翌日のミューザでした。
圧巻でした。
申し訳ないけれど、放送で見聞きした第1稿の演奏、完全にはこのスコアに内在する真美に到達し切れていなかったと思います。
監督もこの稿での指揮は初めてだというのに(L氏は第1稿での演奏経験あり)、かくも感動的な演奏を東響から引き出すとは・・・!
ノヴァーク第2稿の演奏も清新でしたが、この演奏には熟成してなお新しい視点を以てブルックナーの第8の本質を表現し、オーケストラと聴き手を感動させてくれるノットに驚嘆せざるを得ません。
第3楽章などもう涙にくれてしまい、フィナーレでは「止まれ、お前は美しい」とどれだけ思ったことか。
この後のプログラムに、ますます期待が高まります。
東響の面々も物凄い集中力で、とても日本のオーケストラとき思えないものだったことも、東響のファンとしてはうれしい限り。
ともかく、稀代の名演でしたね。
投稿: IANIS | 2025年4月 7日 (月) 01時31分
IANISさん、まいどです。
ミューザでも、すごいことになったようですね。
ニコ生で視聴もしました。
サントリーホールよりも練れていたように感じますが、フライング拍手がちょっと残念。
私もL氏とN響を録音して聴いてますが、淡泊にすぎるし、オケの音が硬いように思いました。
しかし、その点、東響は完璧だし、温もりや躍動感ではNより上かなと思います。
ノット監督の分析力と音楽への無私の姿勢、アバドにも通じるものを感じます。
今回のような演奏を聴いてしまうと、あと1年が愛おしいし、もっと留まって欲しいと熱望もしますね。
世界のオーケストラ界を眺めてみても、稀有のコンビになったのではないでしょうか!
またどこかでご一緒しましょう。
投稿: yokochan | 2025年4月 7日 (月) 22時18分