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2025年5月

2025年5月14日 (水)

R・シュトラウス 「ナクソス島のアリアドネ」静岡音楽館AOI

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久しぶりの静岡。
ホールロビーからの富士。
シュトラウスのオペラを演るとあっては行かなくてはなるまい。
都心を離れ、神奈川にいるので、思えば静岡は近い。
新幹線を使わずとも手軽に行けてしまうので、行きは在来線でのんびり、帰りは心地よき疲れに浸りながら新幹線。

駅前にある音楽ホール、静岡音楽館AOIの30周年記念公演、「ナクソスのアリアドネ」演奏会形式上演。
この公演に気が付いたのはそんな前でなく、ホールに電話をしたときは残りわずかで、早々にチケットは完売。

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R・シュトラウス 歌劇「ナクソス島のアリアドネ」op.60

  アリアドネ:田崎 尚美     バッカス:宮里 直樹
  ツェルビネッタ:森野 美咲   執事長:小森 輝彦 
      作曲家:山下 裕賀       音楽教師:池内 響   
  舞踏教師:澤武 紀行      従僕:岸本 大
  ナイヤーデ:守谷 由香     ドリヤーデ:山際 きみ佳
  エコー:隠岐 彩夏       ハルレキン:黒田 祐貴
  ブリゲッラ:小堀 勇介     士官、スカラムッチョ:伊藤 達人
  かつら師、トゥルファルディン:志村 文彦   

       沼尻 竜典 指揮 静岡祝祭管弦楽団

        演出:彌六

        (2025.5.11 @静岡音楽館AOI)

通算4度目のアリアドネの実演観劇。
初めて訪れた静岡音楽館、シューボックス型の館内装飾もそれはステキなホールで、客素618人というところもほどよい規模。
そしてその音響の良さも定評あるところで、今回のこのホールにしては最大規模の作品を上演するにあたり、聴き手からするとすべてがちょうどよろしく、シュトラウスの精妙に張り巡らされた緻密な音楽が、まさに手に取るように見え、聴こえたのです。

序幕のドタバタ風喜劇、劇中劇たるオペラと性格の異なる2部を簡単な演技でコンサート形式で行うことは、ややこしさを回避しシンプルさが増すことで、これまたシュトラウスの音楽の良さが引立つというもの。
都合2時間30分、満員御礼の客席は集中力高く、歌と演技、オーケストラの妙技に聴き入った。
ユーモアを交えた簡潔な演出は、誰にでもわかりやすく、左右の袖から出入りする動きばかりでなく、ときに2階からの動きもあり、空間利用も巧みであり、限られた制約のなかで最適なものでした。

初めて買ったアリアドネの音盤は、ケンペとドレスデンのレコードアカデミー賞受賞の名盤で、当時のそれは豪華極まりない歌手を集めた贅沢なものだった。
今回の静岡キャストは、いま日本でアリアドネをやるならこの歌手たち、という最適かつ隅から隅まで豪華なメンバーを選りすぐったもの。

その歌手たちが予想以上に素晴らしかった。
声の威力と幅広い表現力で圧倒的な存在感を示したのが田崎さんのタイトルロール。
沼尻さんとのサロメ、ヴェルレク、そのほか多く聴いてきたけれど、コンパクトなホールとうこともあり、その強さと繊細さを兼ね備えた声が耳にストレートに響きました。
古くは12年前に同じ沼尻指揮では、ワルキューレたちのひとりだった。

相方のバッカスの宮里さんも驚きの力強さとよく通る声。
この方も昨秋のヴェルレクで輝かしいテノールで聴いたばかり、エリックも田崎さんとオランダ人で予定されていて、明るめの声でのワーグナーも次は聴いてみたい。

元気いっぱいのツェルビネッタを歌った森野さん。
小柄で才気煥発といった、この役柄にぴったりのルックスと軽やかで透明感あふれるお声はチャーミングそのもの。
意欲が空転してしまうスレスレのところも、実にライブ感あってよろしく、見事な声の技巧に感心しながらも、微笑ましかった。
ウィーン在住中とのこと、これからの日本のモーツァルトやシュトラウスの舞台になくてはならない存在となるでしょう。

序幕でキリリとした作曲家を歌った山下さん、この方が実に素晴らしく、生真面目なこの役を強い声で歌いあげたほか、ツェルビネッタの登場で惑わされるシュトラウスならではズボン役としても最高の歌い手かと思いましたね。
会場で大喝采を受けてましたから、みなさん同じ思いで聴いていたことでしょう。
すでに実績をあげてる方ですが、きっとステキなオクタヴィアンに!
昨年はバーミンガムでヤマカズの蝶々さんに出演、チェネレントラ、今年は群響でカルメンなど、楽しみな歌手をまた発見。

語り役の執事長に小森さんという贅沢な布陣。
氏の舞台は数々観てきましたが、ウォータンを歌うバスバリトンが執事長とはまた妙なる配役の妙。
完璧で美しいドイツ語の語感、かたくなさを尊厳な雰囲気でかもし出すベテランの味。さすがでした

このシュトラウスの作品は、とてもよく書かれていて、古典帰りをした明朗な音楽造りは、その構成にもよく出てます。
喝采を受けるアリアが配されているほか、愉快な重唱や、美しいハーモニーにあふれた重唱など、ともかくどこもかしこも歌の聴きどころあふれている。
3人の精たちの透明感あふれる歌声は、それぞれも素敵な声でしたが3人の得も言われぬ声の重なり合いは、さながら夢心地になる気分でした。
守谷、山際、隠岐といった3人の実力派、それぞれにまた聴いてみたいお声でしたね。

あと男声の方もチームワーク抜群の愉快な仲間を楽しく歌い、演じてました。
いちばん聴きどころの多いハルレキンを歌った黒田さんのマイルドで柔らかなバリトンが心地よく、シュトラウスが付けたステキなメロディを堪能しましたし、お隣の女性のお客さんも体を揺らすようにして気持ちよさそうに聴いてましたよ。
ベルカントに秀でた小堀さんの発声の明るいブリゲッラ、影のない女で嫌なヤツに成り下がってしまっていた皇帝役で記憶に新しい伊藤さんのもったいないくらいのスカラムッチョ、そしてもう10年以上前からいろんな役柄でいつも聴いてきた志村さん、失礼ながら役柄にぴったりフィットのかつら師とトゥルファルディンでした。

池内さんの音楽教師、序幕での執事長のむちゃぶりを最初に受けとめ悩む役柄ではありますが、役回りとしては案外に難しい存在を存外の美声バリトンで聴かせてくれました。
キンキラの衣装をまとった舞踏教師の澤武さん、音楽教師と作曲家と相対する役柄ですが、まさに軽やかに、町人貴族による短い歌も楽しく軽やかに歌いました。
思えば昨年のばらの騎士で、軽妙なヴァルツァツキを聴いたんだ。
作曲家と絡む役の従僕の岸本さん、どこかで聞いた名前と思ったら、神奈川フィルの合唱のまとめ役の方でした。

ともかく、みんながすばらしく完璧だった歌手のみなさん、もっと何回もやって、実際の舞台上演も期待したくなるチームです。
その歌手たちを束ねる沼尻さんの指揮。
このマエストロの元で、今回の歌手のみなさんは何度も歌っていて気心も知れているはずで、まさにオペラ職人のような巧みな指揮できっと歌いやすかったことでしょう。
序幕とオペラ部分との性格と音楽の違いも明確にさせていたし、オペラでのシュトラウスが描きだした地中海的な明快・晴朗な世界を引き出すことに成功していたと思う。
ともかく、すべてが的確なオーケストラ。
なんといっても水谷&小林という新旧の東響のコンマスを据えた38名の名人級の室内オーケストラは、各オーケストラからはせ参じたつわものばかりのメンバーで、見たことあるお姿ばかり。
ピットに入った上演しか経験がなかったので、もちろんスコアなんか見たことないので、弦楽セクションがおのおのに、ソロがちょこちょこあったり、ハープが2台もあってやたらと存在感があったり、ピアノやチェレスタがシュトラウスならではの透明感をそのサウンドに特長を与えているところだったり、ともかくオーケストラを見物するというコンサート形式ならではの楽しみも味わい尽くしましたよ。

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こうした果敢な上演を企画してくれた静岡音楽館さんに感謝。
素晴らしいホールを見出した喜びも。
こうした室内規模のオペラの公演を今後も期待したいです。
バロックオペラや、ブリテンなどの近代もの、ほかにはない上演を是非。

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開演のまえに、食事を兼ねて市内散策。

静岡市は大道芸の街、ちょうど「あおばフェス」をやってまして、あちこちで出店やパフォーマンスが繰り広げられてましたよ。
静岡市に降り立ったのは実は15年ぶりぐらいで、その前まではともかく毎月のように仕事で行って、飲んで、食べて、泊まってました。

美味しいものだらけ、夜も賑やかだし、みんな明るい人々ばかり、そんな「しぞーか」が好きです。

なんといっても、ワタクシも父の仕事の関係ではあったけれど、静岡県生まれなんですし。

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こちらもホールからの遠景。

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2025年5月 5日 (月)

ハイドン オラトリオ「四季」 ベーム指揮

Season-coffe

四季の珈琲☕

季節の変わり目ごとに販売される珈琲のパッケージが素敵なのでした。

小川珈琲が出している商品で、いまはどこのスーパーにも売ってます。

毎朝、コーヒーはかかさないものですから、毎日の楽しみです。

季節に応じて産地やブレンドで味わいも替えてます。

春:やわらかい香りとやさしい甘さを活かした軽やかな風味

夏:爽やかな香りとクリアな酸味を活かしたすっきりとした風味

秋:華やかな香りとやわらかな甘さを活かしたまろやかな風味

冬:芳醇な香りとなめらかな口当たりを活かしたしっかりとした風味

今週から、コーヒーコーナーには、早くも「夏」風味が登場してましたね。
次はもう「秋」かぁ・・・・
季節の切りかえ、進みは年々早くなる。

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  ハイドン オラトリオ「四季」 Hob.XXI-3

     ハンネ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ

     ルーカス:ペーター・シュライヤー

     シモン:マルッティ・タルヴェラ

   カール・ベーム指揮 ウィーン交響楽団
             ウィーン楽友協会合唱団

        (1967.4 @ムジークフェライン、ウィーン)

             ※(ジャケットはネットからの借り物です)

四季を描いた音楽はヴィヴァルディがいちばん高名ですが、声楽作品としてはハイドンが随一。
「天地創造」の方に演奏機会の頻度において歩があるが、どちらもハイドンならではのおおらかさとユニークな描写性があり、音楽を心置きなく聴くという楽しみを与えてくれます。

ハイドンには多数のミサ曲があり、オラトリオは2大作品のほか、昨今取り上げられるようになった「トビアの帰還」、諸バージョンのある「十字架上の最後の7つの言葉」などもあります。
1809年、77歳で没するハイドンですが、67~69歳で作曲された「四季」は、ほぼ最後の活動時期の大作となりました。
エステルハージの学長に返り咲き、最後の15年をウィーンで過ごすのですが、そこでは体力と意欲の減退に悩まされ、作品数も限られ、この「四季」のあと、すっかり病弱になってしまったと伝えられている。
全霊をかけたハイドンの「四季」、音楽はそんな緊張感は感じさないところがすばらしく、かつプロフェッショナルなハイドンに感嘆すら覚えます。

J・トムソンというスコットランドの詩人の同名の詩集をスヴィーデン男爵が台本化したものに作曲。
このスヴィーデンさん、よく出てくる名前ですが、本職は役人で、ベートーヴェンが1番の交響曲を献呈していたり、また晩年もモーツァルトを支援したり編曲の依頼などもしているほか、自ら作曲もそこそこに行っている。
やはり、こうした人物が影にあってこそ、古典の時代の音楽がしっかり残されたというわけでしょう。
 一方の原詩の作者であるトムソンさんも、なかなかの人物で、当時のスコットランド~大英帝国にあって、奴隷制廃止をモットーにしていたようで、この「四季」における農民たちの尊き労働の姿、人間と自然の描写など、その目線におおきくうなずけるものがあります。

各季30分ぐらいの長さで、CDにも2枚でちょうど収まる長さ。
農夫親娘、その恋人の3人のソロ、村人、農夫たち、狩人、その他無人格の合唱、こうした編成で繰り広げられる2時間の自然や生活の賛歌。
ヨーロッパののどかな、よき時代を聴きながら思い起こすこともできます。

【春】
荘厳かつ厳粛な出だしを持つが、冬が去って春きたる、まさに喜びにあふれたウキウキ感まんさいの春。
シモンであるバスの独唱による94番の驚愕交響曲の旋律に乗った農作業の始まりの喜びの歌、ここばかりが始めて聴いた中学生の自分には楽しかったという思い出がある。
カラヤンのレコードが出た時にFMで聴いたのが初です。
各季節の終わりには神への賛美や感謝の場面がありますが、春での喜びの爆発は晴れやかです。

【夏】
農夫たちの夏の朝は早い。
ホルンによる夜明けと日の出の表現は、さわやかで気持ちがいい。
輝かしい太陽の輝き、眩しい暑さ、一方でソプラノのハンネは木陰や小川の素晴らしさも涼やかに歌う。
そして夏は天候も急変、嵐が近づくさまも合唱で劇的に描かれ、その嵐のあとの平和と回復のありがたさも歌われる。
小鳥の鳴き声やコオロギ、鐘の音なども巧みに描写され、微笑ましいのです。

【秋】
あまねく人間にとっての実りの秋、春に花をさかせ、夏には成長し、秋には実りをもたらす、とこれまでを回顧しつつ、3人と合唱は喜びを讃えつつ、これまでの努力も肯定的に歌う。
お互いの名前を呼び合う恋人たちふたりの二重唱も愛らしく、喜びに満ちてる。
収穫とともに、狩りの成果もあがる。シモンは狩りの様子を緊張感とともに歌い、銃声が太鼓で鳴る。
農民と狩人たちはラッパが高鳴り興奮する、高鳴るホルンは、「魔弾の射手」の先駆けか、実に見事な音楽だ。
さあ、宴の始まり、新しい葡萄酒ができた!愉快な掛け声も楽しく、歓喜の合唱はとどまることなく、陽気なダンスもあり底抜けに明るいのだ。

【冬】
秋のどんちゃん騒ぎから一転、どんよりとした曇り空が立ち込める雰囲気で、ハイドンの筆致も冴える。
独唱たちは、さんざん周辺の厳しい環境を列挙し、冬の旅よろしく、旅人になりきって街を行く様子を歌う。
そこで目にしたのは、暖かい部屋と人々の団らん。
村娘とハンナは、糸車を回して紬物を結い、求婚者への思いも歌う。
さらにハンナは貴族の求婚のたとえ話と、戒めを歌にして、その清らかな思いも語って村娘たちの喝采を得る。
父シモンは、これまでの3シーズンで贅沢にふけったことの戒めを娘と同じように歌い、徳を大切にと説き、最後の合唱へと導く。
春への希望と神への信頼と感謝を歌うのでした。

4つの季節を真面目に生きる人々の喜びと愛、また次の年もめぐりくることへの期待と感謝。
実に見事に作られた作品だと思います。

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先にあげたカラヤン盤は実はまともに聴いてなく、音盤も持ってません。
手持ちのベーム、マリナー、ガーディナーの3種から、やはり一番よく聴いたベーム盤を。

70歳を超えて最充実期にあったベームのハリのある音楽造りは、ときに厳しい表情も見せますが、ウィーンフィルほどに柔和にすぎないウィーン響のナチュラルな響きも手伝ってか、豊かなサウンドをともなって劇場的でもあり、歌謡性にも富んでます。
 録音年の67年といえば、その前年からバイロイトでリングを指揮していたし、トリスタンもロングランで上演中だった頃。
レコーディングでもモーツァルトの一連のオペラなどもこの頃。
凝縮した響きで古典音楽もワーグナーも明晰に演奏をしていたこの頃のベームならではのハイドンかとも思います。
この頃はDGはウィーンフィルを自由に使えなかったはずだし、ベルリンフィルはカラヤンがいて難しかった。
ウィーン響でよかったともいえるが、思えばウィーン響とは不思議なオーケストラです。
カラヤンのあとを受けて、この頃はサヴァリッシュが首席指揮者だったが、そのサヴァリッシュの元では清新な現代的なサウンドのなかに、ウィーンの響きを聴かせていた。
しかしベームが指揮すると、ウィーン訛りも出てきて、ちょっとひなびた音色が優るようになるのを他の映像作品などで感じていました。
60年代に、ベルリンフィルでは無理だったが、ベームには、このウィーン響とベートーヴェン全集を残して欲しかった。
学友協会合唱団も引き締まった充実ぶりでしたね。

ベームのトリスタンで、マルケ王と水夫を歌っていた二人、タルヴェラとシュライヤー。
あとこの年にカラヤンのワルキューレでジークリンデを歌うヤノヴィッツ。
ワーグナーやドイツオペラ、歌曲で大活躍だった3人の歌手がいずれも素晴らしいと思います。
無垢なる声のヤノヴィッツにはまいど癒されます。
まっすぐの声で正確な歌唱でありながら、味わいもあるシュライヤー。
小回りがきかず、お人よし感満載のタルヴェラにベリーやFDのような巧さはないけれど、各種ワーグナーの歌唱にはない豊穣なコクのような声を感じる。
いまやみんな亡くなってしまい、ヤノヴィッツ(1937~)のみがご健在。
懐かしい歌声に、いつまでもお元気で、と祈念する思いです。
最後にDGのこのウィーン録音、とても音がいいです。
すべてが自然で音楽に気持ちよくひたることができます。

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ハイドンの生まれたニーダーオイスタライヒ州にある「ローラウ」という街。
6歳まで過ごし、その後学校に通うため、もう少し北にある都市の寄宿舎に移住、さらにすぐにウィーンに。

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グーグル先生でいまは博物館となっているハイドンの生家を調べてみました。
湿地や小川が多く自然あふれるローラウ、近くに教会もあり、少し行けば広大な農地が広がってます。
ハイドンはずっとのちに、ロンドンから帰ってきて、郷里を訪問して懐かしんだといいますが、ちょうどこのオラトリオの作曲の頃。
マップで郊外も見てみましょう。

Rohrau-031

なんということでしょう。
おびただしい本数の風力発電の風車が・・・
風の抜けもよいのでしょう。
ヨーロッパの多くの郊外にはこんな光景があると思われ、はたしてそれはecoなんだろうか?と思います。
この殺伐とした景色と、案外と騒音を出す風車の音にハイドンもびっくりでしょうよ・・・

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ふだんは、5月の連休あたりが盛りとなる「藤の花」。

年々、開花が早くなってますし、咲いたらあっというまにしおれてしまう刹那的な寂しさがあるのも桜と同じかも。

季節は夏に向けてまっしぐらな感じです。

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