ハイドン オラトリオ「四季」 ベーム指揮
四季の珈琲☕
季節の変わり目ごとに販売される珈琲のパッケージが素敵なのでした。
小川珈琲が出している商品で、いまはどこのスーパーにも売ってます。
毎朝、コーヒーはかかさないものですから、毎日の楽しみです。
季節に応じて産地やブレンドで味わいも替えてます。
春:やわらかい香りとやさしい甘さを活かした軽やかな風味
夏:爽やかな香りとクリアな酸味を活かしたすっきりとした風味
秋:華やかな香りとやわらかな甘さを活かしたまろやかな風味
冬:芳醇な香りとなめらかな口当たりを活かしたしっかりとした風味
今週から、コーヒーコーナーには、早くも「夏」風味が登場してましたね。
次はもう「秋」かぁ・・・・
季節の切りかえ、進みは年々早くなる。
ハイドン オラトリオ「四季」 Hob.XXI-3
ハンネ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
ルーカス:ペーター・シュライヤー
シモン:マルッティ・タルヴェラ
カール・ベーム指揮 ウィーン交響楽団
ウィーン楽友協会合唱団
(1967.4 @ムジークフェライン、ウィーン)
※(ジャケットはネットからの借り物です)
四季を描いた音楽はヴィヴァルディがいちばん高名ですが、声楽作品としてはハイドンが随一。
「天地創造」の方に演奏機会の頻度において歩があるが、どちらもハイドンならではのおおらかさとユニークな描写性があり、音楽を心置きなく聴くという楽しみを与えてくれます。
ハイドンには多数のミサ曲があり、オラトリオは2大作品のほか、昨今取り上げられるようになった「トビアの帰還」、諸バージョンのある「十字架上の最後の7つの言葉」などもあります。
1809年、77歳で没するハイドンですが、67~69歳で作曲された「四季」は、ほぼ最後の活動時期の大作となりました。
エステルハージの学長に返り咲き、最後の15年をウィーンで過ごすのですが、そこでは体力と意欲の減退に悩まされ、作品数も限られ、この「四季」のあと、すっかり病弱になってしまったと伝えられている。
全霊をかけたハイドンの「四季」、音楽はそんな緊張感は感じさないところがすばらしく、かつプロフェッショナルなハイドンに感嘆すら覚えます。
J・トムソンというスコットランドの詩人の同名の詩集をスヴィーデン男爵が台本化したものに作曲。
このスヴィーデンさん、よく出てくる名前ですが、本職は役人で、ベートーヴェンが1番の交響曲を献呈していたり、また晩年もモーツァルトを支援したり編曲の依頼などもしているほか、自ら作曲もそこそこに行っている。
やはり、こうした人物が影にあってこそ、古典の時代の音楽がしっかり残されたというわけでしょう。
一方の原詩の作者であるトムソンさんも、なかなかの人物で、当時のスコットランド~大英帝国にあって、奴隷制廃止をモットーにしていたようで、この「四季」における農民たちの尊き労働の姿、人間と自然の描写など、その目線におおきくうなずけるものがあります。
各季30分ぐらいの長さで、CDにも2枚でちょうど収まる長さ。
農夫親娘、その恋人の3人のソロ、村人、農夫たち、狩人、その他無人格の合唱、こうした編成で繰り広げられる2時間の自然や生活の賛歌。
ヨーロッパののどかな、よき時代を聴きながら思い起こすこともできます。
【春】
荘厳かつ厳粛な出だしを持つが、冬が去って春きたる、まさに喜びにあふれたウキウキ感まんさいの春。
シモンであるバスの独唱による94番の驚愕交響曲の旋律に乗った農作業の始まりの喜びの歌、ここばかりが始めて聴いた中学生の自分には楽しかったという思い出がある。
カラヤンのレコードが出た時にFMで聴いたのが初です。
各季節の終わりには神への賛美や感謝の場面がありますが、春での喜びの爆発は晴れやかです。
【夏】
農夫たちの夏の朝は早い。
ホルンによる夜明けと日の出の表現は、さわやかで気持ちがいい。
輝かしい太陽の輝き、眩しい暑さ、一方でソプラノのハンネは木陰や小川の素晴らしさも涼やかに歌う。
そして夏は天候も急変、嵐が近づくさまも合唱で劇的に描かれ、その嵐のあとの平和と回復のありがたさも歌われる。
小鳥の鳴き声やコオロギ、鐘の音なども巧みに描写され、微笑ましいのです。
【秋】
あまねく人間にとっての実りの秋、春に花をさかせ、夏には成長し、秋には実りをもたらす、とこれまでを回顧しつつ、3人と合唱は喜びを讃えつつ、これまでの努力も肯定的に歌う。
お互いの名前を呼び合う恋人たちふたりの二重唱も愛らしく、喜びに満ちてる。
収穫とともに、狩りの成果もあがる。シモンは狩りの様子を緊張感とともに歌い、銃声が太鼓で鳴る。
農民と狩人たちはラッパが高鳴り興奮する、高鳴るホルンは、「魔弾の射手」の先駆けか、実に見事な音楽だ。
さあ、宴の始まり、新しい葡萄酒ができた!愉快な掛け声も楽しく、歓喜の合唱はとどまることなく、陽気なダンスもあり底抜けに明るいのだ。
【冬】
秋のどんちゃん騒ぎから一転、どんよりとした曇り空が立ち込める雰囲気で、ハイドンの筆致も冴える。
独唱たちは、さんざん周辺の厳しい環境を列挙し、冬の旅よろしく、旅人になりきって街を行く様子を歌う。
そこで目にしたのは、暖かい部屋と人々の団らん。
村娘とハンナは、糸車を回して紬物を結い、求婚者への思いも歌う。
さらにハンナは貴族の求婚のたとえ話と、戒めを歌にして、その清らかな思いも語って村娘たちの喝采を得る。
父シモンは、これまでの3シーズンで贅沢にふけったことの戒めを娘と同じように歌い、徳を大切にと説き、最後の合唱へと導く。
春への希望と神への信頼と感謝を歌うのでした。
4つの季節を真面目に生きる人々の喜びと愛、また次の年もめぐりくることへの期待と感謝。
実に見事に作られた作品だと思います。
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先にあげたカラヤン盤は実はまともに聴いてなく、音盤も持ってません。
手持ちのベーム、マリナー、ガーディナーの3種から、やはり一番よく聴いたベーム盤を。
70歳を超えて最充実期にあったベームのハリのある音楽造りは、ときに厳しい表情も見せますが、ウィーンフィルほどに柔和にすぎないウィーン響のナチュラルな響きも手伝ってか、豊かなサウンドをともなって劇場的でもあり、歌謡性にも富んでます。
録音年の67年といえば、その前年からバイロイトでリングを指揮していたし、トリスタンもロングランで上演中だった頃。
レコーディングでもモーツァルトの一連のオペラなどもこの頃。
凝縮した響きで古典音楽もワーグナーも明晰に演奏をしていたこの頃のベームならではのハイドンかとも思います。
この頃はDGはウィーンフィルを自由に使えなかったはずだし、ベルリンフィルはカラヤンがいて難しかった。
ウィーン響でよかったともいえるが、思えばウィーン響とは不思議なオーケストラです。
カラヤンのあとを受けて、この頃はサヴァリッシュが首席指揮者だったが、そのサヴァリッシュの元では清新な現代的なサウンドのなかに、ウィーンの響きを聴かせていた。
しかしベームが指揮すると、ウィーン訛りも出てきて、ちょっとひなびた音色が優るようになるのを他の映像作品などで感じていました。
60年代に、ベルリンフィルでは無理だったが、ベームには、このウィーン響とベートーヴェン全集を残して欲しかった。
学友協会合唱団も引き締まった充実ぶりでしたね。
ベームのトリスタンで、マルケ王と水夫を歌っていた二人、タルヴェラとシュライヤー。
あとこの年にカラヤンのワルキューレでジークリンデを歌うヤノヴィッツ。
ワーグナーやドイツオペラ、歌曲で大活躍だった3人の歌手がいずれも素晴らしいと思います。
無垢なる声のヤノヴィッツにはまいど癒されます。
まっすぐの声で正確な歌唱でありながら、味わいもあるシュライヤー。
小回りがきかず、お人よし感満載のタルヴェラにベリーやFDのような巧さはないけれど、各種ワーグナーの歌唱にはない豊穣なコクのような声を感じる。
いまやみんな亡くなってしまい、ヤノヴィッツ(1937~)のみがご健在。
懐かしい歌声に、いつまでもお元気で、と祈念する思いです。
最後にDGのこのウィーン録音、とても音がいいです。
すべてが自然で音楽に気持ちよくひたることができます。
ハイドンの生まれたニーダーオイスタライヒ州にある「ローラウ」という街。
6歳まで過ごし、その後学校に通うため、もう少し北にある都市の寄宿舎に移住、さらにすぐにウィーンに。
グーグル先生でいまは博物館となっているハイドンの生家を調べてみました。
湿地や小川が多く自然あふれるローラウ、近くに教会もあり、少し行けば広大な農地が広がってます。
ハイドンはずっとのちに、ロンドンから帰ってきて、郷里を訪問して懐かしんだといいますが、ちょうどこのオラトリオの作曲の頃。
マップで郊外も見てみましょう。
なんということでしょう。
おびただしい本数の風力発電の風車が・・・
風の抜けもよいのでしょう。
ヨーロッパの多くの郊外にはこんな光景があると思われ、はたしてそれはecoなんだろうか?と思います。
この殺伐とした景色と、案外と騒音を出す風車の音にハイドンもびっくりでしょうよ・・・
ふだんは、5月の連休あたりが盛りとなる「藤の花」。
年々、開花が早くなってますし、咲いたらあっというまにしおれてしまう刹那的な寂しさがあるのも桜と同じかも。
季節は夏に向けてまっしぐらな感じです。
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