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2025年6月

2025年6月23日 (月)

ワーグナー 「ラインの黄金」 神奈川フィルハーモニー

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みなとみらいエリアの20時2分。

17時に低弦5度の音から開始し、19時30分には輝かしい虹の橋への歩みで終結。

呪縛にかかったように聴きとおした2時間半とその後のブラボーの嵐。

終演後の散策、海を渡る風が心地よかったのでした。

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 神奈川フィルハーモニー ドラマテックシリーズⅢ

       ワーグナー 楽劇「ラインの黄金」

 ウォータン   :青山 貴           ドンナー:黒田  祐貴
 フロー       :チャールズ・キム  ローゲ:澤武 紀行
 ファゾルト   :妻屋 秀和           ファフナー:斉木 建詞
 アルベリヒ   :志村 文彦           ミーメ:高橋 淳
 フライア    :谷口 睦美           フライア:船越 亜弥
 エルダ     :八木 寿子           ウォークリンデ:九嶋 香奈枝
 ウェルグンデ:秋本 悠希             フロースヒルデ:藤井 麻美

  沼尻 竜典 指揮  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

     ゲストコンサートマスター:荻谷 泰朋

         (2025.6.21 @みなとみらいホール)

二期会でワーグナーやシュトラウスを上演する際に目にする皆様方や琵琶湖オペラで活動する方々で構成された最強メンバーによる「ラインゴールド」
「サロメ」「夕鶴」と続いた沼尻&神奈川フィルのオペラコンサート上演のドラマテックシリーズの3作目。
こうなると、リング4部作を続行して、「ハマのワーグナー」の金字塔を打ち立てて欲しいけれども、なかなかそうはいかないでしょう。
でも、多くの聴衆がそう思ったことと思います。
それだけ素晴らしくも完成度の高い演奏だった。

ワーグナーの諸作のなかで、もっとも大編成のオーケストラを要する作品で、4管編成、ホルン8、ハープ6台、ティンパニ2対、打楽器複数、ハンマー、金床×9人・・・ほぼワーグナーの指定通りの楽員さんが、びっしりとステージに並び、壮観なことこのうえない。
ギッシリ観では、マーラーの7番あたりを思い起こします。
ハープ1台は、ステージ後方の席に、金床は同じくで、パイプオルガンの前に9人しっかり陣取りました。
楽団の巧みな広報で、この金床は、地元企業「京浜急行」の提供による実際の鉄道レールを使用したとのことが前々から告知されていたので、多くの聴き手がニーベルハイムへの移動シーンでこれが鳴らされたときに度肝を抜かれたことでしょう。

歌手たちは演技をともないつつ、オーケストラの前で歌い、女声は役柄をイメージしたドレス、男声はいずれもタキシードだったが、ローゲの澤武さんのみ、赤いネクタイとチーフ、さらには髪も一部赤くして「火の神」を表現していた。

今回上演の主役のひとつはオーケストラ。
演奏会形式の「ラインの黄金」の日本上演は、4回目か5回目になると思うが、私が聴いたのは40年前の朝比奈隆のもので、歌手はオーケストラの後方にひな壇を儲けて歌った。
私が行かなかったティーレマンとドレスデンはサントリーホールでP席にて、ヤノフスキの東京の春はオーケストラの手前で、といった歌手配置。
今回の神奈川フィルは、歌手はオーケストラの前、最後のラインの乙女たちだけP席から名残惜しそうに歌った。

オペラの手練れの沼尻マエストロの全体を見通し、的確な指示を与えつつ、巧みに山場を築き上げる手腕は、ここでも安心安全そのもの。
自慢じゃないけれど、ワタクシのように、ワーグナー漬けですべてのシーンと音が脳裏に刻まれている聴き手にとっても、すべてが納得できる普遍的なワーグナー演奏であったこと。
どこにも首を傾げたくなるかしょはなく、すべてOK、ここでがーーっときて、ここで引いて、そこでこういう感じで響かせて、あそこはこうだよね、こう来るよね、ってとこがちゃんと来る。
 原初の開始でもある冒頭は極めてクリアにはじまり、曖昧さはなし、さざ波のように弦楽器が加わって徐々に音が広がってゆく。
このシーンだけでもずっと聴いてきた神奈川フィルの音色のスリムな美しさを感じ、オペラを聴く喜びやワクワク感を味わえるのだった。
そして、そこにラインの乙女たちの登場でホールの雰囲気は最高に高まった。
以降、2時間30分にわたって、緊張の糸のとぎれることのない、でもしなやかで重くないスマートなワーグナー演奏が展開されるのでした。
CDではスピーカーのビリ付きなど、ヒヤヒヤしながら聴くダイナミックなか所も、ホールで聴くので心配無用。
そうした一撃音や件の金床などに、注目しがちだが、ワーグナーがローエングリンの完成から5年を経て到達したライトモティーフを網の目のように張り巡らせた緻密な作曲技法により表現された登場人物たちの内面の音楽表現。
このあたりを完全に知悉しつくした指揮者が、歌手とオーケストラを統率しつつピュアな音楽造りを目指したものと感じた。
 巨人たちの登場もものものしさは皆無で、雷鳴から虹、城への入場と続く壮麗な幕切れのシーンも極めて音楽的でもっともっと盛り上げることは可能だったかと思うが、爽やかさすら感じる爽快明快な終結部に沼尻&神奈川フィルのらしさを感じた。
 大音量よりも、ちょっとした音の変化や、事象に関しても極めて鋭敏に反応し対応していたと思う。
ローゲが語る神々の不死の秘訣や永遠の青春の場面での室内楽的な表現やただようロマンティシズム、ファゾルトの優しい心根をうかがわせるようなモノローグは、わたしも発見が多かったし、アルベリヒの呪いの場面なども指環4部作に通底する本質を確信的に表現。
 自分にとって聴き慣れた「リング」の序夜、こうして聴いていていろんな発見がいまだにあったことが新鮮だったのだ。
このまま4部作にあらたな目線で切りこんで欲しい。

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2階席にあがってパシャリ。こんな風なオーケストラの配置とポツンとハープ。

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邪知にたけた抜け目ないローゲを歌った澤武さんの素晴らしさには驚きでした。
立派なヘルデンで歌われるローゲもあるが、知的で軽やかなこのローゲは狂言回し以上の存在感があり、ウォータンを操り、神々の終焉を予見するようなニヒルな存在であることをしかと示してくれた。
柔らかな声とよく響く高域、明確なドイツ語など感心しまくり。
昨冬のばらの騎士のヴァルツァッキ、この前のアリアドネでもいい味だしてたし、また聴いてみたい歌手となりました。

ファンであります谷口さんのフリッカ。
期待通りの存在感あるお声に立ち居振る舞いは、居丈高でありながら、ラインの黄金ではまだ妻としての夫を思うしおらしさなども巧みに表現。
そのよく通る強い声はいつも魅力的です。

お馴染みの妻屋さんのファフナー。
新国のトーキョー・リングではファフナー、この日のミーメの高橋さんも出ていたが、あれからもう16年。
含蓄のあるファゾルトとなっていて、愛に生きようとしたファゾルトをオーケストラの巧みな背景とともに歌い演じた。
その安定感は舞台が引き締まります。
フライアに秋波を送る仕草はユーモアもたっぷりで、それを露骨に嫌がるフライアのシーンも愉快でしたな。

巨人兄弟のもう一方は朗々とした深いバスの斉木さん。
神奈フィルのワルキューレではフンディング、あとずっと前にオネーギンのグレーミン公を聴いてます。
声の充実ぶりが半端なかったです。

同じ沼尻&神奈川フィルのワルキューレでのウォータンは、青山さんだった。
そのときの若々しいウォータンは、今回は狡猾さもあり、陰影も感じさせる神々の長となっており、矛盾とあふれる行動力という背反する役柄を持ち前の美声で巧みに歌い演じてました。

ベテランの志村さんのアルベリヒ。
いろんな諸役でずいぶんと長く聴いてきたバリトンのひとりですが、今回はおひとりだけ譜面台を用意しての歌唱。
そのせいかどうかわかりませんが、アルベリヒに必要な声の威力が不足していてこもりがち、歌い口の巧さなどはさすがと思わせるところはあったけれども、黄金を奪う場面、聴かせどころの呪いのモノローグなどはややオーケストラやラインの元気な乙女たちに押され気味。

同じくベテランの域に達した高橋さんのミーメは、先に触れた通り新国でもおなじみだし、性格テノールとして数々の舞台に接してきました。
ひぃーひぃー声も、伸びのある特徴的な高域も健在ぶりを確認できて嬉しかったです。

つい先だって、静岡アリアドネでステキなハルレキンを聴いたばかりの黒田さんのドンナー、かっこよかった。
すらりとした姿も神々のひとりとしてふさわしいし、その若々しい伸びのある声はドンナーにしては優しすぎる感もありましたが、ハンマードッカンに負けず渾身の歌唱でした。
カヴァリエバリトンとしての黒田さん、琵琶湖でのコルンゴルトも聴きたかったものです。

代役として登場のチャールズ・キムさん、バイロイトで1年だけパルジファルの小姓を歌っているそうで、ワーグナーを得意にする韓国人テノール。
威勢のいいところを表出しなくてはならないちょい役の神様だけれど、やや精彩に欠いた気がする。
声の力や美声はありと感じましたので、また違う役柄でしっかり登場して欲しいものです。

フライア役は、ジークリンデやエルザなどの登竜門みたいな役柄ですが、船越さんのそれを予見させるような立派だけれど可愛いフライア。
調べたら彼女も琵琶湖でやった最愛のオペラ「死の都」にも出てたんですね。
あの上演、ほんと行きたかった・・・・

そして同じく琵琶湖の死の都はおろか、おおくのオペラで歌っている八木さんのエルダ。
初めて聴いた彼女のメゾの明晰な声に驚きでした。
船越さんもそうですが、関西圏で活躍する歌手は、首都圏ではあまり接する機会がないものですから、沼尻さんの力でしょうが、こうして初めて耳にできる声に新鮮さを覚えることもまた実にいいものです。

ラインの乙女たち、3者三様でワーグナーが与えた3役の特徴をそれぞれがよく表現できてました。
なによりも可愛い、というオジサン目線ですいません。
軽やかで涼やかな九嶋さんのウォークリンデ、リングの最初の発声を飾るにふさわしい晴れやかさもありました。
透明感ある魅力的なメゾの声は秋本さんのヴェルグンデ、歌曲も多く歌われているご様子で素敵なyoutubeチャンネル見つけちゃいましたよ。
そして、昨秋の「影のない女」でとても人間味ある乳母を歌っていた藤井さんのフロースヒルデは、お茶目で明るい末っ子みたいな感じ。
この3人のハーモニーが美しく、息もばっちり整ってましたし、エンディングのP席での「指環を返してよ~」という恨み節もばっちりで、その後に続く壮麗なエンディングを導く素敵な一節となりました。

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40年前の朝比奈リングをすべて聴いた自分は若かった。
その後、二期会の個別日本人初演、ベルリン・ドイツ・オペラの全作、2度の新国での上演などを観劇してきました。
自分もすっかり歳を経ることとなりましたが、日本人だけで、しかも身近な横浜の地、応援する神奈川フィルでかくも素晴らしい「ラインの黄金」が演奏されたという喜び。
このまま4部作の続編にいどんで欲しいと願うものですが、そうはなかなか行かないでしょう。
でも至難のマーラーチクルスもやれちゃった神奈川フィル。
「ハマのワーグナー」を東京春が終わったいま、沼尻&神奈川フィルにより確立して欲しいな。

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画家の真田将太朗氏による今回の公演にむけたオリジナル作品。
錯綜する色彩は愛と葛藤、憎しみや権力欲など多彩な意味合いや人物たちの関係性も交えてここに表現したとのこと。
神奈川フィルのドラマテックシリーズは、こうした「メインビジュアル」が作成され、オペラのイメージアップの一助ともなっていることもよき試みと思います。
しつこいようだけれど、4部作をこうしたビジュアルでも揃えて欲しいなぁ

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2025年6月19日 (木)

アルフレート・ブレンデルを偲んで

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偉大なピアニストのひとり、アルフレート・ブレンデル(1931~2025)が亡くなりました。

享年94歳、ロンドンの自宅で愛する家族に見守られながらの安らかな最期だったそうです。

現在のチェコ、モラヴィアの北部のヴィーセンベルクに生まれ、幼少期にユーゴスラビアのザグレブに移りそこでピアノを習い、さらにはグラーツに移住。
オーストリアでの活動が中心となり、レコードデビューも遅かったりしたものだから、オーストリアないしはウィーンのピアニストというイメージで紹介されたように記憶します。
70年代からはロンドンに住むようになり、ブレンデルはまさにヨーロッパ人として活動し、生きた人でした。

チャンスはいくつかありましたが、実演に接することは残念ながらありませんでした。

多くの残された録音を聴いて、今宵はブレンデルの暖かい人柄のにじみ出た演奏で偲びたいと思います。

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     ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番

      ヴィルフレット・ベッチャー指揮
        シュトゥットガルト・フィルハーモニー


                        (1961)
   
私の初ブレンデルはおろか、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の初聴きは、第1番でこの1枚だった。
1970年、まだ小学生だったこの年は、大阪万博があり、世界中から目もくらむような演奏家たちが日本にやってきた。
同時に、この年はベートーヴェンの生誕200年のアニバーサリーで、さらにはクラシックレコード界に旋風を巻き起こした1000円の廉価盤、ダイアモンドシリーズのLPがたくさん発売された
当然に、ベートーヴェンもたくさん出て、ピアノ協奏曲やピアノソナタはブレンデルという初めて聴く名前のピアニストのものだったのです。

1番の初々しさと、豊富なメロディが好きだったので、皇帝よりも先にこの曲だった。
いま聴いてもブレンデルの若やいだピアノが魅力的で、この曲にぴったり。
子供時代の自分を思い起こしてしまうほどに、懐かしい演奏なんです。

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   ベートーヴェン  ピアノ協奏曲全曲

 ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                (1975~77)


70年代のロンドンでの新しい全集。
このあと、レヴァインとシカゴ、ラトルとウィーンフィルでも再録音を重ねたが、わたしはそれらは聴いたことがありませんので、いずれは、との思いはあります。
でも、ハイティンクとその音楽性がぴたりと一致していて、録音もスケールが大きく、深みがあるこのロンドンフィル盤があれば、もういいかな、とも考えてました。
中庸の美という言葉が、いかにも似つかわしいブレンデルとハイティンクのベートーヴェンは、そいれだけで立派で美しいのでした。

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      モーツァルト ピアノ協奏曲全集

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

                       (1971~1984)

72年頃から1枚1枚発売され、全集として実ったブレンデルのモーツァルト。
レコードでは2~3枚しか購入しなかったけれど、CD時代に全集を揃え、いずれの番号もその清潔で端正な演奏で毎日でも聴きたい喜びにあふれていて、大切にしている全集です。
フィリップスレーベルの専属同士で共演するという、いまではあまり考えにくいレーベルの強さやシバリのあった時代。
モーツァルトならマリナーとアカデミーで決り、そんなシリーズでしたね。

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   バッハ 半音階幻想曲とフーガ

               (1976,5)

生真面目で明確、詩的でもあるブレンデルのバッハ。
ピアノによる演奏では、抜群の完成度とよけいなニュアンスを排したシンプルな表現。
平均率やゴールドベルクも残して欲しかった。
この時期のフィリップスの録音の素晴らしさも特筆ものだといまも思う。

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  シューベルト ピアノ作品全集

          (1982~88)

ソナタのほぼ全曲と即興曲、楽興の時などを集大成したセット。
シューベルトがウィーンの人であったことを感じさせる優美さもありつつ、陰影の深み、抒情と情熱など、それらのバランスが実に見事な理想的なシューベルトだと思う。
2度目の録音が多く含まれた全集だけど、70年代のものもいつか聴いてみたいもの。

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   シューマン ピアノ協奏曲 イ短調

 クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                     (1979.6)

なんどかこのブログでも取り上げている大好きな演奏で、学生時代の思い出も詰まっている。
以前の記事のままに残します。
折り目正しい弾きぶりのなかに、シューマンのロマンティシズムの抽出が見事で、柔和ななかに輝く詩的な演奏。
アバドとロンドン響も、ともかくロマン派の音楽然としていて、溢れいづる音楽の泉にとともに、早春賦のような若々しい表情もある。
芯のある録音の素晴らしさは極めて音楽的で、ピアノの暖かな響きと、オーケストラのウォーム・トーンがしっかりと溶け合って美しい。
 渋谷を闊歩する若かった自分・・・、いまはもうブレンデルもアバドもいない・・・・

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  シューマン 幻想小曲集

                 (1982)

ヨーロッパの秋を思わせるロマンティシズム、知的で明快、やわらかでふくよかな音色。
ブレンデルのシューマンは秋なのでした。
ブレンデルの写真には、アフリカの偶像とか、少し変わったものが音楽のイメージと関係なく写っていることが多いが、こうしたものを収集する嗜好もあったのだそうな。
文筆家としての一面もあり、多彩な芸術的才能を大器晩成的に開かせていったブレンデル。
晩年は耳が不自由になっていったそうだ。

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  リスト 「巡礼の年」第2年「イタリア」

             (1972)

リストもブレンデルにとって重要な作曲家。
ギーレンとハイティンクとで残した協奏曲もいいが、より内省的な作品の方がブレンデル向き。
レコード時代にすり減るほどに聴いたのが「巡礼の年」。
リストの音楽はソナタや協奏曲、超絶技巧作品ばかりでなく、本来こうした内向的な音楽に良さがあると思いおこさせてくれた1枚。
まさに静的な彫刻作品を鑑賞するがごとき内面、内面へと堀りすすめられる演奏で、音楽がおのずと静かに語り始めるのを聴くのだ。

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    ブラームス ピアノ協奏曲

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

       (1986、91)

ブラームスはかくあるべし、お手本のようなブレンデルのブラームス。
70年代はコンセルトヘボウで、90年代はベルリンで。
若くフレッシュな表情にあふれた70年代ものは、ハイティンクとともに木質の響きと音色が心地よく、コンセルトヘボウとのマッチングも実によい。
1番を録音したイッセルシュテットの急逝で、2番はハイティンクとの録音となったが、この曲の場合はそれが成功したのだと思う。
ちなみに、1番の方は発売されたときにFM録音したのみで、現在はコレクションできてません。

一方、馥郁たる熟成した葡萄酒のような90年代ものは円熟の極みを感じさせますが、2番よりは1番の方がブラームスの若やぎと渋さが両立されて巧みに聴かせるし、アバドとベルリンフィルの明るさとともに重厚な響きもそれにふさわしく感じる。
2番はブレンデル自身があまり好まないと発言したことを知り、なんでだろうといつも思いながら聴くので、勝手に自分的にブレンデルは1番、と思い込みが出来ていた。
でも久しぶりに2番も聴いてみて、とくに緩徐楽章に涙しました。
なんて美しいピアノなんだろうと。

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  ベートーヴェン ピアノソナタ全集

       (1992~95)

3度録音したベートーヴェン全集の最後のもの。
音源としてはこれしか保有してませんが、1番から順番に聴いて過ごすことを何度かやりました。
ともかく誠実で格調高いベートーヴェンで、初期の作品の新鮮さ、中期の冷静さと熱っぽさとのバランスのよさ、そして後期作品の造形美としなやかな抒情、どの曲も適切でありながら考え抜かれたピアノ演奏になってました。

最期に、澄み切った達観した境地の30番を聴きながらブレンデル追悼記事を閉じたいと思います。

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アルフレート・ブレンデルさん、半世紀あまりにわたり、素晴らしいピアノを私は聴かせていただきました。
その魂が安らかでありますことお祈りいたします。

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2025年6月10日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 マリオッティ指揮

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梅雨入り間近の日曜日。

関東は好天に恵まれるのは、もしかしたら最後の週末だったかも。

新橋からサントリーホールまで、行きはいつも歩きます。

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    東京交響楽団 第731回 定期演奏会

   モーツァルト 交響曲第25番 ト短調 K.183

    ロッシーニ   スターバト・マーテル

    S  :ハスミック・トロシャン
    Ms:ダニエラ・バルチェローナ
    T  :マキシム・ミロノフ
    Bs :マルコ・ミミカ

  ミケーレ・マリオッティ指揮 東京交響楽団
                東響コーラス
    合唱指揮:辻 裕久
    コンサートマスター:グレブ・ニキティン

       (2025.6.8 @サントリーホール)

悲しみの短調でつらぬかれたプログラム。
でも、そこには優しい微笑みと強い意志がありました。

ボローニャ、ローマとイタリアのオペラの殿堂の指揮者を歴任しているミケーレ・マリオッティ(45)、念願の初聴きとなりました。
ダニエーレ・ルスティオーニ(42)とアンドレア・バティストーニ(37)とならぶイタリアの若手実力指揮者トリオのひとり。
 またマリオッティは、その指揮ぶりがクラウディオ・アバドにそっくりなところも前から注目していて、ともかくこの目で耳で確かめてみたい指揮者でした。

疾風怒濤の小ト短調は、強くて意欲みなぎる出だしにすぐさま感嘆。
しかし若さで押すようなところは一切なく、落ち着きはらった的確な指揮姿、その姿にやはりアバドの動きと似たものを見た思い。
拍子をとる指揮棒は軽く握り、左手のしなやかな動きによるオーケストラのコントロールは抜群で、まさにアバドを見るようだった。
1楽章から指揮に見入るばかりだったが、小編成の東響のクリアな響きも特筆でこの曲の肝でもあるオーボエやホルンも素晴らしい。
ヴィブラートは少なめながら、ガチガチの古楽的な奏法ではなく、マイルドな響きが実に心地よかった。
柔和な2楽章、喜悦感あふれるトリオがずっと聴きたくなるほどだった3楽章、終楽章は急がずにじっくりとした仕上がりで端正そのもの。
奇をてらわず、クリアーで誠実な演奏であったことがなによりでした。

スターバト・マーテル、合唱はP席でなくステージ奥に陣取りますが、休憩後まず最初に左右袖から登場の東響コーラス。
出てくる出て来る、たくさん登場で、お隣の方々も「ずいぶんねー」と驚かれてまして、目の子で数えて男声40/女声60って感じでまさに壮観。
ステージにオーケストラと乗ることで、音の一体感と合唱だけが突出してしまうことがなくなった。
また100名規模の合唱を驚くほど精緻にコントロールを効かせつつ歌わせ、オーケストラと巧みに合わせる、そのマリオッティの手腕の見事さに感心したと同時に、合唱指揮をした辻さんの卓越した指導力も讃えたい思いだ。
英国音楽好きとしては辻さんはお馴染みの存在ですからとてもうれしい。

世界的な4人のソロ歌手たちは、指揮者の左右に。

①沈鬱な導入部、しかしオーケストラも合唱も見通しがよく明晰なので明るさすら感じる。
独唱の登場に、4人がどんな声なのかワクワクする気持ちが抑えきれず。
②そして、あの行進曲調で始まるテノールの名アリア、最高に好きな場面で軽やかなオーケストラにのって、いかにリリックな声を聴かせてくれるか。
ミロノフの優しい声は、ロシア系であるとい先入観を吹き飛ばすほどに繊細な歌だった。
パヴァロッティの朗々たる歌に耳が慣れてしまった自分には渋すぎるこの歌唱は、ややこもり気味の内省的な歌い口に感じた。
でも、あれは商業録音のなかの声であって輝かしすぎて、スターバト・マーテル本来の聖母への同情心を歌いこむこのシーンではミロノフのこの切ない歌はよいのではないかとも思った次第。
③女声ふたりの二重唱では、えも言えぬ美しいハーモニーが。
アバドのヴェルレクでも歌っていたバルチェローナほどの大物が今回の代役抜擢で聴けるとは!
4人のなかでは唯一の生粋イタリア系で、その光沢と深みある声の味わいは素晴らしかったし、そこにいまが旬のトロシャンの抜けのいい美声が加わり、桃源郷を味わうのだった。
オーケストラの後奏も実にステキ。
④バスのミミカの深いけれども軽やかさも併せ持つバスも初聴きの私には驚きでした。
この曲には欠かせない存在となりつつあるようで、ネットでたたくとマリオッティを始め多くの指揮者と共演がある。
⑤バスのミミカはスタンバイしたまま、アカペラでの静謐な合唱とのレシタティーヴォは、強弱を繰り返しこだまするような効果を持つ合唱、教会で聴くかのようなそのロッシーニの音楽も演奏も見事。

⑥一転軽やかでウキウキしてしまうようなステキな4重唱は、思わず身体が動いてスイングしてしまった自分。
羽毛のような響きと心躍るリズム感がマリオッティの指揮で見事にオーケストラから出てくる。
⑦メゾの聴かせどころ、Fac ut portem、われにキリストの死を負わしは、メゾにロッシーニが書いた素晴らしい歌のなかのひとつだろう。
ホルンの牧歌的なソロに導かれ、楚々としながらも情感あふれるカヴァティーナをバルチェローナの豊かな声で眼前に聴く喜び。
オペラだったら、長大なアリアとして発展していくのだろうが、もっと続いて欲しいと思ったものだ。
マリオッティのオーケストラも美しさの極み。
⑧金管の咆哮と緊迫感ある弦というドラマテックな開始による合唱をともなったソプラノのアリア。
絶叫にならないトロシャンのどこまでも清らかな声が実に心地よかった。
それでいて張り詰めた真っ直ぐの声にはドラマテックな強さもあり、表現の幅の広い歌手と聴いた。
そして何よりもエキゾチックな風貌で華のある雰囲気がよろしい。
愛妻を見つめサポートしたマリオッティの指揮も目が離せず・・・
⑨ソリストにて行われるアカペラ四重唱は、今回は合唱によって歌われた。
ジュリーニ、シッパース、ケルテスなどの音源もみな合唱で演奏していた。
グロリアとクレッシェンドして終わるこの章、続いてなだれ込む終曲の合唱への流れは、こうして合唱アカペラから入ることでとても自然だったし、より劇性が強まる効果があったと思った。
⑩手に汗握る演奏となった終章は、前章とともに暗譜で毎回いどむ東響コーラスの精度の高さが光る。
右に左にと、対抗配置のオーケストラへの着実な指示にもオーケストラはすぐさまに反応して、過度に走ることのないマリオッティのもとじわじわと高まるクライマックスを見事に築き上げた。
最後に冒頭の旋律が回帰し、沈滞ムードがおとずれ、そこからあらためて短いながらも劇的な展開となりドラマテックに曲を閉じるが、このあたりの持って行き方が実に素晴らしく、私を初めてする満員の聴衆は壮絶な展開に息つく間もなく聴き入り、ブラボー飛び交う歓声で曲の終わりを迎え讃えたのでありました。

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宗教音楽としてのロッシーニのスターバト・マーテルの本質をしっかりと見据え、歌に傾きすぎることもなく、すべてのフレーズを明晰にしたうえで、過度な歌への傾きも排した練度の極めて高いすぐれたマリオッティのつくり上げた演奏でした。
その流麗かつしなやかな指揮姿は、わたしにはどうしてもアバドを思わせるものでした。
チャイコフスキーとプロコフィエフのロメオのもうひとつの演奏会には、どうしても行くことができないのですが、来シーズンからヴィオッテイを指揮者に迎える東響には、マリオッティも今後とも継続して呼んで欲しい。
そして次はピットのなかでのマリオッティの指揮を聴きたいものです。

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終演後のコールも盛大なものでした。

最前列の方々は握手までできちゃって、ほぉーっという歓声も。

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また来てね、マリオッティさん。

今度はヴェルディやブラームスなんかも是非。

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サントリーホールの裏にある庭園から。

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2025年6月 1日 (日)

ランゴー 交響曲第1番「岩山の田園詩」 オラモ指揮

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大磯の海岸。

私の立つ場所は岩礁エリアで、後背地に堤防と港があり、さらに東は平塚まで広がるなだらかな砂浜。

正面奥は箱根の山と富士。

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残雪のまだある富士に雲がかかり始め、こういう日は強風となります。

もう少し西側の海のそばで育ったものですから、相模湾を眺めて遊んで子供時代を過ごしましたので、私の心象風景のひとつでもあります。

少年時代に海や岩山を眺めた印象を音楽にした天才少年の交響曲を。

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こちらは、スウェーデンの南西部のスコーネ県にある尖がった岩山からなるクレン半島。

地続きでない国で、このスウェーデンにもっとも近いのがデンマークで、その対岸でこの半島を眺めていた少年がルーズ・ランゴー(1893~1952)です。

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  ランゴー 交響曲第1番「岩山の田園詩」

 サカリ・オラモ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (2022.6.16~18 @フィルハーモニー、ベルリン)

コペンハーゲン生まれのルーズ・ランゴーの交響曲は16曲あり、室内楽、ピアノ作品、オペラや大量の声楽作品を含め431曲の作品を残した多作の作曲家。
作曲家・音楽家の父、ピアニストの母の両親のもとに生まれ、音楽家になるべくしてなったランゴー。
ピアニスト、オルガン奏者として少年時代から活動を始め、同時に作曲も開始した、同時代のコルンゴルトと同じような存在とそのキャリア。
その時代からしておのずと、シュトラウスばりの後期ロマン派風の豪華かつ壮大な音楽を書いたが、そうした作風をベースにその形式や編成、音楽構成などは常に斬新なものを求め、さらにはデンマークの先輩作曲家ニールセンと逆張りをするような音楽も書くようになった。
才人ゆえに、ちょっと時代や風潮に逆らう、そんな反骨ぶりも持ち合わせ、なかなか本国では評価されなかったランゴーさん。

マーラーやシュトラウス、ツェムリンスキーやシェーンベルクらの作品が普通に受容されたように、ランゴーの音楽もいま盛んに聴かれるようになり、録音も増えつつあります。
ワタクシもダウスゴーによる交響曲全集やオペラ「アンチ・キリスト」、ピアノ曲集などを徐々に聴き進めているところです。

ランゴーの作品のなかで、いちばん最初にヒットした曲が交響曲第1番。
1908年、14歳で作曲を始めた1番の交響曲。
完成後の1910年にデンマーク演奏会協会に完成したスコアを提出したが、演奏困難とされ、さらにスウェーデンのストックホルムまで行って演奏機会を図ったがそこでも無理とされ、楽譜の改訂を行い最終完成をみたのが1911年17歳のとき。

ちなみに、わたしの大好きなコルンゴルトの大きな作品シンフォニエッタも1912年、作者15歳の作品です。

毎年ベルリンに短期滞在する楽旅をしていたランゴー一家。
ニキシュ治世のベルリンフィルのアシスタントの指揮者にその才能を認められていた若きランゴーは、ベルリンに完成した1番の交響曲の楽譜を持参し、デンマーク出身だったベルリンフィルのコンマスを通じてそのスコアをニキシュに届けてもらった。
2年後の1913年にベルリンフィルで初演が行われることが決定。
マックス・フィードラーの指揮によるその初演は大成功に終わったが、その後は、多くの作品を残しながらも、本国のデンマークであまりいい処遇を得られず、先に書いたように反主流に甘んずる存在となってしまった。
さらなる不幸は、この交響曲のスコアがベルリンにそのままとなり、ランゴーも手稿楽譜としてベルリンの楽壇に寄贈したので、ずっと後年、侵攻したソ連軍によって盗みだされてしまったという。
戦後に同じ共産圏の東ベルリンに戻されることになったのが1959年。

1番の交響曲が広く認知されレコーディングもなされるようになったのは2000年代になってから。
CDは、4種類あって、シュトゥーペル、セーゲルスタム、ダウスゴー、そして今回のオラモです。
本国のオケでも、北欧のオケでもなく、1番にゆかりのベルリンフィルで演奏したところがまさに画期的な1枚なのです。

「岩山の田園詩」:Cliffside Pastorals : Klippepastoraler

このタイトルは後年に自身で名付けられたものらしい。
山の麓から試練と苦難をともに乗り越えて山頂に到達し、壮大な景色を受け止める。
そんな図式の5楽章形式の構成となっており、山の音楽という意味では、シュトラウスのアルペン(1915)、ハウゼッガーの自然交響曲(1917)などと同じくしますが、ノアゴーのそれがいちばん早く作曲されており、逆にタイトルを付けたのがいちばん最後で1940年代ということになります・・・・、なんともいえませんが。
 しかし、考える人ノアゴーは、よく表題を変えたというし、そのそものこの作品のイメージは、少年時代にデンマーク側から見たスウェーデンの半島に突き出た断崖の岩山だと述懐しており、実際に訪問もしていた思い出とも記している。

ハープ2台、ティンパニ2人、打楽器多数、ワーグナーチューバ、別動隊バンダを含む超大編成のオーケストラ。
シュトラウス、ブルックナーやマーラー、ショスタコーヴィチを平然と演奏できる現代のオーケストラでないと、作曲当時でははやりなかなか演奏できなかったろうし、聴衆の理解も追いつかない長大さは、シュトラウスのような聴かせ上手な巧さは皆無なのでなかなかにお呼びがかからなかったであろう。

CDの解説を参照しました
①「打ち寄せる波と太陽の光」
一度聴いたら耳から離れない激しくも情熱的な冒頭主題、このあと何度も登場するし、終楽章では高らかなファンファーレとなって登場する。
勝利の交響曲の常套である。
一方で、弦による甘味な優しい旋律もそのあと出てきて、後期ロマン派音楽好きやチャイコフスキー好きの心をくすぐることこのうえない。
結局、1楽章がこの交響曲のなかで一番優れていると思う。

②「山の花」
1楽章との対比も鮮やかな、田園情緒感じる緩徐楽章、ホルンののどかな響きもよろしい。
山に登り始めるものの天気の急変もあり雨宿り。でも花々は健気に咲いていて、ともかく安らぎの世界感じる楽章。

③「伝説」(当初は「過去からの声」)
静かに始まるがミステリアス感ただよい、楽器の数も徐々に増えてゆく。
遠い過去の人々を声を聴くのか、シリアスなクライマックスを築くも、また徐々に楽章の最初の静かな雰囲気に戻ってゆく。
短いけれど、少年の作風には思えない。

④「登山」
決然とした開始は山登りの始まり、上り坂への挑戦という意欲も感じさせる。
弦のユニゾンと鼓舞するような打楽器がそうした気分をあらわすが、全体になんとなく不安げな様相もあるところが人間的でもある。
短い楽章ながら、心理的な表現もよく書けていると思う。

⑤「勇気」
1楽章と並び長い楽章。
ランゴーは、「山頂の涼しい風、白い地平線、天高く広がる空、遠くに見えるキラキラと光る青い海と白い波しぶき。
これらが心を新しい勇気で満たしてくれる」とこの終楽章について書いている。
フィナーレらしい完結感は、案外とまどろっこしく感じ、ホルンの高揚感もあるが、中間部の展開部では山に恐れを抱くがごとくの緊迫したシーンがやってきて、ぎこちなく足取りを止めてしまう。
ここから立ち上がり、まさに素晴らしい景観に徐々に感動を高めてゆくがごとく、弦を中心に感動的、かつ壮大な高まりをみせていく。
このあたりマーラー的な盛り上がりと聴こえます。
そしてついにバンダ別同部隊が加わって勝利宣言のごとく、輝かしくまばゆい最終場面となり1時間の大曲を閉じる。

大迎な交響曲と思われるでしょうが、メロディ満載、マーラー風味、シュトラウス風味、はたまたツェムリンスキーも顔を出すといった具合で、北欧の民族風味は少なめで、コスモポリタンな後期ロマン派風どっぷりの音楽です。
この作風を維持することなく、ランゴーは多面的な音楽造りに向かい、ときにシンプルであり、また晦渋であったりと、一筋縄ではいかない気難し気な作曲家となっていくのですが、まだ自分にはそうと断じることができるほどにランゴーを聴いてません。
徐々に聴きすすめたいところです。

Kullen-1

クレン半島の位置。

これを見るとデンマークの首都コペンハーゲンはスウェーデンにやたら近いことがわかりますし、このあたりで生まれ活動したランゴーはスウェーデンとは切ってもきれない縁があったのではと推察もされます。
ランゴーは後年、1946年に交響曲第12番を書き、「ヘルシングボリ」というタイトルを付けたが、この7分程度の単一楽章のミニサイズ交響曲は、若き日の1番の超ダイジェスト版なのです。
同じメロディで作られているが、題名のヘルシングボリは、地図の赤丸の下にあるスウェーデンの都市。
12番の副題には、穏やかならぬことが書かれていて、「暴れるぞ!作曲家は爆発する!」とあります。
 デンマークの楽壇に拒絶に近い反応を受け、作曲した作品はほとんどが演奏されず、断られ、オルガニストとしての定職をようやく得るのが46歳で、1番のベルリン初演以外は、まったく恵まれない音楽家として58歳で亡くなる。
若いときの情熱にあふれた交響曲を、まるで幻滅と怒りを持って回顧し、パロディ化したのが12番。
IKEAの本部のあるヘルシングボリ、この街に憎しみでもあったのだろうか、近くにあった大都市を自分を受け入れない世の中の変わりと模したのか・・・・、ヘルは地獄、ヘルシンボリという言葉は北欧神話で出てくる死者の国、黄泉の国のことらしい。。。

ランゴーさんが気の毒になってくるような、後年のひねくれぶりで、自国の成功者ニールセンのことを嫌い、それも表明してはばからなかった。
今回のベルリンフィルとの蘇演を行ったサカリ・オラモのインタビューも見たが、ランゴーに問いたかったことは、なんでニールセンをあんなに嫌ったのですか?ということだと話してました。

大いなる共感を持って誠意あふれる指揮でベルリンフィルから最高の音を弾きだしたオラモの指揮と、高性能でかつ明るい色調のベルリンフィルの演奏に間違いはない。
都会的にすぎるオーケストラの音色やあか抜けすぎのホールの響きと良すぎる録音という点で、ランゴーの音楽がゴージャスになってしまった点を感じはする。
オラモのおおらかで、ナチュラルな音楽造りが好きで、最近よく聴く指揮者となってますが、最近のオラモは、埋もれた作品を掘り起こして完成度の高い演奏でたくさん録音してくれます。
それらを聴いてゆく喜びもあり、BBC響との演奏会でもそうしたプログラムをよく組んでまして、毎回楽しんでる次第です。
ランゴーの1番は、ベルリンフィルと同じ時期にBBC響とも演奏していて、わたしも録音をしました。
プロムスじゃなくて定期なのに、楽章ごとに拍手が入ってしまうという難点はありますが、ベルリンフィルのような凄みはないかわりに、イギリスのオーケストラの渋い響きがまた違うランゴーを聴かせてくれます。

Lamggaard-1-dausgaard

デンマークのオーケストラとランゴーの全集を録音したダウスゴーの1番も聴いてます。
さすが快速指揮者で、オラモ盤よりテンポは速め、でも響きはどこかひなびていて、華美な雰囲気のないのがよろしく、いわゆる味のある演奏なんです。
ジャケットも美しい。

Oiso-4

大磯の駅舎にある東海道五十三次の「大磯宿」の浮世絵。

雨降る宿場、いまも山の容と松林、海、みんなおんなじにあります。

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