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2025年6月 1日 (日)

ランゴー 交響曲第1番「岩山の田園詩」 オラモ指揮

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大磯の海岸。

私の立つ場所は岩礁エリアで、後背地に堤防と港があり、さらに東は平塚まで広がるなだらかな砂浜。

正面奥は箱根の山と富士。

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残雪のまだある富士に雲がかかり始め、こういう日は強風となります。

もう少し西側の海のそばで育ったものですから、相模湾を眺めて遊んで子供時代を過ごしましたので、私の心象風景のひとつでもあります。

少年時代に海や岩山を眺めた印象を音楽にした天才少年の交響曲を。

Kullen

こちらは、スウェーデンの南西部のスコーネ県にある尖がった岩山からなるクレン半島。

地続きでない国で、このスウェーデンにもっとも近いのがデンマークで、その対岸でこの半島を眺めていた少年がルーズ・ランゴー(1893~1952)です。

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  ランゴー 交響曲第1番「岩山の田園詩」

 サカリ・オラモ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (2022.6.16~18 @フィルハーモニー、ベルリン)

コペンハーゲン生まれのルーズ・ランゴーの交響曲は16曲あり、室内楽、ピアノ作品、オペラや大量の声楽作品を含め431曲の作品を残した多作の作曲家。
作曲家・音楽家の父、ピアニストの母の両親のもとに生まれ、音楽家になるべくしてなったランゴー。
ピアニスト、オルガン奏者として少年時代から活動を始め、同時に作曲も開始した、同時代のコルンゴルトと同じような存在とそのキャリア。
その時代からしておのずと、シュトラウスばりの後期ロマン派風の豪華かつ壮大な音楽を書いたが、そうした作風をベースにその形式や編成、音楽構成などは常に斬新なものを求め、さらにはデンマークの先輩作曲家ニールセンと逆張りをするような音楽も書くようになった。
才人ゆえに、ちょっと時代や風潮に逆らう、そんな反骨ぶりも持ち合わせ、なかなか本国では評価されなかったランゴーさん。

マーラーやシュトラウス、ツェムリンスキーやシェーンベルクらの作品が普通に受容されたように、ランゴーの音楽もいま盛んに聴かれるようになり、録音も増えつつあります。
ワタクシもダウスゴーによる交響曲全集やオペラ「アンチ・キリスト」、ピアノ曲集などを徐々に聴き進めているところです。

ランゴーの作品のなかで、いちばん最初にヒットした曲が交響曲第1番。
1908年、14歳で作曲を始めた1番の交響曲。
完成後の1910年にデンマーク演奏会協会に完成したスコアを提出したが、演奏困難とされ、さらにスウェーデンのストックホルムまで行って演奏機会を図ったがそこでも無理とされ、楽譜の改訂を行い最終完成をみたのが1911年17歳のとき。

ちなみに、わたしの大好きなコルンゴルトの大きな作品シンフォニエッタも1912年、作者15歳の作品です。

毎年ベルリンに短期滞在する楽旅をしていたランゴー一家。
ニキシュ治世のベルリンフィルのアシスタントの指揮者にその才能を認められていた若きランゴーは、ベルリンに完成した1番の交響曲の楽譜を持参し、デンマーク出身だったベルリンフィルのコンマスを通じてそのスコアをニキシュに届けてもらった。
2年後の1913年にベルリンフィルで初演が行われることが決定。
マックス・フィードラーの指揮によるその初演は大成功に終わったが、その後は、多くの作品を残しながらも、本国のデンマークであまりいい処遇を得られず、先に書いたように反主流に甘んずる存在となってしまった。
さらなる不幸は、この交響曲のスコアがベルリンにそのままとなり、ランゴーも手稿楽譜としてベルリンの楽壇に寄贈したので、ずっと後年、侵攻したソ連軍によって盗みだされてしまったという。
戦後に同じ共産圏の東ベルリンに戻されることになったのが1959年。

1番の交響曲が広く認知されレコーディングもなされるようになったのは2000年代になってから。
CDは、4種類あって、シュトゥーペル、セーゲルスタム、ダウスゴー、そして今回のオラモです。
本国のオケでも、北欧のオケでもなく、1番にゆかりのベルリンフィルで演奏したところがまさに画期的な1枚なのです。

「岩山の田園詩」:Cliffside Pastorals : Klippepastoraler

このタイトルは後年に自身で名付けられたものらしい。
山の麓から試練と苦難をともに乗り越えて山頂に到達し、壮大な景色を受け止める。
そんな図式の5楽章形式の構成となっており、山の音楽という意味では、シュトラウスのアルペン(1915)、ハウゼッガーの自然交響曲(1917)などと同じくしますが、ノアゴーのそれがいちばん早く作曲されており、逆にタイトルを付けたのがいちばん最後で1940年代ということになります・・・・、なんともいえませんが。
 しかし、考える人ノアゴーは、よく表題を変えたというし、そのそものこの作品のイメージは、少年時代にデンマーク側から見たスウェーデンの半島に突き出た断崖の岩山だと述懐しており、実際に訪問もしていた思い出とも記している。

ハープ2台、ティンパニ2人、打楽器多数、ワーグナーチューバ、別動隊バンダを含む超大編成のオーケストラ。
シュトラウス、ブルックナーやマーラー、ショスタコーヴィチを平然と演奏できる現代のオーケストラでないと、作曲当時でははやりなかなか演奏できなかったろうし、聴衆の理解も追いつかない長大さは、シュトラウスのような聴かせ上手な巧さは皆無なのでなかなかにお呼びがかからなかったであろう。

CDの解説を参照しました
①「打ち寄せる波と太陽の光」
一度聴いたら耳から離れない激しくも情熱的な冒頭主題、このあと何度も登場するし、終楽章では高らかなファンファーレとなって登場する。
勝利の交響曲の常套である。
一方で、弦による甘味な優しい旋律もそのあと出てきて、後期ロマン派音楽好きやチャイコフスキー好きの心をくすぐることこのうえない。
結局、1楽章がこの交響曲のなかで一番優れていると思う。

②「山の花」
1楽章との対比も鮮やかな、田園情緒感じる緩徐楽章、ホルンののどかな響きもよろしい。
山に登り始めるものの天気の急変もあり雨宿り。でも花々は健気に咲いていて、ともかく安らぎの世界感じる楽章。

③「伝説」(当初は「過去からの声」)
静かに始まるがミステリアス感ただよい、楽器の数も徐々に増えてゆく。
遠い過去の人々を声を聴くのか、シリアスなクライマックスを築くも、また徐々に楽章の最初の静かな雰囲気に戻ってゆく。
短いけれど、少年の作風には思えない。

④「登山」
決然とした開始は山登りの始まり、上り坂への挑戦という意欲も感じさせる。
弦のユニゾンと鼓舞するような打楽器がそうした気分をあらわすが、全体になんとなく不安げな様相もあるところが人間的でもある。
短い楽章ながら、心理的な表現もよく書けていると思う。

⑤「勇気」
1楽章と並び長い楽章。
ランゴーは、「山頂の涼しい風、白い地平線、天高く広がる空、遠くに見えるキラキラと光る青い海と白い波しぶき。
これらが心を新しい勇気で満たしてくれる」とこの終楽章について書いている。
フィナーレらしい完結感は、案外とまどろっこしく感じ、ホルンの高揚感もあるが、中間部の展開部では山に恐れを抱くがごとくの緊迫したシーンがやってきて、ぎこちなく足取りを止めてしまう。
ここから立ち上がり、まさに素晴らしい景観に徐々に感動を高めてゆくがごとく、弦を中心に感動的、かつ壮大な高まりをみせていく。
このあたりマーラー的な盛り上がりと聴こえます。
そしてついにバンダ別同部隊が加わって勝利宣言のごとく、輝かしくまばゆい最終場面となり1時間の大曲を閉じる。

大迎な交響曲と思われるでしょうが、メロディ満載、マーラー風味、シュトラウス風味、はたまたツェムリンスキーも顔を出すといった具合で、北欧の民族風味は少なめで、コスモポリタンな後期ロマン派風どっぷりの音楽です。
この作風を維持することなく、ランゴーは多面的な音楽造りに向かい、ときにシンプルであり、また晦渋であったりと、一筋縄ではいかない気難し気な作曲家となっていくのですが、まだ自分にはそうと断じることができるほどにランゴーを聴いてません。
徐々に聴きすすめたいところです。

Kullen-1

クレン半島の位置。

これを見るとデンマークの首都コペンハーゲンはスウェーデンにやたら近いことがわかりますし、このあたりで生まれ活動したランゴーはスウェーデンとは切ってもきれない縁があったのではと推察もされます。
ランゴーは後年、1946年に交響曲第12番を書き、「ヘルシングボリ」というタイトルを付けたが、この7分程度の単一楽章のミニサイズ交響曲は、若き日の1番の超ダイジェスト版なのです。
同じメロディで作られているが、題名のヘルシングボリは、地図の赤丸の下にあるスウェーデンの都市。
12番の副題には、穏やかならぬことが書かれていて、「暴れるぞ!作曲家は爆発する!」とあります。
 デンマークの楽壇に拒絶に近い反応を受け、作曲した作品はほとんどが演奏されず、断られ、オルガニストとしての定職をようやく得るのが46歳で、1番のベルリン初演以外は、まったく恵まれない音楽家として58歳で亡くなる。
若いときの情熱にあふれた交響曲を、まるで幻滅と怒りを持って回顧し、パロディ化したのが12番。
IKEAの本部のあるヘルシングボリ、この街に憎しみでもあったのだろうか、近くにあった大都市を自分を受け入れない世の中の変わりと模したのか・・・・、ヘルは地獄、ヘルシンボリという言葉は北欧神話で出てくる死者の国、黄泉の国のことらしい。。。

ランゴーさんが気の毒になってくるような、後年のひねくれぶりで、自国の成功者ニールセンのことを嫌い、それも表明してはばからなかった。
今回のベルリンフィルとの蘇演を行ったサカリ・オラモのインタビューも見たが、ランゴーに問いたかったことは、なんでニールセンをあんなに嫌ったのですか?ということだと話してました。

大いなる共感を持って誠意あふれる指揮でベルリンフィルから最高の音を弾きだしたオラモの指揮と、高性能でかつ明るい色調のベルリンフィルの演奏に間違いはない。
都会的にすぎるオーケストラの音色やあか抜けすぎのホールの響きと良すぎる録音という点で、ランゴーの音楽がゴージャスになってしまった点を感じはする。
オラモのおおらかで、ナチュラルな音楽造りが好きで、最近よく聴く指揮者となってますが、最近のオラモは、埋もれた作品を掘り起こして完成度の高い演奏でたくさん録音してくれます。
それらを聴いてゆく喜びもあり、BBC響との演奏会でもそうしたプログラムをよく組んでまして、毎回楽しんでる次第です。
ランゴーの1番は、ベルリンフィルと同じ時期にBBC響とも演奏していて、わたしも録音をしました。
プロムスじゃなくて定期なのに、楽章ごとに拍手が入ってしまうという難点はありますが、ベルリンフィルのような凄みはないかわりに、イギリスのオーケストラの渋い響きがまた違うランゴーを聴かせてくれます。

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デンマークのオーケストラとランゴーの全集を録音したダウスゴーの1番も聴いてます。
さすが快速指揮者で、オラモ盤よりテンポは速め、でも響きはどこかひなびていて、華美な雰囲気のないのがよろしく、いわゆる味のある演奏なんです。
ジャケットも美しい。

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大磯の駅舎にある東海道五十三次の「大磯宿」の浮世絵。

雨降る宿場、いまも山の容と松林、海、みんなおんなじにあります。

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