東京交響楽団定期演奏会 マリオッティ指揮
梅雨入り間近の日曜日。
関東は好天に恵まれるのは、もしかしたら最後の週末だったかも。
新橋からサントリーホールまで、行きはいつも歩きます。
東京交響楽団 第731回 定期演奏会
モーツァルト 交響曲第25番 ト短調 K.183
ロッシーニ スターバト・マーテル
S :ハスミック・トロシャン
Ms:ダニエラ・バルチェローナ
T :マキシム・ミロノフ
Bs :マルコ・ミミカ
ミケーレ・マリオッティ指揮 東京交響楽団
東響コーラス
合唱指揮:辻 裕久
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
(2025.6.8 @サントリーホール)
悲しみの短調でつらぬかれたプログラム。
でも、そこには優しい微笑みと強い意志がありました。
ボローニャ、ローマとイタリアのオペラの殿堂の指揮者を歴任しているミケーレ・マリオッティ(45)、念願の初聴きとなりました。
ダニエーレ・ルスティオーニ(42)とアンドレア・バティストーニ(37)とならぶイタリアの若手実力指揮者トリオのひとり。
またマリオッティは、その指揮ぶりがクラウディオ・アバドにそっくりなところも前から注目していて、ともかくこの目で耳で確かめてみたい指揮者でした。
疾風怒濤の小ト短調は、強くて意欲みなぎる出だしにすぐさま感嘆。
しかし若さで押すようなところは一切なく、落ち着きはらった的確な指揮姿、その姿にやはりアバドの動きと似たものを見た思い。
拍子をとる指揮棒は軽く握り、左手のしなやかな動きによるオーケストラのコントロールは抜群で、まさにアバドを見るようだった。
1楽章から指揮に見入るばかりだったが、小編成の東響のクリアな響きも特筆でこの曲の肝でもあるオーボエやホルンも素晴らしい。
ヴィブラートは少なめながら、ガチガチの古楽的な奏法ではなく、マイルドな響きが実に心地よかった。
柔和な2楽章、喜悦感あふれるトリオがずっと聴きたくなるほどだった3楽章、終楽章は急がずにじっくりとした仕上がりで端正そのもの。
奇をてらわず、クリアーで誠実な演奏であったことがなによりでした。
スターバト・マーテル、合唱はP席でなくステージ奥に陣取りますが、休憩後まず最初に左右袖から登場の東響コーラス。
出てくる出て来る、たくさん登場で、お隣の方々も「ずいぶんねー」と驚かれてまして、目の子で数えて男声40/女声60って感じでまさに壮観。
ステージにオーケストラと乗ることで、音の一体感と合唱だけが突出してしまうことがなくなった。
また100名規模の合唱を驚くほど精緻にコントロールを効かせつつ歌わせ、オーケストラと巧みに合わせる、そのマリオッティの手腕の見事さに感心したと同時に、合唱指揮をした辻さんの卓越した指導力も讃えたい思いだ。
英国音楽好きとしては辻さんはお馴染みの存在ですからとてもうれしい。
世界的な4人のソロ歌手たちは、指揮者の左右に。
①沈鬱な導入部、しかしオーケストラも合唱も見通しがよく明晰なので明るさすら感じる。
独唱の登場に、4人がどんな声なのかワクワクする気持ちが抑えきれず。
②そして、あの行進曲調で始まるテノールの名アリア、最高に好きな場面で軽やかなオーケストラにのって、いかにリリックな声を聴かせてくれるか。
ミロノフの優しい声は、ロシア系であるとい先入観を吹き飛ばすほどに繊細な歌だった。
パヴァロッティの朗々たる歌に耳が慣れてしまった自分には渋すぎるこの歌唱は、ややこもり気味の内省的な歌い口に感じた。
でも、あれは商業録音のなかの声であって輝かしすぎて、スターバト・マーテル本来の聖母への同情心を歌いこむこのシーンではミロノフのこの切ない歌はよいのではないかとも思った次第。
③女声ふたりの二重唱では、えも言えぬ美しいハーモニーが。
アバドのヴェルレクでも歌っていたバルチェローナほどの大物が今回の代役抜擢で聴けるとは!
4人のなかでは唯一の生粋イタリア系で、その光沢と深みある声の味わいは素晴らしかったし、そこにいまが旬のトロシャンの抜けのいい美声が加わり、桃源郷を味わうのだった。
オーケストラの後奏も実にステキ。
④バスのミミカの深いけれども軽やかさも併せ持つバスも初聴きの私には驚きでした。
この曲には欠かせない存在となりつつあるようで、ネットでたたくとマリオッティを始め多くの指揮者と共演がある。
⑤バスのミミカはスタンバイしたまま、アカペラでの静謐な合唱とのレシタティーヴォは、強弱を繰り返しこだまするような効果を持つ合唱、教会で聴くかのようなそのロッシーニの音楽も演奏も見事。
⑥一転軽やかでウキウキしてしまうようなステキな4重唱は、思わず身体が動いてスイングしてしまった自分。
羽毛のような響きと心躍るリズム感がマリオッティの指揮で見事にオーケストラから出てくる。
⑦メゾの聴かせどころ、Fac ut portem、われにキリストの死を負わしは、メゾにロッシーニが書いた素晴らしい歌のなかのひとつだろう。
ホルンの牧歌的なソロに導かれ、楚々としながらも情感あふれるカヴァティーナをバルチェローナの豊かな声で眼前に聴く喜び。
オペラだったら、長大なアリアとして発展していくのだろうが、もっと続いて欲しいと思ったものだ。
マリオッティのオーケストラも美しさの極み。
⑧金管の咆哮と緊迫感ある弦というドラマテックな開始による合唱をともなったソプラノのアリア。
絶叫にならないトロシャンのどこまでも清らかな声が実に心地よかった。
それでいて張り詰めた真っ直ぐの声にはドラマテックな強さもあり、表現の幅の広い歌手と聴いた。
そして何よりもエキゾチックな風貌で華のある雰囲気がよろしい。
愛妻を見つめサポートしたマリオッティの指揮も目が離せず・・・
⑨ソリストにて行われるアカペラ四重唱は、今回は合唱によって歌われた。
ジュリーニ、シッパース、ケルテスなどの音源もみな合唱で演奏していた。
グロリアとクレッシェンドして終わるこの章、続いてなだれ込む終曲の合唱への流れは、こうして合唱アカペラから入ることでとても自然だったし、より劇性が強まる効果があったと思った。
⑩手に汗握る演奏となった終章は、前章とともに暗譜で毎回いどむ東響コーラスの精度の高さが光る。
右に左にと、対抗配置のオーケストラへの着実な指示にもオーケストラはすぐさまに反応して、過度に走ることのないマリオッティのもとじわじわと高まるクライマックスを見事に築き上げた。
最後に冒頭の旋律が回帰し、沈滞ムードがおとずれ、そこからあらためて短いながらも劇的な展開となりドラマテックに曲を閉じるが、このあたりの持って行き方が実に素晴らしく、私を初めてする満員の聴衆は壮絶な展開に息つく間もなく聴き入り、ブラボー飛び交う歓声で曲の終わりを迎え讃えたのでありました。
宗教音楽としてのロッシーニのスターバト・マーテルの本質をしっかりと見据え、歌に傾きすぎることもなく、すべてのフレーズを明晰にしたうえで、過度な歌への傾きも排した練度の極めて高いすぐれたマリオッティのつくり上げた演奏でした。
その流麗かつしなやかな指揮姿は、わたしにはどうしてもアバドを思わせるものでした。
チャイコフスキーとプロコフィエフのロメオのもうひとつの演奏会には、どうしても行くことができないのですが、来シーズンからヴィオッテイを指揮者に迎える東響には、マリオッティも今後とも継続して呼んで欲しい。
そして次はピットのなかでのマリオッティの指揮を聴きたいものです。
終演後のコールも盛大なものでした。
最前列の方々は握手までできちゃって、ほぉーっという歓声も。
また来てね、マリオッティさん。
今度はヴェルディやブラームスなんかも是非。
サントリーホールの裏にある庭園から。
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