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2025年7月

2025年7月27日 (日)

サマーミューザ 東京交響楽団 ノット指揮

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暑い夏、始まりました、日本の首都圏オーケストラの祭典、サマーミューザ。

今年は九州交響楽団が登場しましたが、毎年もっと全国のオーケストラをここで聴けるようになるとさらによいな。

任期最後の年度なので、ノット音楽監督のオープニングはこれが最後かと思うと、今回のプログラミングの意図なども考え、ちょっと感傷的になってしまうのでありました。

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東響の本拠地のミューザ川崎。

サントリーホールの定期会員になっているので、ミューザは久しぶり。

プレトークでノット監督も世界有数の素晴らしいホールだと話してました。

どこで聴いても音がそれぞれによく、直接音と降り注いでくるような音とがどの席でもミックスされて聴こえて、とても気持ちがよいのです。

ワーグナーなどはことに相応しく、ワタクシには快感以外のなにものでもない感情が巻き起こります。

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フェスタ・サマーミューザ川崎2025 オープニングコンサート

 ワーグナー 「ローエングリン」第1幕への前奏曲

 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op.93

 ワーグナー(マゼール編) 言葉のない『指環』
          「ニーベルングの指環」

    ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 

        コンサートマスター:グレブ・ニキティン

       (2025.7.26 @ミューザ川崎 コンサートホール)

ワーグナーでベートーヴェンを挟むプログラム。
プレトークでノットは、ローエングリンは出会いと別れの音楽と語った。
まさにいまのノット、オーケストラ、聴衆の思いです。
そんな風に思いつつ、この澄んだ音楽と、それにふさわしい清澄なる透明感あふれる演奏を聴いた。
高鳴るシンバルも慎ましく、どこか切なく感じた。
前奏曲のあと、わくわくするような伝令の登場シーンを続いて聴きたくなるのがワーグナー好きの心情。

ついでのベートーヴェン8番は、このコンビのベートーヴェン全集のトリを飾るものでライブレコーディングもされていた。
またインタビュー記事や、今回のトークでも語っていたように、この8番の驚くべき存在に着目していたとのことで、以前に日本のホテルで飛び起きてスコアを呼んで感嘆したとこと。
ウィットに富むけれど、正直極まりないベートーヴェンの作品だと。
 そして間髪いれず、即始まる勢いあふれるサウンドはいつものノット。
基調は速めのテンポで一気呵成に聴かせてしまうノット節だけれども、細部は実に緻密に練られていてすっとばして聴かせてしまうという乱雑さは皆無。
ベーレンライター版なので過剰なところはなく、切り詰められぎっしりと音の意味合いが詰まっているようにも感じた。
プチ交響曲のような存在ではなく、舞踏的な、この時期のベートーヴェンらしい朗らかさと大胆さも示すような、そんな考え抜かれた演奏だと思った。
3楽章から終楽章へは、もしかしたらアタッカで入りたかったかもしれないノットさん。
おきまりの客席の咳で終楽章へ即なだれ込むのを諦めたのが見て取れた。
こればかりはしょうがないが、この終楽章が手に汗握る迫真の演奏で、ベト8でこんな興奮するのは初めてだ。
客席の反応も同じくで、いきなりブラボーの嵐だったもの。            

2年前の2023年に、ヴァイグレと読響が同じ8番とフリーヘル編のオーケストラルアドベンチャー「リング」をサマーミューザでやっており、まったく同じ演目が期を待たずのるのは珍しいこと。
しかし、8番はおおらかで肩の力の抜けたヴァイグレの演奏だったのに対し、ノットの方はもっと刺激的でやたらとポジティブな演奏だった。
果たして、「リング」の方も同じく、オペラのベテランの安定感あるヴァイグレに対し、果敢に攻めまくったノット、さらにゴージャスなマゼール編との違いも大きく、どちらも最高の演奏であったと思うのだ。
また「ローエングリン」の次に書かれたのが「ラインの黄金」であり、「ジークフリート」の3幕以降は作曲に間が開き、作曲技法も高まっているこなどを聴くのも楽しみである。

これもまたノットの事前インタビューで読んだのですが、ノットがニュー・ヨークフィルにアルプス交響曲でデビューしたとき、時の音楽監督のマゼールが訪ねてきてリハーサルに立ち会いたい、さらにはマゼール指揮の演奏会でも、指揮中に振り返っておどけてみせた、次いでマゼールから評価を受けたことなども語ってました。
マゼールへの尊敬の思い、それから指揮することとはなんぞや、といったことなどを学んだなど謙虚に語るノット。
「東京交響楽団のプレイヤーたちが、私とともに年を重ねて変わっていくのをみてきました。こうした関係や経験、この出会い、融合、分かち合い、この喜び、このジャーニーが、願わくはみなさんの人生の一部になることを切に願っています」(ミューザブログより転載)

ノットのこの話を事前に読んでからいどんだこの演奏会、とくに「リング」は、そうした思いが詰まった、そして指揮者とオーケストラという組み合わせの実り豊かなの結実をここに観て聴いたのでした。

14時間かかる4部作を65分に凝縮した「リング組曲」。
オーケストラルアドベンチャーの方もだいたい65分の演奏時間ですが、そちらは主に抜き出しても聴かれるオーケストラ有名曲のシーンをつなぎ合わせ、歌唱の部分はそぎ落としオーケストラ作品としてとらえたもの。
マゼール版は、ワーグナーの書いた音符を忠実にそのままに、歌唱が乗る部分も活かし、楽劇の流れを65分に凝縮させたもの。
だから「言葉のない指環」となるわけでした。

この5、6月でスイスのバーゼル劇場(バーゼル交響楽団)で「リング」の通し上演を指揮してきたノット。
まさにその機運そのままに日本にやってきてくれた。

神奈川フィルでの名演から1か月。
「ラインの黄金」原初の響きの序奏からミューザで聴くワーグナーの喜びを感じる。
鳴り続ける低弦、そこに徐々に広がりゆくさざ波、透明感あるサウンドが、やはり重厚長大な一時代前のワーグナーとは一線を画したノットの新時代ワーグナーサウンドだと確信。
P席の真ん中と左右に置かれたニーベルハイムの金床は、先月の神奈川フィルの京急レールのきらびやかな音とは違い、渋いキンコンカンコンだったが、地下行きの片道だけの登場という贅沢ぶり。

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ドンナーの雷の一撃から、いきなり「ワルキューレ」の1幕の嵐に突入で、華麗な神々の入城がないのが肩透かしでよろしい。
でも喉の渇きを癒すジークムントの美しいシーンは、チェロのソロがしっかりあり、ここでも艶のあるソロがすばらしく響きました。
一気にここで1幕の歓喜あふれるエンディングがやってきて興奮するが、ここでこらえきれず拍手がおきた、ワタクシも危ないところだった。
その後の2幕前奏曲の情熱的な演奏といったらなかったし、そこから2幕ラストにつながり、ワルキューレの騎行に間髪いれずなだれこみ興奮をさらに誘う。
ワーグナーチューバを交えた8本のホルンが壮観で、ノットの指揮もむちゃくちゃ気合が入っていて、時おり力む声も聴こえましたね。
そして、この日、最高に美しく、悲しくも神々しかったウォータンの告別シーン。
リングのなかでも、もっとも好きな場面、泣いてしまう場面、父と娘の愛情をノットも「リング」の中にある様々な愛の形のひとつとして語ってましたが、ともかく素晴らしかった。

「ジークフリート」は、ウォータンがローゲを呼び出すところから「炎」つながりでミーメが幻影に恐れてワナワナするところに巧みにつながり、実にスムーズに流れるので気が付かないうちにジークフリートに入っていた。
いちばん地味なジークフリートを面白く聴かせるのは、牧歌的なシーンをナチュラルに柔和に聴かせることで、案外血なまぐさいシーンも中和されるが、東響の管の名手たちの鮮やかさを堪能できた。
オモシロかったのが、瀕死のファフナーのシーンがあったところから、やがて「黄昏」の夜明けシーンに変わってゆくところ。
「神々の黄昏」、精緻なスコアだけに、オーケストラの精度もここでは聴きものだし、黄昏で活躍するホルンセクションンやブリュンヒルデの動機を何度も奏でる管と弦の橋渡しなど、完璧な演奏でありました。
ホルンが席を立ち、舞台袖でジークフリートの角笛を吹くが、その遠近法も鮮やかで、ラインの旅の快速ぶりもまた豪華なオーケストラサウンドとともに多いに聴きものだった。
やがてトロンボーンが席を立ったと思ったら金床のあったP席左右に登場し、ハーゲンが一族郎党に呼びかけるシーンとなった。
思い切りホールが鳴りまして、実に気持ちがいいんだ、これが。
あと爽やかな3幕の頭のラインの乙女たちのシーンが来て懐かしい思いに浸っていると、ジークフリートの告別の歌につながる。
いやもう、ここ大好きなんだから、もう涙腺が危ない。
新国の上演で、このシーンでジークフリートが記憶を覚醒し、絶え絶えに歌う場面では嗚咽を漏らしてしまった自分です。
葬送行進曲も当たり前のように超素晴らしい演奏で、スタイリッシュでありつつ鋼のような強靭さを感じさせるもの。
そして演奏はブリュンヒルデの自己犠牲になるが、もうこうなると感動の嵐、感動のスプラッシュでどうにもならなかった。
脳内でブリュンヒルデの歌を再生しつつ、眼前に繰り広げらるノットと東響の気持ちの入り込んだ演奏姿に息も切らさず見入り、ドキドキがとまらない。
救済の動機の扱いも見事だったが、でもそこだけに入れ込んでしまわず、ラインの川のたゆまぬ流れと強さも意識させるようなそんな演奏。
落涙はかろうじてしなかったものの、涙が滲んできた。
炎上するヴァルハラ、そこで呼吸があって一筋の光明のように救済の動機が入ってくる・・・・のを期待したが、思いと裏腹にサクっときて終結してしまった。。。。
これがノットの自分の旧来の思い込みから脱するような思いにさせてくれる一気呵成の鮮度の高い生きた音楽なんだ。

しばしの静寂があり、盛大なブラボーと拍手の嵐。

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オーケストラをセクションごとに讃えるノット監督の信頼の眼差し。
「戦争レクイエム」に続いて、数日の間にこんなすごい演奏をやってのけたノット&東響。

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次は「マタイ受難曲」、いまから泣きそうだ。

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2025年7月24日 (木)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮 戦争レクイエム

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梅雨が明け、真夏の日差しの照り付ける霊南坂教会の十字架。

容赦ない暑さ、80年前の夏はいまのような厳しさはなかったかもしれないが、日本に与えられた過酷な終戦末期の日々に比べたら・・・・

このとき、この夏に64年前、1961年に書かれた平和を希求したブリテンの「戦争レクイエム」を演奏することの意義は極めて大きい。

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    東京交響楽団 第732回 定期演奏会

    ブリテン 戦争レクイエム op.66

            S:ガリーナ・チェプラコワ
       T:ロバート・ルイス
       Br:マティアス・ウィンクラー

   ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
               東京コーラス
               東京少年少女合唱隊

    コンサート・マスター:グレブ・ニキティン
          合唱指揮:富平 恭平
        児童合唱指揮:長谷川 久恵

       (2022.7.21 @サントリーホール)

今季のプログラムのなかでも最も楽しみにしていた演奏会。
戦争レクイエムの実演はこれで2度目。
オペラ全作をすべて聴いてきた自分にとって、やはり戦争レクイエムという不朽の名作は最愛の作品となってまして、ブログ記事も15本も書いてしまいました。
これまでの戦争レクイエムの鑑賞歴の、それこそまさに総決算とのいえる演奏が、今回のノットと東響のものであったといっても過言ではないです。

過去にも日本では何度も戦争レクイエムは演奏されてます。
しかし、今回のノットの演奏者の顔ぶれほど、作曲者ブリテンの意図を汲んだメンバーによる演奏はないと思う。
記憶をたどったり、調べたりしたら、過去の多くが日本人歌手によるものだったり、外国人歌手でも初演時の国の出身者でなかったりでした。
ロシアのソプラノ、イギリスのテノール、ドイツのバリトンが、それぞれ選ばれ、それはブリテンの初演時にはソ連体制の壁で叶わなかったが、レコーディングではその組み合わせとなった国柄のメンバーとなりました。

加えて、ノットはイギリス人、そして我らが日本のオーケストラに日本の合唱団・少年少女合唱団と、アメリカこそないけれども、先の大戦で敗戦国であり、一番の被害国である日本での演奏。
ノット監督は任期の最終年度に、おそらくずっと日本で指揮したかったであろう戦争レクイエムをもってきた。

そんなことを思いつつコンサートにいどみ、最初から最後まで、私は金縛りにあったかのように、ときには緊張と感動のあまりむせりそうになりつつ「ノットの戦争レクイエム」を聴きました。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

合唱団はP席に、その後ろのオルガンの席にソプラノ、児童合唱団は場外から、指揮者右手にテノールとバリトン、そして室内オーケストラ。
このような普段の配置では考えられないブリテンの独創的な作品の演奏方式。
ラテン典礼に基づく部分はオーケストラ、合唱、ソプラノ。
オーウェンの詩に基づく部分は、テノールとバリトンに室内オケ。
これらが交互に絡み合うようにして進行し、最後には典礼と詩がまさに融合して、平和を祈って昇華する。
このブリテンの天才的な音楽造りが、こうしてライブで観て聴くと、そのすごさがよくわかるし、感動もひとしおなのでありました。

ノットの気の入れようは尋常ではなく、各章の間に休止は一切取らず、その集中力あふれる指揮でもってすべての演奏者の思いを集約し一身にひきつけた。
まいど素晴らしい精度の高い合唱は、いつものように暗譜。
祈りが主体の場面では座ったまま、強く歌うか所では立ち上がって力唱。
また児童合唱団は多くの演奏が合唱とともに並べることが多いが、ホールの外側で歌うことにより、教会的な響きと遠近感、そして天から響くような清らかさが出ていた。
いずれもノット監督の強い意志と思いの元にあったものと思う。
教会とコンサートホール、そのどちらの雰囲気も巧みに演出できた。

①冒頭、おもったより重々しさや不安感は強調せず、鐘とともに淡々とした出だし。
そして一転、テノールによる戦場の禍々しさを歌う場面、ここへの一挙に変わる変転ぶりが見事。
エキセントリックな歌いぶりも、これもまたイギリス系のテノールの独自の持ち味でルイス氏の第一声は見事に決まった。
腰を下ろしたまま歌う静謐な祈りの合唱、この曲の決め手はこの祈りが何度も交わされるところで、最初から涙腺が・・・・

②不穏なラッパの音とともに始まるディエスイレ。
ここも思ったより激しくやらずに、合唱もオケも抑制の効かせていたように思ったし、怒りでなく、なんでやねん的な疑念の表出としてはふさわしいと。
次いで登場のバリトン、ウィンクラー氏も抑えた表現で、ややこもって聴こえたが、語りかけるような歌い口は、オペラ歌手のそれでなく、リート歌手なのである。
歌いまくるのでなく、詩を歌い読み込む、そんな歌唱がこの作品にはよいと思う。
3人目のソロ、ソプラノは遠くから歌うが、チェプラコワ女史の切実さは絶叫でなく、悲痛さを感じる歌声。
2度目のディエスイレのあとにくるラクリモーサ。
私の大好きな場面であるが、楚々たる歌ととぎれとぎれの哀しみの表出が実に感動的で、またも涙腺が・・・

③同時進行の字幕がありがたかったアブラハムの旧約の場面。
典礼文との絡みもわかりやすかったし、これまたブリテンってすげぇなとおもったオッフェルトリウム。

④ピアノやキンキラ打楽器に乗ったソプラノ、呪文のように典礼文をとなえる合唱、もう雰囲気抜群だ。
そして輝かしいホザンナが眩しかった、ホールが高鳴った。
ベネディクトゥスでのソプラノも美しい

⑤ルイスのテノールの虚無的だけれど切実な歌唱の光ったアニュス・デイ

⑥きっと多くの方が、いちばん感動されたであろう「リベラ・メ」
カタストロフにむかって緊張を高めてゆく場面の息つく間のない迫真性。
ついに怒りの日の再現、ここにピークをもってきたであろう、リミッターを解除したかのように②のときよりも金管も打楽器も凄まじく咆哮。
握りしめる手にも力が入っていまい、目を見開くようにしてこのシーンを視覚的にも焼き付けようとしたワタクシ。
この緊迫感の表現こそノットの真骨頂。
ついで来る敵味方、男声ふたりの邂逅の場。
室内オケの弦のグリッサンド的な緊張感あふれる奏法と精魂尽きたかのようなテノールの必死の歌。
そこにかぶってくるバリトンの長いソロ。
ここが一番のこのレクイエムの肝であろうと思っているか所だが、ふたりの男声が徐々に目覚めてゆくようなこの音楽、ホール全体が静まり返り、聴き入り感じ入ったのだ。
このあとの、ともに眠ろう、と、ソプラノの天国への誘い、もうわたくしは両手を祈るようにして組みながら聴きました。
天から聴こえてくるかのような児童合唱も加わり、ホールに一条の光が差してきたかのように感じた。
「かれらを平和のなかに憩わせたまえ、、アーメン」
美しい調和のとれた響きに、わたしの頬はいつしか涙が伝ってました・・・・

    ーーーーーーーーーーーーーーー

もうこんなに感動させないで欲しい・・・
指揮棒をとめたノット監督。
永遠に続くかと思われた静寂もまた美しかった。

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硬質だけれども清冽な声で魅了したチェプラコワ、リリックなイギリステノールの典型として印象に残ったルイス、FDまでとはいかないが、言葉をかみしめるような知的かつノーブルな歌のウィンクラー。
素晴らしい3人のソロ。
そして圧倒的な合唱団と清らかな児童合唱。
東響のソロの皆さんの冴え、完璧なアンサンブルと濁りのない済んだ響き。
精鋭の室内オケメンバーの緻密さ。
すべてを司ったノット監督に最大限の賛辞と敬意をささげたい。

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熱烈な拍手に再度登場の3人の歌手と指揮者
ほんと、多くのブラボーが飛んでました

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最後はノット監督がひとり。

いつもにこやかなノットさん。
連日、会心の出来栄えの戦争レクイエム、日本でのこの演奏はラストシーズンを迎えたノットさんの記憶にもこの先も刻まれ続けることでしょう。

歩みを続けるノット。
東響とスイス・ロマンドの次は、スペインのテアトロ・レアルの音楽監督となることが決定。
高レヴェルの上演で定評あるハウスだけに、オペラでのさらなる躍進に期待したいところです。

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過去記事

「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」 

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」

「K・ナガノ&エーテボリ交響楽団」

「ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ」


「デイヴィス&ロンドン響」

「ハーディング&パリ管」

「パッパーノ&ローマ聖チェチーリア」

「マルヴィッツ&ニュルンベルク、ティーラ&マーラー・ユーゲント」

「サヴァリッシュ&NHKso」

「P・ジョルダン&サンフランシスコ響」

「ブリテン指揮」

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2025年7月20日 (日)

スタンフォード レクイエム ブラビンス指揮

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日没直後の壮絶な夕焼けが好き

これから秋にかけて、美しい夕焼けがのぞめるシーズンとなります。

今日は英国圏からのレクイエム。

英国系の作曲家のレクイエムといえば、ブリテンの「戦争レクイエム」がその代表ですが、そちらはラテンの典礼文とオーウェンの詩に基づく独創的な反戦レクイエム。
ラテン典礼文ということで、ミサやレクイエムは宗教上はカトリックを信仰する国や人々の作品であることが多い。

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  スタンフォード レクイエム op.63

     S:キャロリン・サンプソン 
   Ms:マルタ・フォンタナルス=シモンズ
   T:ジェイムズ・ウェイ
   Br:ロス・ラムゴビン

 マーティン。ブラビンズ指揮 バーミンガム市交響楽団
               バーミンガム市大学合唱団

    (2022.7.2,3  @シンフォニーホール、バーミンガム)

過去記事から、スタンフォードの概要を。
チャールズ・スタンフォード(1852~1924)はアイルランド生まれで、ケンブリッジに学び、そのあとドイツ本流のライピチヒとベルリンでもしっかり勉強し、生涯はイングランドで過ごした英国系作曲家。

時代的には、ディーリアス、エルガーやV・ウィリアムズ、ホルストよりも、少し先んじた作曲家で、同じような時期の英系作曲家としてはパリーとマッケンジーがいる。
彼らとともに先人として、英国音楽の礎を築いた作曲家でもあり、エルガー前の作曲家としては大物で、7つの交響曲、アイルランド狂詩曲を始めとする管弦楽曲、オペラも数作、協奏曲も器楽作品も、多用なジャンルにその作品を残している。
作品数の割に、録音はまだまだ少なめで、とくにオペラは今後に期待したいものです。

作曲家として、指揮者として、指導者として多くの作曲家を導き、イギリス音楽界の重鎮とはなったが、時代に逆らうような古風な作風にとどまったともされ、晩年や没後も後世の後輩作曲家の影に隠れてしまうこととなりました。
シャンドスやハイペリオン、ナクソスなどのレーベルのおかげで、スタンフォードの作品も聴けるようになり、古風だったり、ブラームス風だったりするとよく指摘されたことが、案外に違うのではないかとイメージが刷新されつつあるとも思います。
7つの交響曲を聴けば、たしかにブラームスやドヴォルザークを感じさせもするが、そこには田園情緒とアイルランド民謡なども意識させる穏健な懐かしさなどこそがスタンフォードの特徴ではないかと思うようになります。
一方でたくさんの作品のある声楽作品は、英国国教会のために残した讃美歌、聖歌、礼拝曲、オルガン曲など、現在でも教会で演奏されるスタンフォードの手によるものがたくさんあるそうだ。
田園情緒や民族音楽、そして厳粛ながらも健やかな教会音楽、スタンフォードの音楽はこんな感じにまとめてよいでしょうか。

このレクイエムは、1897年のスタンフォードの後期に当たる頃の作品。
アイルランド生まれのスタンフォードがはじめてイギリスを訪れたのは10歳のとき。
そこで観た新古典主義の画家フレデリック・レイトンの絵画に出会う。
その絵画に感化されたスタンフォードは、音楽愛好家で音楽の素養も豊かだった22歳先輩のレイトンと知己を得て、親しい友人となってゆく。
そのレイトン卿が1896年に66歳で亡くなると、悲しんだスタンフォードは「レクイエム」を書く決意をした。
親しい人を悼んで書かれたレクイエムは、怒りや天罰、恐怖などの激しいエネルギーの爆発はなく、ブラームスやフォーレのように、静かに慎ましく死者を偲ぶ作風につらぬかれてます。

1784年から始まったバーミンガムの芸術の祭典、バーミンガム・トリエンナーレで1897年に初演。
3年ごとに開催されるこのトリエンナーレでヴェルディもスタンフォードの楽譜を見て称賛を与えたらしい。
ちなみに、ドヴォルザークのレクイエムもこの芸術祭からの委嘱を受けて書かれたもので、スタンフォードの数年後に初演されています。

7つの章からなる74分の大曲。

  ①イントロイトゥス(入祭唱)
  ②キリエ
  ③グラドゥアーレ
  ④セクエンツィア
  ⑤オッフェルトリウム
  ⑥サンクトゥス
  ⑦アニュス・デイ、ルクス・エテルナ

まったく静かに語りかけるようにして始まる①。懐かしくも茫洋とした景色が見えるようで心地が良く、ソロたちはときにオペラのようによく感じ、よく歌う。
テンポをあげた②キリエでは合唱と独唱たちの絡み合いがそれぞれに対照的で面白く聴きごたえがある。

③グラドゥアーレでは、①の冒頭の印象的なモティーフに絡み合うようにソロが歌うが、なかでもソプラノの清らかな歌が素敵なもの。
フルートと独奏ヴァイオリンもそこに追奏するようにして出てきて雰囲気もよろしい。

④セクエンツィアではその冒頭にディエスイレがやってくるが、そこに怒りの噴出はなく、シンバルやブラスは高鳴るもののそれは怒りそのものでなく予兆にすぎない感じだ。
30分近くを要するこのセクエンツィアはなかなか長大で、いくつもの章に分かれていて、さまざまに曲の様相が変転するが、その基調はあくまで穏健。
この長い章では4人のソロが活躍するが、なかでもソプラノとメゾにあたえられた役割がとても印象的。
またロッシーニ的な切ないテノールソロも実によい。(ただここで歌うテノール歌手はやや弱いと思う)
ラクリモーサは、葬送のようにティンパニも轟くが、さほどに切実でなく、そこが穏健派たるスタンフォードのゆえか。
この章の最後は、心安らぎピエ・イエズスがくるが、ここほんとに美しく、ブラームスの音楽にもさも似たり

⑤オッフェルトリウムは緩やかに進行する行進曲調の音楽で健康的ですらある明朗なもの。
合唱のフーガ調の掛け合いも聴きごたえあり、それを支えるオーケストラも見事なもので、このあたりの扱いがスタンフォードは実にうまい。

⑥清らかなサンクトゥス。
書評のなかには、追随するハープの音型が「ラインの黄金」を思わせると書かれているが、徐々に盛り上がって高らかな雰囲気になってゆくところはさもあらんと思わせる。
続く4人のソロによるベネディクトゥスは、これまたオペラシーンでの4重唱を感じさせる。
ヴェルディが高く評価したのは、こうしたオペラティックな場面が続出するところだろう。
そういえば、より劇的なヴェルディのレクイエムも特定の芸術家の追悼で書かれたものだった。
短いホザンナは天国的。

⑦葬送行進曲のような重々しいけれども、どこか清涼なオーケストラ長いオーケストラ前奏を持つアニュス・デイ。
ここは友レイトンのセント・ポール大聖堂での葬儀を思い書かれたものともされる。
荘重な雰囲気からテノールソロのルクス・エテルナで、曲調は一変し、一筋の光が差し込んだようになる。
オーケストラは流れゆく川のようにさざめき、そして安心感を与えるような力も与えてくれるムードになる。
ハープにのって合唱が清らかに歌い、オーケストラはレクイエム冒頭の旋律を奏で、どこまでも穏やかに、すこしづつ弱くなっていって、静かに終わる。

極めて感動的なラストにしばし外の夏空を眺めてました。

長くて難解な作品、これまで20回ぐらい聴き続けました。
だんだんといろんな発見も見出すようになりました。
こうした作品は、静かにひとりで楽しむに限ります。
合唱の国、英国が生んだノーブルな作品です。
スタンフォードは、エルガーの一連の声楽作品の登場で、英国におけるその存在が薄くなっていっていまうのでした。

お馴染みのブラビンスの指揮は、誠意にあふれ共感もゆたかで、いつも演奏しているかのように堂に入ったものです。
由縁あるバーミンガムでの演奏も嬉しいところだし、先ごろ日本に凱旋した山田和樹の活躍も同朋としてはうれしいところです。
4人のソロでは、女声ふたりがとりわけ素敵でしたね。

【スタンフォード 過去記事】

「スタバト・マーテル ヒコックス指揮」

「交響曲第3番 アイリッシュ 大友直人&東響」

「クラリネットソナタ エマ・ジョンソン」

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暑い夏、明日の21日は「戦争レクイエム」を聴く。

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2025年7月 6日 (日)

東京都交響楽団演奏会 カネラキス指揮

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梅雨明け間近の東京サントリーホール

涼しげなエントランスのグリーン、奥の水辺も夏は気持ちよい

不快指数高めの日々に、爽快な気分にさせてくれたコンサート

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人気のピアニスト、沙良=オットがソリストとあって、こんな素敵なスタンド花が。

華美にならない飾らない彼女のピアノにマッチした色合いかと。

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     「都響スペシャル」

  ラヴェル  ピアノ協奏曲 ト長調

  サティ   グノシエンヌ 第1番

    アリス・沙良=オット

  マーラー  交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

   カリーナ・カネラキス指揮 東京都交響楽団

       コンサートマスター:水谷 晃

                        (2025.7.5 @サントリーホール)

前日の定期とともに、ソールドアウトのコンサート。
ふたりの女性、さらにはメインがマーラーということで人気を呼びました。
わたくしは、カネラキスを前々から海外オケの放送で聴き及んでいて、こんかいの初来日に即座にチケットゲット。
おまけに、ソロが沙良=オットというオマケつきで狂気したものです。
はいそうです、ワタクシはオジサンです。

カネラキスとほぼ同じ背格好、華奢で小柄な沙良=オットがステージに現れるだけで会場の空気が華やいだような気がした。
シルバーに近いドレスはシックで、この日のラヴェルの2楽章の落ち着いた美しさを早くも予見させる。
トレードマークともいえる素足で軽々と登場し、深々と一礼。
カネラキスと目を合わせすぐさまに軽やかに弾き始める、この流れるような一連の所作から、すべてが彼女の音楽だ。
彼女のピアノの音、その弾き姿、聴いて観て、すべてが音楽そのものに奉仕するように没頭感があり、それが嫌味にならず、聴き手の共感を呼ぶ客観性も帯びているところがよい。
 完璧な技巧を感じさせるが、それが強調されることなく、音楽を掘り下げて切りこんでゆく必死の姿をそこに感じ、聴き手も同感の思いで彼女の音楽に没頭することになる。
その点で、某YWさんとは大違い。
オーケストラをよく見ながら一緒になって楽しんでる様子も可愛く、正面から見える席だったので、足の指先まで音楽してる感じでよく動いてましたね。
 ともかくステキすぎたのが2楽章。
楚々たるオーケストラ、そしてコールアングレのソロとともに、透明感あふれるピアノは、天にも昇るばかり、シルクのようなしなやかさと、清流のような澄み切った透明感を感じさせるもので、ずっとずっと聴いていたい、続いて欲しいと思いつつ聴いた。
急転直下の3楽章では、オーケストラとの活発なやり取りが面白く、息つく間もない。
ふだん聴こえないような音がオーケストラに見出したのもカネラキスの目線か、次のマーラーでもそんなシーンはあった。

ステージから去る沙良=オットは、少し小走りに、ぴょんぴょんと跳ねるように楽屋へ向かいます。
そんな姿もオジサンは見逃しません。
何度かのコールで弾いてくれたのは、得意曲のサティ。
まさにアンニュイ感ただよう、儚さと切なさも味わうことができた一瞬でした。

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マーラーの1番は、カネラキスの得意曲のひとつ。
BBC響との2022年promsライブ録音も所持してまして、promsならではの活気あふれる演奏ですが、また彼女ならではの落ち着きも感じられるものでした。
欧米のメジャーオケをたくさん指揮し、オランダ放送フィルの首席、LPOの首席客演といった有力ポストにもあるカネラキス。
オランダ放送というレパートリーを磨くには好適の立場にあり、コンサートにオペラに、かなり通好みのプログラムを手掛けております。
海外の放送音源から、2018年あたりからカネラキスの名前を注目していて、相当数の音源を保有するに至りました。
そんななかで、いちばん気に入ってるのがラフマニノフのシンフォニック・ダンスと、トリスタンとイゾルデ、法悦の詩、ルトスワフスキ・オケコンなどです。
いまの指揮者にありがちな、後期ロマン派以降の作品に強く、古典系はまだまだ、というところではありますが、オペラでの活動も含めて、こんごともにカネラキスは目が離せない指揮者だと思います。

小柄な彼女ですが、指揮台のうえでは伸び上がったり、左右によく動いて、かなり綿密に指示を出します。
横顔を見ながらの位置でしたが、その眼力や表情の変化などもなかなかのもの。
左手での表情付け、タクトの明快さ、身体能力の高さがうかがえる柔軟性ある動きなど、拝見していてとても気持ちのいい指揮者でありました。
小柄でオット嬢にも負けないスリムなお姿とブロンドを束ねた可愛さ、でもどこからそんなパワーが出るのかと思うくらいに統率力があり、人を引き付ける後ろ姿でありました。

慎重すぎるきらいはあったが、盛り上げも充分なよく歌う1楽章、面白いフレーズが聴こえてくるのも発見だった。
緩急豊かでメリハリのよく効いた2楽章が面白かった。
リズム感のいい指揮に都響がよく反応し、こんなに楽しいスケルツォってないなと思いながら聴き、対するレントラーもよく歌いあげ気持ちが極めてよろしい。
ともかく明朗快活なカネラキスの指揮は2楽章で明確になった。
 都響の各奏者の巧さにも助けられ、重さや物憂ささよりは、明るい前向きな歩みを感じさせた3楽章。
このあたりに陰りや若さゆえのほろ苦さを今後、彼女は表現できるようになることだろう。
ちゃんとアタッカで緊張を止めることなく突入してくれた終楽章。
弦への指示も熱く、都響の分厚い弦楽器セクションも大いに荒れて興奮を呼び覚ます。
ヴァイオリン出身のカネラキスの指揮のこの日のハイライトは、このあと静まってからの第2主題。
静やかに、でも細心の丁寧さを持って歌われる弦によるこの美しい旋律、それが徐々に高まる情熱が加わり、気持ちを込めて指揮をするカネラキス、とても感動的なシーンがここで繰り広げられた。
 次いで出現する1回目のクライマックスとの対比も鮮やかに決まり、また静まってから第2主題が奏でられるが、ここでの静寂シーンでの緊張感はさらなる精度を求めたくもあり。
でも繰り返される波動のように徐々に迎えるクライマックスの前兆、このあたりはオケの見事さもあり聴きごたえあり。
テンポも少し早めつつ、やってきたコーダは若々しい情熱の発露のようであり、堂々たるフィナーレというよりは、明朗で爽快、一気に駆け抜ける早春譜のようでもあった。
こんな若々しいマーラー、久しぶりに聴いた。
聴き手によっては、もっと爆発的なフィナーレを期待したかもしれないが、わたしには、こんな健康的ヘルシー・マーラーは新鮮だったのです。

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女性指揮者と、いまや「女性」でくくることはナンセンスではありますが、しいていえば、若手女性指揮者のトップスリーは、グラジニーテ・ティーラとマルヴィッツ、そしてカネラキスと思ってます。
ミルガたん、カネラキスたん、なんて女の子みたいに呼んでた自分を恥じたい。

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また日本に来て欲しいし、オランダ放送、またはロンドンフィルとはガードナーと一緒にやってきて欲しいな。
アメリカのメジャーオケの指揮者になることもありうるな。

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鳴りやまぬ拍手に応えてひとり登場したカネラキス。

飾り気ないなかに、女性らしい優しい所作で感謝を表明。

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サントリーホールの裏にある庭園には桔梗が咲いてました。

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