東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮 戦争レクイエム

梅雨が明け、真夏の日差しの照り付ける霊南坂教会の十字架。
容赦ない暑さ、80年前の夏はいまのような厳しさはなかったかもしれないが、日本に与えられた過酷な終戦末期の日々に比べたら・・・・
このとき、この夏に64年前、1961年に書かれた平和を希求したブリテンの「戦争レクイエム」を演奏することの意義は極めて大きい。
東京交響楽団 第732回 定期演奏会
ブリテン 戦争レクイエム op.66
S:ガリーナ・チェプラコワ
T:ロバート・ルイス
Br:マティアス・ウィンクラー
ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
東京コーラス
東京少年少女合唱隊
コンサート・マスター:グレブ・ニキティン
合唱指揮:富平 恭平
児童合唱指揮:長谷川 久恵
(2022.7.21 @サントリーホール)
今季のプログラムのなかでも最も楽しみにしていた演奏会。
戦争レクイエムの実演はこれで2度目。
オペラ全作をすべて聴いてきた自分にとって、やはり戦争レクイエムという不朽の名作は最愛の作品となってまして、ブログ記事も15本も書いてしまいました。
これまでの戦争レクイエムの鑑賞歴の、それこそまさに総決算とのいえる演奏が、今回のノットと東響のものであったといっても過言ではないです。
過去にも日本では何度も戦争レクイエムは演奏されてます。
しかし、今回のノットの演奏者の顔ぶれほど、作曲者ブリテンの意図を汲んだメンバーによる演奏はないと思う。
記憶をたどったり、調べたりしたら、過去の多くが日本人歌手によるものだったり、外国人歌手でも初演時の国の出身者でなかったりでした。
ロシアのソプラノ、イギリスのテノール、ドイツのバリトンが、それぞれ選ばれ、それはブリテンの初演時にはソ連体制の壁で叶わなかったが、レコーディングではその組み合わせとなった国柄のメンバーとなりました。
加えて、ノットはイギリス人、そして我らが日本のオーケストラに日本の合唱団・少年少女合唱団と、アメリカこそないけれども、先の大戦で敗戦国であり、一番の被害国である日本での演奏。
ノット監督は任期の最終年度に、おそらくずっと日本で指揮したかったであろう戦争レクイエムをもってきた。
そんなことを思いつつコンサートにいどみ、最初から最後まで、私は金縛りにあったかのように、ときには緊張と感動のあまりむせりそうになりつつ「ノットの戦争レクイエム」を聴きました。
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合唱団はP席に、その後ろのオルガンの席にソプラノ、児童合唱団は場外から、指揮者右手にテノールとバリトン、そして室内オーケストラ。
このような普段の配置では考えられないブリテンの独創的な作品の演奏方式。
ラテン典礼に基づく部分はオーケストラ、合唱、ソプラノ。
オーウェンの詩に基づく部分は、テノールとバリトンに室内オケ。
これらが交互に絡み合うようにして進行し、最後には典礼と詩がまさに融合して、平和を祈って昇華する。
このブリテンの天才的な音楽造りが、こうしてライブで観て聴くと、そのすごさがよくわかるし、感動もひとしおなのでありました。
ノットの気の入れようは尋常ではなく、各章の間に休止は一切取らず、その集中力あふれる指揮でもってすべての演奏者の思いを集約し一身にひきつけた。
まいど素晴らしい精度の高い合唱は、いつものように暗譜。
祈りが主体の場面では座ったまま、強く歌うか所では立ち上がって力唱。
また児童合唱団は多くの演奏が合唱とともに並べることが多いが、ホールの外側で歌うことにより、教会的な響きと遠近感、そして天から響くような清らかさが出ていた。
いずれもノット監督の強い意志と思いの元にあったものと思う。
教会とコンサートホール、そのどちらの雰囲気も巧みに演出できた。
①冒頭、おもったより重々しさや不安感は強調せず、鐘とともに淡々とした出だし。
そして一転、テノールによる戦場の禍々しさを歌う場面、ここへの一挙に変わる変転ぶりが見事。
エキセントリックな歌いぶりも、これもまたイギリス系のテノールの独自の持ち味でルイス氏の第一声は見事に決まった。
腰を下ろしたまま歌う静謐な祈りの合唱、この曲の決め手はこの祈りが何度も交わされるところで、最初から涙腺が・・・・
②不穏なラッパの音とともに始まるディエスイレ。
ここも思ったより激しくやらずに、合唱もオケも抑制の効かせていたように思ったし、怒りでなく、なんでやねん的な疑念の表出としてはふさわしいと。
次いで登場のバリトン、ウィンクラー氏も抑えた表現で、ややこもって聴こえたが、語りかけるような歌い口は、オペラ歌手のそれでなく、リート歌手なのである。
歌いまくるのでなく、詩を歌い読み込む、そんな歌唱がこの作品にはよいと思う。
3人目のソロ、ソプラノは遠くから歌うが、チェプラコワ女史の切実さは絶叫でなく、悲痛さを感じる歌声。
2度目のディエスイレのあとにくるラクリモーサ。
私の大好きな場面であるが、楚々たる歌ととぎれとぎれの哀しみの表出が実に感動的で、またも涙腺が・・・
③同時進行の字幕がありがたかったアブラハムの旧約の場面。
典礼文との絡みもわかりやすかったし、これまたブリテンってすげぇなとおもったオッフェルトリウム。
④ピアノやキンキラ打楽器に乗ったソプラノ、呪文のように典礼文をとなえる合唱、もう雰囲気抜群だ。
そして輝かしいホザンナが眩しかった、ホールが高鳴った。
ベネディクトゥスでのソプラノも美しい
⑤ルイスのテノールの虚無的だけれど切実な歌唱の光ったアニュス・デイ
⑥きっと多くの方が、いちばん感動されたであろう「リベラ・メ」
カタストロフにむかって緊張を高めてゆく場面の息つく間のない迫真性。
ついに怒りの日の再現、ここにピークをもってきたであろう、リミッターを解除したかのように②のときよりも金管も打楽器も凄まじく咆哮。
握りしめる手にも力が入っていまい、目を見開くようにしてこのシーンを視覚的にも焼き付けようとしたワタクシ。
この緊迫感の表現こそノットの真骨頂。
ついで来る敵味方、男声ふたりの邂逅の場。
室内オケの弦のグリッサンド的な緊張感あふれる奏法と精魂尽きたかのようなテノールの必死の歌。
そこにかぶってくるバリトンの長いソロ。
ここが一番のこのレクイエムの肝であろうと思っているか所だが、ふたりの男声が徐々に目覚めてゆくようなこの音楽、ホール全体が静まり返り、聴き入り感じ入ったのだ。
このあとの、ともに眠ろう、と、ソプラノの天国への誘い、もうわたくしは両手を祈るようにして組みながら聴きました。
天から聴こえてくるかのような児童合唱も加わり、ホールに一条の光が差してきたかのように感じた。
「かれらを平和のなかに憩わせたまえ、、アーメン」
美しい調和のとれた響きに、わたしの頬はいつしか涙が伝ってました・・・・
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もうこんなに感動させないで欲しい・・・
指揮棒をとめたノット監督。
永遠に続くかと思われた静寂もまた美しかった。
硬質だけれども清冽な声で魅了したチェプラコワ、リリックなイギリステノールの典型として印象に残ったルイス、FDまでとはいかないが、言葉をかみしめるような知的かつノーブルな歌のウィンクラー。
素晴らしい3人のソロ。
そして圧倒的な合唱団と清らかな児童合唱。
東響のソロの皆さんの冴え、完璧なアンサンブルと濁りのない済んだ響き。
精鋭の室内オケメンバーの緻密さ。
すべてを司ったノット監督に最大限の賛辞と敬意をささげたい。
熱烈な拍手に再度登場の3人の歌手と指揮者
ほんと、多くのブラボーが飛んでました
最後はノット監督がひとり。
いつもにこやかなノットさん。
連日、会心の出来栄えの戦争レクイエム、日本でのこの演奏はラストシーズンを迎えたノットさんの記憶にもこの先も刻まれ続けることでしょう。
歩みを続けるノット。
東響とスイス・ロマンドの次は、スペインのテアトロ・レアルの音楽監督となることが決定。
高レヴェルの上演で定評あるハウスだけに、オペラでのさらなる躍進に期待したいところです。
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過去記事
「ブリテン&ロンドン交響楽団」
「アルミンク&新日本フィル ライブ」
「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」
「ヒコックス&ロンドン響」
「ガーディナー&北ドイツ放送響」
「ヤンソンス&バイエルン放送響」
「ネルソンス&バーミンガム市響」
「K・ナガノ&エーテボリ交響楽団」
「ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ」
「デイヴィス&ロンドン響」
「ハーディング&パリ管」
「パッパーノ&ローマ聖チェチーリア」
「マルヴィッツ&ニュルンベルク、ティーラ&マーラー・ユーゲント」
「サヴァリッシュ&NHKso」
「P・ジョルダン&サンフランシスコ響」
「ブリテン指揮」
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コメント
yokochanさま
猛暑お見舞い申し上げます。
19日公演をミューザ川崎で拝聴しました。小生は、政治的メッセージの強い作品は少し苦手で、それはメッセージ性が強ければ強いほど、それが音楽に没頭することへの妨げになるように感じられるからなのですが、今回の演奏は(やろうと思ったら、もっとオペラティックで劇的な表現も可能だったでしょうが、)どちらかと言えば淡々とした表現が多く、静謐な美しさの中からメッセージを浮き彫りにするような演奏だったように思います。それがブリテン自身の思い描いていた姿でもあるのでしょうが、落ち着いてじっくりと作品に向き合うことができました。
さて、昨26日は、サマーミューザのオープニングでしたが、いよいよ東響音楽監督ジョナサン・ノットの最後のステージに向けたカウントダウンが始まったという感じがいたします。彼の指揮した舞台であれば、何といっても、モーツァルトやR.シュトラウスの演奏会形式オペラが記憶に残っていますが、彼はとにかく手抜きをしない指揮者でしたね。常に全精力を傾けてオケの実力を最大限に発揮させ、最高の演奏を聴かせてくれる、毎回、とても高い満足感を与えてくれるといった点で稀有な存在だったのではないでしょうか。毎年、彼の指揮する演奏会にいつでも行けるような環境にいたことを今さらながら本当に幸せだったと思います。
ジョナサン・ノットの残りのステージ、小生がチケットを購入しているのは、マタイ受難曲、「子どもと魔法」、マーラー9番、そして第九です。あと、ミューザのジルベスターも購入するつもりで、何かと忙しい大晦日だし、即座に完売ということはないと思うのですが、あまり「ノット音楽監督の最終公演」ということが強調されないよう望むばかりです。ちなみにジルベスターでサンダーバードが演奏されますが、あの人形による特撮番組のサンダーバードはイギリスで放映されたテレビ番組で、アメリカ人は意外と知らないようです。英国人のノットさんには懐かしい存在なのでしょう。
下記は東響の辻事務局長のコラムです。コロナ禍のときのやりとりが記載されていますが、ジョナサン・ノットという指揮者の性格が描かれていて面白いのでご参考まで(既にご覧になっておられたなら失礼)。
https://tokyosymphony.jp/feature-interview14/
殺人的猛暑が続きます。くれぐれもご自愛ください。
投稿: KEN | 2025年7月27日 (日) 06時09分
KENさん、こんにちは、コメントまいどありがとうございます。
そして返信遅くなってしまい申し訳ありません。
連日の猛暑、そしてともかく忙しく、コンサートに行くのも忙しい要因のひとつで不平を言えたものではないですが、介護もしていると常に不安がつきまといます。
でもコンサートの最中は、すべてから解放された気持ちで集中もでき、感動を味わうことができます。
しかし、すぐに現実に戻されてしまう儚さもあり・・・・
そんななかでの、ノット&東響のふたつのコンサート。
心の底から感動しました。
長年、愛し続けた作品を連続で、しかも最高の演奏で聴くことができた喜び、感涙に堪えませんでした。
ご指摘のとおり、ブリテンの思い描いたある意味客観的な解釈でもあり、ゆえに最終章でのギアの入れ方が神々しくも感じられました。
リングに関しても、バーゼルでの上演のさなかの演奏なので、こちらは並々ならない熱のいれようで、東響の精度の高さとともに堪能しました。
最終場面は自分的にはオヤっと思うところではありましたが、そこはノットのライブで起こるサプライズと受け止めました。
バーゼルでの完結な舞台の様子を少し見れましたが、リングは新天地のマドリードでの上演と映像化などに期待したいものです。
ジルベスターでのサンダーバードですか!
サンダーバード世代なだけに、あれを聴いただけで血沸き肉踊ります。
スターウォーズ以上に興奮します。
ラスト・ノット、諸所あり、行けそうにはありませんが・・・
投稿: yokochan | 2025年8月 5日 (火) 10時26分