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2025年10月

2025年10月27日 (月)

J・シュトラウス 「こうもり」 カラヤン&ベーム

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秋の出雲大社相模分祠の手水舎。

神無月の10月なので、神様は出雲にお出まし中ですが・・・

名水の里、秦野市ですから、境内には龍蛇神の社があって、清らかな湧き水が流れ汲むことができます。

いまいる町は秦野に近いので、水はすべて秦野市内にいくつもある名水スポットから汲んできてます。
ともかく美味しい水です。

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2025年は、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の生誕200年の年。
そして、10月25日がその誕生日。

1975年の生誕150年もよく覚えていて、まだウィリー・ボスコフスキーが健在で、数々のライブ放送がFMで放送されたし、なんといってもベームがウィーフィルとやってきて記念碑的な演奏をいくつもNHKホールでやってくれた年だ。
そのなかには、ジュピターとシュトラウス作品集のコンサートもありました。

今宵は、ともにデッカ録音のウィーンフィルとカラヤンとベームの「こうもり」を久方ぶりに聴いてみました。
ウィーンフィルには伝説級のクレメンス・クラウス、以前もブログで書きましたプレヴィンなどの録音もありますが、60~70年代、ウィーンで人気を二分したふたりの巨匠、しかもデッカ録音ということで。
クライバーやボスコフスキーは、またの機会に。

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   J・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」

   アイゼンシュタイン:ヴァルデマール・クメント
   ロザリンデ:ヒルデ・ギューデン
   アデーレ:エリカ・ケート
   ファルケ:ワルター・ベリー
   フランク:エベールハルト・ヴェヒター
   オルロフスキー公:レジーナ・レズニック
   アルフレート:ジュゼッペ・ザンピエッリ
   ブリント:ペーター・クライン
   フロッシュ:エーリヒ・クンツ
   イーダ:ヘドヴィヒ・シューベルト

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
                  ウィーン国立歌劇場合唱団

  ガラ・パフォーマンス
    レナータ・テバルディ、フェルナンド・コレーナ
    ビルギット・ニルソン、マリオ・デル・モナコ
    テレサ・ベルガンサ、ジョン・サザーランド
    ユッシ・ビョルリンク、レオンティン・プライス
    ジュリエッタ・シミオナート、エットレ・バスティアニーニ
    リューバ・ヴェリッチュ

  ピロデューサー:ジョン・カルショウ、クリストファー:レイバーン
  エンジニア:ゴードン・パリー、ジェイムス・ブラウン

      (1960.6 @ゾフィエンザール、ウィーン)

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 J・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」

   アイゼンシュタイン:エベールハルト・ヴェヒター
   ロザリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
   アデーレ:レナーテ・ホルム
   ファルケ:ハインツ・ホレチェク
   フランク:エーリヒ・クンツ
   オルロフスキー公:ヴォルフガング・ヴィントガッセン

   アルフレート:ヴァルデマール・クメント
   ブリント:エーリヒ・クッヒャー
   フロッシュ:オットー・シェンク(映像)

   イーダ:シルヴァン・ラカン

  カール・ベーム指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
            ウィーン国立歌劇場合唱団

  プロデューサー:ジョン・モードラー
  エンジニア:ジェイムス・ロック、ゴードン・パリー

      (1971.11 @ゾフィエンザール、ウィーン)

10年を隔てたふたつの録音ですが、カラヤン盤はカルショウ率いるデッカのソニックステージの全盛期のもので、ウィーンフィルでゾフィエンザールといえば、カラヤンの一連のイタリアオペラ、ショルティのリングやシュトラウスなどが思い浮かびますね。
まさにそれらと同じく、レコードで視覚的な効果も再現するという、まさにレコード芸術を極めたもので、いま聴いてもそのリアリティは面白く、レコード時代には味わえなかった鮮明さも嬉しいものだ。
しかし、何度も聴くと飽きが来てしまうのも事実だろう。
このカラヤン盤の最大の特徴は、2幕の後半におかれたガラ・パフォーマンス。
11人のいまや伝説級の名歌手たちがまったく予想外のレパートリーを披露してくれる。
テバルディはメリー・ウィドウ、ニルソンはマイフェアレディ、デルモナコがナポリタン、ビョルリンクがレハールなどなど。
これらの豪華メドレーに、その場のパーティー会場の参加者たちはそれぞれに拍手喝采を送っていて、それらも一連の流れでよくできていてまさにリアル。
でもこれらは、この録音のためにその場で歌われたものではなく、音質も均一でないのでやや場違い管は否めず、日ごろ聴くには冗長だろう。
 カラヤン盤のプロデューサーとエンジニアの名前を見るだけでも、当時のデッカ録音の企画力と鮮やかな音がわかるというもの。
半世紀以上経過したいまも昨今のライブ録音とは別な次元でのリアル感ある素晴らしいものだと思います。

レコードを芸術に特化したカラヤン盤から10年後のベーム盤。
こちらはストイックなスタジオ録音で、おあそびはゼロで、登場人物たちのセリフも大幅カット。ガラ・パフォーマンスもなく「雷鳴と電光」のみ。
そうこちらは映像作品あり、その上質なサウンドトラックでもあります。
でも録音はデッカサウンドをしっかり踏襲していて極上であります。
そして、ベーム盤はやはり映像を見ないといけない。
どちらも楽しめるのがベーム盤のいいところ。

「カラヤン盤」

60年代のキリリと引き締まったカラヤンならではの演奏。
しかもウィーンフィルの当時の美質が満載で、まだまだローカル感もほどよくあり、いわゆるウィーン訛りも聴かれるオーケストラだ。
EMIのフィルハーモニアとの旧盤の方が世評は高いようだが、私は未聴。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督として在籍した時代、59年アイーダ、60年こうもり、61年オテロ、62年トスカ、63年カルメンと毎年ウィーンフィルとオペラ録音を重ねたカラヤン。
その後はスカラ座、さらにはベルリンフィルとオペラ録音をするようになり、ウィーンフィルとのオペラ録音は74年の蝶々さんまで間が空くことになりました。
いろんな時代のカラヤンのオペラのなかで、60年代がいちばんカラヤンらしく、指揮者中心のオペラでなく、歌手もオーケストラも対等にある総合芸術としてバランスがいいと思う。
歌いまわしの巧さ、キレの良さ、なによりも若々しい表情が魅力で、そこにウィーフィルの音色もプラスされます。
録音の良さも前述のとおり。

歌手に関しては、やや古めかしいと感じる声も散見されるが、なんといっても懐かしい名前ばかりで、まさにウィーンで日頃歌っていた日常の名歌手たちによる歌唱で、チームワークもばっちり。
ギューデンの声の美しさはすばらしく、エリカ・ケートも可愛い、がしかし、いずれも今の歌手たちの歌唱に慣れた耳からするとやや時代を感じさせもする。
クメントとヴェヒターは、ベーム盤でも役柄を変えて登場していて、ともに「ウィーンのこうもり」にはなくてはならない存在だった。
手持ちのCDは、CD初期の西ドイツ原盤だが、最新のリマスターでも聴いてみたいと思う。
とくに賑やかで晴れやかなガラ・パフォーマンスのシーンは刷新された音質で聴いてみたい。

「ベーム盤」

セリフのないぶん、音楽のみに浸ることができ、その結果、シュトラウスのこのオペレッタがメロディーの宝庫とわかる。
汲めども尽きぬ、美しく楽しい音楽。
そして巧みに素敵なアリアが挿入され、それらが実に心ニクイほどによく書けてて、思わず口ずさみたくなるものばかりときた。
このあたりを生まれたばかりの音楽のように鮮やかに演奏してみせたのがクライバーということになるだろう。

ベームの音楽は、決して四角四面のものでなく、またこの時期は覇気にもあふれていたので活気あふれるものです。
さすがに跳ねるようなリズムや、カラヤンのような歌いまわしの巧さなどはありませんが、オペラ的な感興にあふれていて雰囲気豊かです。

歌手たちは、70年代ともなると、自分にはお馴染みの顔ぶれとなり、実際に聴いたこともある名歌手も混じってます。
このあたりが、いにしえ感を感じさせるカラヤンの60年代メンバーと違うところ。
そしてやはり、この時期にウィーンでこうもりを歌っていた常連ばかりで、クンツ、ホレチェク、ホルムはまさにウィーンでの、そしてお馴染みのシェンク演出の常連だった。
そしてこの3人の芸達者ぶりが実に見事なものでした。
あとなんといっても、ヘルデンテノールのヴィントガッセンのオルロフスキー公が愉快だし、まさにあのヴィントガッセンそのものの声で大真面目に歌っている。
その真面目さが逆に滑稽の域に達していて、どこかかったるそうにしているところが聴きもの。
トリスタンを歌うヴィントガッセンに、クルヴェナールを歌うウィーンのカヴァリエバリトンのヴェヒターという組み合わせも妙なる面白さ。
まだまだ若々しいヴェヒターのアイゼンシュタインは、テノールで歌われる同役を器用に、巧みな技巧であくまで自然に歌っていて素晴らしい。
素晴らしついでに、ヤノヴィッツの硬質だけれど美声のロザリンデもこの役の理想形でありました。

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音楽にみを納めたCDは、先に書いた通り、音楽の良さが素直に味わえるのですが、一方でセリフがなく、間がなさすぎることや、ドラマとして真剣に考えると唐突な展開にすぎると言えるかもしれない。
そのうえで、連続して何年振りかでDVDを視聴してみると、これがまた実に面白かったし、実によく出来てる。
舞台でなく、映画のセットでの映像であるだけに、細部にいたるまで完璧だし、豪華絢爛で、ヨーロッパのこの時代の贅沢三昧の人々の生活の上澄みを味わうこともできる。
具象的なシェンクの演出もこうした作品では文句ないし、そのシェンクが愉快なフロッシュ役でドタバタ演技をしているのも楽しい。
 序曲ではベームとウィーフィルの演奏もそのまま収録されていて、この時期のウィーフィルのお馴染みの面々が確認できたりする。
最後にヴィントガッセンはCDで聴くより、こちらの映像の方が数十倍も面白いデス!

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じつは「こうもり」は、劇場で観劇したことがありません。

始終やってるからまあいいや、と思っているうちにお爺さんになってしまった(笑)

神奈川フィルのコンサートオペラでやったらウケると思うんだけど。

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2025年10月21日 (火)

神奈川フィルハーモニー 定期演奏会 沼尻指揮 ブルックナー8番

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この日のみなとみらいは、秋はどこいったかと思わせるような陽気。

ブルックナーの8番、一曲のプログラム

昨年暮れから、8番は3度目で、うち2回は初稿版による演奏で、今回は一般的なノヴァーク版2稿。

満員のみなとみらいホール、開演前に沼尻マエストロから、プレトーク。

終わりの方しか聴けなかったが、マイクが林立していて、今夜の演奏はCD化されると発表。
ゆえに携帯とかチラシ落としなどにご注意を、また昨今話題のフライングブラーボーも、ご自身の証として残したいと思っても、そこはいまはちゃんと消せるし、最後の「ミレド」はちゃんとゲネプロで収録しているので安心してください、とユーモアたっぷりに語りました。
これを抑止力としてか、最後の音が消えても、しばらくホールは静寂につつまれ、ほんとうに至福の瞬間を味わうことができたのでした。

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 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会 シリーズ第408回

  ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調 (ノヴァーク版第2稿)

    沼尻 竜典 指揮  神奈川フィルハーモニー管弦楽団


      コンサートマスター:石田 泰尚

          (2025.10.18 @みなとみらいホール)

8番を聴くとなると、レコード時代から、いまでもCDでも、特にライブでは、ほんとに真剣に構えるようにして聴き入る自分。
それだけ聴き手に緊張と集中を強いるブルックナーの最高傑作であり、交響曲としても最高峰に位置する作品であります。

ですが、そんな肩ひじはって聴かなくても・・・と思わせてくれるくらいに自然でさりげなく始まり展開した1楽章。
自分でかける呪縛が馬鹿らしく思えるほどにカジュアルな演奏とも思った。
すんなり、すいすいと進行し、タメや思い入れはなし、自分がよく聴いてきたブル8と一線を画した演奏に、正直とまどいましたね。
その印象のまま2楽章になり、野人どころか、スマートな「ハマのブルックナー」じゃん、と思うようになった。
だから、トリオの部分はとても美しく夢見るような印象を与えた。
ここまで、オーケストラの精度は完璧で、金管やホルン・ワーグナーチューバのセクションも明るく、でもソフトですらあった。

後半の長大なふたつの楽章。
基本の印象は、前半のままに、しかし3楽章の弦楽器主体に重きを置いたかのような演奏に、神奈川フィルの石田組長率いる弦楽セクションの繊細かつ美音の連続に、それはもう恍惚とするような感動を味わったのです。
ここで歌わせる指揮者、沼尻の意図もあり、弦も木管も、素敵すぎたホルンも、みんな気持ちよくブルックナーの音楽に心を合わせて奏でている。
テンポは速めだが、まんべんなく歌うので、停滞感なくその速さを感じない。
なんてブルックナーの音楽は美しいんだろ、聴いてて何度も何度も思った。
徐々に高まりゆく感興も自然体で、ずっと譜面の奥に頭だけが見えていたふたりの打楽器奏者がすっと立ち上がり、そして来ましたよ、あの頂点。
痺れるような感動というよりも、自然のながれで達した頂きに、さわやかで清らかな感動を味わいました。
その後の美しいコーダに清涼感を感じるのもこの日の沼尻&かなフィルの演奏ならではだった。

終楽章の勇壮なファンファーレも明るく、そしてフレッシュだ。
ホルンとワーグナーチューバの若いメンバーたち、ともかくうまいし、その輝かしい音色が心地よい。
ワタシの大好きなフルートに始まる木管の爽やかなパッセージも素敵だったが、実はもっとじんわりとやって欲しかった思いもある。
ともかく、この演奏は、こちらがこの作品に思い込んでるものをスルーして違う方向から見せてしまうような印象が随所にあったのだ。
ヨーロッパの山々や教会の尖塔、これらを思わせるブルックナーのイメージはここではない。
スマートかつしなやかな都会的なブルックナーの演奏。
でも神奈川県には海と丹沢山麓がある、それらを遠くに見渡す都会、そんな演奏といったら笑われるかもしれない。
随所にパワーを解放するような強奏はあるけれど、オペラの手練れである指揮者は巧みに最終の巨大なコーダへと導く。
すべてを収斂するかのような明るく輝かしい結末に感じた。
そして最後のミ・レ・ドを思いを込めてじっくりと奏し、曲を閉じると、長い静寂にホールは包まれました。

プレトークの抑止力が効いたのか、われわれは素晴らしい聴衆となりました。
鳴りやまぬ拍手に応え、最後は沼尻さん、石田コンマスを引き連れてカーテンコールににこやかに応じておりました。

幸せな気分にさせてくれた演奏。
ヴァントやハイティンクなどの実演で聴いてきたこの8番、次元の異なる演奏を展開してみせたある意味大胆さ。
どこのオーケストラも同じように巧くなり、個性も均一化するなか、みなとみらいホールで育まれてきた神奈川フィルはユニークな音色と響きを持つ存在だと思います。
薄味ながら、わたくしは、こんな和風テイストの「ハマのワーグナー」もいいじゃんよ、と思ったのでした。
これもありだな。

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こちらは「ハマの番長」

横浜DeNAを5年間率いてきた三浦監督も今年で退任。
大洋ホエールズ時代からずっと横浜ファンなので、横浜ひとすじを貫いてくれた三浦大輔はとても親しくも得難い存在だった。
きしくも同じ奈良県出身の高市総理大臣が誕生した今日、橿原市にゆかりがあるのも共通しているふたり。
でも高市総理は熱烈な阪神ファンなんだよね。
三浦はFA宣言のとき、阪神から熱烈コールを受けたけれど、横浜一筋を選んだ。

音楽には関係ないけれど、横浜つながりで「ハマの番長ありがとう」で締めてみました。

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2025年10月13日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 マルッキ指揮

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急に涼しくなった土曜日のサントリーホール。

もう半袖ではとうてい無理で、ジャケットを羽織って向かいました。

2週間前にここでマタイを聴いたときは、まだ暑いと言っていたのに季節は急速に秋に向かいました。

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    東京交響楽団 第735回 定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調 op.68 「田園」

 ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」

   スザンナ・マルッキ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:景山 昌太朗

        (2025.10.11 @サントリーホール)

まったく性格のことなる二つの作品によるプログラムだが、案外と多いこの2曲によるコンサート。
古い自分には、かつて晩年のマルケヴィッチが日本フィルに来たときにやったように記憶している。

マタイ受難曲から田園までは81年、田園からハルサイまでは105年、バッハからストラヴィンスキーまで200年の年月の隔たりのある音楽を、2週間のうちに同じオケ同じ席で聴く妙味。
ハルサイは100年前の音楽なんだな、とも今更ながらに思った。
演奏するオーケストラのみなさんは、まさにプロだなと感心しつつ、いまも変化しつつある西洋音楽の流れを思ったものでして、未来にいまのゲンダイの音楽はどう聴かれるのか・・・などとも思いましたね。

さて、フィンランドの指揮者マルッキは、長く務めたヘルシンキフィルの名誉指揮者となっており、いっときは次のニューヨークフィルの指揮者とも言われた実力派。
自国ものと、近現代音楽に強みを持つ彼女の指揮は、おもに海外のネット配信で多く聴いてきたが、ヘルシンキとのシベリウスもさることながら「グレの歌」での濃密な大作を明快に聴かせる手腕に感心をしていました。

シベリウスの1番あたりを聴きたい気もなくはなかったが、「田園」の出だしを聴いた途端に、北欧の風を感じたのです。
一瞬、音と響きが薄く感じられ清冽な風が吹いたようにも思ったが、それが徐々に瑞々しくなり、弦楽のしなやかな美しさにステキな管楽器が唱和する、えもいわれぬ幸福感を1楽章、2楽章で味わうこととなりました。
ベーレンライター版を重視し、セカセカしてしまう田園でなく、昔から聞き馴染んできた僕らの田園がここにあった。
リズム感抜群の3楽章、ティンパニのハリのいい強打がアクセントとなった4楽章、そして誰しもを安堵させ、幸せにしてしまう感動的な終楽章。
東響のみなさんも、ほんと気持ちよさそうに演奏してた。
45分をかけた真摯で丁寧な田園、こんな田園を聴きたかった。
最後の音が鳴り終わったあとのしばしの間もありがたかった。

気分よくロビーにでると、ここは北欧か、欧米か・・・
フィンランド大使館が後援についてることもあり、背の高いいかにも北欧の方風の人が多くいらっしゃいました。

ノット監督のもと、築き上げられてきた東響の鉄壁のアンサンブルと技量に感じ入ることのできた「春の祭典」
存外に冷静沈着に始まり、その流れで淡々と進行した春の兆しは、スピード感よりは的確で確実な音楽の歩みのなかにあった。
マルッキさんの拍子は完璧で、うしろからも素人の自分がみていてもとても判然とわかりやすく、ノット監督の指揮に慣れた東響とすれば、まさにやすやすと着いていきやすい指揮だったろう。
第1部は総じて安全運転のように感じつつも要所要所で切れ味の良さと、立ち上がりの良さ、音楽の変わり身をずばりと決めてゆく心地よさがあった。
マルッキさんの躍動する指揮にあわせて、腰のあたりのお洒落なスカーフが舞い踊るのも実にステキだった

第2部での神秘感あふれる序奏とヴィオラの重奏、アルトフルートの妙技など、こんなに真剣に聴いた自分もありましたが、これらのか所に美しさを見出すことができたのも精度の高い今宵の演奏あってのもの。
そして来ました、11連打!
ここから猛然とアクセル全開、ものすごいスピード感と音圧、オケも夢中、われわれ聴き手も夢中になってしまうマルッキハルサイ。
ホルン陣のベルアップを見るだけでも興奮のワタクシ。
基本、マルッキさんの指揮棒を見つつも、オケの皆さんをそれぞれにみまわし、忙しいよ自分。
スピード感と緊張感を保ったまま生贄の踊りに突入。
巨大なうねりが何度も襲い来る、息つく間もないドラマテックな展開に熱狂の渦を巧みに作り上げる指揮者の実力とオケの力量。
最後の一音の前の一瞬の間も実に見事。
最終音のあとのホールの余韻も含めて完璧だった。

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カーテンコールでは、マルッキさんを盛大な拍手で呼び出し、にこやかにお応えでした。

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実力派指揮者マルッキ、来シーズンは都響に客演して、得意中の得意曲「青髭公の城」をやります。

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1週間後には、こんどはハマのブルックナー。

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2025年10月10日 (金)

バッハ カンタータ第51番、第199番 ドゥヴィエル

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今年の彼岸花は、例年より遅く開花し、ちょっと涼しくもなったものだから長く咲いていたように思います。

ちょっと田舎暮らしなので、少し車を走らせると、畑や田のあぜ道にきれいに整列して咲いてたりして、赤と緑のグラデーションがきれいなのでありました。

ようやく秋。

ノットのマタイから2週間後、はやくも次の東響定期の日がやってきますが、プログラムは「田園」と「ハルサイ」ということで、マタイの耳からいきなりギアチェンジしなくてはならなくて・・・
その前に、バッハの教会カンタータを聴いときます。

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  バッハ カンタータ「全地よ,神に向かいて歓呼せよ」BVW51

      カンタータ「わが心は血の海に漂う」BWV199

           S:ザビーネ・ドゥヴィエル

  ラファエル・ピション指揮 ピグマリオン

       (2020.12 @聖霊教会、パリ)

バッハの教会カンタータのソプラノのための作品の代表作のふたつ。

51番は、三位一体節後第15日曜日(またはすべての機会)=1730年9月17日初演。
199番は、三位一体節後第11日曜日=1713年8月27日初演、1723年再演。
それぞれの礼拝のために書かれたカンタータで、199番は1911年に発見された.

トランペットの華やかなソロもあり、さらにソプラノにもコロラトゥーラの高度な技量も求められる華やかさとともに、清涼な祈りのアリアも持つ明るいカンタータが51番。

一方、おっかないタイトルを持つ199番は、オーボエのソロが活躍し、それはソロに寄り添うように、沈痛であったり最後には喜ばしくあったりととても雰囲気豊かで、人間の篤い信仰心を描いたカンタータです。
ちなみにこのタイトルは義の人イエスに対し、苦悩するわれ(自分)の心情のこと。

アレルヤで締められる神への賛美の51番、同じ賛美でも悲しみと苦悩を経て、感謝へとつながる191番。
トランペットとオーボエという楽器の選択の違いでも、その性格の違いがよくわかる2曲でありました。

こうした作品のふたつをメインにすえ、ヘンデルのブロッケス受難曲、ジュリアスシーザーからのアリアも配したCD。
バッハとヘンデルの音楽の違いも明らかになる。
いま大活躍のフランスのソプラノ、ドゥヴィエルの清らかでありつつ、軽やかで無垢なる歌声がすばらしく、さながら天使のようだ。
透明感もあふれるその声は、バッハの宗教的な作品にその清潔感がぴたりとはまり、それはヘンデルのある意味、人間味あふれる音楽にも混じりけがなく心地よくはまってます。
ご亭主のピションは、オペラ指揮者としてもモーツァルトを中心に目覚ましい活躍を見せてます。
学究肌のピションは、多面的な研究のもと、斬新な解釈をみせるものの、その音楽が四角四面にならずに、ともかく明るく爽やかなところがよい。
ここでも古楽器がいにしえの鄙びた響きでなく、いまここにある現実のものとしてナチュラルに聴かれるところが新鮮だ。

かつて聴き親しんだリヒターの一連のバッハとは、また違う次元、さらにはアーノンクールやヘルヴェッヘ、ガーディナー、鈴木などともまた異なる清涼感もあるラテンテイストのバッハが、とても気にいってます。
同じことがドゥヴィエルの歌唱にもいえて、手持ちのシュターダー、マティス、ポップともまた異なるバッハとして心地よく聴きました。

 「ドゥヴィエルヌ モーツァルト歌曲とアリア」

「ルチア・ポップ カンタータ第51番」

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2025年10月 1日 (水)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮 マタイ受難曲

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サントリーホールのお隣にある霊南坂教会のステンドグラス。

待ちに待った、ノットと東京交響楽団の「マタイ受難曲」

開演に先立ち、教会に立ち寄りました。

次の日、日曜の礼拝にそなえてオルガンを練習する音色も聴かれまして、おそらくバッハのコラールでしょうか

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  東京交響楽団 第734回 定期演奏会

       バッハ マタイ受難曲 BWV244

    エヴァンゲリスト:ヴェルナー・ギューラ
    イエス:ミヒャエル・ナジ
    ソプラノ:カタリナ・コンラディ
    メゾ・ソプラノ:アンナ・ルチア・リヒター
    テノール:櫻田 亮
    バリトン:萩原 潤
    バス  :加藤 宏隆

  ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
              東響コーラス
              東京少年少女合唱団

      合唱指揮:三浦 洋史
      ヴィオラ・ダ・ガンバ:福澤 宏
      児童合唱指揮:長谷川 久恵
      コンサートマスターⅠ:小林 壱成
      コンサートマスターⅡ:景山 昌太朗

        (2025.9.27 @サントリーホール)    

コンサートホールでのマタイ受難曲。
まさにコンサートスタイルでの現代楽器による演奏スタイルとしては最高峰に位する名演奏でした。
あらゆる演奏スタイルを受容するバッハの音楽、そのどれもがまさにバッハであり、バッハの音楽の懐の深さたる由縁であります。
クラシック聴き始めのころ、ジャック・ルーシェなどのジャズの領域におけるバッハ演奏に、ものすごく反発を覚えた自分です。
しかし、いまやそんなことは乗り越えて、正式にバッハを演奏するにしても、その奏法はあらゆる方法があり、そのどれもがバッハなのであります。

サイモン・ラトルばりに、古楽奏法を意識したスピーディかつ切り詰めた表現をするかと思った。
しかし、そんな予想はまりきり外れ、このサントリーホールでの指揮が自身初のマタイとのノットのすごさを今回も思い知るところろなった。

ふたつのオーケストラを左右に配し、総勢は50名ほど。
合唱は東響コーラスがフルスペックで100名以上に、少年少女合唱団。
ここからしてすでに予想は外れ、ソリストと、いつものにこやかなノットの登場するところとなった。

そして全霊を込めた指揮に導かれて鳴りだした音楽は、ヴィブラートをほぼ抑えながらも、じつに豊かで壮麗なもので、そのテンポ感もゆったりめだった。
この予想外の展開に、一瞬そうきたか、と思ったものの、数秒でもう涙腺を刺激されてしまうほどに真実の響きがあった。
いつもの暗譜での東響コーラスも切実なる歌を聴かせて、さらに加わる清澄な少年少女合唱団にも心動かされた。
 このあといくつもあるコラールは、客観性を持たせつつも、その前後の局面でのイエスの置かれた状況への感情移入を絶妙に変えてみせたように、多面的な表現もプラスされていたと思う。
ただ多くの方が感じたかもしれないが、人数がちょっと多すぎて、コラールでは音の輪郭や核心がぼやけてしまったかもしれない。
あと、子音のアクセントが効きすぎて聴こえたことも指摘しておきたい。
でも、この人数での合唱は、コラール以外の群衆の集団や心理などで、実に有効だったし、そのあたりがノットの狙いでもあったものと思う。

私は聴きながら、何度も涙ぐみ、感動のあまりに心が揺さぶられ、手も組み合わせつつ聴き進んだが、この演奏はリヒターのあの峻厳な演奏を現代によみがえらせ、もっと柔和に血の通った人間ドラマにしたものではないかとも思った。
第1部の最後の合唱における優しい響きはいかばかりだったろうか。
第2部に入ると、ノットの指揮の集中度はさらに高まりつつ、東響のソリストたちの素晴らしさも手伝い、音楽の美しさを掘り下げるようで、アリアの数々は本当に美しくてどこまでも続いて欲しいとその都度思うのだった。
さらに劇性も増してゆくかと思い、「バラバ!」「十字架に!」の群衆の叫びをさぞかし・・・と待ち受けていたら、そんなでもなかった。
そこが突出することを避けたのか、全体のなかのバランスとしての経過点に過ぎず、その後のコラールの静謐さとソプラノのアリアの虚無的なまでの無常観、メゾのアリアの淡々とした悲しみ、このあたりへの対比が実に素晴らしく、ここでもワタクシは涙ひとすじ・・・
「安らかに、おやすみください」の最後の合唱。
3時間以上の受難曲の終わりを飾る慰めと無常に満ちたこの音楽に、合唱もオーケストラもソロたちまでもが一体となってノットの神々しいまでの指揮のもとに応えておりました。
音楽が終わっても、会場は静寂のまま・・・・
最初は拍手することすらできなかった私、涙をぬぐって満場の喝采に参加しました。

Matthaus-02

実績ゆたかなウェルナー・ギューラの福音史家、初めて聴くとおもったらそんなことはない、手持ちの音源を調べたらいろんなところに名前が出ていた。
知的かつ繊細な歌いまわしは、客観性もあってイエスの受難の物語の語り部としてふさわしい風格と気品もあった。

イエスを歌ったミヒャエル・ナジ、夏にはバイロイトの新演出マイスタージンガーで、印象的なベックメッサーを歌い演じたばかり。
芳醇な声と明晰さ、そして力強いバスバリトンの声も、ここではホールに響き渡らせてくれた。
多くの聴き手が、ナジの声には驚いたはずで、2部では登場も少なかったので、アリアなども出来れば聴きたいと思ったことだろう。
この先、オランダ人やウォータンとしても活躍すると思う。

コンラディのリリカルだけれど、言葉のひとつひとつが明快で、その澄んだ声と明瞭な言葉がほんとに心地がよかった。
その無垢なる声で歌われるソプラノのアリアの数々、ほんとに素敵だった。
彼女もバイロイトで歌っていてリングの第一声を飾るウォークリンデ役だ。

マタイ受難曲の歌手たちの肝ともいえるメゾのルチア・リヒター。
彼女は、ほんとに素晴らしかった。
バッハの音楽への共感にあふれた没頭感が、その姿と歌声ににじみ出ていて、情感を真摯に言葉に載せるナチュラルさも特筆すべき歌唱だった。
そう、「Erbarme dich」では、小林コンマスの美音のソロも手伝い、あまりの正鵠を射る歌に、この日、最大の落涙をしたのでした。
最後の合唱で、折り番となったコンラディとリヒター、合唱と一緒に感動とともに歌っていたのが印象的だった。

実績ある日本人歌手3人も負けじと素晴らしかった。
テノールの櫻田さん、甘い声でもあり、その優しい歌声がよかった。
数々の舞台で接してきたバリトンの萩原さん、ドイツ語も明快でイエスの死後の晴朗なアリアなどは効きごたえ十分。
ピラトも歌ったバスの加藤さんの深みのある声も魅力的で、わたしのイエスを返せでは景山さんのヴァイオリンソロも素敵で、渋い光沢のある声が光りました。

最後に最大級に讃えたい東響の皆さんのソロ。
竹山愛さんのほれぼれするほどのフルート、篠崎さんとの二重奏も素敵だった
そしてオーボエ・ダカッチャの最上さん、オーボエの荒さんの抜群のコンビネーション。
通奏低音で大活躍のチェロの伊藤さん、こんなに大変なんだと見て聴いて感心。
福澤さんのヴィオラ・ダ・ガンバの古雅な響きに切なさまで感じてしまった。
ふたりのコンマスの美音も先にふれたとおり。

Matthaus-03

このようにバッハの音楽には、ひとりとして脇役はおらず、全員がバッハの音楽に奉仕するように作曲されていると思う。
その印象は、ノットの自主性を引きだす自在な指揮によるところも大きかった。

Matthaus-04

あまりの感動の大きさに、忙しさもありましたが、しばらくは音楽が聴けない状態にあります。

偉大なり、バッハ、マタイ受難曲

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