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2025年10月21日 (火)

神奈川フィルハーモニー 定期演奏会 沼尻指揮 ブルックナー8番

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この日のみなとみらいは、秋はどこいったかと思わせるような陽気。

ブルックナーの8番、一曲のプログラム

昨年暮れから、8番は3度目で、うち2回は初稿版による演奏で、今回は一般的なノヴァーク版2稿。

満員のみなとみらいホール、開演前に沼尻マエストロから、プレトーク。

終わりの方しか聴けなかったが、マイクが林立していて、今夜の演奏はCD化されると発表。
ゆえに携帯とかチラシ落としなどにご注意を、また昨今話題のフライングブラーボーも、ご自身の証として残したいと思っても、そこはいまはちゃんと消せるし、最後の「ミレド」はちゃんとゲネプロで収録しているので安心してください、とユーモアたっぷりに語りました。
これを抑止力としてか、最後の音が消えても、しばらくホールは静寂につつまれ、ほんとうに至福の瞬間を味わうことができたのでした。

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 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会 シリーズ第408回

  ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調 (ノヴァーク版第2稿)

    沼尻 竜典 指揮  神奈川フィルハーモニー管弦楽団


      コンサートマスター:石田 泰尚

          (2025.10.18 @みなとみらいホール)

8番を聴くとなると、レコード時代から、いまでもCDでも、特にライブでは、ほんとに真剣に構えるようにして聴き入る自分。
それだけ聴き手に緊張と集中を強いるブルックナーの最高傑作であり、交響曲としても最高峰に位置する作品であります。

ですが、そんな肩ひじはって聴かなくても・・・と思わせてくれるくらいに自然でさりげなく始まり展開した1楽章。
自分でかける呪縛が馬鹿らしく思えるほどにカジュアルな演奏とも思った。
すんなり、すいすいと進行し、タメや思い入れはなし、自分がよく聴いてきたブル8と一線を画した演奏に、正直とまどいましたね。
その印象のまま2楽章になり、野人どころか、スマートな「ハマのブルックナー」じゃん、と思うようになった。
だから、トリオの部分はとても美しく夢見るような印象を与えた。
ここまで、オーケストラの精度は完璧で、金管やホルン・ワーグナーチューバのセクションも明るく、でもソフトですらあった。

後半の長大なふたつの楽章。
基本の印象は、前半のままに、しかし3楽章の弦楽器主体に重きを置いたかのような演奏に、神奈川フィルの石田組長率いる弦楽セクションの繊細かつ美音の連続に、それはもう恍惚とするような感動を味わったのです。
ここで歌わせる指揮者、沼尻の意図もあり、弦も木管も、素敵すぎたホルンも、みんな気持ちよくブルックナーの音楽に心を合わせて奏でている。
テンポは速めだが、まんべんなく歌うので、停滞感なくその速さを感じない。
なんてブルックナーの音楽は美しいんだろ、聴いてて何度も何度も思った。
徐々に高まりゆく感興も自然体で、ずっと譜面の奥に頭だけが見えていたふたりの打楽器奏者がすっと立ち上がり、そして来ましたよ、あの頂点。
痺れるような感動というよりも、自然のながれで達した頂きに、さわやかで清らかな感動を味わいました。
その後の美しいコーダに清涼感を感じるのもこの日の沼尻&かなフィルの演奏ならではだった。

終楽章の勇壮なファンファーレも明るく、そしてフレッシュだ。
ホルンとワーグナーチューバの若いメンバーたち、ともかくうまいし、その輝かしい音色が心地よい。
ワタシの大好きなフルートに始まる木管の爽やかなパッセージも素敵だったが、実はもっとじんわりとやって欲しかった思いもある。
ともかく、この演奏は、こちらがこの作品に思い込んでるものをスルーして違う方向から見せてしまうような印象が随所にあったのだ。
ヨーロッパの山々や教会の尖塔、これらを思わせるブルックナーのイメージはここではない。
スマートかつしなやかな都会的なブルックナーの演奏。
でも神奈川県には海と丹沢山麓がある、それらを遠くに見渡す都会、そんな演奏といったら笑われるかもしれない。
随所にパワーを解放するような強奏はあるけれど、オペラの手練れである指揮者は巧みに最終の巨大なコーダへと導く。
すべてを収斂するかのような明るく輝かしい結末に感じた。
そして最後のミ・レ・ドを思いを込めてじっくりと奏し、曲を閉じると、長い静寂にホールは包まれました。

プレトークの抑止力が効いたのか、われわれは素晴らしい聴衆となりました。
鳴りやまぬ拍手に応え、最後は沼尻さん、石田コンマスを引き連れてカーテンコールににこやかに応じておりました。

幸せな気分にさせてくれた演奏。
ヴァントやハイティンクなどの実演で聴いてきたこの8番、次元の異なる演奏を展開してみせたある意味大胆さ。
どこのオーケストラも同じように巧くなり、個性も均一化するなか、みなとみらいホールで育まれてきた神奈川フィルはユニークな音色と響きを持つ存在だと思います。
薄味ながら、わたくしは、こんな和風テイストの「ハマのワーグナー」もいいじゃんよ、と思ったのでした。
これもありだな。

Miura

こちらは「ハマの番長」

横浜DeNAを5年間率いてきた三浦監督も今年で退任。
大洋ホエールズ時代からずっと横浜ファンなので、横浜ひとすじを貫いてくれた三浦大輔はとても親しくも得難い存在だった。
きしくも同じ奈良県出身の高市総理大臣が誕生した今日、橿原市にゆかりがあるのも共通しているふたり。
でも高市総理は熱烈な阪神ファンなんだよね。
三浦はFA宣言のとき、阪神から熱烈コールを受けたけれど、横浜一筋を選んだ。

音楽には関係ないけれど、横浜つながりで「ハマの番長ありがとう」で締めてみました。

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コメント

沼尻さんと神奈川フィル、ほんとイイ関係ですね。マラ7やブル5の時も思ったのですが、このオーケストラ本来の繊細で色彩的な響きを残しつつ重量感が加わってきて、さらに深化しているところがいい!組長以下、弦のソノリティも素晴らしかったし、坂東さんや江川さんの管楽器も素晴らしかった。
ノット=東響の第1稿と今回の第2稿の名演、上京の価値がありました。2月のレスピーギや、再来年のマラ3も楽しみです。
追記 ベイスターズ、残念でした。アンチ阪神なので悔しい!

投稿: IANIS | 2025年10月24日 (金) 10時51分

yokochanさま、IANISさま

確かにスマートなハマのブルックナーという感じでしたが、恐縮ながら、小生は「う~ん・・・」という思いを禁じ得ませんでした(心が狭量でスイマセン)。サクサクと進む、流れのよい、現代的なブルックナーになんかグッとくるところがないなぁ、昨年4月の5番の方がよかったなぁ、と不満を感じている自分がいました。

そのような不満をもたらしたものは何か、何が欠けていたのか、その感覚が朝比奈隆さんの演奏で育った小生の20世紀的な価値観によることは明らかですが、指揮者と団員の間の音楽的な情報格差がなくなり、かつてのようなカリスマ的存在の指揮者が団員を絶対的に統治する指揮スタイルがなくなりつつある中で、失われてしまったものがあるのかも。とするなら、小生の不満はもはや「ないものねだり」なのかもしれません。

ブルックナーの作曲技法はきわめて素人っぽく、ワンパターン。でも、なぜか神がかり的な名演が生まれるのがこの作曲家の不思議なところで、指揮者に対するもっとも辛辣な批評家であるオケの団員が、感動のあまり涙があふれ、楽譜が読めなくて困った、と述懐する演奏、マタチッチ&N響しかり、スクロヴァチェフスキ&読響しかり、なぜかブルックナー8番がそのような名演を生んでいるように思うのですが、もうあのような感動は手に入れられないのかもしれません。個人的には、朝比奈隆時代の大フィルで学んだ下野竜也さんあたりに期待したいところですが。

話は変わりますが、昨日、神奈川フィルのミューザ川崎シリーズに行ってきました。ホールの響きの違いもあるのでしょうが、小泉和裕さんのシンプルな腕の動きから生まれるベートーヴェン(コリオラン、1番、5番)、運命は割と速めのテンポでしたが、オケの豊かで瑞々しい響きが素晴らしかったです。来季のミューザ川崎シリーズは更新を見送ったのですが、ちょっと後悔しています。

急に寒くなりました。寒暖差で体調を崩されませんように。小田原市民としては、箱根山から熊が下りてくることを恐れながら過ごす今日この頃です(冗談です・・・笑)。

投稿: KEN | 2025年10月27日 (月) 07時18分

IANISさん、まいどです。
先般はお疲れ様でした、音楽の余韻に浸ることの難しい土曜午後の観光地の喧騒ではありましたね。
ユニークなブルックナーが神奈川フィルで聴けてなによりの至福でした。
1稿と2稿を1年のうちに両方聴けた喜びも同じくです。
沼尻と神奈川フィルのコンビは、もっとオペラをやって、以前のようにピットに始終入るようになるともっと緊密な関係になれると思います。
ローマ三部作+ワンも手当済みですので私も楽しみです。
阪神は悔しいほどに強いですな!

投稿: yokochan | 2025年10月28日 (火) 10時18分

KENさん、コメント返信遅くなってしまいました。
ご指摘のこと、よーーくわかります。
最初はすんなりしすぎて、ふがいなく思いましたが、曲の進行とともに、この壮快な演奏に耳が鳴れていきました。
ブルックナーに限らず、昨今の音楽界の流れは軽めなスタイルの方向に流れているように感じてます。
 それは聴く我々の側もそうかもしれず、激増しているコンサートの数、簡単に入手できる音源の数々など、1枚1枚のレコードを慈しみながらすり減るように聴いた自分が別世界の住人のように思い起こせます。
 指揮者とオーケストラの関係も変貌しましたね。
しかし、シュナイトさんが指揮した神奈川フィルは、楽員さんも厳しく容赦ない指揮者に緊張していて、コンサートでの集中力と打込み方が手に取るようにわかる演奏ばかりでした。
シュナイトのブルックナーも8番はじめ、いくつかやったはずですが、それは聴き逃してます。
本当言うと、あの頃の神奈川フィルがいちばんだったと思っているのです。

さて、寒いです。
本日は、わが街の町制施行90年のイベントがいくつかあり、自宅の前で花火大会もあり、おおいに気勢があがりました。
神奈川も、熊の出没情報が南下していて、秦野や松田でも情報があったようです。
冬眠を迎えても、春の目覚めの季節も怖いですね。
熊が怖くて、外人さんもあまり来なくなるといいんですが。。。

投稿: yokochan | 2025年11月 3日 (月) 23時05分

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