バッハ カンタータ第51番、第199番 ドゥヴィエル

今年の彼岸花は、例年より遅く開花し、ちょっと涼しくもなったものだから長く咲いていたように思います。
ちょっと田舎暮らしなので、少し車を走らせると、畑や田のあぜ道にきれいに整列して咲いてたりして、赤と緑のグラデーションがきれいなのでありました。
ようやく秋。
ノットのマタイから2週間後、はやくも次の東響定期の日がやってきますが、プログラムは「田園」と「ハルサイ」ということで、マタイの耳からいきなりギアチェンジしなくてはならなくて・・・
その前に、バッハの教会カンタータを聴いときます。
バッハ カンタータ「全地よ,神に向かいて歓呼せよ」BVW51
カンタータ「わが心は血の海に漂う」BWV199
S:ザビーネ・ドゥヴィエル
ラファエル・ピション指揮 ピグマリオン
(2020.12 @聖霊教会、パリ)
バッハの教会カンタータのソプラノのための作品の代表作のふたつ。
51番は、三位一体節後第15日曜日(またはすべての機会)=1730年9月17日初演。
199番は、三位一体節後第11日曜日=1713年8月27日初演、1723年再演。
それぞれの礼拝のために書かれたカンタータで、199番は1911年に発見された.
トランペットの華やかなソロもあり、さらにソプラノにもコロラトゥーラの高度な技量も求められる華やかさとともに、清涼な祈りのアリアも持つ明るいカンタータが51番。
一方、おっかないタイトルを持つ199番は、オーボエのソロが活躍し、それはソロに寄り添うように、沈痛であったり最後には喜ばしくあったりととても雰囲気豊かで、人間の篤い信仰心を描いたカンタータです。
ちなみにこのタイトルは義の人イエスに対し、苦悩するわれ(自分)の心情のこと。
アレルヤで締められる神への賛美の51番、同じ賛美でも悲しみと苦悩を経て、感謝へとつながる191番。
トランペットとオーボエという楽器の選択の違いでも、その性格の違いがよくわかる2曲でありました。
こうした作品のふたつをメインにすえ、ヘンデルのブロッケス受難曲、ジュリアスシーザーからのアリアも配したCD。
バッハとヘンデルの音楽の違いも明らかになる。
いま大活躍のフランスのソプラノ、ドゥヴィエルの清らかでありつつ、軽やかで無垢なる歌声がすばらしく、さながら天使のようだ。
透明感もあふれるその声は、バッハの宗教的な作品にその清潔感がぴたりとはまり、それはヘンデルのある意味、人間味あふれる音楽にも混じりけがなく心地よくはまってます。
ご亭主のピションは、オペラ指揮者としてもモーツァルトを中心に目覚ましい活躍を見せてます。
学究肌のピションは、多面的な研究のもと、斬新な解釈をみせるものの、その音楽が四角四面にならずに、ともかく明るく爽やかなところがよい。
ここでも古楽器がいにしえの鄙びた響きでなく、いまここにある現実のものとしてナチュラルに聴かれるところが新鮮だ。
かつて聴き親しんだリヒターの一連のバッハとは、また違う次元、さらにはアーノンクールやヘルヴェッヘ、ガーディナー、鈴木などともまた異なる清涼感もあるラテンテイストのバッハが、とても気にいってます。
同じことがドゥヴィエルの歌唱にもいえて、手持ちのシュターダー、マティス、ポップともまた異なるバッハとして心地よく聴きました。
「ドゥヴィエルヌ モーツァルト歌曲とアリア」
「ルチア・ポップ カンタータ第51番」
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