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2025年11月24日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮 マーラー 第9

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18時開演の演奏会、家を出るときはまだ明るいけれど、17時前にはもう暗い。

街はイルミネーションが灯り、クリスマスシーズンの到来を告げてます。

そんななか、ジョナサン・ノット音楽監督最後の東響定期演奏会でした。

万感迫る思いをいだきつつホールの前に立つわたくし。

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   東京交響楽団 第736回 定期演奏会

       武満 徹  セレモニアル~秋の頌歌

       笙:宮田 まゆみ

  マーラー  交響曲第9番 ニ長調

    ジョナサン・ノット指揮  東京交響楽団

      コンサートマスター:小林 壱成

        (2025.11.22 @サントリーホール)

2014年4月、ジョナサン・ノットが東京交響楽団の音楽監督となったときの就任記念演奏会のプログラムが、今宵の2曲。
音楽監督の任期最後のシーズンの自身の最終定期演奏会のプログラムにも選ばれ、終わりは始まりともいえる見事な円環の完結をなす生涯忘れえぬほどの感銘をもたらす一夜となったのです。

武満作品のセレモニアルは、案外と多く聴いていて、98年と07年にプレヴィンとN響、そして06年にノットとバンベルク響で聴いている。
もちろん、それらのときもすべて宮田まゆみさんの笙でした。
バンベルクのときのプログラムは、セレモニアルに次いで「未完成」で遅めに30分かけた演奏。
後半はベートーヴェン7番で爆発的な演奏、ということで静と動を際立たせたプログラムであり演奏でったと記憶する(ブログあり)
アンコールがリゲティのルーマニア協奏曲という、これまたノットらしい刺激的なコンサートだった。

典礼楽とも呼ぶべき静謐な空間の支配する音楽、セレモニアル。
笙はオーケストラと並ばずに、P席の最上段で演奏し、左右・後方と三方にフルートとオーボエを対にしたペアを配置。
まさに、こだまのように音がどこからともなく響き合う様は空間の音楽でもあり、それはまさに日本のいま去り行く秋を思わせるもの。
宮田さんを聴く4度目、日本人だからわかるわれわれ体内にある音、それが10分間だけれども精妙極まりないノットと東響の響きとともに、とても心地よく聴いたのです。

休憩を入れずに、楽員の補充の間を置いて、ほどなくマーラー。

この日のために、「大地の歌」を何度も聴き、そのあと手持ちの「第9」も連日聴いてきた。
いままさに血肉と化したこの大作、いよいよ始まると思うと緊張でがんじがらめとなり、どこもかしこも聴き知ったように聴きつつも、最初から最後まで一音も逃すまいと体もこわばりカチンコチンだった。

ノットが事前に曲目解説を動画にて行っていて、そこで語っていた「あらゆる感情が表出、共有されています」。
まさにその言葉通り、この第9には、自身のこれまでの作品やほかの偉大な作品などからの引用もあったりで、それらがそうとわからなように、緻密なモザイクのように組み込まれ編まれているが、ノットの演奏はそれらを意識して聴くことで、それらがとても意味を持って奏されているように感じる。
実際に聴いたあとに、ネット配信されたミューザの演奏も何度も聴くことでそのように思うようになった。
ただ指揮者の思いや狙いがオーケストラにさらに如実に反映されるまで、あと何度かやったらと、。。願わぬ思いも抱いたりもしている。

 穏やかに始まる1楽章から美しさの極みだった。
ゆったりめのテンポで終始した1楽章は、その後のふたつの楽章との対比のうえでも効果的。
事前に何度も聴きまくっていたので、序奏から即刻うるうる、第2ヴァイオリンの第1主題でもはや涙ぐむという始末。
しかし、その後はもうそんな緩徐移入はなく、冷静にこの壮麗ともとれる1楽章を聴くことができた。
武満の世界から続く虚空感はここにも感じ、ウェーベルンの音楽も夢想することができた。
終楽章とともに、沈着に聴くことが望ましいと感じた次第だ。

レントラーの2楽章、ノット監督のリズム感の良さの光る演奏で揺れ動くグロテスク感も巧みに表出されていて、この奇矯なる舞踏の音楽をかくも面白く、そして眼前で展開する奏者と指揮姿の視覚的な要素も加わりともかく楽しんだ楽章。

快速で飛ばしまくった3楽章ロンド・ブルレスケの疾走感は、まさにノットならではで、東響もピタリと一糸乱れずについて行く。
飛ばしながらもあらゆるものがポンポン出てくるこの楽章をここまで明確に捉えることが出来たのも目視できるライブゆえかもしれないが、指揮者とオケの緊密さゆえだろう。
中間部のニ長調の抒情と平安のか所は、それはもう美しくも神々しく感じられたが、それは終末でないというこの演奏の在り方の先駆けだったのだろうか。
そんなこんなで熱狂と挑戦ともいえる楽章の終わりはアクセル全開、オケも聴衆も夢中だった。

ほんの少しの間で、サクっと始めたアダージョ4楽章。
ここへきて、もうダメだ、ヴァイオリンの主題が万感の調べを奏するとき涙腺が決壊しそうだった。
ここでもともかく美しく、音楽は慟哭することなく沈着に演奏することで、その持つ意味合いが自然と浮かび上がってくるという、そんな感じだった。
弦楽器主体に何度も繰り返される変奏曲的な仕組みが、その繰り返しとともに知らないうちに、さりげない別れへと誘われてゆく、そんな儚い旅路をこの楽章を通じて、そしてひるがえって1楽章の冒頭に遡るかのように始まりをも期待させるような演奏。
122小節目の弦による強く引き伸ばされるシーン、ノット監督のうなり声もマックスに。
その後の「控えめ・・・」という書き込みの通りに、そこから始まる静寂の描き方、会場も緊張が張り詰め、だれしも身じろぎできず固唾をのむ。
自分の育った家から見える夕焼けシーンと沈みゆく太陽のわずかな光、それが消えてゆく残像をいつも思いながら聴く。
そんな思いがピタリとあてはまる幽玄なるラストシーンだった。

指揮者も奏者もみんな止まった、聴衆も動けない、時間も停止したように感じられ、もうこのままでいいやとも思った。

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いくつかの瑕疵もあったものの、そんなことはもうどうでもいい。
東響のこの演奏にかける感情が随所に見て取れ、指揮者を見る眼差しの真剣さと刹那感も感じ取れた。
首席奏者たちのあまりに素晴らしいソロの数々は、ここではいちいち触れません。
まだ完成形でない、この先ももしかしたらもっと違う世界があるとも思わせる指揮者とオーケストラの関係。
それが別れの美しい姿ではないかとも思った。

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マーラーの第9への畏怖の思いを抱いて半世紀。
1970年のバーンスタインとニューヨークフィルの来日公演でこの作品が取り上げられ、真夏での真っ白いタキシード姿での演奏シーンをレコ芸で見てから、そして吉田秀和さんの論評を読んだ時からずっと気になっていた小学生の自分。
中学生になり、音のカタログで一部、念願の全曲を聴いたのがFM放送。
ずっと特別な作品であり続けた「マーラーの第9」。
いくつもの演奏会も経験したが、忘れえぬバーンスタインとイスラエルフィルの演奏から今年は40年。
その年に、モニュメンタルな感情も加味しても素晴らしい演奏に接することができた。

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ノットと東京交響楽団のコンビに感謝です。

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終演後の盛大なコールには、ありがとう!ノット監督の手ぬぐいを掲げた楽員のみなさんも登場し、会場全員でノット監督を讃えました!

ワタクシもてぬぐい購入しましたよ。

来年は都響に客演しケフェレックとの共演やブルックナーなどが予定されてます。

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コメント

速攻の記事、待ってました!
明けて23日ミューザで体験。余りに凄まじい。確かに澤田トランペットに幾分かの瑕疵はあったものの、それはどうでもいい、ともかく東響が全身全霊を尽くしてノットの指揮に呼応し、とんでもなく熱く楽譜の奥に内包された感情全てを顕現させた第9でした。
まぁ、これを聴いて「自分のマラ9観にそぐわない」と感じ途中で退出した人が数人いましたが、それは個人の価値観の問題でしょう。
管楽器も素晴らしかったけれど、弦、特にアダージョの奏楽はヤンソンス=バイエルン放響の演奏と比肩できる猛烈な演奏でした!とても日本のオーケストラの演奏ではない!!
ノットが振った時にだけ東響が、ヨーロッパのオーケストラに変貌する瞬間は何度かありましたが、今回のマーラーは今まで体験した以上のものでした。
この峻厳で凄絶なマーラーを生み出したノット=東響。きっと2025のベスト・コンサートにはのぼらないでしょう。評論家諸氏のマーラー観や技術的なところを問題として。しかしこの演奏はきっと伝説になる-そう感じています。
ハネた後、15分に及ぶ楽員と聴衆の監督への感謝と感動に満ちたカーテンコールも、日本で行われたそれとは全く異なる、素晴らしいもの。ミューザへのエスカレータを登り切った正面に置いてあるノッティシモの大きな幕をローズブームとディランが上手に掲げたときの爆笑と感激も、ノットと楽員、事務局、ホールスタッフとの人間的関係性が如何に温かくヒューマンなものであったかを知らしめるもの。12年間のオーケストラと聴衆がノットから得たものの大きさと深さを感じさせる一幕でした。

投稿: IANIS | 2025年11月24日 (月) 14時27分

IANISさん、まいどです。
さっそくの心に沁みるコメントありがとうございます。
いつものとおり、サントリーよりもさらに踏み込んだ演奏になったようですね。
退出した人がいた・・・ほんとですか!
いったいどんな考えなんでしょうね。
せっかく全霊を込めた演奏をしているのに・・・
まぁそれだけノットらしい演奏だったともいえるでしょうし、私も含めて持っていた「マラ9観」を再考させてしまうほどに踏み込んだ演奏でもありました。
自分の感じた思いに不安を感じ、気持ちも揺らぎましたが、IANISさんのコメントを拝読し、心励まされ、またあの演奏を思い起こしてジワる感銘に浸っております。

ニコ響も観ましたが、ミューザ民がうらやましく思えるラストカーテンコールです。
サントリーでは、楽員さんも左右から遠巻き感がありましたが、きっとみんなでもっとやろうということになったのでしょう。
世界に稀にみるべきコンビのラストシーンに感動を覚えない人はいないと思います!

マラ9レス、ノットレスで、千人を迎えるのが不安でしょうがないです・・・・

投稿: yokochan | 2025年11月26日 (水) 10時26分

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