マーラー 「大地の歌」 ヨッフム、オーマンディ
急速に深まる秋は冬の気配にはやくも押されつつあります。
いつも行く秦野の丹沢方面も秋色に染まりました。
この前まで暑いと言ってたのに、この配色の景色に落ち着きと、寂しさも感じます。
「第9」の前に「大地の歌」を聴いておきたい。
それも60年代の渋いところで。
ジャケットはオリジナルを借り物しました。
マーラー 交響曲「大地の歌」
A:ナン・メリマン
T:エルンスト・ヘフリガー
オイゲン・ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(1963 @コンセルトヘボウ)
ブルックナーの指揮者との認識の強いヨッフムの唯一のマーラー。
ハイティンクを補佐する感じでコンセルトヘボウをベイヌムのあと引き継いだヨッフム。
DGには当時珍しかったコンセルトヘボウの1963年の録音。
同時期にDGにブルックナーの録音を始め、ハイティンクのマーラーは1番のみがフィリップスに録音されたのみで、ハイティンクのマーラーシリーズは66年から本格始動していた、そんな時間軸です。
なぜに大地の歌だけしかやらなかったのか?なぜにフィリップスじゃなかったのか?
いまとなってはよくわかりませんが、ベームと同じくマーラーは声楽付き作品のみを指揮したところがマーラーをやらなかったヨッフムというところでしょうか。
しかし、マーラーオケでもあるコンセルトヘボウであることもあり、声に傾いた演奏ではなく、立派にマーラーの世紀末臭を漂わせた桂演となぅていて、寂寥感ただよう枯淡の演奏なのでありました。
ヘフリガーの声が立派だが、やや明るすぎて感じ浮いてしまうのは、この作品の難しいところだろう。
しかし、トスカニーニの元で多く歌った伝説級の歌手メリマンのやや古風ともとれる歌唱は、ヨッフムの描き出す侘び寂にも通じるモノトーンのマーラーにぴったりで、淡々としたなかに語り掛けるような歌は後ろ髪ひかれるような思いをいだきます。
60年代ならではのセピア調の演奏、加えてマーラーに同化しすぎない客観性を保った渋い演奏でありました。
しかしコンセルトヘボウならでは、時代性を感じさせる味のあるポルタメントなどが聴かれ、オーケストラに根付くマーラーの伝統を感じる。
バイエルン放送ともやったらどうだったろうか。
ちなみにクーベリックのDGのマーラーは1967年から録音が始まります。
A:リリ・チューカジアン
T:リチャード・ルイス
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
(1966.2.9 @タウンホール、フィラデルフィア)
オーマンディもマーラーと、そしてブルックナーも密接な関係とは言えなかった指揮者かもしれない。
しかし、アメリカで活動をしたオーマンディは、復活交響曲においては演奏とレコーディングのパイオニア的存在でもあった。
なによりも新しいものを積極的に紹介しようとする意欲はオーマンディならでは、第1交響曲は「花の章」付きだったし、10番のクック完成版の初録音もオーマンディだった。
1,2,大地、10番の4作品のみがオーマンディの正規マーラー録音であります。
進取の気象に富んだオーマンディらしいところでありますね。
CD時代になって、CBS時代のものを中心にオーマンディとフィラデルフィアのイメージは、自分的に大きく変わった。
レコードで聴いていた頃は、いわゆる華麗なるフィラデルフィアサウンドといううたい文句が先行して、それが音のイメージとして半ば刷り込こまれ、そんな耳で聞いてたのでキンキンキラキラしてた印象を持っていた。
しかし、CD化されたいくつもの音源を聴いてみて、RCA音源とともに、かなりそのイメージを刷新させられた。
シベリウスやチャイコフスキー、ベートーヴェン、シュトラウス、ラフマニノフ、レスピーギまでもがそうだった。
それは曲のあるがまま、柔軟性に富んだ実直な演奏と感じ、録音もキンキンしたかつての雰囲気とは様変わりして落ち着いた響きに聴こえたのだ。
このマーラーもそう。
各楽器がよく聴こえ鮮明さが行き渡っているのは録音の思いもよらぬ素晴らしさばかりではあるまい。
定評あるヴァイオリンを主体とする弦の美しい鳴らせ方に加え、フィラデルフィアの優秀なブラスも突出せずバランスよく鳴り響く。
全体に思いのほか渋くまとまっていて、テンポ感は速めながら、そんな風には感じさせないし、むしろ淡々としすぎていて、もっと情念が欲しいとも思う。
でもこれがスコアどおりのお手本のような演奏なのだ。
当時、欧米で大活躍の2人の歌手も、歌い過ぎず抑制を保ちながらの歌唱で悪くない。
英国のルイスのテノールは、EMIを始めとするレーベルにかなりの録音があり、バルビローリのゲロンティアスの夢が最高に感動的だった人、
ヒロイックにならないところが好ましかった。
アルメニア系アメリカ人のチューカシアンは録音には恵まれていないが、重なる病魔を克服しながらメットで活躍した大歌手で、そのドラマテックで音域の幅広い豊かな声はなかなか魅力的で、現在の歌手たちの歌に慣れた我々の今の耳でも十分に新鮮だ。
言葉がやや不明瞭であったことは否めない。
でも終楽章での神々しさはオーケストラの絶美な背景を得て素晴らしくも味わい深い歌だった。
ただ、曲の終結はややあっけなく、余韻は少なめか・・・
「告別」のewig ewig。
これが第9交響曲につながる。
ノット監督最後の東響定期演奏会、マーラーの第9を控え、私は来たりくる感動の涙に震えつつある。
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コメント
お晩です。
オーマンデイのマーラー、一応ステレオ録音されているものは全部持ってます(といおうか、彼が録音CBSとRCAの主だった録音はほとんど蒐集)。「アメリカ」で活動したというだけでネグレクトされているのは不公平だ!!セル=クリーヴランドも素晴らしい演奏をしているというのに(シカゴを振ったライナーとショルティもそうです)。
CDでのマーラー、いずれもマーラー・ルネッサンスが始まった頃のオーマンディの録音でしたが、「大地の歌」、yokochan様のおっしゃる通り、決して無視すべきものではありません。それどころか、僕の大好きなBRSOを振ったマゼールやレヴァイン、コリン・デイヴィスより余程感銘深いものでした。
※「大地の歌」って、決定的な録音ないのだよなぁ。
その「大地の歌」を受け、ノットさんの最後のマラ9、今から心して待ちたいと思います(ちなみに、このコンビの就任記念の演奏会も聞いておりますので、12年間の東響の進化もあわせて確認したい!)。
投稿: IANIS | 2025年11月21日 (金) 02時56分
IANISさん、まいどです。
さすが、オーマンディのマーラーに着目していらしたとは!
バーンスタインとは正反対のマーラーが同じCBSで録音されていたこと、セルとクリーヴランドも擁していたこと、当時のアメリカメジャーレーベルの強さを感じます。
大地の歌は、おっしゃるように決定盤はないですね。
歌手も同一なものが多かったりで、どれも一長一短。
アバドの唯一の演奏が正規化されるとよいのですが。
それにしても、いよいよの最後の定期。
両日とも聴きたかったところですが、そうにもいかず。
悲しくなりすぎて、別れたくなくて、ちゃんとしたレビューができるか不安です。
投稿: yokochan | 2025年11月21日 (金) 22時25分
yokochan様
オーマンディのCDのドイツ・オーストリアもの、タワー・レコード様が復刻再発して下さいました、ブルックナーの『第4、5』も所持しております。
このお方の音楽運びは、妙な癖や細工とは無縁のもので、初めて作品に接する盤としては適している…とのイメージが、あるのです。十代の終わりに、『オーマンディ音の饗宴1300』と言う、SOCT規格のLPで手にしたブラームス『交響曲第1番ハ短調』でも、その印象がございます。
約9年ほど以前に没したK・U氏から多大の賛辞を捧げられていた、メンゲルベルクにクレンペラーやクナッパーツブッシュ等の方が、最初に耳にするなかれ…と呟きたくなるような盤揃いじゃないの?と、内心思ったものです(笑)。
ヨッフムの『大地の歌』、この盤はLP時代に日本フォノグラムの廉価レーベルの、フォンタナ・シリーズ(表ジャケットが、日本語書きの独特のデザイン)から、発売されていたような微かな覚えがございますが、今はDGレーベルですか。
御指摘の通り、ベートーヴェン『第9』や『ミサ・ソレムニス』に御参加の、メゾ・ソプラノのナン・メリマン。ヨッフムとの共演では、モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』の、ドラベッラ役もあり、ポリドールのМGX規格のLPで、今も棚にございます。
指揮者の意図する枠組みからはみ出すスタンド・プレー、自己の芸のひけらかしとは無縁の、手堅い演奏を身上となさっていた歌手と、聴いております。お挙げの『大地の歌』のテノール・パートのルイス氏についても、お語りしたくもございますけれどもスペース上の都合、この辺りで失礼を、それでは。
投稿: 覆面吾郎 | 2025年11月24日 (月) 04時52分
覆面吾郎さん、こんにちは。
CBS時代のオーマンディの渋さにも通じる良さ、つくづく思ったこのマーラーでした。
ブルックナーもいいですね、5番はまだですが、4番など曲の良さがしみじみ出てました。
レコード時代の廉価盤は音のイメージが先行してましたが、一方でセルの方の廉価盤は、CD化されてもイメージがあまりかわりませんでした。
またフォンタナの1300円シリーズは、高校時代にお世話になりました。
ベームの第九やモツレクが忽然と出てきたりして驚きましたが、大地の歌はベイヌムの指揮によるものではなかったかと記憶しますし、歌手も同一ですのでややこしいです。
ヨッフムのベルリンフィルとのコジ・ファン・トゥッテは、前から聴いてみたいと思ってるものですが、ドラベラはメリマンなんですね。
指揮者と歌手の関係も、いまと昔ではかなり変わったように思いますし、昨今のスター歌手は、大物指揮者との共演よりは、好きに歌える指揮者ばかりと競演しているように思え、かつてのようなスリル感が失せたようにも思います。
投稿: yokochan | 2025年11月26日 (水) 09時53分
yokochan様
お恥ずかしいポカでしたが、確かに日本フォノグラム社が出しておいででした『大地の歌』は、ベイヌム指揮コンセルトヘボウ管弦楽団でした。ただ、ソリお二人がヨッフム盤と御一緒なのと、最近のレーベル統合(フランソワやクリュイタンスの録音が、Eratoのロゴで、Warnerからリリースされてますから)状況下、何とぞ御許しのほどを、またお便りいたします。
投稿: 覆面吾郎 | 2025年11月27日 (木) 06時38分
ヨッフムの「大地の歌」は懐かしい。と言うより今聴いても結構私好みです。80年代の始めでは、ヨッフム版が水仙版になっていた時期もありましたね.その頃に買った1枚です。オケの響きが「これぞマーラー」って言う感じで好きです。ソリストがベイヌム盤と同じというのも聴き比べの妙でした。学生時代のアパートの部屋でよくききました。
オーマンディーも懐かしい演奏です。オーマンディーというと、存命中は「煌びやかで下品」というようなことをよく言われましたが、そうは言っても、それなりに作品の味を出している演奏が今聴けば多かったように思います。このマーラーも明るすぎると私の学生時代の先輩は言っていましたが、今聴くと芳醇で昨今の演奏よりも心にしみました。
投稿: yurikamome | 2025年11月29日 (土) 23時21分
yurikamomeさん、こんにちは。
ヨッフムもオーマンディも、マーラー演奏の黎明期のものですね。
今の当たり前のレパートリーとなったご時世からすると、取り残されたしまった感もある演奏です。
そこがまたよくて、今回取り上げた次第です、
ヨッフムはご指摘のとおり、コンセルトヘボウのあの良き時代の音色そのものです。
またオーマンディの60~70年代のものは、そっけなさは残るものの、まったくハズレのない音楽の本質を突いたものが多いです。
どちらのオーケストラも、いまも素晴らしいですが、私には別物と思えます。
投稿: yokochan | 2025年12月 1日 (月) 09時59分