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2026年1月

2026年1月20日 (火)

ロッシーニ 「チェネレントラ」 アバド指揮

Claudioabbadotributitalien1

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日です。

2014年、あのショックを受けた日からもう12年。
干支が一巡しました。

こちらの画像は、亡くなってすぐのスカラ座での追悼コンサートでのものです。
これを見返しただけでも泣きそうになります。

でもイタリアからは有望な指揮者が続出してますし、世界的にも同じく、ビジネスとしての音楽は曲がり角にあると思いますが、音楽界は活況を呈してます。
混迷する世界情勢の影響は受けざるを得ず、音楽と政治は結びついても欲しくないですが、音楽の持つ力はこんなときこそ大切。
アバドが存命だったら、きっと音楽を通じて人類になにがしかを伝えてくれたことでしょう。

命日に明るい曲の選択となりますが、アバドが愛したオペラのひとつ、「チェネレントラ」を。

Cenerentola-lso-1

この鮮やかな色彩と70年代当時のサイケデリックな風潮を感じさせるデザインは、いまでも新鮮。

中学生だったので72年発売の3枚組のレコードを購入すべく手立てもなかったが、ワーグナーは買ってた(笑)
音楽雑誌の表紙を大切に補完してあったものですが、CD化されて購入したときは、下のとおり色合いが違っていた。

Cenerentola-lso-2

  ロッシーニ 歌劇「ラ・チェネレントラ」

     チェネレントラ:テレサ・ベルガンサ   
     王子ドン・ラミロ:ルイジ・アルヴァ

     ダンディーニ:レナート・カペッキ    
     ドン・マニーフィコ:パオロ・モンタルソロ

     クロリンダ :マルゲリータ・グリエルミ 
     ティスベ :ラウラ・ザンニーニ

     アリドーロ :ウーゴ・トラーマ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
                スコテッシュオペラ合唱団
          チェンバロ:テオドル・グシュルバウアー
              (1971.9 @エディンバラ)

アバド初のオペラ全曲の録音。
1968年にスカラ座の音楽監督となっていたアバドは、スカラより前、1971年8月のスコットランドでのエディンバラ音楽祭で「チェネレントラ」を上演。
フィレンツェ歌劇場との共同制作で、それに先立つ同年5月にフィレンツェにて指揮してます。
DGへの録音はこうした上演で万全の準備を経たもので完全な仕上がりぶりとなってます。
スカラ座でのチェネレントラは1972年から指揮するようになり、劇場の人気レパートリーとなり、その後ずっと上演され、海外引っ越し公演でも持っていくようになりました。

前々から書いてますが、アルベルト・ゼッダの校訂を経た版を採用したその演奏は、当時は斬新で今でこそ当たり前となってしまったスッキリ系のロッシーニの走狗だったのだ。
それまでは打楽器が派手に鳴ったり、オーケストラも無用に分厚く、全体に厚化粧をほどこされたロッシーニだった。
以前書いた記事~「アバドを聴いてから、遡って過去演を聴いたから、順序は逆だけれど、アバドの演奏は、その厚化粧を取り去り、まるで風呂上りのようなサッパリとした風情が漂っている。
でもスッピンの味気なさではなくて、音楽の持つ色気や風情がニュートラルに表わされていて、新鮮かつ活き活きとしている。
いやピチピチとしていると言えようか。
明晰で、どこまでも清潔。まさに水を得た魚のようなアバドに、アバドを無能呼ばわりした評論筋は誰一人不平を唱えられない。
当時、ざまみろ!という心境だった。へへっ。」
こんな風に書いてまして、久しぶりにこの演奏全曲を聴いて、この10年で多くのロッシーニを聴いてきた、いまの自分の耳にもかわらぬ新鮮さがありました。

歌唱に関しては、レベルも高度化してあがったイマの歌手からするとちょっと緩いと思われる人もいますが、でも私にはこのメンバーが最高なんです。
とくにベルガンサのすっきりとした清潔清廉を感じさせる歌唱は、いまもって一番のチェネレントラだと思う。
昨年98歳で亡くなったアルヴァもいまでも色あせしない生粋のベルカントテナーと感じさせて嬉しかった。
あと、フレキシブルなロンドン響であったことも、同時期の「セビリアの理髪師」よりも軽やかさと透明感においてより効果的だったと思う。

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     チェネレントラ:ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーリ   
     王子ドン・ラミロ:ルイジ・アルヴァ

     ダンディーニ:エンツォ・ダーラ    
     ドン・マニーフィコ:パオロ・モンタルソロ

     クロリンダ :マルゲリータ・グリエルミ 
     ティスベ :ラウラ・ザンニーニ

     アリドーロ :クラウディオ・デスデーリ

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                ミラノ・スカラ座合唱団
          
             (1976.5 @コヴェントガーデン、ロンドン)

1976年のスカラ座のロンドンへの引越し公演ライブ。
ちゃんとしたステレオで音は悪くはないです。
ライブ、とくにピットに入ったときのアバドの若い頃の常で、テンポは速めでときに突っ走るようになることもあり、それがスポーティな快感を覚えることになります。
スカラ座の面々が、それに一糸乱れずについてゆくところもすごい。
最後の聴衆の興奮したロンドンっ子のブラボーもそのときの熱気を感じさせます。
ちなみに、このロンドンへの演目は、あとは「シモン」と「レクイエム」です。
歌手たちはずっとおんなじ、完成された家族のような仲間たちに、ベルガンサとともに、ずっと交代でアバドとやってきたテッラーニ。
あきれかえるような鮮やかなテクニックと、それを感じさせないナチュラルさに深みのあるメゾの声。
数年後に、日本人は東京で彼女のロジーナに驚嘆する。


Cenerentola-scala

     チェネレントラ:フレデリカ・フォン・シュターデ   
     王子ドン・ラミロ:フランチェスコ・アライサ

     ダンディーニ:クラウディオ・デスデーリ    
     ドン・マニーフィコ:パオロ・モンタルソロ

     クロリンダ :マルゲリータ・グリエルミ 
     ティスベ :ラウラ・ザンニーニ

     アリドーロ :ポール・プリシュカ

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                ミラノ・スカラ座合唱団
          
              (1981.1 @ミラノ)

ありがたいことに、ずっと上演しつづけたアバドとジャン・ピエール・ポネル演出のチェネレントラが映像化されてます。
舞台上演でなく、スタジオでの映画的作品。
音声はミラノで録音、映画は同じ年の夏にウィーンで撮影と記録されてます。
アバドのチェネレントラの正規音源はこれが最後で、舞台でも82年のミラノを最後に指揮していないようです。
録音がやや平板であるのが残念ですが、ロンドン響との演奏に近い正確無比の演奏となっており、さらにはさすがはスカラと思わせる歌に付ける巧みな表情や歌いまわしが感じられるのもうれしい。
ミラノでのこの録音のとき、アバドは舞台では「ボリス・ゴドゥノフ」に取り組んでいた。
シモンとチェネレントラは、アバドとスカラ座が同じメンバーでもって何度も上演し、完全な舞台に仕上げていったオペラ作品だと思います。

そしてやはりこの演奏は、観て楽しむもの、ビジュアル重視の配役ともなってます。
シュターデの可憐な美しさとスタイルの良さはもうなにものにも代えがたいです。
琥珀の声とも称されたその声もここでは映像をともない、同情さそうその演技やシンデレラとしての凛々しさなど、もうほれぼれとします。
でもベルガンサやテッラーニに比べると弱く、かえってあざとくも感じてもしまうのは贅沢か。
 テッラーニと同じく、アライサも東京でのアルマヴィーヴァ伯爵で目覚ましい存在であることを明らかにしたが、この録音の年の秋だった。
若々しいそのアライサの歌声も嫌味なく甘くてすっきり柑橘系。
アリドーロ役からここでは狂言回しのダンディーニに昇格したデスデーリも実にうまく、存在感あり。
超ベテランとなったモンタルソロも呆れかえるくらいに愉快で間抜けな父親役です。
そして同じくずっとずっと、アバドのチェネレントラではいじわる姉妹を歌っているグリエルミとザンニーニが思わず共感したくなるような人間味あふれる存在に感じられるのも、ポネル演出と映像作品という楽しさです。

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ユーモアあふれるブッフォ作品としての神髄を突いたポネルの演出。
合唱の個の動き、集団としての動き、それぞれに意味あいもあり、面白みもあり、当然に登場人物のすべてがこの作品の面白さやシニカルさに寄与するように仕組まれた名演出。
時代がかった部分もイマの世の中では感じられるものの、映像作品としての出来栄えは完璧だと思います。
このポネル演出、2009年に新国劇場で観劇してまして、ほぼ同じもの。
これも思えばいい経験をしたものです。
カサロヴァにシラクーサという願ってもない名歌手の声も聴けました。
このDVD作品、繰り返しになりますがデジタル処理を施して、いまのソフトフォーカス気味の映像と音源を刷新して欲しい。

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チェネレントラ=アンジェリーナのあまりにステキにすぎる幕を閉めるアリア。
洒落たポネル演出もあいまって、ほんとに幸せな気分、ほんわかとした癒され気分になりました。
すべてを許し、飲み込む彼女。
女性が混迷の世界を救うとも思いました。
来日したイタリアのメローニ首相とわが日本の高市総理の熱いハグ。
メローニさんは、高市さんに向かって「思いは同じ、なすべきことのハードルは高いし、きっと難しいこともあるでしょう、そのときは何でも私に言って、親しい友」と別れるときに言いました。

Japan-italia

メローニさんのことが、イタリアのことが大好きになりました。
日本とイタリアが仲良く世界に立つ、こんなうれしいことはないです。
日本のメディアはこのようなことは一切報道しません。

Aabbado-stade

チェネレントラでのアバドとシュターデ。

先に書いたとおり70年代、日本でのアバドの評価が定まっていなかったころ、さらにはウィーンフィルのパーマネントコンダクターとして来日したとき、何もしてないと、こき下ろしていた評論家筋が多かった。
しかし、その評論家筋にも、アバドのロッシーニ、加えてストラヴィンスキーは有無を言わせぬ才能のほとばしりを認めさせるものでした。
そんな評価の変化ぶりをよく覚えてます。

現在のようにセリアも含め、ロッシーニ作品がたくさん演奏されるようになり、ロッシーニ音楽の受容も多様化しているが、その音楽表現のすべての根源は「アバドのロッシーニ」にあったと思ってます。
それは、アルベルト・ゼッダの研究が元にあり、その忠実で完全な表現者としてアバドがいたからなのであります。
ロッシーニ演奏、アバドのなした、大きな足跡のひとつです。

Hadano-fuji

秦野市から富士を望む🗻

クラウディオ・アバドの12回目の命日に♰

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2026年1月18日 (日)

東京都交響楽団定期演奏会 ルスティオーニ指揮

Geigeki

久しぶりの池袋芸術劇場。
かわらぬ人の多さが田舎暮らしに慣れた自分にはキツイものがありました。

イタリア週間 4276

東京都交響楽団の首席客演指揮者となるミラノ生まれのダニエーレ・ルスティオーニ。
その奥さんでミラノとベルガモの間ぐらいにあるレッコ出身のヴァイオリニスト、フランチェスカ・デコ。
この素晴らしい共演でした。
ルスティオーニは、ずっと注目していたオペラ指揮者なので、即座にチケット手配しました。

ちょっと加工してスクリーンに美男美女入れてみました。

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  東京都交響楽団定期演奏会 第1033回

 ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77

   バッハ   無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ~ジーグ

     Vn:フランチェスカ・デゴ

 R=コルサコフ スペイン奇想曲 op.34

 レスピーギ   交響詩「ローマの祭」

    ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 東京都交響楽団

         (2026.1.17 @東京芸術劇場)

独・露・伊の3人の作曲家がランダムに並んでいるように感じますが、ここに通じているのは南国・南欧への憧れとイタリアそのもの。
ブラームスは、調性も同じくする第2交響曲と同じくペルチャッハで発想・書かれた曲。
ソリストと指揮者の個性が申し分なく発揮できるプログラムだと思いました。

激することなく神妙な雰囲気で始まったブラームス。
デゴのソロの入りもさほどに情熱的でなく一音一音を確かめるような慎重な雰囲気。
ブラームスの協奏曲に抱くイメージが違うと思う方がいるかもしれない。
わたしは、こうした柔和なブラームスは好き。
ヴィブラートをあまり効かせないのも好ましく、華美に傾くことがない。
ともかくデゴさんのヴァイオリンは音色が美しく繊細。
だから第2楽章が絶品で、見事なオーボエソロにも増して、楚々たるアリアのようなヴァイオリンの歌には聞惚れましたよ。
戻って1楽章ですが、カデンツァにブゾーニ編のものが使用され、そこではティンパニがドロロロ~ンと鳴り、背後で終始そのティンパニも静かに鳴り響くと言うヴァイオリンがまるで浮き上がってくるような効果をもたらすもので、実に面白く新鮮だった。
彼女のヴァイオリン協奏曲のCDもそのカデンツァが使われているようで、カップリングは珍しいそのブゾーニの協奏曲だ。
こうした知的なこだわりも彼女ならではなのだろう。
終楽章は明るく爽快に、ルスティオーニの開放的なオーケストラに導かれるように快活なるヴァイオリン。
こんなに爽やかで微笑みに満ちたブラームスの協奏曲は自分では初めてかもしれない。
 ついでにオジサン目線だけれども、演奏中のデゴさん、弾いてないときに空を見つめるような目線、ともに美しかった。
アンコールはお得意のバッハ。
技巧をひけらかすことのない真摯な、でも美しい演奏でした。
別日ではアンコール2曲やった様子ですが、この日は1曲。
翌日の札幌でのソロコンサート、翌々日は東京に戻り武蔵野市でまたソロと、ちょっとハードなスケジュールに合わせてのことだったかもしれません。

ルスティオーニはロシア物も得意にしていて、R・コルサコフでは「金鶏」がDVD化されているほか、チャイコフスキー、ラフマニノフなどもさかんに指揮してます。
明るく歌心にあふれ、ダイナミックな緩急に富んだスペイン奇想曲、めちゃくちゃ面白かった。
シェエラザードにも通じる異国情緒たっぷりの要素を、さすがルスティオーニは歌いまくって巧みにムード満点だし、コルサコフのオーケストレーションの巧さも5つの場面の描きわけの見事さで実によくわかりました。
水谷コンマスのソロを指揮者もオーケストラも楽しそうに聴き入り、そこからもうノリノリの雰囲気で一気呵成に情熱の爆発と開放を成したルスティオーニの指揮のうまさ!

この日の目玉、楽しみにしてた「祭」じゃ!
人員増強して、オルガン席にも奏者が陣取り始まりました金管の咆哮をともなう古代ローマの熱気あふれる世界観。
都響めちゃくちゃうまいし、音に濁りなし、ルスティオーニの整然とした棒さばき。
大振りはしないけれど、動きは多いし、ぴょんぴょん跳ねるし、左右に忙しく、顔の表情も豊か。
こんどは正面席で聴いてみたい。
 ローマを見出した巡礼者の祈りと歓喜での音楽の盛り上げも見事だったし、こうした変化を鮮やかに描き分ける才はオペラ指揮者ならではかもで、十月祭の夕暮ムードも素敵でセレナーデもうっとりしてしまう。
そして急転するムード転身もあざやかで、はちゃむちゃカーニバル状態の第4部の整然とした持って行き方もあざやか。
熱狂するローマ市民ばりに、ワタクシもワクワクが止まらず、ドキドキしてきた。
ずっと終わらないでカーニバルやってくれい、と思わずにはいられない魅惑の時は、無情にも過ぎつつ熱狂うずまくレスピーギ=ルスティオーニワールドはジャンジャンと終結!
思わず、ブラボーしちまった!

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最高じゃん、ルスティオーニ。
都響もノリがよくって、みんな楽しそうだった。
われわれ観衆もみんなニコニコで帰りました。

Rustioni-tmso-2

後半のこうした音楽を指揮したらルスティオーニは無類に上手い指揮者だ。
本格的なシンフォニーとピットでの指揮を聴いてみたい。

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こんなパフォーマンスとオーケストラとやってくれる。

ミラノ生まれといえば、アバドと同郷。
しかし、育った頃はムーティ時代のミラノ。
いつしか、スカラ座の指揮者になって欲しい。
次は、ヴェルディとワーグナーを聴きます。

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2026年1月15日 (木)

メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」 アバド指揮

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今年の早咲きの菜の花は、まだ5分ぐらいなので、昨年の1月終わりぐらいの満開の菜の花と富士。

春の訪れがほんとに待ち遠しい、今年の骨身に染みる寒さ。

でも明るいイタリアが日本にやってくる。

低迷するイタリア経済を立て直し中、強くて明るいイタリアの首相メローニが来日。

イタリアの若手指揮者三羽烏のひとり、ダニエーレ・ルスティオーニが都響の首席客演指揮者となりやってきた。
2回のコンサートを聴きに行く予定。

そして、明るいイタリアとは言いたくはないが、クラウディオ・アバドの命日も近い。
アバドの命日には、また違う作品を取り上げる予定。

ということで1月後半は、まだ行ったことのない「イタリア」を日本で楽しみます。

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 メンデルスゾーン 交響曲第4番 イ長調 op.90「イタリア」

もう何度も記事にしてる。
アバドのメンデルスゾーンは、若い頃からの得意の演目で、デッカの専属だった67年に録音をしてます。
昭和の人、さまよえるクラヲタのワタクシは、1969年頃からクラシックに目覚め、1970年からレコ芸の購読を始めましたので、いまはほとんど処分してしまいましたが、主だった記事や広告はスクラップしてあったりします。
アバドのものはほとんで残してます。
1971年のレコ芸の裏表紙はデッカ=ロンドンレコードが独占してましたが、まだアバードと呼ばれていた時代。
レコ芸のお値段も、このときは300円で、少し前までは270円ぐらいだった。
レコードは新譜だと2000円、シングルジャケットだと1800円だったりも。

メンデルスゾーンのローマ見聞録のようなイタリア交響曲、アバドは3回録音しました。

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① ロンドン交響楽団(1967.2 @キングスウェイホール)

こちらは国内盤での再発のレコード。
スコットランドがメインのジャケットですが、ともかく嫌味なく健康的な音で満たされた幸せなメンデルスゾーン。
これが出たときの評価では、イタリア人という点ばかりが評価され、ともかく歌う明るい演奏と評され、交響曲的な構成力には欠けるちかいわれたものだ。
お国柄で何ごとも判断したり、ドイツに偏重するきらいが見られたのも事実で、そういう時代だった。
たしかに明るく開放的な演奏であることは間違いなく、デッカの分離のいい録音もそれに拍車をかけてる。
一方で、よりロマンティックで陰りのある3番とのカップリングであることから、それとの対比において明るさというよりは明晰さをこそ感じます。
3つの演奏を通して3楽章がいずれも美しいと思った。

② ロンドン交響楽団(1984.10 @聖ジョンズ・スミス・スクエア、ロンドン)

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ロンドン響の音楽監督として、ある意味自分のやりたいことをやっていた頃。
マーラーやベートーヴェンのチクルスに、ゼルキンとのモーツァルト録音と併行してメンデルスゾーンも演奏会で集中して取り上げ、一気に全集録音を遂げた。
そうした流れでの演奏なので、まとまりの良さ仕上がりの完璧さにおいては、17年を経て完璧であり落ち着いた演奏になってる。
アバドの身上でもある、音楽表現のしなやかさがここでは際立ち、音楽に漂う余裕と笑みすら感じる幸福なメンデルスゾーン。
アバドをずっと見聞きしてきた自分には、アバドがときににこやかに、柔和な表情で指揮している姿を思い起こすことができるし、このメンバーでの来日公演で接した指揮者とオーケストラの幸福なむずび付きも懐かしく思い出す。
 この時代、ロンドン交響楽団は名手ぞろいで、とくに管楽器のメンバーはすごい顔ぶれだった。
自分も若かったが、アバドもロンドン響の楽員さんもみんな若かった。
そんな昔を懐かしみつつ、2楽章と3楽章の絹織りの肌触り感じる柔らかさには陶然としてしまった。
アバドとロンドン響は、やはり幸福なコンビだったなぁ。
この全集、1番と2番が一番好き。

③ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1995.12.31 @ベルリン)

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ジルヴェスターコンサートのライブで、真夏の夜の夢と演奏されたメンデルスゾーン・アーベント。
ライブでのアバドは熱い。
劇性と歌謡性のバランスのとれた真夏の夜の夢もロマンあふれる名演だと思いますが、よりホットなイタリア交響曲が自由闊達な感じでよい。
ロンドン響よりベルリンフィルの方が音色が明るい。
そして音も高密度でびっしり詰まった感じ。
ドイツからローマに行ったメンデルスゾーンの気分もかくや、と思わせるくらいに目覚ましい音がベルリンフィルから出ている。

3つの録音の演奏時間はほぼ同じ。
84年のロンドンが、2楽章がほんの少し速めですが、ほぼ同じ。
3つ共に好きなイタリア。
2000年代に、モーツァルト管とも3番とともに演奏履歴があり、そちらもいつかの音源化を希望したい。
生涯にわたって指揮しつづけたメンデルスゾーンは、アバドの持ち味がもっとよく発揮される作曲家だったと思います。
それはロッシーニとも通じます。

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スイセンは、いまが満開の盛りですよ

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2026年1月11日 (日)

J・シュトラウス 「南国のバラ」

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日の丸も掲げられた年始直前の銀座の街。

なかなか美しいものです。
そして、集団形成のあの人たちのいない本来の大人の街は、かつての姿をちょっとだけ取り戻した感じもしました。

Neujahr-2026

今年のウィーンのニューイヤーコンサートは、ネゼ=セガンの指揮。

カナダの指揮者ですが、同国に自身のオーケストラを持ち、フィラデルフィア管とメトロポリタンオペラの指揮者を務め、欧州でも各地のオーケストラと関係を築いている、いま最前線の指揮者。
セガンは以前よりよく聴いてた指揮者だが、こんなに早くニューイヤーコンサートに出るとは思ってなかった。
ムーティとティーレマン、メストらのベテランの持ち回りばかりでなく、旬の指揮者を順繰りに起用していくことは大賛成で、ウィンナ・ワルツとは無縁と思われた人でも、案外に相性がよかったりして楽しみも増すというものだ。
来年はトゥーガン・ソヒエフというから驚きでもあり。

今年のプログラムは、セガンが力を入れてるアメリカの女性作曲家プライスの作品や、ウィーンで女性オーケストラを創設したりして活躍したヴァインリヒの作品などが選ばれたりして、とても新鮮だったし、映像で見てもセガンのいつもの快活な指揮ぶりが楽しかった。
初めてご覧になる方は、小柄なセガンがそこらのやんちゃな兄ちゃんみたいに見えたかもしれない。
カミングアウトしているので周知の事実ですが、保守的なウィーンもオケのメンバーを見てもわかるとおり変わったものだと思ったりもした。
多様性という言葉はあざとく好きではないが、まさにそんなコンサートにもなったのではないだろうか。

今回演奏された曲のなかで、私の好きなワルツ1曲に絞って、ウィーンフィルの手持ち音源をいろいろ聴いてみた。

  J・シュトラウス ワルツ「南国のバラ」op.388

1880年初演のポルトガルが舞台のオペレッタ「女王のレースのハンカチーフ」からの引用で作られたワルツ。
劇中でオペレッタの主人公であるスペインの作家セルバンテスによって歌われる歌「野ばらのさくところ」というタイトルから、このワルツの名前も付けられたという。
このオペレッタを気に入ったという当時のイタリア国王に献呈されていて、すべてが南欧がらみなところから、このワルツも軽やかで明るく屈託がないです。
レースのハンカチーフは、昨年ウィーンのアン・デア・シアターで上演されていて、録音もしました。

①セガン(2026)
文字通りウィーンフィルの最新の「南国のバラ」は、セガンらしく快活で生き生きとした演奏だった。
入念な節まわしもあったりして、軽やかなウィンナ・ワルツ感は薄め、でもこれもまたセガンらしい高揚感あふれる流れの持って行き方はまさに気分があがるものでしたね。

②ムーティ(2018)
セガンの前は、ムーティがやってました。
もうこの頃のムーティとなると大家の風格で堂々たる構えと押し出しがあり、余裕あるテンポが優雅ささえ引き出して感じる。
ウィーンとの付き合いの長さと気ごころしれた安心感も漂う。

③マゼール(1981)
ムーティ以前の演奏ではこれしか手持ちで見当たらず。
アバドもクライバーもカラヤンもやってなかったんです。
ボスコフスキーのあとを継いだマゼールは、ウィーンとの蜜月の80年代にエンターテインメント性にあふれたニューイヤーを何年も担当。
マゼールらしく切れ味豊かで、はずむようなリズム感も心地よく現代的でスピード感もほどよい。
何曲か聴いて、真面目過ぎるところあるが、いまやこんな面白い指揮者はいないと感じた。

④ベーム(1975)
DGへの正規録音もあるが、日本人ならこれでしょ、伝説のNHKホールライブ。
NHKホールの空気感と熱気をもろに捉えた録音がいまもって素晴らしいと思うし、ウィーンの音色がNHKホールでちゃんと出てるのも驚き。
ベームの指揮には堅苦しいところはなく、この頃はまだ保っていたウィーンフィルの鄙びた音が聴けるのもありがたい。
NHK様は、つまらん紅白に金ばかり使ってないで、ベームの音源と映像をリマスターして新調して欲しい。

⑤ボスコフスキー(1961、1975)

Boskovsky

クレメンス・クラウス後のウィーンフィルのウィンナ・ワルツの権化となったボスコフスキー。
同じ楽員同士で気の置けない仲間同士のリラックスムードあふれる演奏でもありつつ、ボスコフスキーの指揮には古風さはなく、現代的ですらあり、ある意味サバサバしても感じる。
でも歌いまわしは実にうまく、雰囲気満載で、もうまさにわれわれ昭和世代が思い描く憧れのウィーンの街そのものだ。
目をつぶれば、唯一のウィーン訪問のことすら脳裏に浮かんでくる。
ウィーンはウィーンなのだ。
デッカの録音もその思いに拍車をかけてくれる素晴らしさ。
 75年のものは、私のエアチェックで、シュトラウスのアニバーサリーイヤーのときのザルツブルクライブ。
録音がいまや精彩を欠くが、ライブ感あふれるウキウキ演奏だ。
ボスコフスキーやマゼール、アバドやクライバー、メータの時代のお正月のNHKテレビ放送を毎年楽しみにしていて、ウィーンのムードに浸ることで1年が始まるみたいな気分だった。
そうしたことをしなくなって、興味も失ってから久しいし、ウィーフィルもウィーフィルでなくなってしまったと思い込んでも久しいです・・・

⑥シューリヒト(1963)

Schuricht-strauss

なんどかブログ記事を残してますが、中学生の時に会員制のコンサートホールソサエティに加入していて購入したレコード。
これが初めてのウィンナ・ワルツのレコードだった。
来る日も来る日も聴いて、とくにチターの音色に魅せられ、まだ見ぬウィーンの街を思った。
同時に、シューリヒトという大指揮者がいたということも強く意識するようになり、バッハやモーツァルトなどを集めた。
オーケストラは契約上、国立歌劇場管弦楽団と名乗り、冴えない録音だったレコードをCD化されたときに聴きなおして、その刷新されたサウンドに驚いたものだ。
風呂上りの美人のように、見違えるばかりにオーケストラの美音が詰まって感じられたし、緩急豊かな情感ある指揮ぶりにもおどろきだった。
何度も書きましたが、この録音の場に居合わせた岩城宏之氏が、神だ!と言ったとされるその言葉どおりの達人の演奏だった。

⑥サヴァリッシュ(1961)
ウィーンフィルじゃないけどウィーン響。
2枚のシュトラウスファミリーのレコードを残したサヴァリッシュは、N響ではやらなかったし、ほかのオーケストラともやらなかった。
ある意味ウィーンにこだわったのだろうか。
若き日、バイロイトでも活躍をしていた、まさに若手新進気鋭のサヴァリッシュの颯爽としたスタイリッシュなウィンナ・ワルツ。
これはこれで青臭さもありつつ、サヴァリッシュならではの理路整然とした清潔さもあり。
リヒャルトばかりでなかった、ユニークなサヴァリッシュのシュトラウス。

⑦クリップス(1957)
50年代の録音ならではの丸っこい響きが雰囲気あり。
どこか懐かしい、遠くに忘れてきた音がする。
ほぼ70年前のウィーンフィルと今年のウィーンフィルを比べるとオーケストラの巧さ、放送とはいえ隅々まで鮮明なまの録音と比べるべくもない。
大人の音楽を感じた。
あらゆる音に囲まれた現代が不幸にも感じた。

クレメンス・クラウスのシュトラウスファミリーの音源は残念ながら所持してません。

Ginza-02

混迷を深める世界。

イランが崩壊するかもしれないことを日本のマスコミは一切報道しない。
あの国と同じように強権体制国家に対する国民の反発を報道しては日本ではまずいのだ。

セガンが思いを込めて語った今年のニュイヤーコンサートでのあいさつは、世界の平和だった。

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2026年1月 7日 (水)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」 ダウスゴー指揮

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新年を迎えました。

そしてあっという間に1週間が経とうとしてます。

今年も好きな音楽を聴き、マイペースでブログ記事を起こしていこうと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

2026年最初の音楽は「新世界」です。
あまりもベタな選曲であり、年中いいけど、新年の演奏会の比率も高い名曲中の名曲。

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 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 op.95 「新世界から」

  トーマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

        (2006.4,5 @エレブルー・コンサートホール)

もう聴き古した感のある新世界。
私の初レコードは小学生のときの「ケルテスの新世界」だった。
またレコードでも新世界と未完成などを組み合わせたりしたベストレコードがいろんな形で出ていた70年代。
クラシック入門用のレコードの一品としてご家庭で珍重されたものだ。
 さらには、コンサートでは3大交響曲とかいって、「未完成」「運命」「新世界」の3つをプログラミングしたものも人気だ。
クラシック初心の方からベテランリスナーまでを惹き付けてやまない旋律の宝庫と、郷愁誘う懐かしさ、かっこよさも持ち合わせた「新世界」であります。

爾来たくさんの新世界を聴いてきたが、室内オーケストラによる新世界は初めてだった。

デンマークの指揮者ダウスゴーは。スウェーデン室内管を1997~2019年まで20年以上に渡って率いて、その間かなり多くの録音も残しました。
ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームス、ブルックナー、ワーグナー、チャイコフスキーなどの多彩なレコーディングがあり、ドヴォルザークも1枚だけですが2曲の交響曲を残してます。
こちらのブログにはそこそこにこのコンビの記事がありますが、私はダウスゴーが好きでCDもほとんど揃えつつあります。

常に速めのテンポ設定をとり、キビキビとしたその演奏は心地よくもあり、でも核心をついた考え抜かれた音楽考察もありつつ、それが乾燥してしまった味気なさを感じさせない深みと大胆さがあります。
このコンビの比較的最初の頃のものだが、徹底したその独自のスタイルがすでに完成している。

聴き古した「新世界」がかくも新鮮に、出来立ての音楽として響く。
1楽章から、いつものお馴染みのメロディがなんの気もなく、ポンポンと飛び出して来て、思い入れや過度の表情付けもなく、ピュアそのもの。
ラルゴなど、透明感にあふれ透けてみえるくらいの純粋な美しさがあった。
快速調のスケルツォなど痛快だし、その対比としての中間部は表情少なめに淡々と流れるのが面白いが、ちょっとした楽器の橋渡しなどが引立ち、いつもと違う瞬間を見出せる。
ずばずばと決まりまくる終楽章。
ヒロイックなところはなく、快速ながら素直に音楽的で、すべての楽器がすべてのモティーフが聴こえ透けてみえる。
最終の和音もずいぶんと長く鳴らして終結するところがユニークだし、これがまた美しい。
ボヘミアやアメリカ、そうした要素は感じられず、ただただドヴォルザークの楽譜を思い入れなく演奏したという感じで、新鮮極まりない。

併録の6番の方が、実はもっと面白くいていい演奏だ。
魅力ある作品である6番が、こんなに楽しい音楽だったとは。
できれば5番も録音して欲しかった。

ダウスゴーさん、昨年来日して新日、大フィル、名フィル、札響などに客演したが、聴く機会をえられなかった。
5年まえのBBCスコテッシュとのマーラーのみが唯一の実演。
シアトル響を辞めてしまったのは、実に残念で、その高音質の自社レーベル録音はユニークな演目とともに楽しみだった。
いまはデンマークやスウェーデンでの桂冠指揮者としての称号しかないが、次なるポストはないものだろうか・・・
レコーディングも最近ないのも寂しい。

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