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2026年4月

2026年4月28日 (火)

東京交響楽団 定期演奏会 エラス-カサド指揮

Hibiya

いつもの東響サントリー定期は土曜の晩で、ミューザ川崎が日曜。

今回は、その逆となりました。
土曜に一瞬忘れたとビックリしてチケットを見返して安心したりもしてました。

この日のホールまでのお散歩は、新橋から日比谷公園を経ての虎ノ門。
都会の真ん中でネモフィラ。

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  東京交響楽団 第739回 定期演奏会

 シューベルト 交響曲第7番 ロ短調 D759 「未完成」

 ブルックナー 交響曲第6番 イ長調 (ノヴァーク版)

   パブロ・エラス-カサド指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:小林 壱成

    (2026.4.26 @サントリーホール)

楽しみにしていたエラス-カサド。
N響には何度か登場していたけれど、私は初カサド。
広範なレパートリーを持つカサドは、私にとっては優れた最先端オペラ指揮者との認識。
モンテヴェルディからモーツァルト、ワーグナー、ヴェルディ、ドニゼッティ、ビゼー、リゲティと、なにが得意なのか、まったく焦点を定めることのできない現状でのオペラへの取組ぶりで、なんといってもウィーンでのモンテヴェルディ3部作とリゲティのグラン・マカーブル、バイロイトでのパルジファルが驚異的な演奏ぶりだと思っていた。
リングへの取組も始めていて、パリで来年、バイロイトで2028年に指揮する予定。

そんなカサドがよく演奏している2曲。
シューベルトとブルックナーという相性のいい2曲。
シューベルトはフライブルクの手兵と、ブルックナーはSWR響とでのエアチェック音源を持ってましたが、今回の東京交響楽団との演奏は、それらよりはるかに上をゆく素晴らしさだった。

タクトを持っての指揮は予想外。
音を極限に絞ったかのようなピアニシモからスタートした「未完成」。
繊細なタッチでよく歌いつつ、一方でフォルテはとても強く、まるで深淵を覗き込むようなドラマチックなその対比に、聴く側もいや、おそらくはオーケストラにも強い緊張を強いるような、そんなカサドの音楽造りだった。
当然にヴィブラートは少なめだけれど、フライブルクのバロックオケに比べると古楽的な奏法はずっと控えめ。
柔和さよりは、清澄な透明感を感じた2楽章は歌にあふれ、でも同じく突然のフォルテは強烈で、そこでも対比は鮮やかでハッとさせられる瞬間があった。
 奏でられる音たちは、すべてピュアで清冽だし、音の絡み合いも美しく、すべての音がよく聴こえ混じり気なく耳に届いた。
このあたりの指揮者の耳の良さや、音を混じり気なく聴かせる才能は、カサドならではで、さらにはオペラなどで強く感じられる独自の即興性は、このシューベルトよりも次のブルックナーにおいてよく感じられたのです。
東響も演奏しなれたこの名曲を緊張感を持って高い集中力をともなって演奏。
その演奏が終わったあとの静かな間も、この演奏の流れのひとつで、とても美しき静寂の間でした。

一転、後半のブルックナーは攻めに徹した積極的かつ陽光あふれる眩しい演奏。
ブルックナーでは後期の3作品は別格として、私は、1番、2番、6番の3曲がとても好きで、地味ながらも可憐さや美しさを常に感じてるのです。
3曲のなかで6番だけが長調で、隅々までブルックナーらしくない朗らかさがあると思ってます。
 そんな6番を指揮するカサドをタクトを見ていて、拍子は極めて明快でしっかり振り分けているし、強弱の付け方、強調したいヶ所への明確な指示など、ともかく開放的な指揮ぶりで、その姿だけを音無しで見ていたらブルックナーを指揮してるとは思えないのが面白いところ。
明るく駆け巡るような1楽章、でも木管のさりげないフレーズなどすべてに面白さや意味があるように鳴るので、ほんとに耳が離せないし、リラックスさせてくれない。
 大好きな自然美あふれる第2楽章。
葬送のような哀しみあふれる第3主題での旋律を支えるピチカート、こんなに楚々とした雰囲気を醸し出すなんて驚きだった。
総じてこの楽章では、旋律の歌わせ方も非常に見事だったが、それを下支えする各セクションが極めて克明で、聴いていてこんなに面白かったっけ、という場面がいくつもあった。
そしてこの楽章の儚くも極めて美しい終結部は東響の精緻さもあり、わたしは息もできないほどに感動し、アルプスならぬ、ピレネーの山のなかの緑の草原で風に吹かれている、そんな気分になってしまったのでした。
 ホルンの素晴らしさが際立った3楽章。
カサドのリズムの良さは抜群で、だからノリのいい楽章となったが、メリハリありすぎで疑問符をいだく方もいたかもしれない。
でもこの軽快さは好き。
 やや速めのテンポで突き進みつつも、おおらかさと、細部へのこだわりも随所に見せる終楽章。
この楽章は短いし、終楽章として座りのよろしくないものであるが、わりと千変万化する楽想を丹念に追って仕上げていくと、実に壮大な音楽になると思っていた。
カサド&東響は、まさにそのあたりが実にうまくて、ブルックナーを聴いていてこんなにワクワクさせてくれるのって初めてかもしれない。
最終コーダでは金管群がリミッター解除したみたいに咆哮を見せ、輝かしいばかりの終結を迎えたのだ。
 この輝かしいブルックナーに、唖然として拍手できなかったし、ホールの一瞬の静寂もそんな思いの聴き手が多かったからかもしらん。

金管も増強していたし、鳴らすときはバンバンいく、こんなブルックナーに好悪はわかれるかもしれない。
私は好きでした。
こんなに1音一音に耳が、そして指揮姿から目を離せないブルックナーがとても刺激的でした。

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そしてジョナサン・ノットと長年連れ添った東響のフレキシビリティの高さや、即興性ある指揮者への高度な適応力などを、こうした感度高い指揮者との共演でよくわかりました。
コンマス小林氏のSNSでは、カサドが東響を気に入ってくれたとの書き込みあり、今後再びの客演も期待できますね。

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ノット前監督とのブルックナーチクルスは、6番を残したままで、こうしてカサドの指揮で補完。
しかし、ノットさんは、この秋に都響に客演してその6番を・・・
秋山さんの急逝もあったが、ノットさんには、早く名誉称号授与を、と願います。

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カサドさん、N響でなく次も東響に来てね。

そして東響は、5月はいよいよヴィオッテイです。

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2026年4月25日 (土)

東京都交響楽団定期演奏会 カラビッツ指揮

Toranomon

都響の演奏会へ、混雑満員の地下鉄を避けて外歩きでサントリーホールへ。

途中、虎ノ門ヒルズを抜けて向かいました。

車がないと不便なそこそこ田舎にいるものですから、都会人より足腰が弱くなります。

都会に出た時ぐらいは、ともかく歩きます。

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   東京都交響楽団 第1043回 定期演奏会 Bシリーズ

    ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 op.15

       Pf:久末 航

    サーリアホ 「地球の影」

       org:オリヴィエ・ラトリー

    プロコフィエフ 交響曲第4番 ハ長調 op.47

         キリル・カラビッツ指揮 東京都交響楽団

      コンサートマスター:矢部 達哉

          (2026.
4.24 @サントリーホール) 

前半に長い協奏曲、後半に現代・近代の音楽と、実に渋いプログラム。
プロコフィエフの音楽をここ数年大系的に聴き進めている自分にとって、そのスペシャリスト的存在であるキリル・カラビッツの来日は絶対に聴き逃すことができないものだった。
そのためには、たぶん実演で初聴きとなる苦手なブラームスの1番の協奏曲を苦難をもって耐えるしかないとの覚悟でいどんだのだ。

ティンパニと思わぬほど強く響いた低弦で開始された長い序奏でまず驚きのカラビッツ指揮の都響の分厚い響き。
しかし、久末氏の爽快なピアノが入ってきてからも、やはりこの曲は自分との相性がよくないのか、どうにも身が入らずに聞き流してしまう。
高校生のときから2番ばっかり聴いていたことからこうなったのか・・・
でもこの日の2楽章の演奏の美しさに目を見張るほどの驚きだった。
リリシストという言葉がピタリとくる、そんな久末氏の繊細かつ、丁寧で心のこもったピアノ。
対する都響の木管と弦セクションの美しさ。
終楽章も1楽章以上に苦手意識があるけれど、オーケストラはなかなかに情熱的だったし、久末氏のピアノの粒立ちのよさ、あざとさの一切ない誠実な演奏がとても好ましく感じました。
この大曲に、アンコールはなしで、ピアノの蓋をそっと閉じた久末氏の爽やかな演奏を讃えたいです。
ほんというと、ブラームスでなく、プロコフィエフの協奏曲をやったらよかったのに・・・と思いました。

日本初演となるサーリアホの「地球の影」という3章からなるオルガンと大オーケストラの作品。
2014年に今宵のラトリーのオルガンとケント・ナガノの指揮でモントリオールで初演されている。
サーリアホは2023年に70歳という若さで亡くなってしまったが、そのときの欧米の楽壇での追悼演奏などの頻度を見て自分としては驚きだった。
そのときに放送された作品をいくつか録音もしたりして聴いていたが、なかでもオペラ「イノセンス」のサスペンス仕立てのドラマとそのクールな音楽に驚き、感心を持ったものです。
そして同郷のフィンランドの演奏家たちがこぞって取り上げていて、サロネン、サラステ、リントゥ、マルッキ、マケラなどがそうで、その点でも興味ある作曲家でもあります。

  ①影は飛び去る
  ②ドーム
  ③花、遺跡、彫像

作者はオルガン協奏曲的なものでなく、まったく性格の異なるオーケストラとオルガンの共存関係と語る。
モノトーンで銀色に輝くようなそんなイメージを抱いたし、独特のヒンヤリとした感触はサーリアホならではとも思った。
多くを語る言葉もないが、腹にも響く重低音から清らかな高音まで、自然に抱かれるような安心感と包容力とを身体のなかから感じとるオルガンの音。
そこにオーケストラが多様な打楽器の奏法をともなって相対してゆくさまを、ホールの右手上の席から眺め、全身で感じ取った18分間は、ある意味、快感ですらあった。
演奏の良し悪しを言えるものでないが、初演者のラトリー、カラビッツと都響に賛辞を。

ほんの少しのインターバルですぐにプロコフィエフ。

数日前のブログで、「放蕩息子」と4番の初稿版について書きつくしたばかり。

カラビッツの本領発揮、その指揮ぶりにも水を得た魚のような軽快な動きと音楽への共感の度合いの深さを感じるものだった。
おおらかにでも、深みも感じさせつつ始まった1楽章。
やがて疾走感あふれる主題は、その変わり身の鮮やかさとオケの反応のよさに感嘆。
ずっと聴いてきたボーンマス響の演奏よりも切れ味よく俊敏に感じたし、終結部も痛快このうえない!

優しい2楽章での柔和な演奏は、放蕩息子の帰還を許す寛大な父親のシーンなのであるが、その場面が思い起こせるような優しい演奏。
そしてチューバや打楽器がそこを支えるが、実演だとその空気感がホールを満たして気持ちよかったのだ。
同様に、放蕩息子をたぶらかす乙女の踊りの場面かなる可愛い3楽章では、踊るような仕草の指揮ぶりで、マッチョなカラビッツがかわゆく見えた(笑)
多くの方が、この楽章ではバレエ音楽のように感じたでしょうが、プロコフィエフの音楽の神髄のひとつは、こうしたバレエの舞台を感じさせるリアリティと親しみやすさだろう。

切迫感あふれる開始の4楽章では、ワタクシはもうワクワクしっぱなしだった。
都響はきっれキレだったし、カラビッツの指揮も縦横無尽に指示を出し、小さくジャンプもしながらの軽快ぶり。
あまり知られてない4番、25分ぐらいのシンフォニエッタサイズの初稿版で、トリを飾って盛り上げるのは至難の業かと思ったが。スピード感を常に保ち、ユーモアと緊張感も持たせたカラビッツの指揮はたいしたものだった。
終楽章コーダでテンポをあげてゆき、独特なリズムを刻みながら徐々にクレッシェンドしていって、わたしはドキドキだ。
そのあとの鮮やかな終結に、カラビッツはどうだと言わんばかりに、身体を観客の方へ向かせつつ指揮を切り上げた。
わーお、ナイスじゃん、と思ったワタクシ。
小声でブラボー!

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昨年に聴いたヤルヴィとN響の演奏は厚塗りの改訂版だったせいもあるが、あちらは重戦車のような逞しさがあったが、カラビッツ&都響は、小気味よく爽快で、しかも中身も濃い鮮やかな演奏だった。

Karabits-tmso-2

もっといろんな曲でまた聴きたいカラビッツ。
ベネデッテイのコルンゴルトでバックを務めてたカラビッツ&ボーンマス。
エルガーやチャイコフスキー、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチなんかもレパートリーですからして。

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2026年4月22日 (水)

プロコフィエフ 交響曲第4番(初稿)・放蕩息子

Koubouyama-0308

3月8日の富士山
まだ寒かった頃、冠雪は増え広がりを見せてました。
なにより空気も冷たかったので、景色も澄み渡ってましたね。

Koubouyama-0408

そして、桜も終盤となった4月8日の富士は、裾野まで広がった雪がかなり減りました。
なによりも、気温も上がるようになり空気感はやや霞みがち。
これからは、ほんとの早朝でないとクッキリした富士は拝めないようになります。

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ「鋼鉄の歩み」「放蕩息子」、「エジプトの夜」

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

プロコフィエフを年代別に聴いていこうのシリーズ。
好きなジャンルであるオペラと交響曲に偏って集中して聴いてますが。
シンフォニストとしてブレイク、ポスト・マーラーの存在として定着したショスタコーヴィチに比して、プロコフィエフの存在はやや影に回り勝ちだと思う。
このおおあまかな年譜のとおり、プロコフィエフの作風は、ロシア時代とロシアを出てからの時代、祖国回帰でもソ連だった時代とで大きく変転した。
ショスタコーヴィチが国を出ずに仮面をかぶったかのように謎をはらんだ作風で通したのに対し、プロコフィエフの音楽はもっとシンプルで正直だったと思う。
大きく分けて、祖国回帰の前とあと。
それが端的によくわかるのが交響曲第4番かもしらん。
アメリカ滞在中に書かれた作品番号47の初稿、ソ連時代の改訂版の4番の作品番号117。

改訂稿は、作曲時期の順番では6番の後なので、本blogではまたあらためて取り上げることにして、今回は初稿の方を。
そして4番の素材となったバレエ音楽「放蕩息子」も併せて聴いてみた。

Prokofiev-prodigal-son

  バレエ音楽「放蕩息子」 op.46

 ミハイル・ユロフス指揮 ケルンWDR交響楽団

         (1996.1 @ケルン)

1929年、ディアギレフのバレエ・リュスのために作曲されたもので、バレエ・リュスのために書かれたバレエとして3作目(道化師、鋼鉄の歩み)にあたるもの。
パリで同年に初演され大成功となるが、制作チームは台本のコフノ、振り付けのバランシン、装置・衣装のルオーという黄金トリオ。
いうまでもなく、聖書のルカ伝15章でイエスが語る「放蕩息子」がベースになっていて、まよえる羊・ステレイシープ、神から見た人間のたとえなのです。
放蕩息子を題材にした作品には、ストラヴィンスキーやブリテンもあります。
物語としてシンプルなことや、身につまされ、人を感動させる内容でもあることからもパリっ子たちはプロコフィエフのこの音楽にも熱狂。
プロコフィエフは祖国を離れ彷徨った自分の境遇などにも重ね合わせて共感しつつ作曲し、「シンプルで、明快、旋律的」と自ら評した。
3場10シーンからなる40分ほどの作品。

「厳粛な父親の元から喧嘩をして財産分与も受けて飛び出した息子。放浪し仲間もできて、さらには美女の誘惑にも負け、財産すべてを巻き上げられてしまい無一文になってしまう。おおいに反省し悔恨の末、父の元に帰還しその足もとに崩れ落ちる。父はすべてを許し息子を抱く」

 ①旅立ち→②友たちと出会う→③美しい乙女→④男たちの踊り→⑤放蕩息子と乙女→⑥酒盛り→⑦略奪→⑧目覚めと後悔→⑨略奪品の分配→⑩帰還

音楽だけ聴いているとサラサラと進んでしまうが、このタイトルをにらみながら聴くと、なるほどそういう感じね、ということになります。
さらに理解を深めるために、ネット上で視聴できるバレエの舞台を見ると実に面白かった。
2013年のニューヨーク・シティバレエの上演だが、1929年初演時の演出や装置・衣装のままで、いま見てもなかなかに斬新だし、身体能力的にも極限の動きで踊りまくるバレエダンサーたちに舌を巻くことになる。

その素材にもよるかもしれないが、プロコフィエフのこの音楽は先鋭さがなく、わかりやすく平明であり、炎の天使でのような刺激的な音楽はみじんもない。
酒盛りや略奪シーンがやや暴力的なのをのぞけば、優しく抒情的でもあり、そんなシーンは乙女の登場や、帰還での父の許しの場などに聴かれ、後者は感動的であります。
悪くないけれど、決定打に欠ける、そんな作品かも。
できれば、この素材でソ連帰還前のこの時期にオペラを書いて欲しかった。
父ユロフスキの指揮は万全です。

Prokofiev-45-karabits



  プロコフィエフ 交響曲第4番 ハ長調 op.47

    キリル・カラビッツ指揮 ボーンマス交響楽団

       (2015.4 @ライトハウス、ドーセット州プール)

オペラ「炎の天使」の素材を交響曲にした3番がそうであったように、プロコフィエフは「放蕩息子」を元に交響曲第4番を作曲。
作品番号は連続していて、放蕩息子作曲中に交響曲を思いつき、1929年のバレエ初演のあとすぐ翌1930年に完成。
バレエと交響曲、ふたつをほぼ同時に書きすすめた姉妹作なのです。

ボストン交響楽団の創立50周年シーズンの1931~32年に演奏することを前提に、セルゲイ・クーセヴィツキーから公共作品の委嘱を受けた。
プロコフィエフはボストン交響楽団に初演権を与える報酬を受け取ったものの、提示された金額は委嘱作品とみなすには低すぎると考えていたらしいが、ともあれ1930年11月にボストンで初演された。

クーセヴィツキとディアギレフ、そしてプロコフィエフの3人はともに「セルゲイ」なのであるが、ともにロシアを去りパリで活動して成功した3人なのであり、この交響曲4番は、この3人が生み出したと言ってもいいのかもしれない。
放蕩息子からひも解いてきて、そう思いますね。

プロコフィエフはボストン初演には出席しなかったが、クーセヴィツキーにプログラムノートの指示を送っている。
楽曲の使い回しだという批判を恐れ「交響曲のいくつかの箇所で、バレエで使用された音楽を用いました。しかし交響曲では、バレエという形式では不可能だったことを交響曲的に展開することができた。このようなアプローチの先例としては、ベートーヴェンのプロメテウスと交響曲第3番に見出すことができます。」
評論家筋の批判を恐れ、プログラムに書いてねと予防線をはったのでした。

しかし、この交響曲の初演のすぐあと、同じ委嘱作であるストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」が演奏され、こちらはプロコフィエフのの作品よりも高く評価され、もともとがストラヴィンスキーと競争関係にあったプロコフィエフはさぞかし落胆したであろう。
放蕩息子初演のあと、ディアギレフが亡くなってしまい、父のように慕ったクーセヴィツキもボストンに居つくようになり、ヨーロッパでのプロコフィエフは孤独や寂しさを覚えていた。
さらに立ち会わなかったアメリカでの初演が思わしくなく終わったと聞き、次ににブリュッセルでのモントゥー指揮による欧州初演も芳しい評価を得られなかったことなど、ふたりの頼りになる「セルゲイ」も近くにいなくなったこともあり、プロコフィエフは祖国でこそ成功が再び得られると思い、母国回帰も考えるようになる。

全4楽章、25分ほどの4楽章形式によるシンプルな構成。
調性も長調であり、2番や3番のような不協和音はみあたらず、放蕩息子と同じようにプロコフィエフが自ら呼んだように簡素ですらあります。
バレエの全10場の音楽やバレエには使用しなかったモティーフなども追加して、バレエの筋立てや曲順などは構わずに再構築。
この点は炎の天使と第3交響曲に同じです。

ソナタ形式の1楽章では、バレエにはないおおらかな雰囲気の旋律による序奏から開始し、その次に来る、この交響曲でいちばんカッコいいリズミカルで疾走感あふれる速い主題には痺れます。
これは④「男たちの踊り」から使用されているし、それに対比する旋律的な優しい旋律がでてくるが、それは⑦「略奪」の乙女のシーン。
こんな感じでスピード感あふれ、小又の切れ上がったような1楽章で、2番や3番のプロコフィエフを期待するとそうではなかったのが2楽章。

緩徐楽章であるアンダンテ・トランクィロは、クールではなく、優しい叙情に満ちた音楽で、それもそのはず、⑩「帰還」の父の大きな博愛を描いた旋律がメインになっているし、そこに⑧「悔恨」の反省著しい内向的なムードも反映されてる。

3楽章は、まんま③「美しい乙女」の音楽で、バレエでは乙女がしゃなりしゃなりと登場して、魅惑的な踊りを披露する。
バレエを見てしまうと、まさにそのイメージのままに、この楽章があるのでこの可愛い楽章が愛おしく感じるようになる。

終楽章は、バレエ冒頭の主題から始まるので切迫感と推進力あり。
おもに①「旅立ち」の活気ある音楽をうまく使い倒して巧みなロンド形式へと仕立てている。
打楽器も効果的に加わりテンポアップして熱狂していくかと思うと、急転直下終了。
実にいさぎよい結末となります。

全4楽章、無駄なものがひとつもなく感じるユニークな交響曲だと思います。

こののちの17年後、交響曲第6番のあとに、大幅改訂を行い、作品番号も112としました。
25分の曲を40分ぐらいの長さとし、ピアノや打楽器も増強し、デラックス化した。
終楽章のコーダも壮大になり、簡潔さが失われた結果となってます。
多くの録音や全集が改訂版を取り上げるのみだが、最近は初稿版も演奏頻度もあがってきていて、カラビッツが都響にやってきて演奏します。

手持ちのプロコフィエフ全集のなかで、いまいちばんはカラビッツとボーンマスの演奏だと思ってる。
切れ味よく、プロコフィエフの抒情味もよく感じて引き出している。
2,3,4番というプロコフィエフのユニークな3つの傑作がカラビッツの共感あふれる指揮で、そのあるべき姿で混じり気なく聴くことができるのだ。
ほかの手持ちの初稿版は、ロストロポーヴィチとゲルギエフであります。
改訂版は、まだだいぶ先に取り上げる予定。

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富士の頭に太陽が沈む、ダイヤモンド富士ではなかったけれど、結構いい感じになりそうでした。

しかし、無情にもこのあと雲が増え、お日様は隠れてしまいました。

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2026年4月14日 (火)

ウォルトン 交響曲第1番、第2番 山田和樹 指揮

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秦野市の水無川沿いの桜並木、丹沢山麓に続くこの川沿いの道には延々と桜が咲いてます。
対岸には途中から枝垂桜、ずっと上流では河津桜が2月末には咲きました。

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さらに南側には併行して「さくら道」があって、こちらは6㎞におよぶ桜並木で、桜の季節には渋滞のメッカとなります。

ほぼお隣の市で、いま住む町には魅力的なスーパーや都市銀行もないので、週に3~4回のペースで秦野に行ってます。

そして秦野出身の指揮者、山田和樹のメジャーレーベル録音が出ましたのでさっそく聴いてみた。
しかも大好きな英国もの。

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  ウォルトン 戴冠式行進曲「宝玉と王の杖」

        交響曲第1番 変ロ短調

        交響曲第2番

   山田 和樹 指揮 バーミンガム市交響楽団

   (2024.12.4、20025.11.5 バーミンガム、シンフォニーホール)

プレヴィン盤でカップリングされていた行進曲の洒落た演奏で始まるこのCD。
2曲ともに収録できるCD時代の強みで、このふたつの交響曲の年代による作風の変化、そしてどちらも変わらぬウォルトン独自のいまの映画音楽の底流にあるものを感じる音楽のかっこよさがふんだんに味わえる1枚なのだ。
戦前の並々ならぬ時期1932年以降で作曲された1番、戦後の1960年の2極化した世界と繁栄の時代の2番。

1932年から書き始めた交響曲第1番は、終楽章の作曲に至り恋愛の失敗などが重なり難航したというが、35年に完成。
苦難から勝利へと導かれる交響曲のセオリー通りの力作。
これまでたくさんの音源に接し、コンサートでも2度ほど経験。
不安と緊張に満ちた音楽の1楽章からしてムチャ好きなんですが、そのあとの「悪意を持って」と題されたスケルツォのシニカルな面白さ。
そして「メランコリーを持って」とされた緩徐楽章は、なかなかに晦渋な雰囲気を持ちつつ、じっくり何度も聴くとスルメのように味わい深い音楽なのだ。
トラジティの積み上げがなす、憂愁と沈鬱の音楽は美しいとともにひんやり感もある。
そして強烈なパワーをもって攻めてくるような爆発的な終楽章はフーガ形式となり、白熱する一方で打楽器打ち乱れる超かっちょいい音楽。

実は、この1番の1楽章は、ある映画の音楽をいつも思い起こしてしまう。
それは1979年制作のジョン・バタム監督の「ドラキュラ」。
そう、吸血鬼ドラキュラの原作に忠実な映画なんです。
そして調べたら、その音楽担当は、ジョン・ウィリアムスで、オーケストラはロンドン響。
う~む、ウォルトン自身も映画への音楽はたくさん書いてるし、名優ローレンス・オリヴィエによる映画に特に多い。
そのオリヴィエ卿、件の「ドラキュラ」にもヘルシング教授役で出ておりますね。
なんか、いろんな因縁を感じます。
コルンゴルトの影響を多大に受けているJ・ウィリアムスですから、ウォルトンのカッコいい音楽からいろいろ学んだとしてもおかしくない。
 さてどこが似ているかというと、1楽章の随所に出てくる主要主題です。
映画の方も、まさにこの主題がメインになっていて、ドラキュラ伯爵とヒロインの切れぬ仲、まさにその宿命的な運命を感じさせる音楽になってるんです。
yotubeにトレイラーとサウンドトラックがありますので、調べてみてください。
夜中にひとりで見るとおっかないですよ。

この山田和樹盤は、不安な時代のこと、つねにつきまとう不安な様相など、そうした背景まったく感じさせることなく、ひたすらにスコアを完璧に音楽にしてみた、そんなピュアな演奏だと思った。
音楽の造形をしっかりつかんで明快に聴かせてくれる才能あふれる指揮と、フレキシビリティあふれるバーミンガムのオーケストラの素晴らしさ。
そして3楽章の冷静さを保った美しさ。
枯淡の境地を聴かせた尾高さんの演奏にはかなわないが、ヤマカズの繊細で感じ切ったしなやかさは捨てがたい。
そしてこけおどし的にはっちゃけない終楽章も長く聴きこむにはいい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなに昔でない1960年作の第2番。
30分あまりの長さで、いわゆる現代音楽が隆盛となりつつあるなかで、交響曲という保守的なジャンルに、これまた保守的な作風と当時はみなされたウォルトンの音楽は、ゴージャスですらあります。
歳を重ねると作曲家はシンプルな作風になったりもしますが、ここでのウォルトンは映画音楽もかくやと思わせるような明快でわかりやすいもので、かつ技法をつくした高度なもの。
実演ではブラビンスの指揮で1度だけ。
尾高さんもこの2番もレパートリーにしていて、かつてPromsで演奏して喝采をあびていた。
レコードでは、セルが大いに評価をしてクリーヴランドと録音してました。
セルやブラビンスの音盤を持ってないので、プレヴィン盤のみで楽しんでましたが、この山田和樹のCDは決定的な演奏になるでしょう。

3楽章編成だが、最初の楽章がソナタ形式でかつスケルツォ的なところが新鮮。
これまたシネマ的なミステリアスサウンドでもあります。
同時に暴力的かつバーバリアンな様相も併せ持ち、ほんと映画音楽みたいでカッコいいんです。
演奏会でやったら、やたらと興奮しますぜ、これ。
 そして、ともかく美しい2楽章。
悲恋をあつかった自作のオペラ「トロイラスとクレシダ」から楽想を得ている。
明滅する儚さをともなったクールな抒情がとてもすてきだし、盛り上がりも高貴な情熱をまとっていてクールすぎる。
 3楽章ではパッサカリア形式となり、12音技法にも踏み込み技巧的かつ複雑な様相をみせる。
しかし変奏とともに姿をいろいろ変えてみせる目をみはる音楽の進行は、なんども聴くと面白くなります。

山田和樹の指揮のうまさは、まさに終楽章で本領発揮。
主題が拡散せず、しっかり見通しよく押さえられつつ展開するさまは圧巻だし、エンディングの壮快なまでの切れ味のよさも抜群だった。
精緻な2楽章ももちろん美しく気に入りましたね。

DGへの次の録音が楽しみ。
DGはこのところ、いろんな指揮者でさまざまな交響曲全集を体系的に録音している。
エルガーやスタンフォード、パリーなんかもやって欲しい。
それともうひとつの手兵となるベルリン・ドイツ響とはどのような活動をしていくか、こちらも楽しみです。
バーミンガムの指揮者は、かつてのラトル、オラモ、ヤンソンスと、いずれも大成してます。

過去記事

「B・トムソン指揮 ロンドンフィル」

「尾高忠明 指揮 芸大フィルハーモニア」

「M・ブラビンス指揮 東京都交響楽団 1番」

「M・ブラビンス指揮 東京都交響楽団 2番」

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秦野市の出身者は有名人、とくに音楽や俳優が多いです。

吉田栄作、菊池凛子、岸井ゆきの、合田雅史、山田涼介、坂井泉水、LUNA SEA(特に先ごろ亡くなった真矢)、古くはスマイリー小原、などなどたくさんいらっしゃる。

なかでも世界に冠たる存在となりつつある山田和樹です。

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神奈川県唯一の盆地である秦野市は、山に囲まれ、豊かな水にあふれる都市です。

いまは八重桜が満開で、食用の桜では日本一らしい。
桜の塩漬けは美味しいですよ。

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2026年4月 5日 (日)

バッハ 復活祭オラトリオ

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霊南坂教会の十字架。

先週のサントリーホールへ行く前にホール裏手の庭園から。
プロテスタント系の教会なので、バッハが似合います。
土曜日には翌日の礼拝に向けてオルガンの練習も行われていて、よく佇んで聴き入ってしまいます。

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コンサートの後は、桜坂の桜と美しいコラボレーション。

復活祭に聴くバッハ。

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  バッハ 「復活祭オラトリオ」 BWV249

             S:ジュディス・ラスキン
      A:モーリーン・フォレスター
      T:リチャード・ルイス
     Bs:ハーバート・ビーティ

  ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
                テンプル大学合唱団

      (1963.4.17 @アスレチッククラブ、フィラデルフィア)

1725年4月1日、この年の復活祭主日に初演。
ヨハネ受難曲の初演の3日後ということで、まさに受難と復活をそのままになぞった、まさにバッハらしい、また音楽と生活に根ざした宗教という当時の風潮をまさに体現した機会音楽でもあります。
いまから300年前。
日本では徳川第8代将軍「吉宗」の治世で、暴れん坊将軍の享保の改革の最中。
そう思うと、日本にも独自の成熟した文化があり、浄瑠璃などが興隆し、和楽器も盛んになり、また寺社と結びついた尺八の演奏も普遍化。
西欧音楽が楽譜という形でしっかり残ったが、日本での音楽も記録として残されていると思うので、最近は日本の音楽史なんてのにもやたら興味が沸いてます。

曲は50分足らず.
大作の受難曲のように身構えることなく、全体に明るい色調の音楽。
しかし、内容は聖書の人物たちが登場し、磔刑後のイエスを見守り、その復活に歓喜する喜ばしい内容なのです。
マタイ伝とヨハネ伝、マグダラのマリア、もうひとりのマリア、弟子のシモン・ペトロ、ヨハネの4人が登場し、4人の歌手が担当。
冒頭のトランペットが活躍するシンフォニアと、美しいオーボエソロを伴なったアダージョ。
復活の様子を歌うレシタティーボとアリア、合唱曲。

抒情的な様相もともない、峻厳なバッハの顔でなく、明るく前向き、そして優しいバッハの姿がある屈託ない佳曲。

たくさんの宗教的な作品も録音したCBS時代のオーマンディとフィラデルフィア。
いずれも煌びやかさよりは、生真面目で渋いほどによくまとまった演奏が多いです。
私の長年の愛聴盤はオーマンディの「メサイア」なんですが、あちらはほどよく華麗でゴージャス。
でもこのバッハ、ほんと渋く、こじんまりとまとまっている。
フィラ管の名手たちのソロも浮き立つことなく、バッハの音楽に真摯に寄り添う演奏であります。
女声ソロはいいが、男声陣がややアメリカナイズされて聴こえるのが面白いし、合唱団はもうまさに、ザ・アメリカでありました。

手持ちのCDのカップリングは、バーンスタインのマニフィカトで、濃厚さと思い入れ、爆発力がユニークです。

いまから60年以上前のバッハ演奏。
たっぷりと音楽を鳴らして聴かせるスタイルは、古典派もロマン派も同じ。
ややムーディに流れ、野放図にも思いましたが、案外と新鮮な気持ちで聴きました。

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             S:バーバラ・シュリック
      A:カイ・ヴェッセル
      T:ジェイムズ・タイラー
     Bs:ペーター・コーイ

  フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 コレギウム・ヴォカーレ

        (1994.4 @ゲント、ベルギー)

ほぼ20年前に記事にしてたヘルヴェッヘ盤。
オーマンディのあとこれを聴くと、30年の録音の年月の隔たり以上に隔世の感を感じる。
靄が晴れてスッキリしたかのような印象。
でもこれでも今から30年前の録音で、現在の古楽的演奏はさらに進化している。
ここで思うのはこの演奏の美しさと透明感。
オーマンディの方は、熱心な宗教心あふれるアメリカの人々が日曜日にカジュアルに教会に集っているかのような光景が浮かぶ。
ヘルヴェッヘの方は、ヨーロッパの街や村の教会で、篤信あふれる住民たちが静かに祈ってるような、そんな光景。
でもどっちもバッハなんだよな。
いまでもアメリカのオーケストラでは、オーマンディのようなバッハが演奏されているはずだ。

300年のバッハの音楽の歴史、そして60年前、30年前のバッハ演奏の変化、そのあたりも楽しめた今回のイースターです。
バッハ偉大なり。

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コンサートのあと夜桜を求めて散策。

スペイン大使館近くのスペイン坂あたり。

東京の夜は奇麗だな、1時間かけていま住む神奈川の夜は真っ暗の街に帰りましたよ。

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