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2026年5月

2026年5月25日 (月)

東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ指揮

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先週に引き続き、東京交響楽団の新任音楽監督のロレンツォ・ヴィオッテイの指揮による演奏会。

サントリーホールからミューザ川崎に場所を移して双方のホールの響きの違いや、東響の音がどう響くなどを確認できた。

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創立80周年の東京交響楽団。

秋山和慶、スダーン、ノットと続いた歴代音楽監督の歴史に、新たな顔ヴィオッテイを迎え、踏み出したまた次の一頁。
その最初に立ち会うことができて、ほんとうによかったし、満足感で一杯のふたつのコンサートでした。

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 東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ音楽監督就任披露

    R・シュトラス 4つの最後の歌

      S:マリーナ・レベカ

    ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団
                 東響コーラス
         
         合唱指揮:河原 哲也
         コンサートマスター:小林 壱成

     (2026.5.24 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

シュトラスとラヴェル、ともにオーケストラの作曲技法の限りを尽くした作曲家ふたり。
しかし、晴れやかな作品でなく、ともに内省的な局面もある音楽が選ばれたところが面白い。

世界のオペラハウスで活躍中の第1級のソプラノ、マリーナ・レベカは、この2日間のコンサートのために来日。
いくつかの音源で彼女の声は聴いてきたけれど、そのレパートリーはロッシーニやベッリーニ、ヴェルデイにプッチーニとイタリアもの、あと、私が気に入っていた役はオネーギンのタチャーナ。
琥珀色の声とも言いたくなるような魅惑の歌声なんです。
 シュトラスの絶美とも呼ぶべき彼岸の極にある歌曲集、透明感ある軽めなソプラノで聴くのが好きだけれど、レベカの声は軽やかさよりは、歌の深みを感じさせる豊かな中音域が実に説得力あるもので、その声域でのこの歌手の魅力を堪能できた。
L席という場所のせいなのか、高域がやや響かなかったが、正面で聴いた方はどうだったろう。
タブレット端末で楽譜を確認しながらの歌唱だが、横から拝見していて、ササっと入力操作して開くさまが実にカッコよかった。
 そして何よりもヴィオッテイ指揮する東響が絶対的に美しい。
シュトラウスオケであるこことを再認識したし、レベカを支えるシュトラウスの音楽の晴朗さ、軽やかさは、むしろオーケストラの側にこそあった。
ホルンも素晴らしかったが、小林コンマスの「眠りにつくとき」における絶美のソロには、涙が出てきた。
レベカもこのソロに耳を傾け、その美しさに浸っていたし、指揮者も同じくだった。
かつての昔に聴いた、横浜でのシュナイトと神奈川フィルのときの石田コンマスのソロの繊細さにも増して素晴らしかった小林ソロでした。
息がとまるほど、さらには遠くに思いや目線が行くほどに、感動したのが「夕映えのなか」。
レベカが美しく歌いきったあとの、去り行く夕焼けを思わせる最後、東響の木管の軽やかさはいかばかりか。
長い沈黙が支配した素敵なエンディングでした。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー

1時間を要するダフニスとクロエ全曲。
合唱入りの完全全曲盤でいどむヴィオッテイの強い意欲。
合唱なしでの全曲演奏は、もう20年近く前にプレヴィンとN響で聴いたことがあるが、やはりアカペラとはいえ合唱が入ることで、音の広がりと迫真性が格段にあがるというものだ。
 第2組曲だけでは味わえない、物語性のあるよどみなく進むラヴェルの佳曲を、ストーリテラー的に舞台に即したわかりやすい音楽づくりに終わることなく、すべての音を磨き上げ東響の実力を極限に引き出した、精緻で美しい演奏だった。

冒頭から混沌ではなく、明快なサウンドで原初的な新鮮な響きをかもし出す。
そこから合唱も声を強めて盛り上がりゆくさま、もうここからして私は鳥肌物だったし、そのあとすぐの弦による旋律の優美さともなう優しさ。
もうウットリでしたね。
そこから高まるフォルテの築き上げ方や、若者たちの踊りでのリズミカルな反応のよさ。
でもまだまだ抑え気味っだったし、曲は始まったばかりなのだ。
 ダフニスの恋敵のファゴットや金管によるユーモアあふれる場面も案外に淡々と進むが切れは実によろしい。
一方のダフニスの踊りのまったり感と優美さも、その対比として面白かったが、決して誇張なく、音楽的。
ダフニスも油断してしまうほどのお姉さんの登場も、外敵襲来の予見とともになかなか緊張の高まりを味わうこととなりました。

 このあと、戦いの踊りまではちょっとダレてしまう場面だけれど、神秘感の表出やウィンドマシンの効果的な使用などを眺めつつダイナミックな爆発を待ち受けました。
オーケストラがしばし休息し、アカペラ合唱によるミステリアスなシーン。
始めて聴いた高校時代は、夜に聴くと、ここ怖かった。
ヴィオッテイはそこそこの数の東響コーラスを充分に抑え込み、金管が不穏な雰囲気を出しつつ、海賊軍団の踊りへの備えを築く。
そしてきましたよ、金管の咆哮と打楽器軍団の炸裂。
その後ピッコロやクラリネットの狂乱ぶりも重なり、饗宴の度合いを高め、男声合唱も加わりスリリングな展開に息を飲みました、
でもまだ力は8分目ぐらいかな、と。
捉えられたクロエの許しを乞う踊りのシーンでの、管や弦のしなやかさと歌わせ上手、ラヴェルの筆致の見事さも味わえる。

 このあたりから、第2組曲へと向かって音楽が聴き知った夜明けへと準備を進めていくシーンの演奏の精妙さといったらなかった。
あのフルートによる流麗かつ清々しいモティーフがついに出てくると、私は鳥肌が立つほどの感動を味わうのでした。
そのあとの弦楽器による日の出の煌めくような美しさ、そこに合唱も加わり築かれる高まり、ほんと感動的だったし、ヴィオッテイ氏も大きく腕を広げて音楽を浴びるようにして指揮してました。
 そして、今宵のハイライトと言ってもよかった竹山さんのフルートによる無言劇。
ただただ美しく、透明でデリケートでもあり、素晴らしすぎた。
4人のフルートとピッコロによる息の合った掛け合いも素敵すぎた。
さあ、こうなるともう、全員の踊りの興奮の坩堝を待ち受けるばかりだ。
高まりゆく音楽の盛り上がりに、指揮もオケも合唱もすべてを全開、まさに歓喜爆発を見せてくれました。
この喜ばしい音楽が最後に待ち受けるようにして書いたラヴェルも素晴らしいが、そこに焦点を持ってゆき、物語の大団円よろしく華々しいフィナーレを作り上げたヴィオッテイの手腕もすごかった。
一瞬誰も拍手ができず、間ができたことも余韻としてすごくよかった。

音が響きとして包まれるように聴こえるサントリーホール。
音がリアルにそのまま届き、さらには上からも降り注ぐようにして降ってくるように聴こえるミューザ。
どちらも優秀なホールです。
そんなことも、この2週間で確認ができた。
また、声楽作品、歌へのこだわりなども感じることのできたヴィオッテイの才能。
ヴィオッテイと東響の2ウィークが終わってしまい、とても寂しくもありました。

ヴィオッテイはこのあとは、オランダでこの前までの手兵のネーデルランドフィルに客演。
ラフマニノフの交響的舞曲を指揮する予定。

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ノット監督との深い絆で結ばれたコンビとはまた違った、まるで仲間のような親密な関係をきっと築きそうなヴィオッテイと東響です。

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会心の演奏を祝う東響のみなさん。
完璧でした、ありがとう。

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このあと、ヴィオッテイを拍手で呼び出し、ふたたび大喝采。

次は7月にまた帰ってきてね。

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2026年5月23日 (土)

ヴィオッテイの音源を確認する

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少し前のバラの花、真っ盛りの秦野の公園

暑かったり、寒かったりで、体調管理が大変な今年の初夏でした

来日中のロレンツォ・ヴィオッテイの次のコンサートを控えて、ここ数年で録音した海外の放送音源を確認してみた。

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ヴィオッテイが常連となっているウィーン交響楽団との演奏会。

ムジークフェラインの黄金カラーが似合う男。

2022年の客演で東響で演奏されるダフニスとクロエ全曲を指揮したときのもので、このときにORFでの放送を録音して聴いてます。
57分の演奏時間、華美に傾かず、渋さすら感じられる堂々たる演奏です。
スイスの時計職人と呼ばれたラヴェル、まさにそんな緻密さとエーゲ海の青も感じさせる明晰さ、そんなダフニスです。
実演がほんとに楽しみ。

数種あるDVD作品はまだ未入手。
正規CDもまだほとんど出ていない状況で、個人で楽しむその前提の放送音源は貴重です。

【音源】

・コルンゴルト シンフォニエッタ ウィーン放送ORF響 (2018)
・ヴェルディ 聖歌四篇 ウィーン響 (2019)
・シェーンベルク 浄夜 ウィーン響  (2019)
・ドビュッシー 夜想曲 ネーデルランド・フィル  (2021)
・チャイコフスキー 悲愴 ネーデルランド・フィル   (2021)
・ツェムリンスキー 人魚姫  ウィーン響 (2021)
・ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ヴォンドラーチェク ウィーン響(2022)
・ラヴェル ダフニスとクロエ ウィーン響 (2022)
・ベートーヴェン 英雄 東響 (2023 ニコ響より)
・R.シュトラス 英雄の生涯  東響 (2023 ニコ響より)
・プッチーニ 三部作 ネーデルランドオペラ (2024)
・ヴェルディ シモン・ボッカネグラ ミラノ・スカラ座 (2024)
・ラフマニノフ  死の島 ウィーフィル (2024)
・R.コルサコフ スペイン奇想曲 ウィーフィル (2024)
・ドヴォルザーク 交響曲第7番 ウィーフィル (2024)
・サン=サーンス チェロ協奏曲 ガベッタ ウィーン響 (2025)
・R.コルサコフ シェエラザード ウィーン響 (2025)
・ツェムリンスキー 春の埋葬 ウィーン響 (2025)
・ブルックナー ミサ曲第3番 ウィーン響  (2025)

たくさん逃しているはずなので、もっと放送されてると思います。
近現代ものが多くありますが、ハイドンやモーツァルトもたくさん指揮してますね。
マーラーは6、8、9番以外は全部やってます。

【映像】

・マーラー 交響曲第7番 グルベンキアン管
・ウィンナ・ワルツ、ラ・ヴァルス ウィーン響
・チャイコフスキー テンペスト ネーデルランドフィル
・ラフマニノフ 死の島 ネーデルランドフィル
・ブリテン シンフォニア・ダ・レクイエム ネーデルランドフィル
・ツェムリンスキー 小びと ネーデルランドオペラ

映像で見ると実演でも感じた通り、大ぶりせず、表情豊かで的確な指揮ぶりがよくわかります。
ツェムリンスキーのオペラがすばらしいです。
来シーズンあたりに、ツェムリンスキーの人魚姫か抒情交響曲を期待したいですね。

ネーデルランドオペラで取り上げた演目も調べてみました。
「ツェムリンスキーのこびと」「サロメ」「トスカ」「トゥーランドット」
「ばらの騎士」「ローエングリン」「三部作」「ピーター・グライムズ」「こうもり」

ヴェルディも得意なので、チューリヒオペラでのさらなるレパートリー拡充が期待できます。
ちなみにコルンゴルト「死の都」もチューリヒで上演したばかり。
こちらはチェルニアコフの演出なだけに映像化して欲しいです。

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                         (From the website of the Netherlands Opera)

ヨーロッパの街並みに似合う、まるで60年代の頃のようなダンディマン。

これからは日本で素晴らしい演奏と、日本の景色でナイスな写真もたくさん残して欲しいです。

東響での抱負を語ったヴィオッテイは、チクルス的な一定のテーマやコンセプトは設けない、劇場以外でのオペラ上演は現実的でないと語っている。
今回、羅列した最近の演奏記録からは、そんな姿勢がうかがえます。
確たる信念を持っていて、それが今シーズン、次のシーズンとどんな風に展開されていくか、ますます楽しみに。
ホールでのオペラを期待していたワタクシですから、この際、東響がピットに入る時期に新国に是非にも登場して欲しい。

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2026年5月19日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ヴィオッテイ指揮

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気温も上がった5月の中盤。
サントリーホールのカラヤン広場も初夏の様相。

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創立80周年の東京交響楽団。
そして、新音楽監督ロレンツォ・ヴィオッテイを迎えての初定期演奏会
たくさんの花がロビーを飾ってました。

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      東京交響楽団 第740回 定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第1番 ハ長調 op.21 

 マーラー    交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:景山 昌太朗

    (2026.5.16 @サントリーホール)

ファンと楽員さんとに大いに愛されたジョナサン・ノットに次ぐ第4代の東京交響楽団音楽監督に就任したヴィオッテイの就任披露。

90年の隔たりのあるふたつの1番という演目で、スタートに相応しいコンサートとなりましたが、そんな初々しい新コンビの幕開けは、めったに出会えないほどの熱気と興奮とに包まれる結果となりました。

スイス出身のロレンツォ・ヴィオッテイは、今年36歳。
2023年にこのコンビの「ダブル英雄」を聴いたおりの紹介文章を再度転記編集します。
 2世指揮者で、父親は早逝してしまったオペラの名手、マルチェロ・ヴィオッティ(1954~2005)。
母親もヴァイオリニスト、姉もメゾソプラノ歌手(マリーナ・ヴィオッテイ、美人さん)という音楽一家で、音楽家になるべくして育ったロレンツォ君は、自身も打楽器奏者からスタートしている。
指揮者として初のプロオーケストラ指揮が日本での2014年の東京交響楽団への代役出演、新国でもトスカを振っており、ともかく日本、なによりも東響と結びつきの深いロレンツォなのでした。
グシュルバウアーやコルボでお馴染みだったリスボンのグルベンキアン管弦楽団の指揮者、そしてネザーランド・フィル、オランダオペラの首席指揮者としてすでに活動してきて、ウィーンのすべてのオケ、ベルリンフィルなど、ヨーロッパの名だたるオーケストラにも客演を続けている。
2028年からはノセダのあとのチューリヒ・オペラの音楽総監督に就任予定。

ノット監督のときは対向配置がほぼ常であったが、今回はチェロがいちばん右翼で、いわゆるかつてのストコフスキー型。
妙な話ですが、これからして新鮮だった。

これからも輝かしいキャリアを築き上げ続けるであろうヴィオッテイ。
長身、ともかく長い手と足、すっきりやせ型のスリムなスポーツマンタイプで、颯爽とそしてにこやかに登場。
爽やかにも思われる第1音は澄み切った美しい東響のハーモニーによる序奏、そのあとテンポをあげて主部に突入するが、リズムの刻みが鮮やかで弾むような躍動感あふれる楽章となりました。
極端にヴィブラートを抑えたりしていないのでゆとりあふれる愉悦感も漂い心地よいのだ。
2楽章では弱音への心配りが大きく、とても大切に響かせていて、強弱の対比、リズムと緩やかな旋律との対比も面白く、ベートーヴェンの緩徐楽章がいつも美しいということを認識させてくれるような演奏だった。面白かった。
一転、きっぱりとした3楽章はまさにスケルツォの先取りと感じる鮮やかさ。
そして最後の音が終わると同時にアタッカで終楽章へ突入。
これには驚かされた、そう来たか!と思いましたよ、目が覚めるほどの効果あり、まさにベートーヴェンの意欲がそんな一瞬にも吹き出して見えた。
その終楽章がスピード感と躍動感あふれる俊敏な演奏で、これまた最高ときた。
古典の域を脱することなく感じてるベートーヴェンの1番が、こんなに作曲者のやる気の詰まった意欲作に聴こえたのが驚きの演奏。
かつて神奈川フィルで大家シュナイトさんのこの1番を聴いたことがあるが、そのときは、びっくりするくらいの大交響曲に聴こえた大人(たいじん)の演奏だった。
今宵のヴィオッテイの1番は、駆け抜ける若さと青竹のようなきっぱり感、そして音楽表現への強い気持ちを感じる、そんな前向きな演奏なのでありました。
早くもブラボー飛んでましたよ。

ベートーヴェンが1800年30歳、マーラーが1888年28歳、ともに壮年期に差し掛かったこの先やったるぜ、と意欲満々の時期の1番。
年月の経過は、通常版による4管編成でずらりと勢ぞろいしたオーケストラを眺めるだけで実感できる。
1楽章の冒頭、同じ序奏を持つ曲ながら、ヴィオッテイはこの序奏を極めて抑えて細心の注意をもって聴きとるべきような弱音で開始したので、聴き慣れてルーティン化した思いでいどんだワタクシは、緊張しつつもものすごく集中して聴くという術中にはまることになった。
ステージ外のトランペットの遠近感も見事。
そして徐々に雲間から明るさが兆すようにして、おもむろに登場するさすらう若人の歌のメロディと晴れやかさ。
冒頭からワクワクさせてくれるじゃないか。
しっかりくり返しも励行し、その後の不安の様相の中からまた起こるファンファーレは抑えめで、終楽章でのさらなる爆発を予見、楽しみにさせるもの。
かなりの猛ダッシュでラストを駆け抜けた1楽章。
 ともかくノリのよかった2楽章。
メリハリを思い切りつけるような指揮者の指示っぷりもあって、歯切れよい主部。
そして美しく愛らしくもあった中間部、優美な展開が主部の切れ味との対比で面白い。
このように、ヴィオッテイの指揮は各部のメリハリの付け方がうまく、それが嫌味やあざとさにつながらない自然さがあるというところがよい。
 コントラバスはトゥッティで一音も乱れることなく整然としていた3楽章。
ここでも強弱の対比、またシニカルさとシリアスさとの共存のマーラーの音楽の面白さもまた創出。
東響の各セクションの精度の高さも光りました。
 そしてシンバルの乾坤一擲とも呼びたくなるような一撃で始まった終楽章。
吹き荒れ具合も上々で、ヴィオッテイの大きな指揮ぶりに一糸乱れず東響もついてゆく。
それにしても、燕尾服の裏地のエンジ色が大きな動きをするたびに翻って見える。
お洒落だ。
カウスボタンのところもエンジ色で、これまたおしゃれ。
そして、これだけ指揮をしているのに、汗もあまりかかず、背中にも汗はまったく浮いてこない。
身体能力もほんとに高い人で、日々鍛えているんだろう。
 とつらつらと思っていたら、第2主題が弦によって連綿と、そしてそれが徐々に思いの丈をどんどんと込めていって情熱的になってゆく場面となっていった。
ここ、ほんとうに美しく、思い切り感動して、涙ぐんでしまった。
今宵いちばんのシーンだったと思う。
ずっと続いて欲しかった。
そして来たる第1の爆発のクライマックスはまだまだ余力を残しつつ冷静さを保つもの。
1楽章の序奏の再現ではまたあの静寂にも似たピアニシモが。
何度も書きますが、こうした場面の鮮やかな対比がマーラーの音楽の面白さを際立たせるととともに、ベートーヴェンから90年後のマーラーという作曲家の奇矯なところなのだろうし、時代の先駆けでもあったと痛感できる。
再びの美しいシーンもまたよかった。
ヴィオラ部による不穏な雰囲気の組成では、これから始まる大フィナーレを予見させ、嫌でも期待と興奮の高まりを味わう。
そして始まりましたよ、期待を裏切らないどころか、輝かしき勝利宣言のような鮮やかなクライマックスが。
オーケストラも指揮者も、新しき船出を自ら歓声を持って歌い上げるかのような眩しさ。
横一列に並んだ7つのホルンが一斉に起立し、われわれ聴衆の興奮もマックスに!
炸裂する打楽器陣、力を込め満身で弾き、奏する弦楽器に管。
眩しいエンディングにブラボーが飛び交う。
ワタシも一声参加!

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ノット前監督とはまた違ったある意味即興性にも富んだヴィオッテイの指揮。
しかし存外に緻密であることも確認できた。
マーラーの1番を実演で聴いて、こんなに心躍るような気持ちの高まりを味わったのは、ライブで初聴きの82年のドラティと読響、そして83年のアバドとロンドン響の演奏以来かもしれない。
それは東響とヴィオッテイに対する私の今現在の思いも加わってのことでもありますが。

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親譲りのオペラ指揮者としての才能を、全体の構成力と豊かな歌いまわし、聴かせ上手でもある音の鳴らし方や届け方などに大いに感じた。

ノット監督と同じように、コンサートオペラを毎年やって欲しい。
きっとやってくれるだろう。
古楽から現代まで広大なレパートリーを持つ姉とカルメンなんか話題になりそうだし、CDにしても世界展開できそう。
得意のコルンゴルトやツェムリンスキーのオペラもやって欲しい。

次のシュトラウスとラヴェルもめちゃくちゃ楽しみ

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ワタシ、お腹が空きました、このあとメシなww

おちゃめなロレンツォさんなのでした。

【過去記事】

「ヴィオッテイ&東響 英雄と英雄の生涯」

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2026年5月15日 (金)

ベートーヴェン 田園と第7 長老指揮者の若き日

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過ぎ去った春を偲んで

近場の桜をめぐって沢山写真を撮ったのでストックはたくさんあるんですが、賞味期限切れです。

天気のよい平日の早朝に、町内の吾妻山へ。

菜の花から桜の時期、休日ともなると大変な人出となるものですから平日に。

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相模湾に右手は伊豆半島、大島も左には見えます。

少し下ったところにある吾妻山神社は、倭建命と橘姫命に由来する由緒ある聖地でありますが、先ごろ不届きな輩により、神社の銅板が大量に盗まれてしまった。
心痛むことばかりが起きます。

ベートーヴェンの6番と7番を懐かしい演奏で聴きました。
現在98歳と90歳の指揮者ふたりの若いころ。

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 ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調 op68 「田園」

  ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

      (1977.6.6 @ルカ教会、ドレスデン)

もうジャケットからして泣けてくる。
田園ジャケットの大賞をあげてもいいくらい。
オリジナルのレコードジャケットだけれども、私はCD時代のブロムシュテット画像のものしか保有せず。
レコ芸の当時の広告のモノクロ写真をAIでカラー化してもらったらびっくりするくらいに美しく再現できた。
そして、刷新されたジャケットを眺めつつ、いまから49年前のアナログ最盛期、ブロムシュテット50歳のときの演奏を聴きながら、私は過去にタイムスリップしたかのような懐かしい風景を見たような感動に包まれたのであります。

驚くべきは、もうじき99歳にして若々しい指揮活動を続けるブロムシュテットは、いまも変わらぬ瑞々しい音楽を作っていることで、曲は違えど、ブルックナーやブラームス、マーラーといった大作にいどんでもサラリとした淡麗系の演奏であり、かつてのドレスデンでのベートーヴェンにも同じものを感じたことだ。
ゲヴァントハウスとの全集や、いくつかのライブなどで確認したが、テンポは版や研究成果に基づくもとであろうが、あきらかに早くなっている。
私は中庸でおっとりして、すべてにおいて過不足のないドレスデンでの田園がいちばんと思う。
田園にイメージされるものが、すべて備わったエヴァ―グリーンサウンドであります。
しかも加えて、ここではまだ東ドイツ時代のドレスデンの古雅でありつつ、豊かな厚みある低音と克明でありつつも少しくすんだ音色が味わえるという喜び。
まいどのことで言いたくはないが、ウィーンフィルと同じように、かつてのドレスデンの方がよき時代のヨーロッパを感じさせ、ふたつのオーケストラはともにアナログ時代の方が好きなのであります。

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  ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 op.92

   ズビン・メータ指揮 ロサンジェルス・フィルハーモニック管弦楽団

      (1974.4 @ロイスホール ロサンジェルス)

今年の4月に90歳を迎えたズビン・メータも衰えを見せることなく活躍中ですが、ときおりの体調不良でキャンセルをすることも多くなってきた。
つい先ごろも、ミュンヘンでのトゥーランドットやマーラーをキャンセルし、90歳祝賀コンサートも演目を変えるなどしたばかり。
菜食主義のブロムシュテットに、メータはカレーパワーなのかと前々から思っていた。
同時代の朋友アバドと小澤が亡きいま、私のクラシック音楽人生のよき伴侶であったメータの存在は大きいですので、ずっとお元気でいて欲しい。

70年代はじめ、ツァラトゥストラ、ハルサイ、惑星と次々に大ヒットを飛ばし、メータとロスフィルは近現代ものにおけるグラマスな演奏でもって強烈な印象を与え続けた。
デッカによる鮮やかな録音もその一助となりました。
 そんなメータが初の古典系ロマン派にいどんだことで話題を呼んだのがベートーヴェンの7番。
当時は、そんなジャンルのメータの演奏は眼中になく、私が聴けたのはそんなに昔でないCD化された音源によるものです。

ゴージャスなイメージとはほど遠い、しごくまっとうで、慎重なメータがここにはありました。
くり返しもすべて行う丁寧な演奏で、熱血漢のベト7を期待すると裏切られます。
というか、メータのこの時期のレコーディングレパートリーでリスナーに刷り込まれてしまった印象の悪影響かと思う。
イスラエルフィルとのモーツァルトなんかも、レコ芸ではけちょんけちょんにされてたけど、もともとは柔軟性あふれるメータの音楽性ですし、どんな音楽でも、その音楽をあるがままにわかりやすく聴かせるという指揮者ですから、このベートーヴェンもしごくまっとうな演奏なんです。
それでもメータとアメリカのオケらしいところは、その音色の明るさや、ホルンやティンパニの強奏ぶりで、そこはなかなかの迫力と聴く側への快感となります。
また終楽章での熱狂は冷静でありつつ、アッチェランドのかけっぷりもそこそこにあり熱いです。
ただリズム的には、全体にもっと軽やかに弾んでもいいかなと思い、全般に重厚にすぎて、そこが今風でないところか。
あっけらかんとしたロスフィルでなく、ウィーンでやったらまったく違う演奏になっていたでしょう。

長老になってもあまり変わらず、むしろサラサラ感の増したブロムシュテットに対し、メータの昨今はテンポがゆったりとなり、スケール感あふれる印象は変わらぬものの、やや弛緩した印象も与えるようになったと思う。

ふたりの偉大なマエストロのますますのご健勝を祈ります!

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2026年5月 9日 (土)

ディーリアス ピアノ協奏曲 シェリー&デイヴィス

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過ぎ去った春

今年の桜はどこも美しかった。
隣町の湿生公園は、幼少時代によく遊んだ場所。

当時はよそ者は入れないような、そんな閉ざされた雰囲気と神聖さすら子供心に感じた場所。
丹沢山系の由来する水源は耐えることなく、清らかさを保っているのは昔と同じく。

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  ディーリアス ピアノ協奏曲 ハ短調 (初稿版)

     Pf:ハワード・シェリー

   アンドリュー・デイヴィス指揮
  ロイヤル・スコテッシュ・ナショナル管弦楽団

     (2011.11 @グラスゴー)

ディーリアス(1862~1934)には、協奏曲作品は4つあり、それらのなかで一番はやく作曲されたのがピアノ協奏曲。
1897年、ディーリアス35歳の作品。
父親の跡継ぎとして実業家になるという縛りから解放され、音楽で生きていくことに舵を切って始めたヨーロッパでの生活。
ドイツで多くの演奏家や作曲家と交わり、影響を受けたが、なかでもグリーグとの出会いは大きく、グリーグ自身もディーリアスの才能を高く評価し支援もした。
ついで生活と活動拠点をパリに移し、そこで本格的に作曲に打ち込むようになり、同時にその頃、1896年にのちに伴侶となるイェルカ・ローーゼンと出会う。
そんななか、ピアノとオーケストラのための幻想曲を作曲。
それは、フロリダ時代にすでに構想されていてスケッチとして残されていたもので、ディーリアスはこの幻想曲をさらに拡大し、3楽章形式のピアノ協奏曲として完成させる。

その初演は、デュッセルドルフの東部、エルバーフェルトにて1904年に行われた。
ドイツで何度か演奏されたが、ディーリアスはこの作品に満足はしていなかった。
その2年後に3楽章を削除して、さらなる改訂を施して、最初の単一楽章形式のものに戻した。
友人でありピアニストでもあったサントー(ブゾーニの弟子)の協力を仰ぎ、ピアノパートがよりヴィルトゥオーゾ風にサントーによって書換えられ、これをディーリアスも承認。
このような曲折を経て、現在演奏されているディーリアスのピアノ協奏曲は、元に戻された1楽章形式の作品ということに落ち着いているわけで、ビーチャムが手を入れたりもしている。
1906年の単一楽章バージョンが23分ほど。
1897~1904年の3楽章オリジナルバージョンは30分。

3つの楽章のテイストを連続する形で巧みに、協奏曲としての形式を真ん中に緩徐楽章的な美しい場面を入れつつ構成した幻想曲ともとれるような1906年版。
以前の記事でも書いてますが、グリーグやシューマンと同じような幻想味と叙情味を簡潔に味わえるロマンテックな通常版でした。

そして3つの楽章がはっきりと分かれている初稿版は、幻想曲というよりはやはり協奏曲としての立ち位置がしっかりあり、規模は大きくなり、3つの楽章の性格とその対比がより明確となっている。
フロリダ時代のアメリカ生活の一端を感じさせるような牧歌的な印象が1楽章ではより強くなった。
 そして、美しく、いかにもディーリアスを思わせる幽玄な2楽章は、改訂版にあるような終結部へのつなぎ的なイメージがなくなり、これだけで独立して取り出して聴きたくなるような、ディーリアス好きにとっては至福を感じるたゆたう儚さの音楽なのであります。 
 3楽章はいくぶんシリアスに、そしてときに5拍子になったりで大胆な雰囲気もある。
オーケストラは複雑な動きを見せ、ピアノも技巧的に、ときに華麗さすら感じさせる。
このあたりがややまとまりに欠け、最終稿における簡潔さのほうが優るような気もしなくもない。
ピアノソロによる長いカデンツァがあるが、この部分をのちにヴァイオリン協奏曲にイメージ転用している。
その後に現れるオーケストラは、静かに印象的に入りつつも、徐々に1楽章の印象的な第2主題を晴れやかに、高らかに奏で始め、勢いを増してそのまま終結。

ディーリアスは青白いもやのようなヴェールにつつまれているような曲、と言ったというが、その言葉が2楽章のことを言ったものだと思いたい。
このハワード・シェリーの献身的なピアノ、ディーリアスへの愛情に満ちた亡きサー・アンドリューの素敵な指揮による演奏と、詩的なジャケットとで、このディーリアスの言葉を受け止めたい。

初稿版の録音はあとピアーズ・レーンのものがありますが、未聴。
改訂版は、カールス、同じくレーン、P・フォークの3種を聴いてます。

 過去記事

「ピアーズ・レーン&ハンドレー」

「ルドルフ・カールス&ギブソン」

Itsukushima-03

まだ1カ月と少ししかたってないけれど、桜の季節がもう懐かしく、そして愛おしい。

日本の巡りくる季節の移り変わりは美しい。

次のディーリアスは、少し間をおいて二重協奏曲を。


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