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2026年6月

2026年6月26日 (金)

ブルックナー 交響曲第1番 アバド指揮

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紫陽花シーズンも最盛期、日本は北海道をのぞいて梅雨本番。

近くの町、開成町のあじさい、今年は行けなかったので以前の写真です。

6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年生れ、93回目の生誕祭。
私の世代では、若手三羽烏と呼ばれた同世代の、アバド、小澤、メータ。
メータのみが存命で、つい先だって90歳を迎え、現役で活躍中。

 ブルックナー 交響曲第1番 ハ短調

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーフィルハーモニー管弦楽団

              ルツェルン祝祭管弦楽団

今年のアバド生誕祭は、ブルックナーの1番。

若い頃からブルックナーは1番のみを好んで指揮していて、4つの録音を聴くことができます。
いつもお世話になっておりますアバド資料館のデータを拝借しますと、ウィーンフィルとは69年を皮切りに、70,72,73,96年。
ローマRAI放送と69年、ロンドン響と70年、ニューヨークフィル、クリーヴランドで70年、シカゴ、フィラデルフィアで71年。
ベルリンフィルで72年と70年代初頭に各地で指揮してます。
その後は96年のウィーンで録音も見据えて取り上げるまで空白あり。
ベルリンではほとんどやらず、晩年のルツェルンでのブルックナーチクルスの一環で2012年に指揮してます。

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この1番ほどには、録音を残した4,5,7,9番は演奏頻度が高くなかった。
もちろん30~40代の頃に1番は集中してますが、90年代とルツェルン時代は録音も見据えたブルックナーチクルスの一環であり、アバドのブルックナーへの取組で、円熟期にもっとも打込んでいたのは、5番と9番ではなかったのではないかと思います。

1番の作品ついては過去記事より引用しておきます。

1866年、ブルックナー42歳の作品。
オルガニストとしての活動の一方、その合間に作曲法を勉強し、ミサ曲や序曲、無印習作交響曲、第0交響曲などを書いていた。
リンツでオルガン奏者を務めつつ、1865年、「トリスタン」の初演に立会い、大いなる感銘を受け、ビューローとの接点もできた。
ワーグナーに触発されつつ完成したのが正式に番号をふった1番。
68年に自身の指揮で初演されたものの、その指揮のまずさとオケのショボさもあり評価は得られず。
その後に77年や84年に改訂をしており、これらの版を「リンツ版」といい、手直し職人の名のとおり、1890~91年、66歳になってから手を入れた版が「ウィーン版」といわれる。
このウィーン版の改訂時には8番がすでに完成し、9番にとりかかる時期。
ブルックナーの音楽のスタイルは30年経っても変わらないことが、1番の改訂を最後の交響曲のあたりでやったという事実でもってわかりますね。
ハ短調に始まり、最後にはハ長調に転じて、勝利宣言のようになるという交響曲の常套を踏んでいるところも妙に愛らしい。

原始霧と呼ばれるブルックナー開始は1番はなく、軽やかさもある刻みで始まり、推進力にあふれる1楽章は、優しく歌謡性にもあふれた第2主題が素敵だし、木管の鳥のさえずりのような動きが随所にあって好き。
 抒情的な2楽章は、ブルックナーの緩徐楽章のなかで、2,6番と並んで大好きでして、もう大昔に行ったスイスアルプスの景色をいつも思い起こしながら聴いてしまう、まさにヨーロッパの音楽と感じる。
 いかにもなブルックナーらしい弾みの良いスケルツォ楽章は、ほかの番号にも通じる変わることないブルックナーらしい音楽。
この楽章のよいところは、中間部のおおらかさ、呑気さ、牧歌感でしょう。
 火のようにと指定された4楽章は気合い充分にみなぎった激しさと苛烈さがありつつ、全体を見通してフィナーレを築き上げようとするシンプルさが後年の作品たちの威容からすると物足りなさがある。
しかしこの推進力と大胆さは、ブルックナーの青さ、若々しさがみなぎっていて捨てがたい。
大家による大人な演奏より、若い指揮者が大胆に指揮することで1番の良さが引立つものと言っていい。
リズムのよさ、軽やかさ、抒情性、歌謡性、大胆さ、このあたりが1番では求められると思いますね。

アバドは一貫して多くの指揮者と同じく「リンツ版」による演奏だったが、最後のルツェルンでは「ウィーン版」を取り上げた。
2012年のルツェルンでの演奏、そしてその翌年2013年は未完成とブルックナーの9番。
その年の秋には日本公演も予定され、私もチケットを確保してましたが体調悪化で中止・・・
そしてその半年後の2014年1月にアバドは亡くなってしまう。
9番の前に改訂したウィーン版をアバドが指揮したかったのは、ルツェルンでのブルックナーチクルスに第9で区切りを付けると言う流れがあったからではないかと思う。
2014年以降は、ブラームスを取り上げる計画だったとか。

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  1969年 ウィーンフィル

ともかく活きがよく、意欲にあふれた演奏。
老舗オーケストラを前に臆することなくやりたいことをやってしまった感じ。
ベートーヴェン7番のリズム感、ロッシーニのような軽快さ、そんな大胆なブルックナー。
動画で70年頃の演奏を観ることができるが、コンマスはボスコフスキーで、ウィーンの面々は何食わぬ顔で演奏。
若い頃のアバドはともかく指揮ぶりがダイナミックで、その姿を見てるととてもブルックナーを指揮しているとは思えないところが面白かった。
第2楽章の清涼感感じる若々しい抒情が素敵だし、スケルツォもノリノリでよろしい。
なんだかんだで、1番好きな演奏かも。
録音はデッカのゾフィエンザール録音のイメージそのものだが、やや古くも感じる。

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  1972年 ウィーフィル・ライブ

数年まえに忽然とあらわれた音源で、ウィーン芸術週間でのライブ。
前半がオイストラフとのブラームスの協奏曲で、この演奏会はNHKFMで放送された。
エアチェック小僧になりたての自分だけれど、これは録音してなかった。
この頃のアバドはウィーフィルと蜜月の度合いを深めていて、前年にパーマネントコンダクターとなり、73年には来日した。
生々しい録音で、デッカのスタジオ録音より、ムジークフェラインでの演奏ということもありウィーンフィル丸出しの印象。
柔らかな響きと丸っこい音色は、いまは失われし70年代のウィーンフィルの音だと感じる。
アバドはライブでは燃えちゃうので勢いがあり、演奏時間は変わらぬが煽るようなところもあり、速めに感じる。
熱さと懐かしさ感じるブルックナー。
終楽章が熱い。

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  1996年 ウィーフィル

1月のライブ録音で、11月には9番を録音して、それがウィーフィルとは最後のレコーディングとなりました。
若い時の録音となんら変わらぬ若々しい表情を持つ演奏で、それこそがアバドの個性ともいえると思う内容。
節まわしのゆとりや、より増した自然さ、間の美しさなど、やはり30年間の重みも感じ充実度が高い。
ウィーフィルはウマくなった感あり、ローカル感は減退。
でもよりインターナショナルになったいまのウィーフィルよりはずっとウィーンしてるし、DGのムジークフェライン録音は潤いも豊かで素晴らしいものだ。
この時期に、いっそのこと、2,3,6番にも挑戦して欲しかった。
8番はアバドが絶対にやりそうもない曲だったけれど。。。

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  2012年 ルツェルン祝祭管弦楽団

ウィーン稿を取り上げたルツェルンでのブルックナーチクルス。
先に触れたとおり、1番を書いたときは、トリスタンに接しワーグナーへの心酔を深めた頃。
このウィーン版では、そのワーグナーへの思いがより強く感じるようにオーケストラの厚みと響きがグレートアップしている。
私の持つ唯一のウィーン版は、ヴァントの録音だが、このアバド&ルツェルンの方が洗練の度合いが増し、壮麗さがあるのは録音の良さばかりでもあるまい。
なんといっても腕っこきのオーケストラの面々が肩の力を抜きつつも、真剣にブルックナーに向き合ったときの音のすごさは、特に4楽章に感じるし、最初から最後まで69年録音のときと同じ若々しさと推進力があるのが驚き。
その4楽章ですが、このウィーン版は大曲然となりすぎていて、屋上屋を重ねるように感じなくもなく、やはり若々しいちょっと青いリンツ版の方がいいと思う。
2楽章での透明感は、病後のアバドが到達した境地であり、翌年の第9もかくやと思わせる無為の域を感じます。
最初の録音と、この最後の録音とで2楽章を何度も聴いて、ここ数日の晩を過ごしました。

ブルックナーの1番を愛したアバドが、とても微笑ましく、アバドという指揮者が最後まで若々しさとしなやかさを保った演奏家であった。
今年の生誕祭には、そんな思いをあらためて強くしました。

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2026年6月16日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ヴァンスカ指揮

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いつも楽しみにしているサントリーホールのカラヤン広場の飾り花壇。

季節に応じた花を配したその見事さは、素人にはできない見事さ。

6月に聴くラフマニノフに相応しい紫陽花の色どりです。

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  東京交響楽団 第741回定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op.93

 ラフマニノフ  交響曲第2番 ホ短調 op.27

   オスモ・ヴァンスカ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:小川ニキティングレブ

        (2026.6.13 @サントリーホール)

昨年3月に東響に初客演したオスモ・ヴァンスカ、私もなんどかその機会を図っていた指揮者でしたが、そのときが初ヴァンスカ。
都響とのシベリウスを聴き逃してしまったが、早くも実現した1年後の東響への登場は、その素敵なプログラムとともにおおいに楽しみだった演奏会でした。

昨年夏にノット指揮で聴いたベートーヴェンの8番。
そのときにアクティブで攻めの姿勢に富んだ8番と違い、同じく比較的大きめな編成ながら、ヴァンスカの方はヴィブラートは控えめながらも、おおらかで音もたっぷりと響かせた大人な演奏だった。
東響で聴くベートーヴェンは、この1年間でマルッキの田園、ノットの第8・第9、ヴィオッテイの1番と、そのどれもがまったく異なり、オーケストラのフレキシビリティの高さもわかるわけだが、ベートーヴェンの音楽がそのアプローチの仕方でまったく違って聴こえるということも味わえたことで、会員になっているありがたみも痛感した次第。
 ヴァンスカの指揮は、その指示ぶりなどを見ていると、強弱へのこだわりと、旋律線ばかりか内声部を際立たせたりして、オーケストラもそれに瞬時に反応して、聴き慣れた音楽でも息が抜けず、耳に新しい発見を伴わせてくれる。
これは1年前に感じたことだけれど、ベートーヴェンとラフマニノフでは、それがさらに徹底されていた。

たっぷりと鳴り渡った1楽章、正確なリズムを刻みつつも低弦の動きが面白く楽しめたりもした2楽章。
ソロに向かってまるきり指揮していて、きっと緊張したろうなと思いつつも、それに応え見事だった上間さんのホルン。
スピード感あふれつつも、どの楽器もそれぞれに浮きあがるように引立って聴こえた終楽章。
ミネソタ管とのベートーヴェン全集をこれは聴いてみなくては、と思いましたね。

シベリウスやマーラーのCDを聴いてきて思うヴァンスカの音楽造りの緻密さ。
いろんな声部を巧みに響かせ、新鮮な驚きを与えつつも、旋律線は明快に澄んで聴かせる北欧の音楽家ならではの手腕。
こうした印象が、そのままラフマニノフで感じ取ることができた。
これまで数えきれないほど聴いてきたラフマニノフの2番。
プレヴィンとスラトキンは、思い入れが先行したという感情が入り込んだものだったので、それらを別格にして、これまででいちばんの演奏だったと思う。

甘さや旋律に溺れることのない、むしろ渋い演奏。
ゆったりめの運びで克明な演奏に徹した1楽章。
当然にくり返しあり、演奏時間も他音源に比べても長いのではなかったか。
ラフマニノフの音楽は、ヴィオラがとても重要な存在だと思っていて、そのあたりの思いを確信させてくれるように、そのヴィオラとチェロを浮き上がらせるように、よく鳴らしていたし、首席3人を揃え、お馴染みの青木さんがセカンドプルトにいるという豪華版は、ますますヴィオラ陣のしっかりした音に力を与えていたと思う。
 久々のコンマス・ニキティンさんもノリノリで、ヴァイオリンを立てるようにして激奏、ヴァイオリン陣は第1も第2も、今宵はともかく熱演で、気持ちよくみなさん弾いているのが拝見できました。
 速めにズバズバ進行した2楽章は、おおらかな前の楽章と対比もあざやか。
打楽器も小気味よく、ヴァンスカの指示も各奏者に向け細かに振り分けている。

甘美な旋律に溺れることなく客観性を保ちつつも、しかしラフマニノフの音楽の旋律のよさをとことん味わわせてくれたのが3楽章。
ヌヴーさんの鮮やかだけど、繊細なるクラリネットソロに導かれ、ともかくまんじりとせずに思い切り集中して聴いた。
指揮棒を置いての丁寧な指揮ぶりは、やはりソロ奏者にむけて振るので、当事者はそれこそ大変だなとも思ったが、なにがおこるか毎回わからないノット監督に鍛え上げられた東響はヴァンスカの厳しい指揮に動じることなく、完璧に応えていた。
のめり込むようにして夢中になってしまうこの楽章のクライマックスは、そこに至るまでが着実な積み重ねで浮つきがまったくなく、その流れの必然として頂点が築かれたように感じ、この音楽の真の美しさとラフマニノフが得た自信のようなものまで思いをはせることができた。
ビューティフルなプレヴィンとはまた全然違う精緻な美しさに酔った、涙も出た。
終わらないで欲しいと思った。

カッチリじっくりやるだろうと思った4楽章は、終始熱がこもり、この作品の総決算とも呼ぶべき完全無欠ぶりで興奮誘うものだったのだ。
大好きな第2主題、これはもう指揮者もオケもみんな、ここにむかってやってきたといわんばかりの気持ちいい歌いっぷり。
各章を回顧するシーン、3楽章の振り返りのあと、かなり長く感じられた休止を置いたのが印象的。
聴き手にも間違いなく緊張感が高まったのは事実で、その後から展開される怒涛のフィナーレへと期待とワクワク感が高まりました。
もうあとは、わたくし、指揮者にオーケストラのみなさまにと、きょろきょろしつつ興奮のしっぱなし。
徐々に高まり、ついにあの第2主題が高らかに!
もうダメだ、わなわなしっぱなしの大興奮。
かなりの追い込みをかけたヴァンスカの棒が振り下ろされるや否や大ブラボー大会でした。
ワタクシは慎ましく、一声のみ参加。

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いやぁ、素晴らしいラフマニノフが聴けた。
今回ライブ録音されたらよかったが、ヴァンスカさんには、ミネソタ管で正規録音を残して欲しい。
ノットやヴィオッテイとタイプのまったく異なる職人気質でありつつ、オーケストラの力を巧みに引き出すヴァンスカさん。
常連指揮者になって欲しいです。

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むかしのふくよかなイメージの強かったヴァンスカさん。
ずいぶんスリムになられました。
また登場して、シベリウスならクレルヴォやレンミンカイネン、プロコフィエフは6番やネフスキーなどをやって欲しい・・・

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関東は梅雨本番を迎えます。

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2026年6月12日 (金)

ラフマニノフ 交響曲第2番 プレヴィン

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紫陽花の季節。

よく通る場所でして、毎年、いろんな色彩の紫陽花がまとめられていて奇麗に開くんです。
ちょっと虹を加工して添えてみましたよ。

アルカリ、酸性、とかその土壌によって色が変わると言いますが、ここはいったいどうなってんでしょうね。

梅雨の時期を美しく彩どる紫陽花、日本らしい風情です。

次のコンサートは、ヴァンスカが指揮するラフマニノフの2番。
ずっと好きだった交響曲ですが、ちょっと聴きすぎてしまい、飽いてたところに接したのが昨年の都響来演のスラトキンの名演。
スラトキンのラフマニノフには、思い入れもあり、やっとその指揮で聴くことができた喜び。
セントルイス響をメジャー級に鍛え上げ、録音した一連のラフマニノフ。
そしてN響に来演し指揮した鮮やかなな第2番はリズム感あふれる若々しい演奏だった。

そして「ラフマニノフの第2番」がいまのような人気曲になった、その立役者がアンドレ・プレヴィン(1929~2019)。
プレヴィンが生涯に何度も指揮してきたこの曲を聴ける限り聴いてみた。

  ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調 op.27

     アンドレ・プレヴィン指揮

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①ロンドン交響楽団 (1973.1)  59分

いうまでもなく、この1枚がラフマニノフの2番という音楽の評価を定着させ、人気曲へと決定づけたといっていいだろう。
2度目の録音で、作者自身もやむなく認め、第2次大戦後にはもう慣例となっていた短縮版によるものでなく、カットを復元し繰り返しをすべて行う完全全曲版による初の演奏だった。
73年の録音だが、それに先立つ1971年にこのコンビは来日してこのラフマニノフを演奏した。
まだ小学生だったワタクシ、NHKがテレビ放送したものを見た記憶があり、大木正興氏が解説だったと思うが、曲や演奏はもうまったく覚えてませんが、ともかくこんな曲を指揮する若いプレヴィンって何者だろう・・・そんな風にしか思わなかった。
当時は、ポップスあがりの指揮者なんて・・・ってな目でしか見てなかったし、ビートルズのようなマッシュルームカットの髪型や太いストライプのシャツなどもクラシックの本流とは違うんだと思い込んでいたのです。

このレコードを手にしたのは長じて、もっとあとのこと。
社会人になってアパートで独り暮らしをするようになり、FMで録音したこの曲。
演奏は、ヤン・クレンツ指揮のケルン放送響で、曲の素晴らしさにいまさらにほれ込み、同時にその演奏があまりに素晴らしくて、カセットテープを何度も何度も聴いたものだ。
都会の寂しいわび住まいを癒すあまりに美しい旋律に酔いしれ、毎晩のように酒を飲みながら聴いた。
 そして、やっぱりこの曲はプレヴィンだよな、ということでレコードを購入。
実家に装置を置いてあったので、週末になると帰って貪るように、すり減るくらいに聴いたプレヴィンの演奏は、それこそ私の体に刷り込まれたこの曲のイメージなのでありました。

「ラフマニノフの音楽の抒情と憂愁、そしてリズムと熱狂、これらを、迷うことなく思いきり聴かせてくれる。
この曲の持つすべての魅力が過不足なく描きだされていて、昨今のすっきり・かっちり系とは違う、私のとって懐かしさにも似た大人社会へ導かれた演奏なんだ。」
以前に書いた私のブログ記事を引用、ほんとそのままの印象をそのまま抱きます。
プレヴィンとロンドン響のラフマニノフとその音楽への愛にあふれたビューティフルなこの演奏は、まさにエヴァーグリーン。

②ロンドン交響楽団 (1966.4) 50分

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指揮者としてまだ駆け出しの頃、それでも37歳のプレヴィンのRCA時代の録音。
日本国内盤のジャケットはこれ。
プレヴィンの71年の来日記念盤のレコ芸広告から抜き出しました。
カットありの50分の演奏で完全版より10分短い。
始めて聴いたときはカット部分が物足りなく感じたけれど、そんなことは気にならなくなるほどに感性にあふれ、振幅も大きく、ナーヴァスでありつつ曲への没頭感も感じさせる秀演。
ケルテスがLSOを率いていた頃で、同時期にアバドもデッカに録音を始めた頃。
かなりよく歌わせる一方落ち着きもあり、やはりプレヴィンらしい柔和さもある。
捨てがたい1枚です。

③ロンドン交響楽団 (1977 @ザルツブルク) 58分

ロンドン響の熱心なファンが公開しているアーカイブで、ザルツブルク音楽祭での貴重なライブ。
音はイマイチながら、その熱気たるや並々ならない。
3楽章でのうねるような情熱、終楽章での燃え盛るような追い込みなど、スタジオ録音とはまた違うプレヴィンの姿。

④ロンドン交響楽団 (1979 @ロイヤル・フェスティバルホール)59分

これは素晴らしいライブ。
当時のLSOの本拠地で、いつものようにナイスな指揮ぶりで、情熱の込め具合も充分で、3楽章のクライマックスでは感涙したくなるほど。
70年代のプレヴィンとLSOがいかに素晴らしかったか。

⑤ロイヤルフィル (1985.3)  62分

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ロイヤルフィルの指揮者時代のテラーク録音は、音質が生々しく、かつてのEMIの響きの拡散してしまう音と違いリアル感や迫真性が増した。
またテンポも少し動かしたりして全体に勇壮感が増しスケールアップ。
すべてにおいてLSO正規盤よりも成熟度が増しているが、すり減るほどに聴いたEMI盤が録音もふくめどこか懐かしく感じられるのも事実だ。
この音盤単体でいうならば、この曲1,2を争うべき完成度と感性の高さを持った演奏なのだが、自分の人生のなかのひとコマにあったEMI盤の存在感には及ばないのです。
レコードやCDを聴く、保有するということは、そういう意味あいでもあるのかなと・・・

⑥ウィーン・フィル (1992 @ムジークフェライン) 58分

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NHKFMからのエアチェック音源で音質は上々です。
これはステキな演奏で、ウィーンフィルとの蜜月の頃、オーケストラは慣れない曲ゆえに指揮者に全幅の信頼を置きつつも、自ら気持ちよく歌い弾んでる感じ。
おおらかなプレヴィンの指揮は、連綿とせず、それでいながら3楽章の聴かせどころでは泣かせてくれるし、2000年以降の演奏に比べると覇気と勢いも感じられる。
ウィーンフィルの貴重なラフ2です。

⑦ロンドン交響楽団 (2002 @バービカン) 58分

ますます雄大さも加え、自在の域にあると感じさせる。
ホールのデッドな響きが残念だけど、プレヴィンとロンドン響は常に変わらぬ高貴さを感じさせるお馴染みの演奏。

⑧オスロ・フィル (2002)  59分

NHKFMから録音したもので、演奏年度を記録していなかったが、オスロ在任は2002~06なのでその間の演奏。
⑧のLSOの演奏とほぼ変わらずだが、録音が良い分だけ、音の充実度が高い。
このコンビの録音は1枚程度しかないので貴重。

⑨ NHK交響楽団 (2007 @サントリー) 58分

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この場に居合わせました。
サントリーホールのP席でプレヴィンを真正面から見つめつつ、その魔法のような指揮、というかそこにプレヴィンがいて、ラフマニノフの2番を指揮しているというだけでオーケストラが柔和でかつリズム感あふれる演奏をしてしまうのがすごいと思った。
武満徹のセレモンディアル、アパラチアの春、そしてラフマニノフというプログラム。
正面から拝見していて、椅子に座りながら、譜面を見ながらの指揮ぶりも、ラフマニノフとなると見違えるばかりにシャキーンとした顔付きと棒さばきになった。
N響への客演はかなり聴いたけれど、この演奏会がいちばん素晴らしかった。
そのときの過去記事はこちら

⑩ ロンドン交響楽団 (2015 @バービカン) 59分

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亡くなる3年半前、プレヴィン最後のLSOへの客演。
当時の妻であったムターと自作のヴァイオリン協奏曲とラフマニノフの2番というプログラム。
ほぼ変わらないスタイルに、都会的な洗練度も増していて、当時86歳という年齢にもかかわらず、弛緩したところやテンポの伸びや揺れもない。
完全にできあがったプレヴィンのラフマニノフ2番に、メンバーは変わっても半世紀あまり連れ添ってきて、プレヴィンのラフマニノフを知悉したロンドン響のしなやかな反応の良さ。
フレーズのひとつひとつに感じる優しさ、愛おしさ、そして微笑み。
演奏者もきっと感無量だったのでは・・・
でも悲しいかな、73年のあのときの録音にある輝きや喜びの爆発はありません。
これがプレヴィンという演奏家の最後の夕映えだった・・・・・

73年のレコード録音のときに、プレヴィンは語った。
「私は惜しみなく、また熱をこめてこう告白します。私はこの作品を愛している。LSOもまた同様である。
そしてわれわれは、これから先も長い間この曲を演奏し続けるであろう」

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レコード発売時のレコ芸の広告。

完全全曲盤との売り込みでありましたが、当時のレコ芸の月評ではまったく評価されず、大衆的と断じられてしまう。

50年前は、そんな時代だった。

音楽の需要の仕方、聴かれる音楽の裾野の広がり、あてにならない頑迷な評論家などなど、いまはほんと変わった。

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